(童話)万華響の日々

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アベノマスク再配布問題と安倍首相は国会を直ちに開き直下の問題解決に当たるべき

2020-07-29 19:49:19 | 新型コロナウイルス感染

今日のポイントは2つ
(1)アベノマスク 追加で8千万枚配布 対象は介護施設や保育園、と伝えられた(7/28)。配布マスクは布マスク、サイズも変更なし。そして菅官房長官は繰り返し洗濯して使えるし、マスク供給不足を補えるし、介護施設関係者からはお礼の言葉があったとか。果たしてそうなのか。そんなに良いものならばなぜ安倍首相しか着用していないのか、他の大臣たちはアベノマスクではない。写真で見る限り、顔に対して十分に覆っていない、即ち小さいのだ。またある実験によればウイルスを含む飛沫のカット率が不織布マスクよりかなり小さい。その効果が疑問視されている。社会ではかなり不評である。にも関わらず8千枚も配布するという。配布継続に当たってなぜ巷でいわれているような欠点を修正しないのか。贈って顔をしかめられる様なものをなぜ送るのか。有難迷惑ではないのか。この辺が緊急事態における政府の対応の不味さである。社会の声が聞こえていないのか。ごり押しはいけない。せめてサイズくらい大きく変更できなかったのか。

(2)なぜ安倍首相は籠ったままなのか。国会を開くべきだ。コロナ禍に関する検討課題は山ほどある。担当大臣に任せっぱなしで好いのか。機能不全に陥っている。野党も入れた国会での議論が必要である。リーダーならリーダーらしくせよと言いたい。解散などもってのほかである。


60歳を境に世代間の断絶を防ぐほど良い距離を保とう

2020-07-23 07:17:28 | 新型コロナウイルス感染

コロナ禍の捻じれ現象が酷い。感染者数の抑え込みと経済活動の維持は真逆の関係にある。このバランスをどう舵取りするかが政治の役割である。消化と燃焼に例えられる。今や政権のGO-TO旅行・観光への前のめりな加速がこのバランスを壊した。小池都知事は高齢者と基礎疾患を持つ人の外出を自粛して欲しいと言った。GO-TOは20代から40代に限定してやってくれという訳だ。日々の感染者の70%がこの世代である。危惧すべきは60台以上の感染者数がジワリと増加しつつあることだ。この傾向を食い止める方策が必要だ。どうやって?ソーシャル・デイスタンシ―を保つことしかない。これは下手をすると世代間の断絶を起こしかねない。互いの思いやりと遠慮が大事だと思う。 高齢者も自分たちは感染しやすく重症化する弱者であることを自覚すればGO-TOへ参加すべきではない。60歳を境に世代間の断絶を防ぐほど良い距離を保とう。高齢者はのんびり生活することだ。仕方ないことではある。

高齢者(老人)には夢を、若者には勇気と幻を!!

  「ラ・マンチャの男」より「見果てぬ夢」YouTubeより

The Impossible Dream-Man of La Mancha

from Man of La Mancha(1972, directed by Arthur Hiller) edited by Nibe...

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Gotoトラベルは完全延期、その予算は病院崩壊防止に回すべき

2020-07-17 20:56:06 | 新型コロナウイルス感染

今日の東京都における新型コロナウイルス感染者は293人と出た。超300人は目前だ。さらに埼玉、神奈川、千葉など軒並みに増加している。感染者の数字は10日ぐらい以前の感染者の結果である。潜伏期が10日ぐらいあるためだ。この調子だと益々増えるだろう。恐ろしいことに感染者が日ごとに高齢者の増加となっていることだ。高齢者は重症化しやすく死亡率が高いのだ。若者の感染を減らすことが重要だ。若者が動き高齢者と接すると感染する。病院の経営が行き詰まっていると聞く。看護師が大量に解雇されている。一時金も出ないらしい。そういう病院が増加している。由々しきことだ。Gotoトラベルは感染者がなくなるまで延ばすべきだ。または特効薬やワクチン完成まで待つべきだ。東京だけ除外しても意味がない。都市部はみな危ない。なぜなら感染している若者が移動するからだ。本人たちは自覚症状がないことが多いから罪悪感がない。それは無理もないことだ。しかし、それを知っている政治は責任を有する。Gotoトラベルに掛ける金は病院崩壊防止に掛けるべきだ。Gotoトラベル(観光旅行)Gotoトラブル(混乱)へとた易く変わる。国会再開させよ。解散など言語道断だ。知恵を絞ってコロナ禍や水害、地震、原発停止後の廃棄物問題などなど・・・議論すべき問題は山積している。何も解決していないではないか。


高齢者感染者が増大に転じた時、経済活動加速にブレーキかける必要がある

2020-07-13 16:17:28 | 新型コロナウイルス感染

都市部の、特に東京都の新型コロナウイルス感染者数が直近4日間200人越えをしている。その半分が感染ルート不明であり、80%が20~30歳台という。40から50歳台、更に60歳以上の高齢者もジワリと増えている。ただし、感染者のうち重症者は数パーセントらしい。パンデミックの初期のころとは少し違ってきている気がする。注意すべきことは重症者は殆どが高齢者から出ている点は変わらない。若者にも重症者がいるが、それは基礎疾患がある人に限られている。高齢者のうち死亡に至る人は80歳台だそうだ。

今や感染爆発が起きる兆しを有しているのかどうかが問題である。起きないという証拠はない。むしろ爆発の可能性のほうが大きい気がする。その感染増大の加速をしているのがgo-toキャンペーンとその1カ月早い実施、また緊急状態宣言解除と共に実行したステップ3というイベント再開というステージへの移行だ。3密を極力避けながら経済活動を促すとは、3密回避という消火と経済活動の火を燃やすことに例えられる(消火と燃焼)。真逆のことをどうバランスとるかという困難な綱渡りをやることなのである。そのバロメーターとなるのは60歳以上の感染者の増大だ。若者から高齢者への感染が原因となって起こる現象である。感染した高齢者は重症化が大きい。そして死亡率も高い。重症者が増えると病院が再度崩壊すれすれに近づく。

経済活動は社会の健康度が高くないと正常にはゆかない。すなわち高齢者が健全でないと経済は正常に活動しない。今や人口の60%以上が高齢者なのだ。現役で働く高齢者は多い。元気な高齢者も多い。彼らは映画、演劇、美術館、コンサート、カルチャーセンターの趣味・習い事、旅行や外食、株などの投資、等々すべからく高齢者が活躍している。また生活維持のため働く必要のある高齢者も多い。この高齢者を窮地に陥れる種類の経済活動など意味がない。最大の消費者は高齢者なのである。このような高齢者をコロナ禍の犠牲者とするような「消火と燃焼」のバランスは悪である。最適のバランスを探さなければならない。高齢者感染者数が急に増大に転じた時は燃焼を中止しなければならない。何を消火すべきか、それはもう分かっているはずだ。当然ながら消火したときに暮らしが困る人、職種や産業に携わっている人、には政治が経済援助や保障をしなければならない。社会の弱者が犠牲となるようなバランスは本物ではないだろう。新型コロナウイルスは人間社会が存続するための適正な自重を求めているわけだ。

やっぱり見果てに夢を持つこと、が大事だな

「ラ・マンチャの男」より「見果てぬ夢」エルビス・プレスリー You Tube

Elvis Presley - The Impossible Dream (1971)

Live 1971 Written by Joe Darion and Mitch Leigh 1965

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「長崎の鐘」 3 永井博士の浦上教会合同慰霊祭での信徒代表としての弔辞

2020-07-09 20:06:53 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

長崎原爆被災者として生き残った永井隆博士は浦上教会の合同慰霊祭(1945.11.23.)で信徒代表として弔辞を述べた。病床で苦痛に耐えながら祈りながらまとめたものである。著書「長崎の鐘」にこの弔辞が載っている。かいつまんで紹介したい。

「昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原爆が浦上に爆裂しカトリック信者八千の霊魂は一瞬にして天主の御手に召された。猛火は数時間で東洋の聖地を灰の廃墟と化し去った。浦上天主堂は聖母にささげられた。日本の戦力に止めをさすために最後の原爆は元来他の某都市に予定されてあったのが、気象条件が悪く長崎に変更された。しかも軍需工場を狙ったのがずれて天主堂を直撃したのである。このことは神の摂理であったと解釈されなくもない。終戦と浦上壊滅とには深い関係がありはしないか。世界大戦という人類の罪悪の償いが日本唯一の聖地浦上が犠牲に祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔として選ばれたのではなかろうか。

敗戦を知らず世を去りし人の幸せよ。潔き羔として神のみ胸にやすらう霊魂の幸せよ。それに比べて生き残った私たちのみじめさ。なぜ一緒に死ななかったのか。なぜこのみじめな生活をしなければならないのか。私たちは罪人だからでした。余りにも罪の汚れの多き者のみが、神の祭壇に供えられる資格がないため、選び残されたのだ。主与え給い、主取り給う。主の御名は賛美せられよかし。浦上が選ばれ燔祭に供えられたることを感謝します。この尊い犠牲によって世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝します。」

永井博士の弔辞にはなぜ浦上教会が原爆の犠牲となったか、亡くなった人たちは償いの羔に選ばれた幸いであること、生き残った者は旧約聖書ヨブ記のヨブの信仰に立たねばならないこと、一切に神の摂理が働いていると認識すること、などが調和よく述べられたもの(世界)であったと思う。調和よい世界とは、神への信仰をもって見ないとわからない世界である。

永井博士は長崎の浦上に思いを集中しているが、勿論この時は広島も原爆で壊滅していた。その後66年たち核の平和利用という幻が全く消え去った福島原発過酷事故を体験した。今なお原発の負の遺産を抱えている日本、永井博士の平和への道はまだまだ遠い。来月は原爆忌であるが先立つ今月に長崎で原爆にあい亡くなった永井隆博士のことを振り返った。「長崎の鐘」の歌の裏には壮絶な原爆被災者の事実があったのである。


「長崎の鐘」 2  永井隆博士のこと

2020-07-03 20:22:55 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

永井隆博士は明治41年(1908年)2月3日に松江市の生まれ、父は医者であった。松江高校理科卒、長崎医大、同大物理療法科助手、その後軍医として満州に行き、昭和9年帰還しカトリックの洗礼を受けた(26歳 霊名はパウロ)、同年結婚、昭和19年医学博士、この頃に慢性白血病で余命3年といわれた。昭和20年8月9日原爆被災しつつ被爆者の救護活動に当たった。昭和20年11月、浦上教会合同慰霊祭で信徒代表として弔辞を述べた。この時の内容が「長崎の鐘」に詳しい。

昭和21年教授についたが7月に倒れ病床に就いた。昭和26年5月1日死去、43歳であった。5月3日に教会葬、14日に長崎市公葬儀であった。なお昭和24年には長崎市名誉市民に推された。著書として「この子を残して、「長崎の鐘」、「如己堂随筆」など。生涯の座右の銘は「如己愛人」。如己堂にて礼拝と祈りと執筆と絵描きの晩年であった。如己堂というのは被爆後の療養生活を送った東屋である。「如己愛人」とは聖書のなかの言葉であり、己(自分)のごとく他人を愛する、という意味である。永井博士は本当にこの言葉を身をもって実践された。

讃美歌「主われを愛す」YouTube

 

Joey+Rory - Jesus Loves Me (Live)

Check out the official music video for "Jesus Loves Me" by Joey+Rory ...

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