(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

緩和か延命かに辿りつけない悲しい老々介護もある

2016-02-29 21:37:17 | 看取りと介護道

最近も老老介護の悲劇を報道した記事が続いている、

2/25朝日新聞には「埼玉県小川町腰越の自宅で介護中の妻(77)を殺害したとして今月8日に殺人容疑で逮捕されていた無職国崎誠一容疑者(83)が、その後約2週間にわたり食事をほとんどとろうとせず、搬送先の病院で病死した。同県警が23日発表した。逮捕時に「認知症の妻の介護に疲れた」と話して以降、取り調べにも応じていなかったという。 国崎容疑者は今月5日夜、自宅で妻恭子さんの首を刃物で刺して殺害したとして逮捕された」という記事、

更に2/29の記事では「・・・・浦賀署員が駆けつけたところ、団地の一室でこの部屋に住む女性(68)が倒れており、無職の夫(70)を傷害の疑いで27日に逮捕した。「蹴ったことは間違いない」と容疑を認めているという、夫は認知症の可能性もある」

埼玉県小川町の事件では夫が妻の介護に疲れ心中を図ったものと思われる、また浦賀の事件では介護していてくれていた妻を誤って殺してしまった、認知症の疑いがあるという、

どちらの事件も老々介護の悲劇である、・・・・2/29朝日新聞オピニヨン・フォーラム「最期の医療」で読者のアンケートに基づき、「緩和か延命か悩む家族」という特集を載せている、

つまり死に瀕して緩和か延命か、どちらを選ぶべきかということ、それにしても上記の二つの事件は緩和でも延命でもなく、その途上にあって耐えられずに望もしない死を選んでしまったというところに何ともいえないやり切れない恐ろしさを感ずる

最近雑談していて耳にした話では民生委員や社会福祉協議会の人たちも、独居老人の見守りやケアにはまだ対処できるが、夫婦や親子二人などともかく二人以上の家族が介護している家庭の状況については手が回らないと言っていた

二人以上ならばなんとかやっているのだろうと思ってしまうのだろう、だが、デイサービスなどの福祉施設を勧めても断るケースがあり、これにはどうしたものだろうか

 


映画 ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります アメリカ 2014年

2016-02-29 19:16:22 | 映画の印象

アパートの五階は登り下りは毎日のことだから実際は酷く大変なことだ、映画は夫婦愛で何とかしようという美しい終わり方だが・・・・ 後のことは知らないよという、ある意味現実逃避、実際は甘くない、すぐにまた引越しを思案することになる

全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
⇒「映画の真相とその隠された深層」


40年超運転原発の再稼働20年延長に危険性はないのか

2016-02-25 20:10:28 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

関西電力 高浜1,2号機が運転開始から40年を超えたにもかかわらず、原子力規制委員会は新基準審査を満たすとして適合を認めた、ただし経過措置で7月までに安全対策の基本方針の許可、詳しい設計の認可、運転延長の認可の三つが必要であり、満たされた場合には20年の運転延長が可能となる、こういう記事が載った(2/24朝日新聞夕刊)、

なぜに原発の寿命が40年なのか、原発はそもそも60年までの耐久性があるのか、一応どの原発も運転開始から40年で停止させ定期検査に入り、新基準審査を改めて受けて合格すれば延長が可能ということなのか、3.11福島原発事故で一旦は廃炉基準を40年としたのにここへきて延長が可能という方針はなぜなのか、40年廃炉説の根拠は何だったのか、問いたい、新基準審査は延長させるための口実に変わってしまったのではないのか、

新規な原発建設が困難になってきた現在、現行炉を可能な限り運転させるというのは電力会社も国も考えていることだ、しかも全電力の20%は原発電力を確保しておきたいという政権の方針が出ている、それで無理してでも延長運転を企てるとしたらその危なさはいうまでもなく、新基準審査という壁が有効に正しく行われることが必要である、安全は本当に確保されるものなのか、それは原子力規制委員会や国に任せられている


自民党の失言・失態を追及しても政権はダメージを受けない、野党は受け皿としての基盤固めに全力を

2016-02-24 19:13:32 | 社会診断 政治

自民党の失言、失態のオン・パレード、最近だけでも8件はある、一人は議員辞職したが他は謝っただけでそのまま居座っている、以前だったらもっと厳しい処分があったし、こんな状態であったら内閣総辞職であったはずだ、ところがそうではなく、内閣支持率はなんと40%を超えている、ただし、他に代わる政権がないからという消極的支持、つまり見かけだけの支持によってかろうじて持ちこたえている、それが実態であろう、

ここでは個々の発言にいちいちコメントはしないがいずれも自民・公明政権の素顔を間違いなく表したものであり誰もが誤解を与えたなら謝るというもので発言そのものを撤回した者はいない、これが重要なポイント、現政権を支持するものはこのぶれない悪人ぶりが気に入っているのである、自民党谷垣氏は「我々がちょっと油断をしますと・・・」と言っているがこれくらいの油断では支持率が落ちないことを十分に承知している、だから現政権は絶大な力を備えている、

野党はこの点に留意し、単なる失言や失態を追及しても余り効果がないからそれに貴重な時間を取られるのはよくない(自民の思うつぼである)、むしろ国民の受け皿になるべく合流を含めて自らの政策や方針、選挙対策、の確立とアッピールの方に全力を傾注すべきだ

 

 

参照 2/19 朝日新聞{失言・失態、自民続々 今度は丸山氏、米大統領を「黒人、奴隷」 野党が辞職勧告案

安倍内閣の閣僚や自民党議員の不祥事や失言が止まらない。丸山和也参院議員が参院憲法審査会で「米大統領は黒人。奴隷ですよ」などと発言。野党3党は18日、丸山氏の議員辞職勧告決議案を参院に提出した。甘利明前経済再生相の辞任や宮崎謙介前衆院議員の辞職ショックが冷めやらぬ中、政権は火消しに追われている。

 「いかようにも抗弁できない。外交関係にも影響しかねない」。18日の衆院予算委員会で、民主党神山洋介氏は丸山氏の発言を厳しく批判した。菅義偉官房長官は「政治家は常に自らの発言に責任を持って、国民の信頼を得られるよう説明を果たしていく責任がある」と防戦に追われた。

 丸山氏は17日の参院憲法審査会で「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」などと発言した。安倍政権がもっとも重視する同盟国・米国の指導者に対する人種差別にあたる恐れがあり、政権幹部は「どう考えても正当化できない。陳謝、陳謝、陳謝だ」と沈静化に動いた。

 民主や社民、生活の野党3党は、丸山氏の議員辞職勧告決議案で「看過できない」と指摘。自民側は、丸山氏を参院憲法審査会の委員から外し、18日夕の幹事懇で、丸山氏の17日の発言を大幅に議事録から削除することを提案。同氏は「人種差別の意図はない」と謝罪した。幹事会後、野党の批判について「正直言って、あきれている。人種差別を乗り越えてきた米国は素晴らしいと言うことが批判されるのは不条理」と語り、議員辞職を否定した。

 丸山氏の発言には与党からも批判の声があがった。野田毅前税調会長は所属する石原派の会合で「党除名処分に値する。日本の政治家にあるまじき発言だ」。公明党漆原良夫中央幹事会長も会見で「綸言(りんげん)汗のごとし。撤回すればいい問題ではない」と苦言を呈した。

 ところが、失言は連鎖していく。この日の衆院予算委では、丸山氏の問題が取り上げられていた際、自民の長坂康正氏が自席から「言論統制するのか」とヤジを飛ばして審議が紛糾。長坂氏は「不用意だった」と謝罪に追い込まれた。

 閣僚の問題発言も続く。麻生太郎財務相は、軽減税率が導入されると廃業する零細事業者が出る可能性を示した15日の答弁を追及され、「誤解を招いたのであれば訂正する」と釈明した。

 安倍晋三首相は18日、官邸で谷垣禎一幹事長と会談。谷垣氏が「脇を締めなければならない」と言うと、首相も「足をすくわれないようにしなくてはいけない」と語ったという。

 党内各派閥の事務総長は17日に集まり、派閥単位で議員に注意喚起することを確認。谷垣氏は18日夜、都内での議員パーティーで「参院選は中間テストと有権者が思っている。我々がちょっと油断をしますと『このごろたるんでおるな』と、すぐにペケが付く」と訴えた。(笹川翔平、山岸一生)


カラスがこんなに賢いとは・・・・唖然

2016-02-23 20:44:22 | 日記

最近我が家の庭に出没する1匹の猫、野良猫か飼い猫かわからない、それでも野良猫かもしれないと思って家に置いてあった猫フーズを植木鉢の皿に入れて置いておいた、それからもうかれこれ1か月になるが、前日に餌を入れておいた皿は翌日には空になっていた、だが一度も餌を食べているところを目撃できずにいた、

 十日程前のある日の朝のこと、なんとまあ餌皿から一羽のの大きいカラスが飛び立ってゆくのを見た、それ以来餌をとっているのはカラスか猫か分からないまま過ぎた、相変わらず餌は知らないまま取られていた、そこで一策を講じて昨日の晩に餌を入れた皿の上からプラスチックのカバー(インスタント・ラーメンの容器)をしてカラスには取られないようにした、

 そして今朝のことである、かあちゃんが早く来て見てくれと呼んでいる、外へ出てびっくりだ、カバーは転がっており、餌は全てない、皿はそばのブロック塀の上にキチンと乗っけられているではないか、まるで「ご馳走様、お膳はここに置いておくよ」と膳を下げたかのようにだ・・・・・、

 カラスの仕業に違いない、カラスが賢いということはよく聞いている、しかしこの目で現場を見たのは初めて、、つまり今までカラスに餌をあげていたということになる、電信柱の上で一羽のカラスが止まってこちらを見下ろしていた


「村上隆の五百羅漢図展」を観た 圧倒されるスケール!!

2016-02-20 15:53:54 | 展覧会

森美術館(六本木)「村上隆の五百羅漢図展」を観に行った、テレビで紹介されていたので気になっていた、テレビ放映の中で村上隆は五百羅漢図を創作し終えて「もういつ死んでもいい」と吐露していたのが印象に残っていた、観ながらそれもうなずけると思った、

森美術館に来たのはこれで2回目ぐらいだが、エスカレーターを通り、53階までエレベーターで行ったり、このことが既に村上の世界へ入って行く参道のような気がする、辿り着いた世界にはファンタジー、アニメ、フィギャー、滑稽、諧謔、ふざけた可笑しさ、鳥獣戯画、密教の曼陀羅図のようなもの等々が混沌として混ざり合い融合し合い一つの宇宙を形成していた、

会場は平日にもかかわらず老若男女の鑑賞者が列をなして観ていた、これほどの人気があるとは来て見て初めてその理由が分かった、一つ一つは極めてでかい作品で何十メートルも続く、宇宙の始まりから終わりまでを、生から死を、死から生を綴ったようでもあり、絵の中から楽の音が響きだしているようにも感じた、

五百羅漢はでかい絵画の下に個々の聖者が永遠と続き当たり前だがどれもが表情が違う、特に代表的な羅漢が大きく描かれている、この見てくれと表情が凄まじい、骸骨あり歯抜けの爺あり、目玉は緑、黄色、赤、と異様にぎらついている、

手足の爪は鷹の爪ように鋭く伸び身体はあばらが浮いてミイラ一歩前の骸骨姿、彼らは何かを見つめて不気味に笑っているような、泣いているような、叫んでいるような、喘いでいるような、これが人間の本性かと・・・

全部を観終わったときにはほとほと疲れって一気に年を取ったような浦島太郎の気分で会場を後にした、

 

 


川崎市老人ホームの転落殺人事件の原因の一つは即戦力という余裕のなさか

2016-02-18 21:21:30 | 看取りと介護道

川崎市・有料老人ホームで高齢の入居者3人が相次いで転落死した事件はこのホームの23歳の元職員であった、3人はいずれもベランダから投げ落とされたという恐ろしい殺人事件であった、容疑者の男は犠牲者の男性が認知症で外出したがる人で「いつ死んでもいいのだ」と言って急に車道に飛び出す、そんなことが度重なりストレスが溜まっていったようだ、

男性のことを「手がかかる人だ」と漏らしていたそうだ、容疑者は救急救命士の資格を有して老人ホームに2014年に採用された、ヘルパーとしての経験は老人ホームに入ってから実地の仕事をしながら身に着けていったようだ、だが、今回の転落死事件は入社して半年という極めて浅い時期に起きている、彼の性格もいろいろ明らかになってきている、窃盗事件で逮捕されたこともあった、容疑者の性格的な欠陥も言われている、もっぱら今回の事件は虐待との関係で論じられている、

さて、思い出すのは軽井沢で起きた夜行スキーバスの転落事故である、バス運転手は大型バスの経験未熟者で採用直後ぶっつけ本番で夜行バスの運転を指示された、その結果であろうか下りに入った坂で速度が規定の約2倍(約100キロ)という猛スピードで運転制御不能に陥って転落したらしい、つまり必要な訓練もろくに受けずして未熟なままやって来いと実地に押し出されたのである、

今回の転落殺人事件でも容疑者の職員が十分な訓練を受けていなかったのではなかろうか、認知症の高齢者の扱いは極めて難しいものだ、人間特に高齢の人に対する理解と認知症という独特の症状をよく理解し、その対処方を理解しさらに実際の介護を経験しながら上司や同僚の指導を受け(オンザジョブ トレーニング)、それを一定期間実習としてこなして初めて単独に入居者の介護に当たれるのではなかろうか、

だが現実は甘くなく即実践が要求されるというところばかりのような気がする、だからある意味で今回の容疑者も不十分な入社後の導入訓練しか受けることができなかったのではなかろうか、故に彼も介護事業の犠牲者であるといえないだろうか


入院・施設より在宅医療というやり方のしわ寄せの犠牲は十分に論じられていない

2016-02-16 20:59:26 | 看取りと介護道

この4月から紹介状なしで大病院を受ける場合には診療代以外に5千円以上を、再診でも2千5百円以上を請求されるという、今までも金額は低いとはいえこのやり方であった、値上げされたわけだ、

更に大病院は重症患者中心とし、ベット数も減り、その代りにリハビリ病院へ回される、つまり入院期間が縮小される、従来も病院入院期間は少なく退院を迫られた、その結果老健(老人保健施設)へ行くか家に戻るかの選択を迫られた、

国は在宅医療すなわち在宅看護・介護を推進したいのである、そしてかかりつけ医師や薬局を重視したいのだと、だが、このやり方だと行き場のない病人が数多く発生するだろう、老健に行ければまだいい、

仕方なく家に戻っても看てくれるかかりつけ医師や看護師がいなかったり、ヘルパーが来てくれる時間が少なかったり、つまりは家族がほとんど常に付添っていなければいけない、それも老老介護だったり、病人が病人の世話をしたり、まだ若すぎる孫や子が親や祖父母の世話するケースがきわめて多くなるだろう、今でも多いのだから、その結果言いたくもないが無理心中などといった悲劇が後を絶たないだろう、最近でもそういった事件が報じられている、

国のやり方にはどこがしわ寄せの犠牲にあうかが論じられていない、あるいは分かっていても見て見ぬふりをしようとしている、望ましくは特養や老健が充実すると良いのである、だがそれすら全くのお粗末な現状である、4月からどうなるか極めて心配である


電力自由化は消費者が原発電力から手を切れる機会となれるのか

2016-02-15 15:48:13 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

電力自由化が4月から始まるという、今やガス会社や携帯電話会社などが電力と他のサービスを複合させて電気代が安くなるというような宣伝がある、

従来の電力会社以外から電気を一般消費者が購入できるようになる、また送配電分離も将来は進むらしい、だが消費者が注意しなければならないのは電気代が安ければいいというようなものではない、決定された安価なコストで長期的に安定供給できるのか、解約や他社への乗り換えは簡単にできるのか、

そして反原発の消費者はできれば原発電力からおさらばしたいと強く思っているだろう、電力自由化は原発から再生エネ電力へ切り替える好い機会なのである、

ところが現在新規登録している160社近い電力会社は電力ソースが何であるのか示さない企業が圧倒的に多い、多分現政権・経産省は原発電力を20%は入れたいといっているから何らかの指導をしているのだろう、電力ソースを必ずしも示さなくてよい、義務ではないと報道されている(12/4 朝日新聞)、

安い電力には注意が必要である、原発電力を入れれば安くなるようになっているようだ、東電は柏崎刈羽原発を、九電は川内原発を稼働することでコストを下げたいようである、他の電力会社を選ぶことができないならば仕方ないが、この際原発と手を切る良い機会ととらえたいと思います


反放射能派とは何のことか、科学的根拠がないとは何のことか、要説明責任

2016-02-13 20:23:47 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

2/11朝日新聞記事、丸川環境相の非見識な発言には呆れた、どうも荒っぽい表現であり3.11福島原発事故で被曝線量値決定等で苦労した関係者への配慮が完全に欠けている、

被曝線量値とその決定由来について、環境相ともあろうものが重要で肝心な被曝線量値とその決定された経歴を全く学習していないような印象を受ける、もし知っていながらあの荒っぽい発言をしたのであればその意図はなんなのか、そこが重要であり多分知っていながらの行動であろう、

記事のように丸川大臣は被曝線量値の意義や決定由来を知っていたようである、大臣のことばの中には「反放射能派」とか「なんの科学的根拠もない」などの表現があったそうだが、

このような挑発的ともとれる言葉をわざと使う理由を説明すべきである、大概の人は放射能が怖ろしいに決まっている、そういう意味で「反放射能派」である、そういう人々に対して単に撤回で済む話ではない、

丸川環境相ははっきりした思想に基づいて上記の表現をしたのである、野党は十分にその真意を正さなければならないと思います、原発から出た放射能という危険物に汚染された環境の安全に対する見解を聞きたい

記事の参照[被曝線量「根拠ない」発言を撤回 丸川環境相

丸川珠代環境相は12日夜、記者会見し、東京電力福島第一原発事故への対応で国が追加被曝(ひばく)線量の長期目標として示している年間1ミリシーベルトについて、「何の科学的根拠もない」などと自身が講演で発言したことを認め、発言を撤回し、「福島の皆様には誠に申し訳ない」と陳謝した。衆院予算委員会では発言を認めていなかっただけに、週明けの国会審議で野党の追及は必至だ。

 1ミリシーベルトは、国が除染などによって達成する目標として決めた。国際放射線防護委員会が原発事故から復旧する際の参考値としている被曝線量「年1~20ミリ」の中で一番低い数値。除染事業を担当する環境相が発言したとして、丸川氏の認識を問題視する声があがっていた。

 問題の発言は、7日に長野県松本市であった講演で出たとされる。信濃毎日新聞が報道した8日、丸川氏は記者団に「そういう言い回しはなかったと記憶している」と否定。9日の衆院予算委でも「こういう言い回しをした記憶は持っていない」と釈明した。

 10日の同委では、民主党細野豪志元環境相が「信じがたい発言だ。明確に撤回するべきだ」と追及した。丸川氏は「福島の皆様に誤解を与える発言をしたとしたら、おわび申し上げたい」と述べたが、「記憶がない」などと答弁。発言内容を認めていなかった。

 だが、12日午前の閣議後会見では一転して「言ったと思う」と説明。同日夜には、発言内容の詳細なメモを入手し、講演の出席者にも問い合わせて自身の発言を確認したとして、記者団への説明に臨んだ。

 丸川氏は撤回の理由について「福島の皆様との信頼関係を保っていく上で、撤回すべきだと自分で判断した」と説明。年間1ミリシーベルトの数値についても「科学者が集まって議論をした上で決まったという意味では、まさに科学的な根拠」とし、辞任については「引き続き職責を果たして参りたい」と否定した。

 与党内からも、丸川氏の発言などを念頭に苦言が出ていた。自民党高村正彦副総裁は12日の党会合で「閣僚や政府関係者のみならず、与党の一人ひとりが気を引き締めてやって頂きたい」と求めた。公明党大口善徳国対委員長も「国会外の発信も十分注意してもらいたい」と注文していた。(小坪遊)}(下線と太字はブログ筆者)


壊すことは新しくつくること、ただし新品が用意されていないといけない

2016-02-12 22:08:25 | 雑感・エッセイ

2/11朝日新聞のコラム「福岡伸一の動的平衡」で"壊すことの意義"という注目すべき意見が目についた、それによれば生物学者は細胞内部でのたんぱく質が壊される機作について重視しているのだという、面白いのは故障や不用が壊される原因ではなく、まだ十分に使えるものでもどんどん壊されて新品と交換されてゆくというのだ、

壊す方法や壊す場所は何通りも用意されていて生物・生体全体が一定の秩序を保つために、中途的な細胞も情け容赦なく壊され新品と交換される、それが全体として無秩序を生じないようにする機作だというのだ、壊すことはつくることより創造的だと結んでいる、著者は生物学者だ、・・・・

これを読んで成程と唸った、人は使えるものはできるだけ使い続けたいと思う、勿体ないという人間的な倫理があるからだ、だが社会というものを考えるとき、社会は複雑な一つの生き物と考えられなくもない、であれば中途半端な機構や機能しなくなった組織は壊して新しいものと変えるべきか、それが全体として秩序を維持することかもしれない、

歴史的に人類は生物から多くを学び利用してきた、そうであれば壊すということを積極的に考えてみたい、壊すことはつくること、ただし新品が用意されていないといけない、問題は何を壊すか、どうやって壊すか、交換する新品とは何か、である


イケメン宮崎衆院議員、イクメンになり損ねた、その代償は極めて大きい

2016-02-11 20:31:06 | 社会診断 企業

自民党の宮崎謙介衆院議員(35)は自民党議員の妻の出産間近の6日前に女性タレントと密会し不倫を行った、かつ彼は妻の出産に合わせて議員育休を推進実行するという大胆な提案をしていた、彼はイケメンとイクメンを同時に持ち合わせる男になる予定であった、周りの者は期待しまた羨んだ、それがどうやら自分から墓穴を掘って失敗したらしい、

成り行きから見ると妻が出産で入院不在の時を狙って育休を演じ女性タレントとの密会を企んだと解されても言い開きできないだろう、彼の罪は何か、不倫によって妻を騙し、産まれた子供を騙し、双方の両親に恥をかかせ、(議員)育休の推進を期待していた国民を失望させて騙し、育休という社会的課題を自分のやましい個人的欲望のために歪めて利用した、いうまでもなく自民党に多分大きなダメージを与えた、他のいま起こっている幾つかの大臣たちの失態と合わさって安倍政権の危機を招いている、ということだ


核軍縮部会へ一転参加、本当にやってゆけるのか

2016-02-05 19:35:51 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

 1/28朝日新聞一面トップ記事で日本が核軍縮部会で一転参加の方針を出し、核保有国と非核国との橋渡しを目指すという、2/1に社説で下記のように主張した、さて日本政府はまだ核軍縮部会に正式な参加を表明したわけではないらしい、まだ、ぐずっている、

そのくせ全会一致の決定方法を提案してゆきたいそうだ、まだすべてが情報公開されていないので分からない内容だ、この問題に関し全会一致というのはあり得ないほど困難だ、結局いつまでも核軍縮が達成しないことを目的にしているに等しい、でないならば余程の知恵を絞り交渉を続ける覚悟が必要ということだ、

とにかくアメリカのように銃規制が遅々として進まない国が相手だ、銃の規制ができない論理と核軍縮の法制化に反対することは同じ論理ではなかろうか、結局映画でよく見る西部劇のように、決闘の際に一旦は銃を地面に置いて互いににらみ合い隙あらば銃を掴む、銃を地面に置くというのと核を手放すということはどこか似ている、なかなか難しい、どうやって手放すかの方策と知恵を日本は示せるであろうか、

特に核軍縮に反対の国々に核兵器の法的禁止に賛成の姿勢を取ってもらえるか、また、日本が原発技術を輸出しているようでは当然のことだが説得力がない、核を捨てるという核兵器・原発に対する一貫性がなくては相手には通じない、それが誠意というものだ

2/1朝日新聞(社説){核軍縮部会 禁止条約を見据えよ 

国連が今月に新設する核軍縮の作業部会に、日本が加わる。日本政府が方針を固めた。

 核兵器の危険性と非人道性の認識が近年、非核保有国の間で深まっている。国際法によって核兵器を禁じようという流れが加速している。

 そうした新潮流を受けて設けられる部会だ。唯一の戦争被爆国である日本が参加するのは、当然すぎるほど当然のことだ。問われるのは、その場でどんな役割を果たすかである。

 「核兵器のない世界をめざすために国際社会をリードする」という岸田外相の言葉に恥じない振るまいを期待したい。

 東西冷戦が終わり四半世紀を超えたが、米ロ英仏中の5核大国は依然多くの核兵器を持つ。

 核不拡散条約(NPT)はこの5カ国に限って核保有を認める代わり、核軍縮を義務づけている。だが近年、削減は滞り、攻撃精度を上げるなどの高度化が進んでいる。

 さらに原子力技術の普及で、北朝鮮のようにNPTに反して核兵器を開発しようとする国もあとを絶たない。

 核ミサイルの誤発射やテロリストによる入手などの悪夢を恐れて核軍縮・廃絶を求める非核国と、核兵器の力を手放したくない核保有国との溝は、かつてないほど広がっている。

 全会一致方式のNPT再検討会議やジュネーブ軍縮会議だけでは、核保有国の抵抗で議論が進まない状況だ。

 そこで、まず非人道的・非倫理的な兵器として核兵器を条約などで禁止し、その国際規範を土台に廃絶をめざそうという動きが急速に広がったのだ。

 そのための新部会である。

 昨秋の国連総会では、5核大国など12カ国が設置決議に反対し、米国の「核の傘」に入る日本や北大西洋条約機構NATO)加盟国など34カ国が棄権した。それでも国連加盟国の約3分の2にあたる138カ国の圧倒的賛成多数で可決された。

 日本政府は先週の非公式運営会議では参加表明を見送るとともに全会一致方式を主張した。

 核保有国を含め、広範な賛同を得る努力は必要だ。しかし、硬直的に全会一致にこだわれば、核軍縮をめぐる今の膠着(こうちゃく)状況は打ち破れないだろう。

 日本は核兵器禁止をめぐり建設的な貢献をすべきだ。例えば何をどんな順に禁止すれば核保有国を議論に引き込めるかや、「核の傘」からの安全な離脱策などを具体的に研究したい。

 米国など核保有国にも、核廃絶を求める市民は多い。内外で意見交換を深めるべきである。}


レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」 展 江戸東京博物館 が魅力たっぷりで素晴らしい

2016-02-04 19:22:07 | 展覧会

いま江戸東京博物館で好評開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ   天才の挑戦」という展覧会を観に行った、お目当ては傑作と言われる「糸巻きの聖母」1501年ごろ 油彩画 (48.3×36.8)である、この傑作を中心に約72点の作品が展示されている、「糸巻きの聖母」はこの展示会でもレオナルド派と呼ばれる作者による他2点が展示されている、構図も類似している、だがレオナルド・ダ・ヴィンチ自筆の作品が当然ながら一番優れているように思えた、

当時の糸巻きの実物も展示されていて興味深い、幼児イエスが持つ糸巻きはあたかも十字架のごとくに描かれている、レオナルド・ダ・ヴィンチは幼児イエスが母マリアに抱かれているときから彼の十字架の死という宿命を背負っていたことを絵画で示したのである、ただ「糸巻きの聖母」という名前にちょっと違和感がある、どうせなら「糸巻きの聖母子」ではなかろうかと、

今回の展示品で他にも印象深い作品がある、レオナルド・ダ・ヴィンチの同僚や弟子たちによる聖ヨハネやマグダラのマリアをテーマにした絵画には圧倒される凄さを感じる、ヨハネも幼児ヨハネや大人のヨハネが描かれ、マグダラのマリアは乞食のようななりでありながら顔は救われた歓びに溢れているところが好く描かれている

またレオナルド・ダ・ヴィンチの研究ノートや素描も面白いが、なにしろ精緻で観るのに苦労する、幸いモニター画面で拡大して見られる、レオナルド・ダ・ヴィンチが記述したイタリア語が日本語に翻訳されているので時間があればじっくり読んで楽しむこともできる、とにかく「糸巻きの聖母」をはじめ本邦初公開の作品が多いので是非とも鑑賞するべきだと思ったのです

 


原発再稼働は国民すべての問題、国民投票こそ必要

2016-02-01 20:31:47 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

原発関係の最近の動きで、おかしなことが多い、まず九州電力の川内原発再稼働の件、免振重要棟という重大事故時に対策拠点となる建物が新規制基準で設置が義務付けられたにもかかわらず、審査時には免震構造としていたが、審査後には単に耐震構造とする、しかも平屋の狭い既製の建屋を使い続けることにした、免振棟ということで審査通過したはずが再稼働決定後に設計変更、しかも安直な方向へである、安全に対する姿勢がなし崩し的に崩壊したといえる、

次に原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場については全く行き先が見えていない、現在のところ4割の19道府県が受け入れないと方針を出した、沿岸部海底も候補となっているらしいが具体化に乏しい、核のゴミが放射能をなくするまでには何万年もかかるのだから地球的規模の時間軸にだれが安全保管の保障ができるというのか、たとえ無人島の近くであっても地下水、火山の隆起など不安な要素が多く多分日本国内や近海も最終処分場には無理がある、

このように最終廃棄物の持って行き場がない現状で、原発が相次いで再稼働に踏み切っているのは殆ど常軌を逸した決定・行動である、大体が瞬間的な経済的理由で原発再稼働をするのは理由に乏しい、かつ原発はそもそも衰退し過去の産業となる運命にある、なぜしがみつくのか、そしてこの問題児の原発を世界中に売り歩くことの狂気の沙汰、第二第三の福島事故が起きたときだれに責任が取れるというのか、もし取れるというものがいたら核という自然の恐ろしい脅威に対する冒涜である、大臣の任命責任とはわけが違う、それを同じような調子で言ってのけるものがいるのだから開いた口が塞がらない、またその責任を取るということを真に受けて再稼働を賛成する知事らにも責任転嫁の情けなさ、原発再稼働のあらゆる結果責任は再稼働を食い止められない我々一人一人に降りかかってくると覚悟しなければいけない

原発近隣住民の同意を得なければならないというが、関西電力高浜原発再稼働も進んでいる、住民同意を得ている原発30km圏内の住民の避難計画などできているらしいが京都、大阪、神戸、などの声を聞いていない、原発再稼働は国民すべての問題、恐るべき被爆の恐怖にあい、責任を取るのは一人一人の国民、であれば国民投票にかけるべき重大事なのであると思う