(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

二年ぶりに花を咲かせた牡丹

2012-04-28 19:27:35 | ハナミズキとの語らい

昨年は蕾を一つもつけずに過ごした牡丹に蕾が着きました

「ことしは5つの蕾がついて、安心したなあ」

とおちゃんがそういうとハナミズキが

「いつみても好いねえ、

この桃色のやさしい感じの牡丹の花は」と、いいました

とおちゃんはさっそく二年ぶりに写真を撮りました

「こうやって写真を撮ってやると花も喜ぶんだよ」

「自分の一番きれいだったときの姿が残っているとわかるんかねえ」

ハナミズキがそんなことを言いました

「そうかい、それじゃあハナミズキのも撮ってやらなければいけないな」

とおちゃんはハナミズキの花を撮ったのでしょうかねえ


鉢花の八角蘭の種が地表に飛んで苗が新しく増えてうれしい

2012-04-25 21:47:05 | ハナミズキとの語らい

この近年はうちのある種類の花の元気さが出てきたように思います

「まず顕著なのが”クリスマスローズ”と”八角欄”だよ

とにかくクリスマスローズは、庭のあちらこちらに種を飛ばして

新苗が育っているんだ」

とおちゃんがそういうと、ハナミズキももっと聞いてみたくなりました

「八角蘭もそうなのかい」

「そうなんだ、八角蘭は山野草で有名な花木だ

だから、普通は鉢植えにして大事に育てられているんだ

もっぱら観賞用で、葉も花も美しいからなあ」

とおちゃんは続けていいました

「それが、一昨年鉢に根が込んだので、

株分けして鉢を増やしたんだ

そしたら、去年に咲いた花から種がこぼれて、

鉢の周囲に地植え的に八角蘭が芽を出して育っているんだよ」

「それは、喜ばしいことじゃないのかなあ」

「本当にそうだと思って喜んでいるよ

また鉢上げして、欲しい人にあげようかと思っているんだ」

「とおちゃん、それは好いことだよ」

ハナミズキも嬉しそうにいいました


町内の自治会総会に出席して思ったこと

2012-04-23 22:39:25 | 日記

さくら冷えにしては、桜の花も散ってしまいました

雨がそぼ降る昨日、町内の自治会総会が開かれました

わたしも昨年までは自治会役員でしたので、傍聴に参加しました

多くの代議員の人たちが参集して、寒い体育館の中も少し暖かな感じでした

昨年まで勤めていたため、発表の内容はよく分かりました

本当に、自治会の役員はご苦労さんです

防犯灯、ごみの回収、道路の欠陥の把握など市役所との連携した活動、

安全のパトロール、冠婚葬祭の手当、その他苦情や意見の取りまとめ、

予算や決算などの会計と監査などなど、やるべきことは山ほどあります

ときには、勃発的な住民共通の問題の解決に当たらねばなりません

それも、ほとんどがボランテイアという立場で、年中自分の時間を惜しげもなく

捧げて尽くすわけです

全くご苦労様と言うほかありません

これからも、首都圏の予想される地震など防災対策、原発事故の放射能の対策

や住民の高齢化、孤独化などへの対策など時代的な新しい問題の解決に

当たってゆかねばなりません

頑張ってほしいというほかありません


花木も人も急な寒暖の差にはまいっちゃうよ

2012-04-19 21:14:59 | ハナミズキとの語らい

ハナミズキもやっと枝からほの赤い葉を出し始めました

「やっと葉を出す気がしたのかな」

とおちゃんがそういうと、ハナミズキはいいました

「ちょっと前まで寒かったからねえ

梅の花だって、つい最近まで咲いていたし、

さくらの花もまだ散ってしまったわけではないもんね」

「早く咲かないと、たちまち気温が熱くなってしまうからなあ」

「寒暖の差が激しいから、花木も調子を合わせるのが

難しいんだよ」と、ハナミズキも大変そうです

「難しいのは人もおんなじだよ

いま風邪をひく人が多いらしいからな、お互いに気を付けよう」

とおちゃんはまだ冬の格好をしていました


絵本 「うきわねこ」

2012-04-18 21:31:26 | 猫、ねこ、ネコの図書館

絵本「うきわねこ」 ぶん 蜂飼 耳 え 牧野千穂 

ブロンズ社 2011年発行

こねこのえびおは、おじいちゃんからたんじょうびのおいわいに、

うきわをもらいました

それはふしぎなうきわだったのです

まんげつのよるに、うきわをつけてそとへでると、

なんとそらにまいあがったのです

ファンタジックな夜そらの散歩がはじまりました

絵はパステル画で、ほのぼのと温かく、

やわらかな感じに包まれます

尻尾の長いくろしろねこちゃんで

リアルで、かわいく描かれています

 


ドイツ映画 第4の革命 上映を観たい

2012-04-17 17:15:21 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

ドイツが脱原発を決定した道のりを記録した映画「第4の革命」が自主上映で

上映されています

2006年のアル・ゴア元アメリカ大統領が演じ、脱地球温暖化を訴えた「不都合な真実」

は記憶に新しいものです

「第4の革命」は脱化石燃料、脱原子力発電を訴えたものといえます

なぜ大手の映画館が上映しないのか、映画が多数制作され上映されている現在社会

不思議です、実はまだわたしも観ていませんので、内容のコメントはできませんので

確かなことは言えませんが、大勢の人が観てほしい気がします

自主上映が近くで行われたらぜひ観たいものです

ドキュメンタリー映画としても価値があるのではなかろうかと思います

それにしても、片や地球温暖化防止のための炭酸ガス排出規制が求められ、

片や原発からの脱却が求められ、いまや技術者、政治家、あらゆる国の民衆が

全力挙げて自然エネルギーを有効に手に入れるという解決策を求めて

行かねばならないのではないでしょうか


3D映画は緑内障の眼には疲れる

2012-04-14 21:23:55 | 日記

上映中の「ヒューゴの不思議な発明」を観にゆきました

3D映画だということで、2Dもやっていないかと調べましたが、

現在の上映は3Dだけでした

実はわたしは3D映画をあまり得意ではないのです

映画館で3D用のメガネを売っていました、

以前は借用だけで料金をとられていた気がします

今は買い取りで次回に持参すればいいそうです

わたしはメガネの上にかけるクリップ式のものを購入しました

観た映画は好かったのですが、やはり私のような緑内障を患うものにとっては、

3Dメガネの利用は眼が疲れます

やはり、これからもできれば2D映画を楽しみたいと思った次第です

邦画では2D映画が主力であって、3Dはあまり拡がっていってないそうです

映画の愛好者には目の悪い人も多いはずです

緑内障や片目の視力を失った人や弱視の人とか大勢おられます

そういう人たちは2Dの好い映画を観たいと思っているはずです

そのへんを考慮に容れて、映画製作者が今後も2D映画に主力を注いでほしいと願うも

のです


原発再稼働ができない人の宿命的理由

2012-04-13 20:33:29 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

昨年の夏の電力不足の際には、家庭も会社も公共機関も節電に努めました

この夏には、このままいけば原発がすべて休止中であり、電力不足が必至と

いわれています

それで、政府は大飯原発の再稼働に血道をあげています

昨夏から半年以上がたち、自然エネルギーの発電状態はどんなでしょうか

余り説明がなく、実態はわかりません

それは、政府が原発再稼働をなぜか譲れない目標にしているからです

ドイツのようにまず原発廃止を大目標にして、自然エネルギーの利用をなんとしても

原発に代わる骨柱に切り替える大政策が本当に必要です

とにかく原発は動かせば動かしただけ、処理できない核燃料廃棄物が溜りに溜るので

すから

そして昨年のように一旦、事故が起こり水素爆発やメルトダウンなど起きようものなら、

半減期が数万年に及ぶ放射性プルトニウムや、人の一生をすっぽり包む長さの半減期

を持つ放射性セシウムなどが大気や土壌や水に放出されるのです

原子炉や使用済みまたは使用中の燃料棒を冷却した放射性物質入りの水も

溜まりに溜って、その処理もままならなくなります

こんな責任の持てないものをなぜ再稼働しようとするのでしょうか

政府は安全基準などというものを作成し、原発再稼働に向けて地元の理解を得ようとす

方針のようですが、そもそもどんなにしても安全が得られはずのない管理不能な

核エネルギー(=放射能)であることを念頭に入れれば地元の理解などというものは

到底ありえないものではないでしょうか

日本中が活断層の中にあるのに、54基もの原発を稼働させ、地震と津波で崩壊したら

もう取り返しのつかない事態になりましょう

電力不足には代替エネルギーで原発の分を置き換えるまで、国民上げて節電で辛抱す

るしかないのです


手術後7カ月目の外来診察

2012-04-12 21:38:15 | 病気も仕事

さて、わたしも手術から7カ月たちました

7カ月目の外来診察に行ってきました

病院は相変わらず患者さんが多いです、待合椅子もほとんど埋まっていました

血液検査、胸部レントゲン撮影そして心電図測定のあと、診察でした

レントゲンの結果、心臓のペースメーカーも安定しているし、

心臓もしっかり動いているとのこと、

心電図では期外収縮があるが問題ない程度とのことでした

血液検査の結果も大体にして問題ないとのことでした

手術後、肝臓の血液検査値がよくなかったですが、

それもだいぶ改善されて安心しました

油断でしょうか、体重が少し増したためか血糖値(A1C)が上がっていました

これは注意しなくてはいけません

さて、またリハビリの散歩に励むことにします


今年のさくらはたわわに咲き誇っている

2012-04-10 21:03:43 | ハナミズキとの語らい

かなり暖かになって、というよりは熱くなったためか

さくらが満開といううわさで、あすは再び雨降り風吹きとなるそうです

これは今日見にゆかなければと、とおちゃんはかあちゃんといそいそ

ドライブ花見に出てゆきました

「さくらの花はどうだったん??」と、ハナミズキが聞きました

「そうだな、今年のさくらの花は去年よりも違って見えたよ

なんというか、実にみごとで枝にたわわに咲いていた感じだな

花が多くて空が見えないくらいだった」

「ほんとうに花が多いんだよね、

いっぺんに満開になったためかねえ」と、かあちゃんもいい添えました

「花が咲き始めてから、まだ花が散るまもなく、暖かになったので、

蕾が次から次へと一度に咲いたんだね」

ハナミズキも、そんなふうに思いました

「そして、あしたの嵐で一度に散ってしまうのかなあ」

とおちゃんが小さい声でつぶやきました

「さくらはそういうとこが美しいんだよ」と、かあちゃんもつぶやきました


「人は成熟するにつれて若くなる」 ヘルマン・ヘッセから学ぶ

2012-04-09 17:29:48 | 生と死を想う

読書「人は成熟するにつれて若くなる」ヘルマン・ヘッセ 原田朝雄訳 草思社文庫

 ヘルマン・ヘッセは1877ー1962、詩人で文学者 ノーベル文学賞受賞者

人生の老年期に入ったヘッセの老年を思う気持ちはあくまでも若く生気に満ちている。人生の夏の終わり、彼は自然の姿の移ろいから生を学ぶ。死ということを考えることを決して恐れず逃げない

 「五十歳の男」という詩はこの本のある意味で頂点である。

その全文はこうだ。
「揺藍から柩に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読むわけだ
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を
その娘を手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン」

 ヘッセは死を予感し深々と吸い込む
 以下に作品から珠玉の言葉を抜粋する

「若さを保つことや善をなすことはやさしい

だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと
それができる人は老いてはいない

成熟するにつれて人はますます若くなる

老人になることをいつも一種の喜劇と感じていたからである
六十年、七十年来もうこの世にはいない人々の姿と人々の顔が私たちの心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである

 私は、ある人生の段階の最後の時期が、枯れて死ぬことへの欲求の色調を内蔵すること、それがさ
らにひとつの新しい空間への転進へ、覚醒へ、新たな開始へとつながって行く、そういう段階と期間が存在することに気がついた

はるかにすばらしいことは、過ぎ去ってしまわないこと、存在したものが消滅しないこと、それがひそかに生きつづけること、そのひそかな永遠性、それを記憶によみがえらせることができること神の大きな庭の中で私たちはよろこんで花咲き、咲き終わろう

 私が、妻と息子たちに次いで誰と、そして何と最も多く、最も好んでつきあっているかを一度調べ
てみれば、それは死者だけである、あらゆる世紀の音楽家、画家、の死者である。彼らの本質はその作品の中に濃縮されて生き続けている。

それは私にとって、たいていの同時代人よりはるかに現
在的で現実的である。そして私が生前知っていた、愛した友人たちの場合も同様なのである。
 彼らは生きていた当時と同様に今日もなお私と私の生活に属している。私は彼らのことを思い、彼らを夢に見、彼らをともに私の日常生活の一部とみなす。このような死との関係は、それゆえ妄想でも美しい幻想でもなく、現実的なもので、私の生活に属している。

 去ってしまった人たちは、彼
らがそれによって私たちに影響を与えた本質的なものをもって、私たち自身が生きている限り、私たちとともに生き続ける。多くの場合、私たちは生きている人とよりも、死者とのほうがずっとよく話をしたり相談したり助言を得たりすることができる。

 愛する人を失ったとき、死者に捧げる供物は、私たちの追憶によって、正確な記憶によって、愛する人を心の中によみがえらせることでなくてはならない。私たちがこれをなし得るならば、死者は私たちとともに生きつづけ、死者の心象は救われ、私たちの悲嘆が実り多いものになるように協力してくれる。」

兄弟である死

「私のところへもおまえはいつかやって来る
・・・・・・
来るがいい 愛する兄弟よ 私はここにいる
私を連れてゆけ 私はおまえのものだ」

本作品に載せられた詩と文章はヘッセが42才から84才までにわたっている。

本書の特徴はヘッセが迫り来る死と、愛する死者たちとの関係をどうとらえたかという点である。 ヘッセは老いと死を拒まず自然に受け止め、兄弟にたとえてさえいる。

 老いてから最も親密に付き合
っているのは死者であるという。なるほどと思わされる。この思想はすごく重要だと思う。愛する人を失った残された者は、その心をどう癒せばいいのであろうかという問いに対して、ヘッセは明確な答えを与えてくれた。

 死者を想い、偲び、明確な記憶によって心に呼び覚まし、ともに語り、
相談したり、おそらくは笑ったり悲しんだりもできるのだという。つまりは我々が生きて思いを巡らせることができる限り、愛する死者もまた共に生きている、というのである。

 認知症といわれる老人がもうずっと前に愛する亡くなった肉親を、まるで生きているかのように語るとき、それを病
気だと否定してはならない。彼らは死者と共に生きてこの世での暮らしを楽しんでいるのであるから。

 また、我々もまたヘッセにならって、親しかった肉親などの愛する死者を、心にいつも思い浮かべ、まるで本当に生きているのと同じように、我々がこの世で生を許される限り、共に生きていきたいと思うのである。


花巻への宮沢賢治旅行

2012-04-08 21:36:32 | 三陸の復興応援支援

三陸の復興応援といえるか、いえないか、おこがましいですが

先週の木金曜日と、こんかい岩手県の花巻へ旅行しました

といっても、一泊二日の細やかなものでした

わたしも心臓の手術後、ちょっとずつ体力を元に戻すべく、

散歩リハビリなどして気を使ってきました

そろそろ長距離旅行もどうかなと思って、新幹線の旅行を試みました

そして温泉に泊まって、ちょっとした夕食をとり、お土産など買うなど計画に入れました

前々から宮沢賢治に傾倒していたので、ぜひともと賢治ゆかりの花巻を訪れたわけです

東京から三時間で花巻に着きましたが、東京ではうららかな陽気、

花巻は冬の寒さでした

着いた当日はもう夕方でしたから旅館に直行し、温泉につかりました

入浴はほどほどにして出てきました、長湯は厳禁ですからね

翌日は、観光タクシーを頼み、宮沢賢治の博物館、童話館、イギリス海岸と呼ばれる

北上川畔、ギンドロ公園、そして林風社などを回ってもらいました

観光客はわたしとかあちゃんだけで、他の同乗者なしで、まさに貸切状態でした

タクシーにはボランテイアの女性の観光案内者がついてくれました

愉快な解説で、岩手弁訛りでしゃべってもらって実に雰囲気がよかったです

昼はレストランで「こだわり山猫ラーメン」を注文、おいしくいただきました

特筆すべきは当日の天気です、朝から零下の気温、雪が降り、風が強い、

雲が切れたかと思うとたちまち吹雪がぶり返します 

しかし、帰るころは満月が山の端に昇っていました

宮沢賢治ゆかりの名所については、いうまでもないですが、百聞は一見にしかず、

実物を見て今更のように満足納得しました

イギリス海岸特徴の川床は見えません

「下ノ畑ニ居リマス 賢治」賢治の畑を望む


大荒れの天気 デイも早く終わった

2012-04-03 22:10:53 | 看取りと介護道

きょうはばあちゃんがデイサービスに行く日、

朝のうちは薄日もさしていましたが、

送迎車が来たときは、スタッフに、午後に雨風が酷くなりそうであったら

こちらから迎えに行きますと、伝えました

午後になり、デイから電話がありました

きょうは天候が悪く、早めに送ってゆきますとのことです

結局、送迎車で送ってもらいました

送迎車が来たのは、3時半ごろでしたが、すでに雨風酷く、

家の中へばあちゃんを連れて入るのに往生しました

それでも、無事に帰ってこれて善かったです

日本中、どこもかしこも大荒れであったようです