年度末のきょうは春の嵐でした
「昨日は、風がひどくて、すごい土埃で往生したよ」と、とおちゃんが嘆きました
「黄色い砂塵が吹き荒れていたからね
ぼくも埃だらけになったよ、」と、ハナミズキがうなづきました
「きみも、まだ花や葉が出ていないときで、助かったなあ」と、とおちゃんがいいました
今日の雨で、土埃もいちおう収まり、木々も水にありつけてほっとしたことでしょう
でも、電車は架線事故で遅れたり、強風で倒れた木もあったとか、
これからも注意しないといけません
年度末のきょうは春の嵐でした
「昨日は、風がひどくて、すごい土埃で往生したよ」と、とおちゃんが嘆きました
「黄色い砂塵が吹き荒れていたからね
ぼくも埃だらけになったよ、」と、ハナミズキがうなづきました
「きみも、まだ花や葉が出ていないときで、助かったなあ」と、とおちゃんがいいました
今日の雨で、土埃もいちおう収まり、木々も水にありつけてほっとしたことでしょう
でも、電車は架線事故で遅れたり、強風で倒れた木もあったとか、
これからも注意しないといけません
うちのばあちゃんが今日3月30日、満90才の誕生日をむかえました
デイサービスの日だったので、朝も気持ちよく送り出しました
夕方に帰宅して、デイの職員さんから渡されたのが、「90才の誕生日、おめでとう」の
色紙でした、顔写真も貼りつけてありました
写真の顔はくったくなく笑っております
ということは、デイでも、楽しく過ごしていてくれているということと解釈しました
デイへはじめて行ったころは、嫌がって動こうとせず、苦労しました
今年で3年目になったのですが、やっとこんな感じになってくれて
周りの皆さんに感謝です
ご近所でも90才以上の年寄りは、ちっとも珍しくないご時世ですが、
わたしらの親も90才を過ぎて、いよいよ人生の晩年に差し掛かってきたわけですが、
穏やかに過ごしてほしいと願いつつ
わたしらも一生懸命に尽くしてゆきたいと思っております
ささやかながら夕食を祝いました
いつも毎年、梅の花が咲くと観梅に行く梅園があります
きょうは、天気が好いので、行ってみました
「なんとまあ、がっかりさせられたことよ!!」
「とおちゃん、どうしたんだい」と、ハナミズキが聞きました
「それがさあ、きょうは梅園が休日だったんだ
中には入れなかったので、外から眺めて一応満足してきたよ」
それでもとおちゃんは、やはりがっかりした風でした
「どういうわけか、梅の花に来ているメジロも休暇を取っていたようだ」
メジロも見ることができなかったようです
「とおちゃん、そこの梅園には喫茶店があったんだろう」と、ハナミズキが突っ込みました
「当たりだ、あそこの喫茶店でケーキを食べてコーヒーも飲むのを楽しみにしていたんだ
なあ、かあちゃん?!」
とおちゃんはかあちゃんに向かってそんな風にいいました
「そうだよ、とおちゃん、あの喫茶店であたしは紅茶が飲みたかったんだよ」
かあちゃんも残念がっていました
「また、日を変えていけばいいじゃないか、
これからは、違う花も咲くんじゃないのか」と、ハナミズキが慰めました
「せめて、そう考えて気分を治そうか」と、とおちゃんも気持ちを入れ替えたようでした
最近あの有名なきんさん・ぎんさんのうち、ぎんさんの四人の娘さんの近況が
放映され面白く見させていただきました
四姉妹といっても、長女さんは97才、次女さんが92才、三女さんが88才、
四女さんが85才ということです(年が違っていたら失礼です)
なんと四女さんは車の現役ドライバーであると紹介がありました
みなさん、から揚げなどが大好きで、もう食べたいものを食べるのが一番体にいいんだ
と、自由気ままです
お達者の秘訣は、ぎんさんが生活した家に四人が集まって、そこの縁側でとにかく
わいわいがやがやと好きな話題でだべることだそうです
つまり、頭を働かせているんですな
そこで思ったのは、うちのじいちゃんとばあちゃんの口げんか的一種のおしゃべりです
ばあちゃんは認知症ですから、同じことを何度も繰り返してじいちゃんに話し、
また、気に障ること、たとえば、ばあちゃんは椅子のカバー布を取って畳んで
どこかに隠してしまいます
これを毎日やるわけです すると、じいちゃんがそれを咎める、
この咎めに対して、ばあちゃんは知らぬ存ぜぬ、誰かがしたんだろうと白を切り
逆に反撃して怒ります
これで、口げんかの成立です
両者がけっこうしばし言い合いをして、何となく時間がたつと収まります
これは、達者でいられる秘訣であり、ある意味ほほえましいもんだなと
止めないことにしました
しかし、あまり度を超すと、とおちゃんが割って入り、話題を反らせてしまいます
ぎんさんの四姉妹から想像をして、そんなことを思った次第です
かあちゃんに誘われて、「春へのあこがれ」というコンサート(市川市文化会館)
に付き合いました
出演はヴァイオリン奏者の松野 迅さん、同じく渡辺せいらさんそしてピアノ奏者の
島筒秀夫さんと榎田匡志さんです
松野 迅さんはストラデイヴァリウスの名手であるとともに、演奏の間でのユーモア
たっぷりなトークが魅力です
クラッシクのコンサートですから、観客はみな緊張してかしこまって聴いていますが、
彼のユニークなトークで一辺にリラックスさせられてしまいます
松野さんの演奏は体を大きく動かして表情たっぷりです
演目:チャイコフスキー ノクターン、モーツアルト ソナタ変ロ長調K454 他
榎田匡志さんはピアノ独奏と伴奏でしたが、ヴァイオリンとピアノのソナタなどでは
素晴らしい演奏でした
演目:ドビュッシー ソナタト短調
島筒さんは全盲でありながら今までご自分で作曲し演奏もされてきました
きょうもそんな選曲で好かったと思います
演目:島筒秀夫 花見にて 、中田義直 春がきて、桜が咲いて
渡辺さいらさんはこの春に大学を卒業された若い演奏家で、
クラッシックからアルゼンチンタンゴまで美しく演奏して楽しませてくれました
演目:ヴィヴァルデイ 「冬」第2楽章、ピアソラ リベルタンゴ 他
当日は寒く雨も降っていましたが、会場は熱気があふれていました、
演奏会後外へ出ると相変わらず、細かい雨が降り続いていましたが、
演奏で十分に暖まって「春へのあこがれ」を感じつつ
心地よい気分で帰途につきました
読書「毒麦の季」三浦綾子 光文社 昭和53年発行
短編小説5作品
「尾燈」昭和50年
官庁を定年退職して五年たった平川良三は、かつて目をかけた部下だった坂崎を尋ねて庶務課を訪れたが、表面的には懐かしがって迎えてくれた。しかし、定時が過ぎて一杯やろうという段になって局長との臨時打ち合わせが入ったといわれ一杯会は出来なくなる。だがそれは坂崎の芝居であったことが偶然分かって失望する。
その足で息子夫婦のところへ行ったのだが、当初は宿泊のつもりでいたがが嫁の冷たい対応にあきらめた。一人飲み屋で食事をし最終列車へ乗ろうと駅へ急いだが時すでに遅く列車は出てしまってその尾燈が光って遠ざかっていった。
「喪失」昭和53年
文恵は胃ガンの手術を受けた、それ以来自分はもうじき死ぬと思いこむ。そう思うのは彼女の妹がすでにガンで死んでいたからだ。妹の夫である守幸は文恵に好意を抱いていて気持ちを打ち明ける。文恵の夫 紘二郎は文恵を元気になれると励ます。守幸は若い女と再婚する、それを見て文恵は夫の紘二郎が自分が死んだ後、同じように若い女と再婚するだろうと思ってしまう。それで、自分も浮気をして死んでゆけば思い残すことはないと守幸の誘いに乗り浮気をする。だが、守幸の本心は単なるお遊びであったことがばれる。しかしなんということか、夫の紘二郎が出張先で脳卒中で急死してしまう。
「貝殻」昭和52年
私は嫁いだ夫や舅や姑の金銭的にも倫理的にもその嫌らしさに愛想を尽かして家出し、とある旅館に泊まり、夫を呼びだして心中しようと決心していた。だが、そこで出会った4歳の童のような心を抱いて無心に働く安さんという青年の男に惹かれる。無欲で純粋で一途なこの幼子のように生きる姿はわたしを死の淵から救ったのだった。それから10年たち再婚した私は再びその旅館を尋ねた、そこに安さんの姿はなく、彼が不幸な死に方をしたことを知ったのであった。
「壁の声」昭和49年
生まれつきドモリ(吃音)のために自分の無実をいい開くことができなかったため冤罪で死刑宣告を受けた青年が独房でその23年の短い一生を振り返ってつぶやく。どもりで言葉が思うようにでず同級生や父親からもいじめられた。バスの中で笑ったと誤解され殴られたこと、勤めた洋服屋でそこの主人が殺され犯人に仕立てられたこと、そして生きるに値しないこの世を去ることに何の未練も感じないとつぶやく。
「毒麦の季」昭和46年
達夫は小学一年生、父親に愛人ができ、その女が家まで尋ねてきて母 比佐子はその女が夫の不倫相手だと知る。ある日、父 営介は達夫を連れて遊園地に行くと偽りホテルで愛人と会う。その間、達夫は外で待たされる。この事実を知った比佐子は夫 営介と離婚を決意する。だが、営介の自己弁護の主張は厚かましくも強情でその非を認めない、それで結局達夫を自分のところにおき、家には愛人を引っ張り込む。
大人たちの勝手な生き方が、子供たちまで巻き込み争いを起こさせ、幼い達夫を悲劇の結末へと落とし込んだ。
「毒麦」では母の比佐子の代わりにその幼子の達夫が悲劇に遭う、「壁の声」のドモリの青年、「貝殻」の安さん、「喪失」の文恵、「尾燈」の良三、など全て他者の策略、裏切り、自分の病気、障害、などといった人生の落とし穴に落ち込み悲劇に遭う。
人生に対する甘い考え方、他人に対する警戒心のない安易な対し方が思わぬ苦難や人生の落とし穴にはまり込む。これら五つの作品の中では、どうやってこういった人生の苦難、不幸や落とし穴からはい出すか、救いを得るかという展開は全く用意されていない。三浦文学の真骨頂である神の救いはこれらには見えていない。むしろ人生の理不尽な不幸を徹底的に描ききることに力を注いでいるように思える。
ついに今年も春分の日がやってきました
暑さ寒さも彼岸まで、といわれています
そのl言葉にたがわず、今日はうらうらと暖かないい日でした
それはそうと、今日まで関東、特にここ千葉県では春一番という強い南風が
吹きませんでした
ということは、今年は春一番が吹かずに春分の日になったということです
過去には2000年がそうだったそうです、12年ぶりということです
今年の冬が寒かった証拠ですかね
今後も二十四節気の節目らしい日々があるように願います
関東の直下型大地震の起こる確率の話、最近ますます叫ばれています
これは、実にたまりません 不安をあおります
しかし、真実は報道されなければいけませんね
我々はパニックな気分になっても、しばらくすれば落ち着き、
どうしたらいいかを思案します
わたしも久々にホームセンターに行ってみました
以前行ったときは、耐震用の突っ張り棒が売り切れていました
今回は店頭にたくさん並べられていました
そこで、まだ突っ張っていない背高机やタンス用に数個を買ってきました
一応買ってきましたが、設置は明日以降です
早くやらねばいかんなあと思います
3・11の東日本大震災のときの震度6には、事前に設置した突っ張り棒が
役に立ってくれました
地震後、突っ張り棒はずれたり、緩んだりしましたが、タンスなどは
倒れずに済みました 突っ張り棒は効果ありです
ふと、気がつけば、まっ平らだった葉ボタンの幹が伸びだしました
やはり、季節の動きを知っているんですなあ、花木は
他の木々も芽が動き出しましたよ、
バラも芽が伸び始めました
バラだけは剪定しておきました
新聞で「黒井 健 絵本原画の世界」展を知り、 会場の松屋へ行ってきました
絵本の絵画家として、黒井健さんは有名な方です
そのほのぼのとして温かい画風は慰めに満ちています
「ごんぎつね」や「ころわん」など特にポピュラーですね
その絵を見るとき、子供は子供の、大人は大人で意味あるメッセージを受けます
こんかいも、その原画に親しみ、大いに感銘を受けました
特に、宮沢賢治の童話や新井満さんの詩の絵は幻想的で
魂の奥深いところに感動が湧き出でるのを感じます
こんかいは、多数の作品が展示されており、たちまち一時間が過ぎてしまいました
代表作品のDVD上映もあり、十分な時間的余裕をもって観賞に臨むことが
必要と思いました
花木たちの動きがにわかにあわただしくなってきたようです
雨が来るといっそうあわただしくなることでしょう
まだ、剪定の終わっていない昨年の秋の枝が、ぼうぼうと延びたまま
ほったらかしになっている木もあるので、いまから大変なことになるでしょう
ハナミズキも、剪定した枝にやっと新しい枝が伸びてきそうな気配に喜んでいます
もう気がつけば、5,6年になりますかね
クリスマスローズの苗を買ってきて、地植えにしたんですが、
毎年よく花を咲かせてくれています
その苗の周りの土にいつの間にか、
こぼれ種から出たクリスマスローズの芽が
たくさん出芽しました
それをプランターや鉢に植え替えました
それからくる年くる年、葉が着き、葉が育ち、
苗が大きく育ってきていたわけです
ついに今年になって、いくつかの苗に花芽が出て、
花が咲いてくれました
これは、嬉しいことです
やはり種から育てた苗は楽しいものですな