(童話)万華響の日々

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自浄能力のない政権に先はあるのか

2017-06-30 13:12:44 | 社会診断 政治

自民党をかなりの逆風が吹き荒れているようだ、当然の成り行きではないか、そこで感ずるのは何と自浄能力のない政党かということ、最近の豊田議員の「このハゲー絶叫事件」、稲田防衛相の「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党、としてもお願いしたい、応援演説」、これに対して辞任や辞職の意思ない、官房長官や首相は反省して職責に励んでほしいとかばうのみ、一向に責任を取らせない、これまでも金田法務大臣、森友&加計問題、萩生田官房副長官疑惑など、一向に野党の要請に応じようとせず世論の批判に馬耳東風と突っ走ろうとし居直るだけの政権、こんな国民無視の政権は全くのところ「自浄能力」が喪失した暴走政権と言わざるを得ない、公明党はブレーキの役割を失ってしまったかのようだ、「おごれる平家は久しからず」の有名な格言は今も生きている、自浄能力のないものには(言っておくが)自滅崩壊の道しか残っていない


安倍政権の新三本の矢は揃った、一方で韓国は脱原発宣言をした

2017-06-21 20:24:52 | 社会診断 政治

着々と安倍政権が数の力に物言わせ強引なやり方でアベノミクスなる隠れ蓑に隠れてやってきたことは誰の目にも明らかとなってきた、もはや隠れ蓑はぼろぼろに破けて中が丸見えである、

だがもはやそんなことは問題ではない、数の力があるからだ、国民の支持率も落ちたとはいえ相変わらず高水準である、そこのけそこのけお馬が通る、特定秘密保護法、安保法、そして共謀法、三つの強力な武器が揃った(新三本の矢)、安倍政権は大喜びである、残るは憲法改正である、祖父岸信介も孫の快挙を喜んでいるだろう、経済に目を奪われていた多くの国民はここでようやく抜き差しならぬ状況に立ち至ったことに気づいたのではないか、

さて、原発稼働について、韓国の文大統領は脱原発宣言をした(6/20朝日新聞)、前大統領が原発推進政策を取り、原発の電源率30%を目指すとし現在の25基をさらに増設しようとしていた、だが文大統領は廃炉1号が出た(稼働37年)ことを契機に原発は開発途上国だった時代のエネルギーと述べ、国民の生命と安全が最重要だということが社会的合意だと指摘し、脱原発を図り新規増設設計中止並びに稼働中の原発の設計寿命の延期なしと宣言した、その根拠には福島原発事故からの教訓が大であるそうだ、この英断に拍手を送りたい、日本のお寒い原発依存政策とは真逆である






「「ジャコメッティ展」 国立新美術館 を観た印象

2017-06-18 14:37:33 | 展覧会

国立新美術館で開催中の「ジャコメッティ展」を観に行った、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)はスイス生まれのフランスの彫刻家、独特の細長い男や女の彫刻は一度観たら忘れられない、

初期の作品はキュビズム・シュルレアリズムに属し「女=スプーン」(1926)、「キューヴ」(1934)は大型作品である、「鼻」(1947)は細長いピノキオの鼻のように大きな鼻を持て余したような口をあんぐり開けた頭部が針金でぶら下げられている、この「鼻」が以後の線状の人物の彫像へ繋がってゆくような感じがある、

また幾つかの小像も頗るユニークだ、数センチの小さな線状人物像が展示されている(1946年ごろ)、形は小さいが後のもっと大きい線状彫刻の先駆けか、一方の群像彫刻は完全にジャコメッティ独自の線状彫刻になっている、

人物以外に犬と猫の彫刻が展示されている、これが面白い、「猫」(1951)は完全に直線状の細い猫、頭部のみが膨らんでいて猫だと分かる、「犬」(1951)は「猫」より胸部や腹部が幅広に垂れ下がって犬らしい、地面の臭いを嗅ぎながら歩く犬かと思われる、

ジャコメッティの細長い人物像は骸骨のような体の線が無駄を一切省いた像であるにもかかわらず、はっきりと肉が着いた人物であると分かるから不思議である

 


共謀罪は成立すると暴走の危険がある、まさに凶暴法になりかねない

2017-06-12 21:46:55 | 社会診断 政治

一旦法律として成立してしまったらもう後戻りは無理だ、それが共謀罪法案、政権交代して廃案に至ればまた別ではあるが、そう簡単ではなかろう、

であれば立法化を阻止することが最善である、国会の議論が全く足りないと痛感、野党には必死で阻止して欲しい、国民の過半数が反対しているのだから政権は耳を傾けなければならない、全く強行採決の姿勢でお寒い限りだ、凶暴なのはどっちだと言いたい


ブリューゲル「バベルの塔」 (都美術館)を観た印象

2017-06-02 17:16:39 | 展覧会

東京都美術館で現在開催中のブリューゲル「バベルの塔」展を観た、ボイマンス美術館の所蔵で24年ぶりの来日であるそうだ、ピーター・ブリューゲルは1526-1569年のベルギーの画家、出始めは聖書の物語を版画で示す、農村の風景や農民の絵を得意とした、ヒエロニムス・ボッシュの絵画も同時展示である、その他同時代の画家や彫刻家の作品もある、印象に残ったのとして「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」(ヨアヒム・パティニール1520年ごろ)と「ロトと娘たち」(同上)がある、聖書からの題材である、火と爆発の中で滅亡するソドムとゴモラ、

ボシュの絵画も幻想的で謎と寓意に溢れている、「放浪者(行商人)1500年ごろ」や「聖クリストフォロス 1500年ごろ」、また作者不明の「ムール貝」1562年というものが目を惹いた、

ブリューゲルの版画には、「大きな魚は小さな魚を食う」1557年、「七つの大罪から大食、邪淫」、「七つの徳目から希望、慈愛」などがあり、やはり寓意的だ、

今回の目玉はブリューゲル「バベルの塔」1568年である、これには図解と映像で開設がなされ解りやすい、東京芸大が製作した拡大複製画が展示されてあり細部を観察するのには便利、

兎に角バベルの塔の持つ意味は暗示的で黙示的であり500年を経た今でもモナリザの微笑(ダ・ビンチ)のように不可解なのである、巨大な塔は雲を突き抜け上へ上へと伸びて建造されていて、その最中にも下の階では人々が生活を営んでいる、しかも見ようによっては巨大な塔は画面左側に傾いているかのように描かれている、いつかは倒壊する運命が待っているように見える、この絵はまさしくいま現在の人類の姿そのものだ、

人類が究極を目指して進めているあらゆる分野についてこの「バベルの塔」は警告を発しているように思えてならない、自分らの陥っている生活、政治、社会や文明や科学技術についてよく見まわしてみないといけない