今日は邦画の話題作「キャタピラー」の印象と感想について載せます。
「キャタピラー」
評価度:★★★
太平洋戦争の中で起きた、ある傷痍軍人とその妻の悲劇である。悲劇が幾重にも重なる。戦争の悲劇、主人公の夫婦間の悲劇、そして何万人という死者を出した日本の悲劇である。
本作品はこの三重の悲劇を同時に描いた、実に欲張りな主張を持った作品である。
上映の映画館は平日でもほぼ満員であり、中高年の人が大半を占めていた。
黒川久蔵は四肢を失ってあたかも芋虫(キャタピラー)の様になって、右顔面を火傷し耳も聞こえず口も利けない哀れな姿で戦地から帰還した。彼は国のために勇敢に戦った軍人として、天皇から勲章をもらい、新聞にも記載され大きく扱われた。
妻のシゲ子はそんな姿で帰ってきた夫に嫌悪感を抱き、幻滅当惑した。その日以後、彼女は障害者の夫を介護し、生ける軍神としての彼を村中にリヤカーに乗せて回る甲斐甲斐しい軍人の妻の鑑となったのであった。
夫の食欲と性欲は旺盛で、妻に激しく求めた。彼女はまさに、食わせて、寝させて、交わらせて、排泄の世話をする、献身的な毎日をこなした。
はじめの頃こそ、障害を負った夫への憐憫同情による献身的な世話心もあったが、次第に高じてくるやるせなさ、不満と反発する気持ちがどうしようにも押さえられなくなる。
観ていてまず意外な感じをもった。なぜ、シゲ子は夫の帰還を心から喜べなかったのか、その疑問はやがて明らかになってくる。
出征前、久蔵は子を産めないシゲ子を虐待していたのだ。暴力的な夫に対して、憎しみと敵愾心しか持てなくなっていたのだ。
それが、芋虫の様になった夫の介護を嫌々続けて行くうちに噴き出す不満と怒りは、以前の被害者の立場から逆に加害者の立場へと変わり、夫を殴り、顔に卵をぶつけ、無抵抗な夫を虐待するようになる。そして、その怒りは、自分を惨めな状況に巡り会わせた戦争と、それを引き起こしている国に対しての怒りと渾然一体のものへと変貌した。
久蔵は久蔵で、戦地で強姦して殺した中国人女性の姿が脳裏に浮かび、シゲ子との交わりの時もその情景が脳裏に浮かび、苦しみ、自虐と自責の念に苛まれ、ついに性的不能になってしまう。その苦しみと、現在の惨めな境涯から逃れるために彼はついに終戦の日に・・・・・・・。
映画ではその後、シゲ子がどういう思いを抱いたか示されず、わからない。
二人の主人公の迫真の演技が光る。”銀熊賞”受賞した寺島しのぶの体当たりの演技は注目に値するし、大西信満の不自由な体の演技と撮影陣の苦心も賞賛に値する。
かつては、自分を虐待した夫、その人間性すら否定された惨めな姿を晒した夫を見て、身障者である軍神の献身的妻以外の何らの情すらわかなかった妻。
そこには、救いようのない絶望しか認められなかった。戦争を運命の岐路として位置づけ、本当の狙いは憎しみあう夫婦の救いようのない絶望的な関係をクローズアップしたものといえよう。
終戦後の何年間か、駅頭や街頭に立って惨禍を訴えていた白い軍服の元傷痍軍人をよく見かけた。それぞれの、心身共に戦後の苦しみがあったことと思う。しかしながら、この主人公のように、妻からも周囲からも見放されて自己の逃れようもない苦しみの故に死を選んだものも人知れず数多くいたことも確かであろう。戦争の悲惨さを如実に示したものといえる。
2010年 日本
監督: 若松孝二
音楽: サリー久保田、岡田ユミ
主題歌: 元ちとせ 『死んだ女の子』
出演: 寺島しのぶ( 黒川シゲ子)、大西信満(黒川久蔵)、 篠原勝之(クマ) 、他
劇場:ヒューマントラストシネマ有楽町
画像:Allcinemaより