3/31東京新聞で注目すべき{福島に「被ばく者手帳を」 医療補償求め市民団体発足}という記事、
広島や長崎で原爆投下によって被爆した人には申請によって「被爆者手帳」が渡され医療費、介護費などが国費によって賄われる、それと同じ発想で福島の原発事故で発生した核物質で放射性被ばくをした人に「被ばく者手帳」を交付し健康被害を国が負担しようというものだ、現在は事故当時18歳以下の人に補助する制度があるが、18歳を超える人には何ら特段の補助がないという、これは全くおかしな話である、認定には細かい条件を詰める必要があるが、この民間の呼び掛けには協調すべき重要な意義があると思う、
以下全文参照
東京電力福島第一原発事故の被災者向けに「被ばく者手帳」を国に交付させ、医療や健康診断を無料で受けられるようにしようと、「福島に被ばく者手帳を作る会」が設立された。四月十六日午後一時からビッグパレットふくしま(郡山市)で設立説明会を開き、会員や賛同者を広く募る。 (坂本充孝)
現在、福島県は十八歳以下の医療費は無料。さらに事故後に始まった県民健康調査で事故当時十八歳以下で甲状腺がん、その疑いがあると診断された人には、調査名目の予算で手術費などをサポートする制度がある。しかし、これを超える年齢の県民には原発事故に関わる特段の医療費補助はない。
「作る会」の発起人代表は、郡山市で広告代理店を経営しフリーペーパーを発行する三田公美子さん。顧問に佐藤彌右衛門・会津電力社長、吉原毅・城南信金相談役、河合弘之弁護士、民俗学者赤坂憲雄氏らが名を連ねる。
設立趣意書によると、会の目的は、原発事故で放射線被害を受けた福島県民に、原爆被ばく者と同等の公的医療保障を確保するよう国に要求し、法律を作らせることや、恒久安定的な制度として実行させることなど。
具体的には、被災の証明書ともなる手帳を交付させ、手帳を提示した者が、全国で医療費を免除され、無料健康診断を受けられる権利の取得を目指す。
手帳交付の対象者は、原発事故当時に福島県にいた人、事故後に救助、収束作業などで福島県に入った人が中心。細かな線引きは今後の議論で詰める。三田さんによると、現在の会員は約五百人。県外からの賛助会員も集まっているという。
三田さんは「原発政策を容認し、環境を汚した責任は日本人すべてにある。特に子どもたちには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。国は原発事故による健康被害の存在を一切認めないが、将来にわたって補償させる制度を、子どもたちへの謝罪として作っておきたい」と話している。
問い合わせは、三田さんが経営する企画室コア=電024(961)8822。
1/13 朝日新聞記事から {原発事故、さまよう猫救いたい 帰還困難区域、社団法人が保護活動ーーーー
東京電力福島第一原発事故で立ち入りが制限されている、福島県の帰還困難区域をさまよう猫。あれから5度目の冬を迎え、寒さはこれから厳しくなる。「救える命はすべて救いたい」。保護活動に力を入れる人たちがいる。 ■施設設置、飼い主さがし 昨年11月、一般社団法人「動物救護隊 にゃんだーガード」(福島ログイン前の続き県三春町)のスタッフが、福島第一原発がある大熊町の帰還困難区域に入った。
第一原発の周辺は依然として放射線量が高く、内閣府や町の許可を得た住民の立ち入りに合わせ、猫の保護活動を続けている。 エサを入れた捕獲箱を設置し、翌日に見に行くと、8歳ぐらいの三毛猫が入っていた。首輪がついており、風雨に打たれてひどく傷んでいた。スタッフの代田岳美(しろたたけみ)さん(39)が両手を差し出すと、甘い声を出し抵抗なく抱かれた。「原発事故前には人に飼われていたんだ」 にゃんだーガードは地主や家主の許可を得て、帰還困難区域に複数のカメラを設置している。映像を調べたところ、「みー子」と名付けたこの猫が、起伏の激しい土地を夏ごろから約2キロ移動していたことがわかった。
2011年3月の震災の直後、飼い主が急な避難指示を受け、家族同様だったペットを自宅に残さざるを得なかった場合が多いようだ。 大熊町に隣接する富岡町で暮らしていた中年女性は、県内の郡山市に避難した際、飼っていた猫(ラグドール)を自宅に残した。避難所暮らしになるため連れていくことを断念した。 一時帰宅するたびにエサをやっていたが、その後、愛猫は姿を消した。にゃんだーガードのホームページ(HP)に似ている猫が載っていたため三春町のシェルター(保護施設)を訪れたが違った。女性は「無理してでも一緒に避難すればよかった」と泣いたという。 にゃんだーガードを運営しているのは、自動車用品製造会社長の本多明さん(52)。名古屋市で猫の保護活動をしていたが、11年4月に福島県に移住し、同県田村市で動物の保護活動を始め、12月に現在の場所に移り、宿泊所を買い取りシェルターに改装した。本多さんを含めスタッフは6人。住民からの依頼を受け、帰還困難区域を中心に猫を保護している。
これまでに約400匹を保護。HPに写真を載せたり、毎月第4日曜日に里親会をシェルターで開いたりして元の飼い主や新しい飼い主をさがしている。現在もこうした区域の猫を約60匹保護しており、多くは震災後に生まれたとみられる。 運営費は光熱費やエサ代、建物の維持費、人件費などで月200万円以上かかるという。団体や個人の寄付のほか、現在は人件費の一部は福島県が「働く人づくり応援事業」の一環で負担しているが、経費すべてはまかなえず、本多さんが補填(ほてん)しているという。
にゃんだーガード以外にも、県内外の団体や個人が私費を投じて被災地で犬猫の保護活動を続けている。 原発事故からまもなく5年を迎えるが、今でも「うちの猫を捜してほしい」という依頼がある。本多さんは「寒さに弱い猫にとってこれから厳しい季節を迎える。帰還困難区域などに残された命をすべて助けたい」と話す。
■非常時の対応、普段から 福島県は原発事故1カ月後の11年4月から、原発から20キロ圏内の旧警戒区域で、犬猫の保護活動を始めた。当初、一匹ずつ依頼主の自宅周辺を捜していたが、見つからなかったり、逃げて捕まえられなかったりしたため、捕獲箱を置いた。 保護した犬猫は、殺処分しないという方針のもと、福島県獣医師会などでつくる同県動物救護本部が設置したシェルターで預かっていた。これまでの4年8カ月間で保護した犬は463匹、猫は545匹にのぼる。元の飼い主に戻されたのは全体の3割、新しい飼い主に引き取られたのは6割程度、残りは保護中に死んだという。 県はペットから生まれた子は別として、住民が避難前に飼っていたペットが被災地に残されている可能性はほとんどないと判断。同本部は昨年12月にシェルターを閉鎖した。県は今後、住民から連絡があった時のみ、捕獲に向かう。 国の防災基本計画は11年12月に修正され、避難所にペット用スペースの確保などが盛り込まれた。だが関東・東北地方を昨年9月に襲った記録的豪雨でも被災地に取り残されたペットは目立った。 にゃんだーガードのシェルター長を務める代田さんは「飼い主は非常時の対応を普段から考えておいてほしい」と呼び掛けている。} (全文引用)
あれから約五年になるが、迷い猫や犬がまだ捕獲されずに生きていることを知った、今日1/14は奇しくも1959年のこの日に南極昭和基地で置き去りにされた十五頭の樺太犬のうちタロとジロが生きて再会を果たした日だという、置き去り後1年もの間どうやって2頭が生き延びたかは諸説ありよくわからない、置き去りにした隊員たちは帰国後ひどく非難されたという、
今回の福島や東日本の3.11による迷い猫、置き去りにせざるを得なかった犬・猫たちもあの場合どうしようもなかったと思う、せめていま生きて発見されて保護された犬・猫に飼い主との再会や里親が現れてほしいと思います
今年の野球は日米合わせてまったく面白かったです
日本人の選手がよく活躍してくれました
特に今回の日本シリーズは見ごたえがありました
とんでもない大記録の田中をはじめ、実馬、則本らの活躍で巨人打線を
制し見事に日本一になりました
田中は昨日160球を投げたにもかかわらず、今日も9回で登板し打たれ
ながらも最後まで得点させず昨日の雪辱を晴らしました
東北は3・11の震災・津波の打撃からどれだけ楽天の活躍で励まされたこ
とかと思います
これだけスポーツ選手が尽しているのだから、政治家や経済界はもっと
実質的な復興支援をしないといけません、
原発問題にしても、脱原発を正直に表明してまっすぐに分かりやすい
エネルギー政策を立てて進めなければいけません
本当に現政権には目を覚ましてほしいものです
原発再稼働ができない人の宿命的理由
昨年の夏の電力不足の際には、家庭も会社も公共機関も節電に努めましたこの夏には、このままいけば原発がすべて休止中であり、電力不足が必至といわれていますそれで、政府は大飯原...
改めて思います
日本で原発は無理です、不要です
そして世界的にも、不要です
つい先日の淡路島の大きな地震、これも気になっています
未知の活断層があるらしいとも、
まあ結局のところ、日本は活断層の中で生きているようなものです、
ならば、原発をやめて地熱発電を盛んにやれば
地の利があるというべきでしょう
「遠野物語」口語訳 柳田国男
河出書房新社1992年出版
全119話である。
柳田国男が明治42年頃に遠野の人、佐々木鏡石から聞いた物語。
山男や山女に関する話の中に、座敷ワラシとか蛇や天狗、河童など妖怪変化の類がでてくる。
なかでも死人の幻とか霊といったものが数多くある。死人の幻や死んだ人の直後の魂が生きている人に会いに来る「老女のまぼろし」、「オット鳥」、「閉伊川の機織淵」、「雨落の男」、「雪合羽を着た魂」、「雲壁のまぼろし」、「座敷の人影」、「堂突する魂」、「寺参りにくる魂」、「魂の行方(明治29年6月15日の三陸沖の大津波で2万2千人が溺死した、波高さは38.2m)」などがあり、
また臨死体験としての「不思議な庭石」、「生き返った松之丞」などがある。これらは、死と生の境目を扱った実話である。臨死体験の話などは一般的に語られるものとよく似ている。
また、岩手県出身の宮沢賢治の童話の中には遠野物語で登場する話の影響を濃く受けていたと思われるものが多い。
明治29年の三陸沖の地震と大津波が3・11の東日本大地震・大津波と同規模だったように思う。遠野の里を襲った大津波で3・11と同じような犠牲者が出ていたことが分かった。当時は原発がなかったから、今回のような放射能被害には遭わなかった。こんな歴史は繰り返させてはならない。
最近、「立入禁止区域 双葉~されどわが故郷」という映画
を観ました
3・11の大震災・大津波・原発崩壊で被災した福島県双葉町近郊
の姿、ドキュメンタリーです
双葉出身の佐藤武光氏が自分でカメラを持って故郷の惨状を写し
撮ったものです
猪苗代のホテルに避難して、そこの自治会長の避難所生活を
まとめる苦しさ、今後の生活のあてが立たない避難者の苦悩、
人影が絶えた立入禁止地域にいる犬や猫や牛、
それらの生々しい状況にはただただ息をのむしかありません
震災復興が著しく遅れているということですが、
このドキュメンタリーを見て、改めて風化させてはならない被災の
爪痕を再認識させられました
朝日新聞 木曜日の夕刊の「かぞくの肖像」は、愛するペットとのかぞく写真
と文章が載っています
いつも必ず読んでいますが、猫ちゃんがかぞくの時には特に愛着を持ってみています
11月1日には大塚敦子さんのかぞく写真でした
勿論かぞくは猫さんですが、これがまた感動的でした
今年の1月に福島第一原発4キロ圏以内の大熊町から来てくれたそうです
被災猫のキテイちゃんは大塚さんの里子になって「福」という名前を付けられました
10才だそうですが、右目を失明して、猫免疫不全ウイルスに感染していて、
引き取り手がいなかったところを大塚さんに引き取られたということです
愛護団体を通じて、いままで飼っていてくれたおばあさんと再会が果たせたそうです
福はおばあさんを覚えていて喜んだそうです
おばあさんは避難住宅で暮らしていて猫が飼えないので、
今後も里親よろしくということだそうです
ときどき福の里帰りをしてあげて、もとの飼い主さん家族ともご縁ができて嬉しい
とのことです
好い話です
三陸の復興応援といえるか、いえないか、おこがましいですが
先週の木金曜日と、こんかい岩手県の花巻へ旅行しました
といっても、一泊二日の細やかなものでした
わたしも心臓の手術後、ちょっとずつ体力を元に戻すべく、
散歩リハビリなどして気を使ってきました
そろそろ長距離旅行もどうかなと思って、新幹線の旅行を試みました
そして温泉に泊まって、ちょっとした夕食をとり、お土産など買うなど計画に入れました
前々から宮沢賢治に傾倒していたので、ぜひともと賢治ゆかりの花巻を訪れたわけです
東京から三時間で花巻に着きましたが、東京ではうららかな陽気、
花巻は冬の寒さでした
着いた当日はもう夕方でしたから旅館に直行し、温泉につかりました
入浴はほどほどにして出てきました、長湯は厳禁ですからね
翌日は、観光タクシーを頼み、宮沢賢治の博物館、童話館、イギリス海岸と呼ばれる
北上川畔、ギンドロ公園、そして林風社などを回ってもらいました
観光客はわたしとかあちゃんだけで、他の同乗者なしで、まさに貸切状態でした
タクシーにはボランテイアの女性の観光案内者がついてくれました
愉快な解説で、岩手弁訛りでしゃべってもらって実に雰囲気がよかったです
昼はレストランで「こだわり山猫ラーメン」を注文、おいしくいただきました
特筆すべきは当日の天気です、朝から零下の気温、雪が降り、風が強い、
雲が切れたかと思うとたちまち吹雪がぶり返します
しかし、帰るころは満月が山の端に昇っていました
宮沢賢治ゆかりの名所については、いうまでもないですが、百聞は一見にしかず、
実物を見て今更のように満足納得しました
イギリス海岸特徴の川床は見えません
「下ノ畑ニ居リマス 賢治」賢治の畑を望む
いつまでも忘れ去れることはないであろう、また忘れてはならない東日本大震災
そのまさに同じ日が巡ってきました、一年目です
あの日と同じ、午後二時四十六分が来て、
また揺れるのではないかと嫌な気分がしました
時間が十分、二十分と過ぎ去るにつれて、ああ、あのとき今頃とんでもない揺れと、
大津波が海岸に押し寄せていたのだなあと、記憶がよみがえりました
あのとき、わたしは家の中でいつまでも止まらず、だんだん大きくなる揺れに驚嘆、
呆然としていました
これは、いつもの地震と違うぞ、もしかしたらとんでもない被害が起こる大地震だと、
棚から落下する食器類、バタン、バタンと揺れる壁の額類、ずれ動く本棚や机・・・・・
後で分かったことですが、千葉県のここらは震度6弱であったそうです
そのあとテレビはつけっぱなし、明らかになってくる東北地方各地の被害、
石油貯蔵所の火災、福島原発の崩壊・・・・・・・・核燃料棒の露出・・・・・・
あれから、何が何やら・・・・・・、その中で自分の大病を知り手術・治療する日々、
死んで犠牲になった人々、生き残って犠牲になっている人々、
どちらも救われてゆかねばならないと思います
小さい自分にできる何かを探して日々生きたいと思います
東日本大震災・大津波で被災した三陸地方の人々を何とか支援する方法には
いろいろあるでしょうが、
三海陸の産物を積極的に購買することも、その一つでしょう
そこで、うちでは三陸・釜石で漁業で頑張っている「三陸おのや」さんを新聞の広告で
見つけたのでわずかですが応援のために、ネット購入をしました
最近、第一回目の商品が届けられました
今晩の夕食で味わいました
商品はすでに出来上がっていて、冷凍で配送されます
料理はポリ袋に入った冷凍魚の食品を沸騰したお湯で数分温めれば終わりです
老人世帯には実に楽な食品形態です
食したところ、本当に美味で満足しました
家族全員が喜んで食べました
放射能の測定もしっかりなされていて、測定結果も添付されて保証さtれています
だから安心して食べることができます
これからも、応援を続けたいと思っています