(童話)万華響の日々

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三浦綾子作品-14  「天の梯子」 その印象  

2015-10-02 16:08:47 | 読書三浦綾子作品

読書 天の梯子 三浦綾子
主婦の友社 昭和53年発行 随筆

三浦綾子のキリスト教信仰の12章の随筆からなる、

第一章 祈りの姿
祈りは信者の呼吸である、神との対話である、
第二章 神との対話
具体的に祈る、祈ってあげたい人の名をノートに書いておこう、相手の知らない所で祈ろう
第三章 父なる神
祈りは自分を向上させる
第四章 病めるときに
病を治してくださいという祈りだけでは足りない、死について考えること、多くの人々のために祈る
第五章 死について 
如何なることがあっても感謝せよ、不意に来る死、すべてのこと相働きて益となる、神に祈り求めよ
第六章 うれしい時の神だのみ
苦しいときの神だのみは当たり前、うれしい時こそ神に祈ろう、一人の結婚は十人の悲しみ(三浦光世)、
その人達のために祈る、
第七章 神、吾と共にあり
インマヌエル・アーメン、仏教の念仏に当る、「主の祈り」、み名を崇めさせたまえ、最も重要な祈り
第八章 主の祈り
前半は神に関する祈り、後半は日常的の祈り、
第九章 汝、審くなかれ
なさざるの罪、他者をゆるさない罪、人間の罪は神以外には審くことができない
第十章 サタン
試みにあわせず悪より救い出し給え、サタンの試み、サタンはサタンの顔をしてやって来はしない、
第十一章 神は生きている
一度祈りの味をしめたらやめることはできない(榎本安郎牧師)、祈りが神に聞かれても聞かれなくとも
私達は人間として聖なる神に祈り求めつつ生きて行こう

第十二章 祈りは世界を変える
不機嫌は伝染する、信仰は愛である、愛とは尻ぬぐいをすることである、愛は伝染する
長尾巻牧師、賀川豊彦牧師、蒋介石につながる愛の伝染

  以上はこの本のエッセンスの抽出である、この本「天の梯子」とは人間が天の神に祈り、神はそれを

聞かれるということである、ただし祈るという行為は神に聞かれる場合もあれば聞かれない場合もある、

十字架にかけられる直前のイエスが祈ったように「わが父よ、もしできることでしたらどうかこの杯を

わたしから過ぎ去らせてください、しかしわたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって

下さい」とある、著者は誰にも知られなくとも、見られていなくとも、真実をこめて祈るように勧める、

自分一人の生き方が大事である、自分の魂のために、家族の生き方のために、隣人の幸福のために、

日本の政治のあり方のために、ロシア、アメリカ、中国、韓国、北朝鮮、台湾、東南アジア、ヨーロッパ、南

米、オーストラリア、アフリカ、中東、シリア、そのほかすべての人々のために、愛と謙遜をもって祈ろう

と勧める、

  この一人一人の精神の魂の働きに最大・最高の価値を与えその絶大なる効果について一人でも多くの人に

体感・実感して欲しい、そのほとばしるばかりの熱意が伝わってくる


三浦綾子作品-13 「病めるときも」 その印象  

2015-09-04 19:13:37 | 読書三浦綾子作品

病めるときも  「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行

  精神を病む男を愛してしまった女、彼女を襲った苦しみとそれを乗り越えて

生きてゆくために与えられた神の導き、

  藤村明子は二十歳の夏、洞爺湖畔でのある青年と出会う、太平洋戦争の

起きた翌年、遊覧船で物想いに浸っていた青年に気が付き惹かれる明子、た

またま宿泊旅館が同じだった、この男が九我克彦だった、内に引きこもり傾向

の性格のようだ、

五年後の二人は婚約していた、明子の家は祖父の代から熱心なクリスチャン

だが母は故あって元芸者、世間はうるさかった、明子はめげずに神に喜ばれ

る生き方をしようと決意した、克彦は大学で結核に関する薬学を専攻していた

が明子も軽い結核にかかったこともあり克彦の研究は更に開発に拍車がか

かった、だが研究完成が近づいたある夜、研究室から出火し彼の研究成果は

全て焼失した、

  そこから悲劇が続く、克彦は意気消沈し精神状態がおかしくなる、むしろ

狂ったといってよい、もともと精神状態が落ち込む傾向があったので精神病い

わゆる精神分裂症(現在は統合失調症という)を発症したといってよい、彼は

入院したが明子の結婚の決心は変わらず二人は結婚した、

しかしチョットしたことで彼は精神異常に落ち込んだ、あるとき明子が彼の研究

室を尋ねたときだ、克彦は手伝いに来ていた女中の若い津由子と絡み合って

いるのを目撃、津由子は妊娠し出産時に男児を生み不幸にも死亡した

雪夫と名付けられた男児を明子は自分の子として育てる決心をする、ところが

雪夫は二歳の時はしかにかかり精薄児になってしまう、精神分裂症の夫、白

痴の息子、不幸のドン底、明子に未来はあるのだろうか!


用意されていたのは障害を持つ子供たちの施設内にある精神病院との出会

いであった

さすがの三浦綾子文学、主人公に負わせる苦難はこれでもか、これでもかと

いうくらいに徹底的に痛めつける、明子は重圧に押し倒され祖父に涙で苦しみ

を訴える、明子の祖父が彼女に助言する言葉は「神は負えることのできない荷

は負わせない、お前には何か果たすべき使命が与えられている」と、

そして明子は施設で働くうちに、そこの障害児の生きる姿にある種の神々しさ

を覚えるのだった、

  敢えて他者への愛のゆえに苦しみを負った者に与えられる報酬は

この世の常識を遥かに超えたところにあると伝えている

 

朝日文庫「病めるときも」に収録された作品は以上の6作です 

 


三浦綾子作品-12 「どす黝き流れの中より 」 その印象 

2015-08-26 16:53:47 | 読書三浦綾子作品

どす黝き流れの中より  「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行

本作品は腹違いだったかも知れない妹にまつわる「私」の想い出の記である、日支事変の頃、

妹の美津子を含めて一家は樺太に暮らしていた、週に2日は遊びに来て父と碁を打っていた米屋

の小父さんがいた、小父さんは母と仲が良かった、三歳の美津子は小父さんになついていた、

それがある日のこと、美津子を連れて行方をくらましてしまった、戦後十年も経っても行方は

トンと不明であった、 生きていたら十九歳のはず と娘を案じながら母は52歳で死んだ、

「私」は高校教師と結婚しており卒業生が遊びに来たがその中の一人が何と美津子であった

のだ、苗字は大村でまさしくあの米屋の小父さんの子供となっていた、そして私は炭鉱の町

にある大村の家を訪ねたときには美津子が大村と母の娘であるという確信を抱いた、

私は美津子を父に合わせた、だが小さくて肉親の顔を見たこともなかった美津子は嬉しそう

ではなかった、大村の家に帰る途中で炭鉱の落盤事故が起こり大村は死ぬ、美津子の悲しみは

極限に達した


 再会の美津子を巡って数々のことが目まぐるしく起きた、彼女の結婚、それは夫の不倫とい

う不幸な出来ごとだけでなくその相手が事もあろうに死んだ実兄の妻であったこと、更にこの

義姉は父の商売と家・財産を乗っ取り父をも誘惑して関係を持っていたというドロドロした

多重関係を渦巻かせていた、このようなドス黝い地獄のような家族関係に耐えきれず美津子

父の家を出たのであった、間もなく起きた彼女の養母の死と実父の死、そして美津子自身の

不幸な最期は呆気なく突然に訪れる


不倫の娘、そして戻った家での家族間の地獄絵図、とりわけ美しい面立ちのゆえに一層薄幸

だった美津子の人生、心も純粋で幸せは金や見掛けの繁栄ではないと信じていた、驚くべき

ことに自分を裏切った夫を最後まで愛していた、

ドス黝いのは炭鉱の川ではなく人の心だと呟いた短くも純粋無垢に生きた美津子の人生、・・・・


この小説は三浦綾子の傑作といわれた「氷点」の流れを汲むと思える重いテーマ「愛とは何か、

生きるとは何か」、複雑な愛憎関係をくぐり抜けた暁に一種厳かで静謐な読了感に浸る

注記  「どす黝い」とは、青黒いの意味


三浦綾子作品-11 「奈落の声」 その印象 

2015-08-21 10:05:50 | 読書三浦綾子作品

奈落の声 「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行

三浦綾子の作品の中では貧しい旅芸人の一座を扱った珍しいものだ、北海道の某炭坑町を

訪れた旅の一座、その名も「沢野清十郎一座」、座長の父と名子役を演ずる息子 清志と

の間に起こった悲劇、清志の母は夫に愛人ができたことに耐え得ず家出し行方不明、清志

は孤独、旅先で小学校に二三日だけ出席して次の興行地へ旅立つ、故に清志に友達のでき

る暇などなく、いわんや親身になって守ってくれた教師などかつて一人もいなかった、

だが、今回は違った、担任教師の高津真樹子はクラスで虐められている清志をかばってくれた、

そして彼女はいなくなった母に何故か似ていた、清志は初めて母以外の女に親密感を抱く、

  ところが父 清十郎は常日ごろ息子に対して暴力的でありひがみっぽくいじけた性悪

な親であった、彼は清志が学校でまじめに勉強に励むことをよく思わず馬鹿にさえして

いる、旅役者に学問など不要だと思っている、従って担任の高津真樹子には憎悪を抱い

ていた、さて清志は優しくされた真樹子の胸で泣きじゃくり彼女のシャツを汚して

しまい何とか弁償したいと思っていた、ある洋品店のショウウインドウに彼女にあう

シャツを認めたことから予期せぬ事件が起こってしまった


 このドラマ自体が旅芸人一座の演じたお涙頂戴的お芝居のようだ、いたいけな子供役者

は時代遅れで女癖の悪い座長の父親ときっぷのいい女教師の間に挟まれ、生まれて初めて

受けた親切とそれを素直に消化でききれなくて成長できないもどかしさに泣き叫ぶ

という最後である、観客は子役に同情して一緒に泣き性悪の親父に怒りをあらわにする、

ここで重要な立ち回りは女教師のとった行為である、清志は女教師がつい感情的に吐き

捨てた言葉に傷つく、中途半端な親切はかえって仇になる、いっそ中途半端な優しさを

かけないほうが良かった、もし親切を施すならば最後まで注意深く徹底的でなければ

ならなかった、

 作者にとって隣人愛をどう描くか難しい課題だったと思われる


三浦綾子作品-10 「羽音」 その印象

2015-08-17 21:22:09 | 読書三浦綾子作品

羽 音 「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行

東京から北海道へ転勤してきた堀川慎二と妻の紗基子、本来ならば夫の栄進であるが

都会育ちの贅沢になれた紗基子は地方の生活が馴染めず東京に帰りたい、家事さえ放り

出してホームシックに陥った挙句慎二と言い合いの末、長男の文夫を連れて帰ってしまった、

そんな折、慎二は会社の部下 石井律子に惹かれるようになる、紗基子とは正反対の慎ま

しやかで目立たないがシッカリ仕事をこなすタイプ、彼は律子を誘って食事へ、妻の我儘

にウンザリしていた慎二は律子を口説くが・・・・律子と二回ほどの食事を重ねたが彼女は

ある日突然辞職願と共に手紙をおくってきた、そこにはごまかしの効かない痛切な思いが

したためてあった、

  この律子という女の考え方、人生観はこの二十一世紀の現代日本にあって殆ど絶滅した

かもしれない女性の在り方と思われる、それと対する慎二なる男の在り方は意外にも現代

も変わらないように思う、何故か? 男は古今東西余り変わっていなく浮気っぽい、だが律子

のような性格の女には何か永遠の世界に連なっている尊さが感じられる、

本書の中でもヒルティの幸福論が慎二から律子に贈られる、その本論には立ち入っていないが

律子が代弁している、それは人の立場を思いやる、人を害すくらいなら自分の方から遠慮する

というものである、愛するからこそ去るという一見寂しいもの、自己犠牲の生き方である、

こういう生き方は他人が強要するとおかしい事になる、あくまでも自発的でないと不自然となる


三浦綾子作品-9 「井戸」 その印象

2015-07-16 16:51:01 | 読書三浦綾子作品

井戸  「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行

結婚を間近に控えた眞樹子は一四年間もギブスベットに拘束された

入院生活を終えてやっと普通の生活に戻った、ある日眞樹子は友人

を訪ねて汽車に乗っていたときにかつての教師仲間であった加代と

偶然あった、

この加代という女の独特な性格と暮らしぶりがテーマである、教師

でありながら嘘を平気でつく、陰気な外見どうり辛気臭い性格、彼女

は肺を患っていたのに痰を井戸に向かって吐いたのだ、ところで

彼女の家族は娘二人と夫の四人家族、極めて明るく文句ない、だが

加代は平気で愛人をつくり三人もいるというのだ、そのうちの一人は

なんと隣家の中学生だ、結婚に関して倫理感まるでなし、結婚に関わ

る夫婦の愛などどうでもいいのだ、ただバレずに世間体が保たれれば

いいのである、このような加代の実態を知るにつけ真樹子は呆れる以

上に哀れに思う、最後は加代がそれなりの罰を受けるというものだ

 詰まるところ著者 三浦綾子の結婚観を夫婦愛というものを間逆な

人格を作って主張したものである、他人への暖かい配慮を全く欠い

た人格が誰もが水を汲むであろう井戸へ平気で痰を吐く姿に表され

ている


三浦綾子作品ー8 「愛すること 信ずること」 その印象

2015-07-01 15:19:59 | 読書三浦綾子作品

  「愛すること 信ずること」三浦綾子 その印象  講談社現代新書 1972年発行

作者50歳のときの著書、夫三浦光世さんへの愛を中心として人を愛すること、信ずることに

関する随筆、普段着の綾子さんの姿が彷彿とする内容だ、北海道旭川でその一生の殆どを過ご

した、光世さんとの結婚の成り染は考えれないような始まりであった、二十代中ごろ綾子さん

は肺結核と脊髄カリエスでギブスで固定されたベットでの入院闘病をしていたが、それまで

恋人であった人は死に、その写真が枕元にある病室を見舞った光世さんは一生を夫として捧げ

る決心をした、それから数年を経て彼女は病気を克服し結婚した、綾子さんは小説家を目指し

夫はサラリーマンを辞め彼女の筆となった、

このありえないような結婚生活は四十年続き七十七歳で彼女が死ぬまで続いた、二歳年下

であった光世さんもその後十三年を生き九十歳で世を去って彼女の元へ行った


随筆の最後の章は「いつの日か最後となる」であり、そのときはいつ来るのか分からない

のだからいつで悔いを残さないように夫婦も友人も笑顔でいることを勧めて締めくくった

実に奇跡的存在のような三浦夫妻、お互いのために自分を捧げてなんのためらいもない、

あやかりたい次第である


三浦綾子作品ー7 「青い棘」 その印象

2012-07-06 21:59:29 | 読書三浦綾子作品

読書「青い棘」三浦綾子 学習研究社発行 昭和57年

日本の過去の侵略戦争へ関わった心の痛手と禍根、一方妻以外の女性との情事を男にとって自然なことと考える男の性の身勝手さという二つの異色な話題を登場人物たちの経歴や性格をうまく絡めて夫婦親子姉妹のそれぞれの生き方を問いみつめる。

邦越康郎は社会学の大学教授、後妻の富久江との間に長男、長女がいる。長男の寛は最近結婚し妻の夕起子は康郎夫婦と同居している。長女のなぎさは教員の佐山兼介と結婚し一女、加菜子をもうけている。しかし、なぎさは働きに出ており加菜子を夕起子に預け面倒をみてもらっている。

康郎には出征直前で結婚した緋紗子という妻がいたが、不幸にして終戦の日の一日前に江田島で船に乗って機雷で死んでしまった。康郎は緋紗子のことは富久江以外の誰にも話したことはなかった。

しかし、嫁の夕起子の物腰や声が緋紗子に酷似していることが康郎に夕起子への複雑な想いを抱かせるのである。

 一方、なぎさの夫の兼介は外に女をつくり妊娠させ堕胎させる。健介はなんら反省の態度がなく至極当然と言い放つ。
このことがなぎさや夕起子に知れ、なぎさは離婚をも決意しようとする。

夕起子は夫の寛が韓国へ出張にゆく際に、なぎさから寛が女遊びの誘惑にあうおそれがあると注意される。男のなかに蠢く浮気の虫を容認するかしないかというやりとりが結末まで続く。


一方で、夕起子もまた人気教授で義父である康郎に憧れていた自分の思慕の情をいかんともしがたいが、妊娠が分かったとき母となる重い責任に気づき夫の寛への信頼が肝心であると気づくのである。


 さて、本作品のもう一つの重いテーマが並行して流れる。それは戦争への嫌悪と過去の戦争への懺悔であり非戦・平和への厚い誓いである。康郎自身が南方へ赴いたとき、靴のひもがゆるんでいたため、いつもより朝の軍隊での整列に遅れたことで、友人が先に並ぶことになり、友は乗船した軍艦が撃沈されて死んでしまった。

そんな運命の分かれ目に遭遇し、自分の身代わりに死んだ戦友への申し訳ないという気持ちを抱き、かつ最初の妻の機雷死に遭うなど、彼は自己の過去にやりきれないこだわりを抱いてきた、それが
彼自身を社会学の教育に携わせてきて過去の戦争責任にかんして講演などでその責任思想を述べてきたのだ。

康郎が居住する北海道旭川での中国人連行強制労働による死亡事件の受難碑の前であらためて非戦への決意を確認し人の命の尊さを訴えている。

かつ、なぎさを通して夫との関係を天の父にゆだね、最後には善となしてくださるだろうと言わしめる、このような新たな希望を感じさせる展開が最後に待っていた。

「青い棘」という題名、抽象的で解りにくい。人の心の中にある棘だという。作者はそのすがたをまだ明確には示していないように思えるが、なぎさが神への信仰を持ってみたいとか、夕起子が自分の心の棘をはっきりと自覚するとか、男女の姦淫の底に潜むそのすがたはぼんやりと暗示されたように思える。それはキリスト教でいう「罪」といい換えてもいいのであろう。だが、非戦とのかかわりは中途半端に終わったという感じである。 (表紙写真は講談社版)


三浦綾子作品ー6 「水なき雲」 その印象

2012-05-28 17:08:36 | 読書三浦綾子作品

読書「水なき雲」 三浦綾子 中央公論社 昭和58年発行

 二人の姉妹がそれぞれ結婚して築いた家庭の家族が繰り広げる悲劇である。 桜田亜由子は会社員の夫の和朗が浮気をしていることを苦々しく思い、代わりに長男の純一の教育に熱中する。

 亜由子の姉の遠野木佐喜子も長男の俊麿の出世に自分の人生の希望の全てを託す生き方をしている。亜由子は全てに渡って姉の佐喜子の生活レベルに負けまいと競争心を燃やしており、俊麿が東大入学を目指しているのを知り、純一にも同じ目標を強いる。

 そんなおり、次男5才の真二は母の亜由子が愛人宅に泊まって帰宅せぬ夫への怒りから、け飛ばした枕に当たって庭石の上に転倒落下し頭を強打し、以後、記憶力が弱まり愚鈍な性格になってしまう。

 だが、それに反して真二は一層天真爛漫な心の持ち主に成長する。
 月日は経ち、俊麿は東大入学を果たすが、合格発表のその日に自らの命を絶ってしまう。その裏には、自分と母とのあってはならない母子相姦の地獄に墜落した苦悩に縛られていた自分があった。

それを図らずも現場に遭遇して見てしまった純一は従兄弟と叔母の浅ましい姿に衝撃を受けるも、誰にも語れず悩んでいたが、従兄弟の自殺を知りその日記を読んで俊麿の深い悩みに同情する。
 真二の頭痛原因も新しい医療で治療回復する期待が込められ物語は終わる。

 本作品では、教育ママといわれる母親たちの尋常でない息子への熱の入れようや、夫婦間の冷えた関係、父親あるいは母親の不倫がどれだけ子供たちに不幸な影を落とすか、母たるるもの、あるいは父たるもののあり様はいかにあるべきかなどなど今の社会の根深い問題点が提起されている。

 作者が女性であるためか、母子相姦すなわち息子との姦通が生々しく扱われていた点に注目させられる。少年期の異性との自然な交際を封じられ、ただ母のみにその肉欲のはけ口をいわば強制させられ、一切の目標を唯一東大合格に絞らされた息子は母に恨みと怒りを抱き自分自身にも赦せない悔悟を抱いていたに違いない。

その複雑な心はいつしか母への報復の決意と変わり、母親の目標達成を果たしたのと差し替えの自殺へと至ってしまった。

 本作品で扱われているテーマは幾つかあり、全てを論ずる気はない。
 やはり、息子への歪ん
だ愛ゆえの狂った愛情のあり方に尽きると思う。作者が母子相姦あるいは父子相姦を、母が息子へ、父が娘への独占欲の極致として取り上げ、そしてその欲情を果たそうとした結果、息子や娘を死に追いやってしまうという結末はなんなのか。

 三浦綾子がこのテーマを取りあげざるを得なかった
のはなぜであろうか。常軌を逸した愛憎ゆえに狂って鬼女になってしまった姿、あるいは鬼の姿に、人間の性「罪」の悲しく妖しい本性をみる。決して特殊な例外的人間の話ではなく、誰にでも起こり得る人生の闇に落ち込む亀裂である。どうすればこのような人生の落とし穴から救われるのであろうか。


三浦綾子作品ー5 「毒麦の季」 その印象

2012-03-22 14:43:22 | 読書三浦綾子作品

読書「毒麦の季」三浦綾子 光文社 昭和53年発行

短編小説5作品
「尾燈」昭和50年
 官庁を定年退職して五年たった平川良三は、かつて目をかけた部下だった坂崎を尋ねて庶務課を訪れたが、表面的には懐かしがって迎えてくれた。しかし、定時が過ぎて一杯やろうという段になって局長との臨時打ち合わせが入ったといわれ一杯会は出来なくなる。だがそれは坂崎の芝居であったことが偶然分かって失望する。

 その足で息子夫婦のところへ行ったのだが、当初は宿泊のつもりでいたがが嫁の冷たい対応にあきらめた。一人飲み屋で食事をし最終列車へ乗ろうと駅へ急いだが時すでに遅く列車は出てしまってその尾燈が光って遠ざかっていった。


「喪失」昭和53年

 文恵は胃ガンの手術を受けた、それ以来自分はもうじき死ぬと思いこむ。そう思うのは彼女の妹がすでにガンで死んでいたからだ。妹の夫である守幸は文恵に好意を抱いていて気持ちを打ち明ける。文恵の夫 紘二郎は文恵を元気になれると励ます。守幸は若い女と再婚する、それを見て文恵は夫の紘二郎が自分が死んだ後、同じように若い女と再婚するだろうと思ってしまう。それで、自分も浮気をして死んでゆけば思い残すことはないと守幸の誘いに乗り浮気をする。だが、守幸の本心は単なるお遊びであったことがばれる。しかしなんということか、夫の紘二郎が出張先で脳卒中で急死してしまう。

「貝殻」昭和52年
 私は嫁いだ夫や舅や姑の金銭的にも倫理的にもその嫌らしさに愛想を尽かして家出し、とある旅館に泊まり、夫を呼びだして心中しようと決心していた。だが、そこで出会った4歳の童のような心を抱いて無心に働く安さんという青年の男に惹かれる。無欲で純粋で一途なこの幼子のように生きる姿はわたしを死の淵から救ったのだった。それから10年たち再婚した私は再びその旅館を尋ねた、そこに安さんの姿はなく、彼が不幸な死に方をしたことを知ったのであった。

「壁の声」昭和49年
 生まれつきドモリ(吃音)のために自分の無実をいい開くことができなかったため冤罪で死刑宣告を受けた青年が独房でその23年の短い一生を振り返ってつぶやく。どもりで言葉が思うようにでず同級生や父親からもいじめられた。バスの中で笑ったと誤解され殴られたこと、勤めた洋服屋でそこの主人が殺され犯人に仕立てられたこと、そして生きるに値しないこの世を去ることに何の未練も感じないとつぶやく。

「毒麦の季」昭和46年
 達夫は小学一年生、父親に愛人ができ、その女が家まで尋ねてきて母 比佐子はその女が夫の不倫相手だと知る。ある日、父 営介は達夫を連れて遊園地に行くと偽りホテルで愛人と会う。その間、達夫は外で待たされる。この事実を知った比佐子は夫 営介と離婚を決意する。だが、営介の自己弁護の主張は厚かましくも強情でその非を認めない、それで結局達夫を自分のところにおき、家には愛人を引っ張り込む。
大人たちの勝手な生き方が、子供たちまで巻き込み争いを起こさせ、幼い達夫を悲劇の結末へと落とし込んだ。

「毒麦」では母の比佐子の代わりにその幼子の達夫が悲劇に遭う、「壁の声」のドモリの青年、「貝殻」の安さん、「喪失」の文恵、「尾燈」の良三、など全て他者の策略、裏切り、自分の病気、障害、などといった人生の落とし穴に落ち込み悲劇に遭う。

 人生に対する甘い考え方、他人に対する警戒心のない安易な対し方が思わぬ苦難や人生の落とし穴にはまり込む。これら五つの作品の中では、どうやってこういった人生の苦難、不幸や落とし穴からはい出すか、救いを得るかという展開は全く用意されていない。三浦文学の真骨頂である神の救いはこれらには見えていない。むしろ人生の理不尽な不幸を徹底的に描ききることに力を注いでいるように思える。


三浦綾子作品ー4 「果て遠き丘」 その印象

2012-02-21 21:12:15 | 読書三浦綾子作品

読書「果て遠き丘」三浦綾子 1977年発行 集英社 
 全体的に少女マンガ的な内容の物語という気がした。つまり虐められる少女と虐める側の少女がいて、ついに虐める側の少女には罰が当たり、虐められていた側の少女は優しい理解のある若者と結ばれるという結末の物語である。

 ふとした浮気を実母から咎められ離婚した橋宮容一は、その別れた妻 保子と十年後に再びよりを戻そうとする。それに伴い二人がそれぞれ連れて育てた自分たちの子供である恵理子と香也子という姉妹もまた再会することになる。

  その恵理子や父親である容一の再婚相手の扶代の子である章子は結婚適齢期で、それぞれ好きな男とつきあうが、そういった浮いた話に縁のない妹の香也子は二人の姉たちの恋の邪魔をする。


  章子の付き合った男、金井はいわゆる結婚詐欺風な男で、父親の容一から金を引き出すのが真の狙いというとんでもない人間であった。章子は香也子の邪魔にあった結果、詐欺男と別れるがその失恋と騙されたショックで一時的な記憶喪失に陥る。だが、恵理子も章子も結果的には自分にあった男と結ばれる。

 
  問題は、他人の失敗や不幸をみて喜ぶのが生き甲斐である香也子の生き方である。彼女は自分の姉、章子をだました詐欺男、金井に接近し結婚しそうになるが、結局彼女も自分が遊ばれ、男の狙いは父の金をくすねるだけが狙いであって、ついには捨てられたことに気づく。香也子は他人を平気でだましたり、裏切ったり、嘘をついたりする。

  それで相手が困っているのをみて快感を抱く。そのために自分自身が、本当に他人の助けを求めたときには、誰も彼女を信用せず放置され、奈落に突き落とされるという結末が待っていた。他人を不幸にするためなら平気で嘘をつき裏切るという邪悪な性格には勝っていたが、他人を愛したり、尽くしたりする能力には基本的に欠如していた。

  この小説が前編とすれば、後編を読みたい気がする。香也子がその後どうなったのか、
この主人公である香也子は何となく、グリム童話のシンデレラ姫にでてくる意地悪な姉妹に似ている。
 
 
三浦綾子55歳の時の作品であり、そこには明確なる神の臨在や神への信仰は示されていない。三浦綾子がこの結末で満足するはずはないと思ったのである。
  
それで、想像ではあるが三浦綾子は香也子の改心をテーマにした続編を考えていたのではないだろうかと思うのである。


三浦綾子作品ー3 「夕あり朝あり」 その印象

2011-11-10 16:43:17 | 読書三浦綾子作品

読書「夕あり朝あり」三浦綾子 1987年9月20日発行新潮社

 日本で最初のクリーニング会社「白洋舎」の創業者 五十嵐健治氏の生涯をご本人が物語る形式で書かれた伝記である。
 五十嵐健治氏は明治10年3月14日に新潟県中頸城(くびき)郡新道村の酒屋の息子として生まれた。家の事情で養子に出され、以来生みの母と育ての母の両方に熱い愛情を生涯持ち続けた。しかし、養母は若くして死んだ。

 その後彼は”天下の糸平(相場師の田中糸平)”なる一攫千金の大金持ちになることをもくろみ五十嵐家の窮乏を救いたい一心で家出を図る。一銭も金を持たずに寝泊まりした苦心が山ほどあり、そのため彼は実にいろいろな職に就いた、米穀商店の手伝い、味噌屋、旅館、宿屋等々、特に前橋の旅館住吉屋の主人(宮内文作)はキリスト教信者で孤児院や養老院を建て社会に尽くした。

 五十嵐は人にも騙された、人工肥料の販売人と組んだが欺かれ放置され人質にされたりした。新聞社の文選工も勤めた。日清戦争のときには、軍夫に応募し遼東半島まで出兵し、勝利とともに凱旋したが、戦友と共に北海道へ渡りどういう訳か江別方面の開墾地の監獄部屋に入れられてしまい、きつい土方作業につく、しかし耐えきれず脱獄し、戦友二人の命乞いをして逃がせ、自分も隙をみて逃げた。小樽まで逃げてそこで宿屋に泊めてもらった。もちろん無銭であるから、ここで働かせてもらった。

 この同宿であった中島佐一郎氏と知り合い、彼から聖書の手ほどきを受けた。そして中島氏から洗礼を受けたのである。やがて、函館に出て選択屋に勤めた。これが、後にクリーニング業を始めたきっかけになった。中島氏の紹介により、横浜に出た五十嵐はキリスト教信者の会、同信会の集会所を訪ね以後親しく会員とつきあう。更にここで岡野洗濯店に勤めた。

 彼は洗濯物の扱いで宮内省へ出入りすることになった。そこで出会った三井呉服店(その後の三越)の店員 広瀬氏と懇意になり、その縁で三井呉服店に雇ってもらう。そこでも宮内省出入りの仕事に回された。ここで高梨梅さんというキリスト信者との出会いが決定的な人生の転機となった。この姉は酒乱の男をキリスト信者へと導き、五十嵐氏に嫁さんを紹介した人であった。梅さんの親戚のぬいさんと結婚した(1901.7.6)。
 

 明治37年12月、三井呉服店が三越となった。明治39年、広瀬氏が退職するのをいい機会とし、共に辞めた。理由はキリスト教の伝道に当たりたいということであった。

 新しい事業の条件としては、三越の営業と抵触しない、日曜日の礼拝を守る、伝道の妨げにならない、三越を得意先とし生涯出入りさせていただく、人の利益となるもの、資本のかからぬもの、であった。そこで今まで経験があった洗濯屋の開業に決め、白洋舎を創業した(明治39年3月14日)、数え年30才。三越が顧客紹介など後押ししてくれた。

 知人からドライクリーニングの存在を教えられてその研究に取り組む。蔵前工業高校の吉武先生、農商務省の山口技師等に指導される。溶剤の研究でナフサ、クレオソートを扱う、資金が底をつき借金生活へ。ついに溶剤としてベンゼンにたどり着いた。ベンゼンにエーテル、食用ラードとアンモニアを化合させて添加した(ベンゼン・ソープ)。これが完成品であった。三越の専務や常務の洋服をドライクリーニングした、出来映えはよかった。

 しかし、操業中に大火災を起こして大火傷を負い、全治9ヶ月であった。瀕死の重傷は神の大きな恵みであったと彼は考えた。ベンゼンソープを発明した驕り、それ以後、安全管理に気を配り、昭和12年に家庭安全協会を設立した。周囲から事業の再開を猛反対されたが再び始めた。
名古屋支店が1910年に出きた。

 藤山寛美は実母の孫で五十嵐の甥に当たる。実母は69歳で昭和3年に死去した(脳溢血)。この母も洗礼を受けた。明治天皇は1912年(明治45年)、61歳で逝去され、この際に皇后の白襟巻きのクリーニングを預かった。そして染色で大失敗をし、襟巻き2本を1本に縫い合わせてなんとか急場をしのいだ。もし染色に失敗したら死んでお詫びするつもりであった。

 その後も、会社乗っ取り事件、工場焼失、勤務中の酒飲み流行、大震災での工場焼失、株式会社への変更。実父も大正9(1920年)年7月10日、66歳で逝去、死ぬ前にキリストの救いを信じた。第三の母であった高梨梅姉が1921年に75歳で逝去。関東大震災のとき、社員の二人の朝鮮人を外出させずにかくまった。

 工場で神社参拝の強制の危機があった。信教の自由のため反対した。昭和16年、社長を辞し(65才)、相談役に、長男が専務となった。子供は男6人、女6人であった。四女知視子は出産のときに25才で死んだ。

 東京大空襲では工場の多くが焼失したが、残った工場もあった。富ヶ谷の自宅を伝道所とした、昭和2年には改築し富ヶ谷教会とした。300人を越える人が集まった。昭和7年に300人用の講堂を工場内に作った。 昭和16年のあるとき、ある実業家が白洋舎内に伊勢神宮のお札を貼ったらとそそのかした事件。一種のふみえであり、この解決には苦労した。

 五十嵐健治氏は昭和47年4月10日、96才で聖路加病院で亡くなった。
 
 明治のキリスト教信者の骨太な一生をみた気がする。三浦綾子は本人が語る形でその生涯を書き記し、波瀾万丈の人生に常に神の守りと導きがあったことを鮮やかに浮き彫りにした。
 なによりも、五十嵐氏が危機に瀕しても、平安なときにも祈りの人であったこと、そして難局に遭っても決して嘘をつかず真っ正面から全てに当たったことが、今更のように新鮮で驚嘆させられるのである(誰にでもできることではない)。


三浦綾子作品2 「母」 その印象

2011-07-20 15:55:11 | 読書三浦綾子作品

読書「母」三浦綾子 角川書店 H4年3月10日発行

 小林多喜二(1903ー1933)の母、小林セキが多喜二の思い出をイ

ンタビューに答えて語る。小林多喜二といえば、有名な小説「蟹工船」の

作者にして、共産党員で警察に逮捕され拷問により若くして死亡したと

いうことである。その人柄などについては全く知らなかったが、本書では

彼の母の思いでの中でそれを知ることができる。

 母セキは秋田県釈迦内村の生まれ(1873年)で、13歳で小林末松と

結婚し、7人の子供をもうけた。多喜二は次男であったが、兄の多喜郎

は12歳で死んだ。セキが35歳、多喜二5歳の時に北海道小樽へ移住

した。小林家は貧しかったが子供たちは親孝行で仲良く暮らした。子供

たちの中には芸術の才能に恵まれていた者もいた。多喜二は小さいと

きから絵が好きでよく描いていたらしい。しかし、絵では食べていけない

と叔父にいわれて、小説を書くようになった。

 多喜二の人の人権を尊重する心構えは生まれながらのもので、その

強い姿勢の為に死に渡されたといえる。

 弟の三吾はヴァイオリンが好きであった、銀行に勤めていた多喜二は

この三吾にヴァイオリンを買ってあげた。彼は後にヴァイオリンの名手と

なり東京交響楽団の第一ヴァイオリン奏者になったとのことである。

 また、小料理屋に身売りされていた女性と運命的な出会いをし、彼女

の身元引受人となり、自由な身としてやり彼が死ぬまでずっと大事に世

話をしたといわれる。

 多喜二の親類や関係者にはキリスト教の信者になった人が何人か居

る。多喜二も教会に通い聖書に親しんだが、行動的には共産党の党員

としての生き方を選んだ。母のセキもまたキリスト教の信者となり、葬式

は教会で行われたそうだ。セキは多喜二が共産党に入党したので、彼

のために自分自身も入党したそうだ。

 セキは晩年になって字を覚えた。お気に入りの賛美歌は「山路越えて」

であった。死ぬまで多喜二のことを思って悲しんだが、彼が天国に居る

かどうかを一番気にしていたそうである。1961年に88歳で世を去っ

た。

 セキは3人の子供に死なれたが、多喜二の死には特別の想いがあっ

たであろう。その死は逮捕され拷問を受け殺されたという異常なる死で

ある。子供に死なれるということは、親にとってそれでなくとも辛いこと、

多喜二の場合は尚更である。母セキは多喜二の死に納得のできる理由

を見いだしたのであろうか、晩年のセキはキリスト教の救いに望みを抱

いた。この世で罪人といわれ、弱い立場の人の味方になったのに拷問さ

れて死んだ多喜二、セキは同じような姿をイエス・キリストの中に認めた

のであろう。そのとき、母セキはやっと、長い苦しみから救われたのであ

ろう。


三浦綾子作品1 「塩狩峠」 その印象

2011-06-12 22:08:08 | 読書三浦綾子作品

読書「塩狩峠」三浦綾子 新潮社 昭和43年9月25日発行
 
 鉄道職員で旭川六条教会員でもあった実在の長野政雄氏の殉職事件

の小説化ということである。

主人公の永野信夫は明治十年の生まれで、まだ江戸時代の武士生活の

風紀が色濃く残っていた時代であろう。父の家は元武家であったという。

だが信夫の両親は江戸時代には禁教であったキリスト教を信仰してい

た。幼なじみの友達を町人呼ばわりして、父に酷く叱責される。やがて、

父が急死したため、母や妹を養うために就職するが、親友であった吉川

が住む北海道へ彼の妹であるふじ子への恋情を抱きつつ移住し鉄道会

社へ転職する。

 やがて、職場上司の和倉に気に入られ、彼の娘との見合い結婚を薦め

られるが、それを断りひたすら肺病とカリエスを病むふじ子を慰問する。

 そんな折りにキリスト教に目ざめた信夫は不正事件起こした同僚の三

堀を更生させようと教化し努力をする。和倉は信夫の熱意に打たれ旭川

への転勤を条件として三堀の復職を認める。

 ふじ子との結納の日、信夫の乗った汽車は塩狩峠で暴走の危機に瀕

し、彼はどうしようもない人生の窮地へと引き込まれるのである。

 純粋にキリストへの信仰に生きようとした青年が、自身のいのちの犠牲

をもって列車の暴走をくい止めたという事件であった。小説では運命的に

結びつけられていた恋人との結婚も代償にされるが、死んでもなお生き

る真のいのちの存在が鮮やかに描かれる。

 更に、他人の厚意への率直な感謝の念を忘れ猜疑心と萎縮した歪ん

だ心で生きていた三堀、いわば神のみ前から失われていた人間が信夫

の犠牲的死を目の当たりにしてキリストへの信仰に導かれる。

 信夫が肌身離さず持っていた遺言書には、”苦楽生死、均しく感謝”とし

ためてあった。まさにこの世の自己中心的善悪の価値観とは異なる

生死すらもかに超越した境地に達したキリストへの篤い信仰心の存在

を証してせたのである。