(童話)万華響の日々

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「吾輩は猫である」の連載完了に寄せて

2017-03-31 20:25:45 | 読書

夏目漱石「吾輩は猫である」の朝日新聞連載が終わった、漱石の博学ぶりが余すところなく発揮された作品、毎回の難語解説るが役立った、随所に漱石の未来を見る目が感じられる、独特の観点から権力におもねることなく自由自在な発想の展開を試みる、時として執拗と思われるほどに一つのテーマに集中して議論を続ける、読む方がくたびれる程だ、


猫が漱石か漱石が猫なのか、混沌としてくる、以前にも書いたが漱石が将来は死と言えば自殺しかなくなる、という下りがある、これは当たっている、人は死のうにも死ねない生きる辛さ、言わば生き地獄のような状態が当たり前の時代が来る、というのだ、その時には何とかして工夫を凝らして自殺するしかない、

そして漱石は猫にビールを飲む誘惑を与え酔っぱらわせ水甕に落ち、最初は生きようともがくが「もうよそう、勝手にするがいい」と生への足搔きを捨て諦め安穏のうちに死なせた、まるで漱石が酒に酔って死んで逝ったかのごとくだ、

人生は所詮このように生きる意味や死の意味を探求し続ける足掻きであり、にもかかわらず死は唐突にやってくる、だから常日頃のこころの安穏・平安こそ最後の辿り着くところといった悟りなのか、漱石に感謝


籠池問題をぜひ解決して暗闇を照らしてほしい

2017-03-24 20:30:16 | 社会診断 政治

籠池問題の解決は今の政治のドロドロした混乱を一気に吹き飛ばす台風になるかもしれない、

籠池問題は国有地売却時の大幅値下げ価格決定に関する疑惑、その余りにも早すぎる決定、保育園の教育勅語をお題目とする戦前回帰の教育方針、それへの安倍総理や総理夫人の関与有無、土地売買に関する役所の交渉記録の破棄、土地購入時の政治家口利きの有無の謎、問題は他にもあるかもしれない、


籠池氏は小学校設立に関し許可を申請中であったが辞退した、このことで籠池氏は梯子を外された結果だという、今まで親切そうにすり寄って協力してくれていた政治家・官僚たちが一斉に離れ去ったと証人喚問の場で悔しそうに述べた、これは何故なのか、

森友学園は籠池理事長の長年の悲願であったはず、その実現は安倍総理ら現政権にとって「美しい日本」と「家」を中心とする社会の復興にとって格好の具体例であったのではないのか、その成功は安倍政権にとって願ってもない一歩でもあったはずだ、

そのためにこそ学園設立承認やその土地確保など一丸となって関係者が精力的に進めてきたのだ、

ここに至って何故一斉に手を引くような態度をとったのか、上記一連の疑惑の解明が結局はこの政権が目指している態度変更の解明につながるだろう、どこかで歯車が狂ったと思われたのだろう、

ところで籠池問題では「忖度」という言葉が説明上使われていて目を引く

「忖度」とは(善くも悪くも)他人の心中を推し量ること、このこと自体は別に悪いことではない、だが特に権力者の「威光」が作用した場合には下位の者は権力者に気に入られようと動いたり決定したりする、「以心伝心」ともいえる、権力者は「言わなくとも分かっているだろう」という状態である、もしも政治家や官僚たちに「忖度」が力を発揮しているとすればそれは逆らえない無言の圧力が働くほどの支配構造が現にできていることを意味する、これは善いこととは言えない


警察の犯罪防止の未来は監視社会に向かう、恐ろしいことだ

2017-03-18 20:53:10 | 社会診断 政治

オリンピック開催は何のためにあるのか、テロ等準備罪(共謀罪)を法制化するためにあるのか、オリンピックの理念はもっと高いところにあるはず、テロの取り締まりは必要だがその準備まで罪として取り締まることとすれば、その本来の意味を超えて副作用の方が厄介で悪質だ、政権の主張はこの副作用の方をありがたがっていると思える、

人間のこころは決行するまで揺れ動く、何もしないで終わることも多い、それをある兆候だけとらえて犯罪実行をまるで決行確定したかの如く先取り扱いし逮捕するというのはおかしい、人間のこころは本来逡巡するものだ

そもそも警察が犯罪を取り締まるのは今まででは犯罪が起きてから犯人逮捕をしてきた、ところが警察科学というものがあるとすれば、おそらく理想的な犯罪取り締まりは未然に防ぐ(予防)ことに力点が移ってゆくだろう、だとすればそれは事前に犯罪実行するかもしれない特定の個人や集団について情報集めをして監視し、ある一定の段階に至ったとみれば一気に逮捕ということになる、

つまり社会で今現に起きている交通事故、労働災害、異常気象起因の自然災害、地震、津波、竜巻、干ばつ、豪雨、・・・防災工学は未然にどうやって原因を潰してゆくか、今やわざわざ言うまでもなく必須とされる社会だ、国家間の紛争や戦争も同じだ、どうやって不穏な動きを捉えその蕾を摘んで平和を維持するか政治家に問われているように、である、


全く同じことが犯罪防止に行われてゆかないはずがない、それを加速するのがAI(人工知能)である、今後はAIを用いて人間や社会の異常な動きはビッグデータを用いて分析監視されてゆく、監視カメラ画像やマイナンバーやスマホのデーターなどはIOT(物とインターネット連動)で素早く集積され解析されてしまう、

多分「共謀罪」などの兆候はこうやって我々が知らない間に現実に進んでいるのではないか、それが世の流れだ、新たな監視社会はもう来ていると言っていい、

人間の倫理はこれらの動き(暴走)をどうやって食い止め防ぎ人間の尊厳を守ってゆけるかにかかっている、ともかく人のこころを未然に探って犯罪の芽を摘もうとする「共謀罪」捜査のやることは越権行為・個人の尊厳を冒すということだ、自由な人間の心を無視すること、断じて法制化すべきではない、

わざわざそんなものを成立させなくとも、AI全盛社会では監視社会が確実に進んでしまう、癌の早期発見早期除去とはわけが違うのだ


共謀罪(テロ等準備罪)は成立させてはならない

2017-03-11 21:04:35 | 社会診断 政治

「共謀罪」とか「テロ等準備罪」とか、オリンピック開催には欠かせないとの大義で法案通過させようとする現政権、だが、聞けば聞くほどにといっても、政権側の説明は全く不十分だ、メデイア等で知る限りにおいてこんなに危険極まる不気味な法案もまた類を見ない、


心の中で考えたことを根拠に準備していたと解釈されて拘束されるらしい、ニ三人が同じように考えただけでこの犯罪の対象集団になるらしい、当然のこと人の意図・計画を知るために盗聴や密告や相互監視、スパイ行為といった陰湿・陰険な社会が登場しかねない、お互いに相手を疑い、潤いのある人間同士が親密に付き合える社会が消えてしまいかねない、


準備とは何かといっても容易にわからない、「組織的犯罪集団」といっても二人以上で集団と解されよう、ちょっとした立ち話を誰かとしたらそれが読唇術で犯罪準備と解されれば該当する「組織的犯罪集団」となろう、

こんな陰湿な社会はかつて戦時中に特高警察によって何でもない人が拘束された時代を思い起こさせる、基本的人権の侵害に当たる、人のこころの中を探って犯罪準備行為と断ずることは危険である、

しかも「テロ等」の「等」ほどいい加減で国家側に都合のよい言葉はない、なんでも関係させて解釈されるだろう、「組織的犯罪集団」を判定するのは国家側であるから、これもその担当者が思ったように解釈することは明らかだ、過去に3回廃案に至ったこの共謀罪、断じて成立させてはならない


映画  「君の名は」   2016年   日本

2017-03-11 14:47:25 | 映画の印象

概してファンタジーという範疇に入り、彗星によって一村落が壊滅したという事件、これは3.11東日本大地震・大津波による大災害を彷彿させ、引き起こした天災の種類は異なるがその結果生じた多くの死と生き残った者とが生前に結びついて離れることのない互いを愛着する結びつき(絆ともいう)は決して薄れることはない

全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
⇒「映画の真相とその隠された深層」


森友学園問題、参考人招致は絶対必要

2017-03-09 21:25:52 | 社会診断 政治

森友学園問題は抜き差しならぬ段階に至ったようだ、国会で野党から学園長の参考人招致を自公は応じないと言って突っぱねているが、これこそ自公政権が断崖絶壁に突っ立っていることを証明しているようなものだ、なぜ応じないかと言えば当該学園長がキー・パースンであり彼が喋ることによってガラガラと音を立てて崩壊し去ってゆく何かがあるからである、余りにも多くの闇やおかしなことが起きすぎている、それらを明るみに曝しだしてその正体を知りたいものだ、故に大多数の国民は参考人招致を要求していると思う、


「マティスとルオー展」 (パナソニック汐留ミュージアム)を観た印象

2017-03-06 14:40:10 | 展覧会

パナソニック汐留ミュージアムでは「マティスとルオー展」が3/26まで開催中、先週行って観た、ゴッホとゴーギャンが親友だったようにマティスとルオーも大の親友であった、それぞれ画風は異なっていたが互いに尊敬の念を抱き続け手紙の交換をして半世紀も続いたという、今回の展覧会ではそれら手紙が肉筆のものを見ることができる、マティスもルオーも手紙の書体は几帳面に紙一杯に書かれたものだ、


マティスによる女の顔のみのスケッチを画集にしたものが興味深い、多種の表情が実によく描かれている、それを基にして描いたような「ラ・フランス」の女の姿が美しい、マティスの赤色が映える、この「ラ・フランス」は今回の目玉の一つだ、
このマティスに対応するようにルオーの「赤と金色の小姓」(1943)が光っている

マティスとルオーが同様な構図の作品がある、マティスの「窓辺の女」(1920)とルオーの「窓辺の静物」(1930)である、共に窓からはヨットが浮かぶ海が見えている、

ルオー晩年の傑作「マドレーヌ」(1956)が好い一説にはマグダラのマリアを描いたものといわれている、そうかも知れない、キリストを好んで多く描いたルオーならば、そう思ってみればルオー流のマグダラのマリアらしい深みが漂ってくる、

マティスにはマグダラのマリアのようなのはないが「読書する女性」(1922)が好い

    

                         上「読書する女性」

                         下「マドレーヌ」