激動の2012年が終わりに近づいています
振り返れば、思うように書きこめないブログの日々でした
また新年には気持ちも新たに始めたいと思います
冬のなべ料理の定番、ネギの畑を眺めながら
今年はきょうで閉めることとします
今年一年間ご訪問ありがとうございました
また来年もよろしくお願いします
皆様にとって良い年が訪れますように
激動の2012年が終わりに近づいています
振り返れば、思うように書きこめないブログの日々でした
また新年には気持ちも新たに始めたいと思います
冬のなべ料理の定番、ネギの畑を眺めながら
今年はきょうで閉めることとします
今年一年間ご訪問ありがとうございました
また来年もよろしくお願いします
皆様にとって良い年が訪れますように
「今年の冬は寒いねえ」
ハナミズキがささやきました
「君も葉っぱをすっかり落として冬模様だなあ」
とおちゃんがいいました
「とおちゃん、園芸屋さんで冬の花をいくつか仕込んできたんだね」
「パンジーとか、葉ボタンとか、
そのなかでもアネモネが気に入ったんだよ」
「赤色の花、青色の花、いいなあ、
今咲いているのは青色の花のアネモネだね」
「花が咲いたら、ずいぶんと大輪で驚いたんだよ」
とおちゃんはすっかり気に入ったようです
「日がさすと花が開いて、日が沈むと花も閉じるんだね
本当に大きな花できれいだね」
ハナミズキも喜んでいます
「冬にこんなきれいな花が咲くとは、まったく嬉しいなあ」
とおちゃんもいつまでも寒い空気の中で見ていました
「新釈 遠野物語」井上ひさし 著
新潮社 昭和55年発行
柳田国男「遠野物語」に関心あるわたしは当然のこと、この井上ひさし「新釈 遠野物語」にも関心を抱いた。
短編9話が載っている。
聞き手である「ぼく」が不思議な老人「犬伏老人」から聞いたという物語が、老人の体験談として、老人自身の謎が最後まで尾を引き、全体が、
動物に騙された話で不可解な謎めいた物語が続くのである。
最後の第9編が終わったときに、この謎が解ける仕掛けがしてあり思わず膝をうった。
柳田国男の「遠野物語」とは異なり、死んだ人間の霊魂が登場したり、死後の世界へさまよったりする話は避けて、動物に「騙された」話に限った構成は井上ひさし独自のものだが、そちらの話も聞きたかった。
「キネマの神様」原田マハ 文芸春秋 2012年発行
本屋に立ち寄り何気なく新刊を見回していて、わたしも映画好きであるから、このタイトル「キネマの神様」に引き付けられ衝動買いしたというわけだ。
別段に期待したわけでもなくお気楽にとばし読みできるとみていたが、読み進むうちに引き込まれあっという間に最後まで読んでしまった。なかなか話の進め方に隙がなく最後まで一気に読ませる力作であった。
映画好き、ブログ好き、名画座好きにはたまらなく嬉しい作品だ。
70年間も映画館に通い続けてきた丸山郷直は80歳の今も映画好き、観た映画を日誌に記録してきた。娘の歩は会社を辞し映画雑誌社へ請われて就職した、そこで父の映画批評を会社ブログに載せる仕事を担当し、大反響を起こした。
それはあるアメリカ人がそのブログに投稿し、郷直と批評合戦を引き起こし、多くのヒット数を獲得したのである。このブログが引き金になって、雑誌会社「映友」が建ち直り、かつ閉鎖しそうになっていた名画座をも再起させたというわけである。
この本の中での映画評価の仕方がおもしろい。郷直は正直な感動屋で真っ正面から感じたまま評価する。一方アメリカ人ローズ・パッドはひねくれ屋であるから映画の陰の部分に焦点を当て、監督にとってはむしろ嫌がる闇の部分をほじくり起こすというのである。
当然ながら映画の評価はこの表面・裏面の両面から論ずるのが良いのに決まっている。この本では両者は磁石のNとSのように引き合い、生涯の知己となった。
我々は表に現れたものだけで満足できるだろうかという疑問が常にあり、背景に隠された別の真実を知りたいという欲求がありはしないだろうか。
たとえば、世界で起きている事件は事実だけが報じられるが、その隠された真相を知りたいと思う人は多いはずだ。書かれた文章の行間を読むとか、墨絵の白い部分を窺うとか、人の発言の裏を読むとか、いろいろある。
また他の論点として、ブログというバーチャルな世界の中でも、真の友情が育てられるという筋であるが、最後にはローズ・パッドの正体が明らかにされ現実世界の付き合いに落ち着く。
いわば、作者はバーチャル世界では物足りなく、やはり最終的には現実世界の付き合いがないと人間の繋がりは完全なものではないという視点に立っている。わたしもブログでは本名を用いていない。本名を明かして現実の世界での付き合いができるようなところまでいきたいという気もある。
ところで本書はシネコンと単立映画館との関係についても論議を提供している。昨今、閉鎖してゆく映画館のことがポツポツと報じられている。映画館がすべて日本全国どこへ行っても、同じような駅ビルみたいに何の変哲もないシネコン、これでは寂しい。
またシネコンに映画館のすべてを要求するのもおかしい。なんとかバランスを保って両者が存続していってもらいたいと思う。
また、最近思うのであるが、3D映画でなくても、2Dで安く上映してくれる映画館があってよい。片目しか見えない人もいる、その人にとって3Dは必要ないのだから。実はわたしも片目が緑内障で不自由だ、しかし、映画が好きで楽しんでいる。
写真絵本「のせ猫 かご猫シロと3匹の仲間たち」
著者SHIRONEKO 発行 (株)宝島社 2012年
小さいころからおっとりした性格のシロ。
試に頭の上にモノをのせてみると、
嫌がらないので帽子を被せた。
それ以来、花や野菜、果物など
いろんなものをのせちゃったとか。
弟たちもそれをみならったそうです。
絵本の中には楽しいのせ猫が満載、
かわいいねえ。
いま日本上空を覆っている低気圧、北の寒い高気圧を誘い出しているようです
その低気圧は3つあって、それが集合し合い、なんという不思議か、
「ムンクの”叫び”」そのものの似姿ではないかと、ギョッとしました
この天空の不思議な現象は何を意味しているのか
昔ならば、ときの為政者が必ずその意味を解釈したことでしょう
解釈は各人の自由です
わが国の3・11震災・津波からの復興や原発再稼働の停止などに
政治・選挙の結果の焦点がずれてしまったことと関係がないとはいえない
と思います
すでに人世の達人域に達したアレン監督は、人生が前世や来世との繋がりを深慮して初めて実りある人生の秋季を迎えることができるといいたかったのだろうか。
全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
⇒「映画の真相とその隠された深層」
「脱原発」ということが、もろもろの日本の問題を解く大きなカギであると思っています。
まず、原発稼働中止が地震・津波によって大災害を起こすことを防止するのはいうまでも。ありません
次に、核軍縮・平和問題に貢献することに関してです。脱原発はいままでの国の原子力政策が核燃料サイクルと絡んで廃棄物中に存在するプルトニウムという原子爆弾の原料となるものを大量に貯えてしまっていて、原発を動かす限りプルトニウムはますます蓄積され大変な問題となってきます。原発は鬼子を生み落しているのです。
脱原発はこの危険なプルトニウムを即時に貯えないようにすることに不可欠です。脱原発は危険なプルトニウムの蓄積を止め、平和憲法第9条の維持を不可欠の要素とします。
原発が稼働しなくなると、原発がある地域での産業が衰退し、原発に携わっていた人たちが生活に困るということが言われています。しかし、脱原発は今後、廃炉というものすごい事業を必要としています。安全に廃炉を進める廃炉産業はそのすそ野はかなり広く、現在広範囲で行われている公害防止処理産業に匹敵するでしょう。
さらに、原発に代わる新エネルギーの創出は自然エネルギーからの電力発電の開発を必然とし、考えうるあらゆる可能性に挑戦する技術開発を促します。その中には太陽光熱、風力、水力、などは言うまでもありません、
しかし、よくいわれるように光や風のようなエネルギーは変化しやすいですが、日本には地熱という無尽蔵の変化しないエネルギー源があります。いままでは公園法などで規制されていたようですが、もはや公園形態に影響を与えずに熱を取り出す方法も開発されているそうです。これなども、火山国である日本全域にわたって設置できる発電源です。ここにも雇用を促進できる産業があるわけです。もちろん、炭酸ガスを排出しないですから地球温暖化防止にも貢献します。
防衛問題が云々されていますが、ペンは銃よりも強し、そのごとく、人類愛的倫理観と平和思想と科学技術力とはそれらが相伴って軍事力を上回る強力な国力となります。それは世界の国々を説得できるでしょうし、賛同を得るでしょう。脱原発とそれにかかわる以上挙げたような技術力は絶対に大いなる国力となります。 原発を有する国々は必ずどうしようもない事故や廃棄物の扱いにお手上げ状態になる運命にあります。わが国はそれらの国を助けることもできるでしょう。
(続きあり)
「遠野物語」口語訳 柳田国男
河出書房新社1992年出版
全119話である。
柳田国男が明治42年頃に遠野の人、佐々木鏡石から聞いた物語。
山男や山女に関する話の中に、座敷ワラシとか蛇や天狗、河童など妖怪変化の類がでてくる。
なかでも死人の幻とか霊といったものが数多くある。死人の幻や死んだ人の直後の魂が生きている人に会いに来る「老女のまぼろし」、「オット鳥」、「閉伊川の機織淵」、「雨落の男」、「雪合羽を着た魂」、「雲壁のまぼろし」、「座敷の人影」、「堂突する魂」、「寺参りにくる魂」、「魂の行方(明治29年6月15日の三陸沖の大津波で2万2千人が溺死した、波高さは38.2m)」などがあり、
また臨死体験としての「不思議な庭石」、「生き返った松之丞」などがある。これらは、死と生の境目を扱った実話である。臨死体験の話などは一般的に語られるものとよく似ている。
また、岩手県出身の宮沢賢治の童話の中には遠野物語で登場する話の影響を濃く受けていたと思われるものが多い。
明治29年の三陸沖の地震と大津波が3・11の東日本大地震・大津波と同規模だったように思う。遠野の里を襲った大津波で3・11と同じような犠牲者が出ていたことが分かった。当時は原発がなかったから、今回のような放射能被害には遭わなかった。こんな歴史は繰り返させてはならない。
本屋で好い絵本を見つけました
このブログでも紹介した大塚敦子さんの絵本です
「いつか帰りたい ぼくのふるさと」
福島第一原発20キロ圏内から来たねこ、です
写真・文 大塚敦子
小学館発行 2012年11月
被災ねこキティの物語です
地震が起きて、津波が来て、原発が事故を起こして、
そして人々がいなくなった
動物たちは何とか生き延びたものもいるが、
死んだものもいた
キテイは助けられましたが、家族と離れてしまいました
けれど、また再開ができたのです
ねこの目から見た東日本の大地震・大津波・原発事故の
恐ろしさがひしひしと伝わってくる絵本です
最近、「立入禁止区域 双葉~されどわが故郷」という映画
を観ました
3・11の大震災・大津波・原発崩壊で被災した福島県双葉町近郊
の姿、ドキュメンタリーです
双葉出身の佐藤武光氏が自分でカメラを持って故郷の惨状を写し
撮ったものです
猪苗代のホテルに避難して、そこの自治会長の避難所生活を
まとめる苦しさ、今後の生活のあてが立たない避難者の苦悩、
人影が絶えた立入禁止地域にいる犬や猫や牛、
それらの生々しい状況にはただただ息をのむしかありません
震災復興が著しく遅れているということですが、
このドキュメンタリーを見て、改めて風化させてはならない被災の
爪痕を再認識させられました