(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

介護殺人を防ぐ策はないものだろうか

2016-07-15 21:07:44 | 看取りと介護道

いま気になっていること、先月テレビ放送でもみたが、「介護殺人」事件のことである、高齢者の夫婦や親子などが介護に行き詰まって被介護者を殺してしまう、あるいは心中事件となる、死に切れなくて殺人者となってしまう、恐るべき悲しいことである、報道があるたびに当事者たちのことを思うと胸がひき裂かれる思いだ、

介護殺人は他人事ではない、どういう形であれ介護をしている人々にとっていつ自分たちがこういう悲劇の渦中に引きずり込まれるか分からない、あってはならないことである、事件を起こした人たちも止むに止まれぬどうしようもないのっぴきならぬ生き地獄に引きずりこまれてしまった、福祉政策とその実態が貧弱であることは言を待たない、

どこにでも起こっている行き詰まり、八方塞がり、どうやって介護殺人を防止できるか、政治家たちに聞きたいところだ、介護殺人と類似の悲劇は虐めによる自殺、親が子にする虐待、・・・・介護者と被介護者をとにかく危ない兆候が出たら引き離せたら一番いいのだが、良策はないか??


認知症者、JR賠償請求の最高裁判決は「徘徊事故の家族に責任なし」となった、

2016-03-06 20:59:19 | 看取りと介護道

認知症、JR賠償請求の最高裁判決は「徘徊事故の家族に責任なし」となった、ただし監督義務者の責任は総合的に判断されるべきだとした、

 この事件の経緯をふり返ってみる、2000年に愛知県大府市に住む男性に認知症が現れた、2002年親族会議をして介護方針を検討、横浜市に住む長男の妻が男性の介護のために単身で近所に住む、

2007年2月に要介護4の認定を受ける、施設入居も検討したが在宅介護を選択、2007年12月にJR共和駅で外出中に男性が線路ではねられ死亡、2010年2月JR東海は遺族に損害賠償を求めて提訴、

2013年名古屋地裁は長男と男性の妻に約720万円の支払いを命ずる判決、2014年4月名古屋地裁は妻のみに約360万円支払いを命ずる判決、2016年3月最高裁は妻と長男に賠償責任なしとの判決、

 事故当日は男性自宅にはセンサーが2か所にあって奥の自宅のセンサーはスイッチが入っていたが男性は自宅前の事務所にいてそこのセンサーはスイッチが切ってあった、

長男の妻は外で片づけをしていた、男性の妻が男性を見守っていたがたまたま少しまどろんだそうだ、その間、男性は外へ出てしまったそうだ、・・・・

認知症患者はばかにできない、ちょっとした隙をついて好きなことをする、   この事故までの経過を読んでいて家族の介護は精一杯のものだったと思わずにおれない、今回の最高裁判決は誠に妥当なものと思う、

だが、一歩家から外へ出てしまった徘徊認知症者の見守りと、事件で損害を負った被害者の救済は未解決のままだ

新聞の論調では個人賠償責任保険の補償内容拡充とか、社会全体での認知症社会に対する保証のためのシステムづくりが急務という、

認知症者を在宅にせよ施設にせよ、隔離することが正しいのか、社会の中で何らかの自由に動ける状態でもトラブルを未然に防止できる方法が見いだせるのか、取り組むべき課題はここにある、今回の判決はそういう意味で認知症社会の取り組むべき方向を与えたと言える


「介護現場 虐待生まぬために」から思ったこと

2016-03-05 13:38:55 | 看取りと介護道

「介護現場 虐待生まぬために(上・下)」3/2,3朝日新聞、を読んだが深刻に考えさせられた、介護施設で特に負担が重くなるのが夜勤である、都内のある特養での話、夜勤は午後4時45分から翌朝9時まの17時間、仮眠の2時間を含む、だが入所者のコールが90回もある、職員は2人で47人を担当、トイレ介助、おむつ交換をはじめいろんなことでコールで呼ばれる、場合によっては救急車に付き添わねばならないことも、とても仮眠が取れる状態ではない、結果としてイライラする、

介護職に就く大概の人は就職時には人の役に立ちたいという希望を持ってはいるが、次第にストレスで行き詰まる、超過勤務が常態となりうつ病などの精神疾患に陥る、職場への不安とか不満があるという人が8割を超す、どうしても入居者への接し方が乱暴になりがちだ、施設経営者は虐待が起きているかまたは起こるかもしれないと思う人が8割以上いるようだ、

そこで、何が介護職にきついかというと入居者を扱う際の体重が介護者に掛かってくること、腰痛が慢性的に起こること、多くの施設では機械化を検討している、例えばリフト、ソフトな対応としては利用者ごとに事例検討会を開き問題を組織で共有する、経営者や責任者が現場に足を運び現状を把握する、怒りが生じたら誰かに説明し相談し自分だけでため込まない・・・・

これらの対策は余裕があればこその対策だと思う、とにかく職員の数が足りない、忙しく時間に追われる、相談したいときにすぐ相談したい人がいない、休みも取れない、給料安い、・・・・過酷な職場であると思う、それにしても今の団塊世代以降の人たちが必ずお世話にならねばならない世界である、国民が貯めこんでいる虎の子預金をこの対策にやってもらわねばいけない、税金はこういうところに使わずしてどこに使うというのか、何とか折角考えている対策なんだから実現できるように予算や人を養成すべきである、政治家はもっと現場に行き実態を肌でとらえなけばいけない、


緩和か延命かに辿りつけない悲しい老々介護もある

2016-02-29 21:37:17 | 看取りと介護道

最近も老老介護の悲劇を報道した記事が続いている、

2/25朝日新聞には「埼玉県小川町腰越の自宅で介護中の妻(77)を殺害したとして今月8日に殺人容疑で逮捕されていた無職国崎誠一容疑者(83)が、その後約2週間にわたり食事をほとんどとろうとせず、搬送先の病院で病死した。同県警が23日発表した。逮捕時に「認知症の妻の介護に疲れた」と話して以降、取り調べにも応じていなかったという。 国崎容疑者は今月5日夜、自宅で妻恭子さんの首を刃物で刺して殺害したとして逮捕された」という記事、

更に2/29の記事では「・・・・浦賀署員が駆けつけたところ、団地の一室でこの部屋に住む女性(68)が倒れており、無職の夫(70)を傷害の疑いで27日に逮捕した。「蹴ったことは間違いない」と容疑を認めているという、夫は認知症の可能性もある」

埼玉県小川町の事件では夫が妻の介護に疲れ心中を図ったものと思われる、また浦賀の事件では介護していてくれていた妻を誤って殺してしまった、認知症の疑いがあるという、

どちらの事件も老々介護の悲劇である、・・・・2/29朝日新聞オピニヨン・フォーラム「最期の医療」で読者のアンケートに基づき、「緩和か延命か悩む家族」という特集を載せている、

つまり死に瀕して緩和か延命か、どちらを選ぶべきかということ、それにしても上記の二つの事件は緩和でも延命でもなく、その途上にあって耐えられずに望もしない死を選んでしまったというところに何ともいえないやり切れない恐ろしさを感ずる

最近雑談していて耳にした話では民生委員や社会福祉協議会の人たちも、独居老人の見守りやケアにはまだ対処できるが、夫婦や親子二人などともかく二人以上の家族が介護している家庭の状況については手が回らないと言っていた

二人以上ならばなんとかやっているのだろうと思ってしまうのだろう、だが、デイサービスなどの福祉施設を勧めても断るケースがあり、これにはどうしたものだろうか

 


川崎市老人ホームの転落殺人事件の原因の一つは即戦力という余裕のなさか

2016-02-18 21:21:30 | 看取りと介護道

川崎市・有料老人ホームで高齢の入居者3人が相次いで転落死した事件はこのホームの23歳の元職員であった、3人はいずれもベランダから投げ落とされたという恐ろしい殺人事件であった、容疑者の男は犠牲者の男性が認知症で外出したがる人で「いつ死んでもいいのだ」と言って急に車道に飛び出す、そんなことが度重なりストレスが溜まっていったようだ、

男性のことを「手がかかる人だ」と漏らしていたそうだ、容疑者は救急救命士の資格を有して老人ホームに2014年に採用された、ヘルパーとしての経験は老人ホームに入ってから実地の仕事をしながら身に着けていったようだ、だが、今回の転落死事件は入社して半年という極めて浅い時期に起きている、彼の性格もいろいろ明らかになってきている、窃盗事件で逮捕されたこともあった、容疑者の性格的な欠陥も言われている、もっぱら今回の事件は虐待との関係で論じられている、

さて、思い出すのは軽井沢で起きた夜行スキーバスの転落事故である、バス運転手は大型バスの経験未熟者で採用直後ぶっつけ本番で夜行バスの運転を指示された、その結果であろうか下りに入った坂で速度が規定の約2倍(約100キロ)という猛スピードで運転制御不能に陥って転落したらしい、つまり必要な訓練もろくに受けずして未熟なままやって来いと実地に押し出されたのである、

今回の転落殺人事件でも容疑者の職員が十分な訓練を受けていなかったのではなかろうか、認知症の高齢者の扱いは極めて難しいものだ、人間特に高齢の人に対する理解と認知症という独特の症状をよく理解し、その対処方を理解しさらに実際の介護を経験しながら上司や同僚の指導を受け(オンザジョブ トレーニング)、それを一定期間実習としてこなして初めて単独に入居者の介護に当たれるのではなかろうか、

だが現実は甘くなく即実践が要求されるというところばかりのような気がする、だからある意味で今回の容疑者も不十分な入社後の導入訓練しか受けることができなかったのではなかろうか、故に彼も介護事業の犠牲者であるといえないだろうか


入院・施設より在宅医療というやり方のしわ寄せの犠牲は十分に論じられていない

2016-02-16 20:59:26 | 看取りと介護道

この4月から紹介状なしで大病院を受ける場合には診療代以外に5千円以上を、再診でも2千5百円以上を請求されるという、今までも金額は低いとはいえこのやり方であった、値上げされたわけだ、

更に大病院は重症患者中心とし、ベット数も減り、その代りにリハビリ病院へ回される、つまり入院期間が縮小される、従来も病院入院期間は少なく退院を迫られた、その結果老健(老人保健施設)へ行くか家に戻るかの選択を迫られた、

国は在宅医療すなわち在宅看護・介護を推進したいのである、そしてかかりつけ医師や薬局を重視したいのだと、だが、このやり方だと行き場のない病人が数多く発生するだろう、老健に行ければまだいい、

仕方なく家に戻っても看てくれるかかりつけ医師や看護師がいなかったり、ヘルパーが来てくれる時間が少なかったり、つまりは家族がほとんど常に付添っていなければいけない、それも老老介護だったり、病人が病人の世話をしたり、まだ若すぎる孫や子が親や祖父母の世話するケースがきわめて多くなるだろう、今でも多いのだから、その結果言いたくもないが無理心中などといった悲劇が後を絶たないだろう、最近でもそういった事件が報じられている、

国のやり方にはどこがしわ寄せの犠牲にあうかが論じられていない、あるいは分かっていても見て見ぬふりをしようとしている、望ましくは特養や老健が充実すると良いのである、だがそれすら全くのお粗末な現状である、4月からどうなるか極めて心配である


投書「認知症の妻 行く先あるのか」に政治はどう答えているか

2016-01-25 21:04:50 | 看取りと介護道

1/24朝日新聞「声」で「認知症の妻  行く先あるのか」という題が目を引いた、81歳の奥さんが認知症で要介護度5である、認知症病棟に入院中だが許可された入院期間は90日であるという、夫は79歳無職の二宮 剛さん、毎日病院へ様子を見に行っている、問題は90日後の妻の行く先だ、特養は数年待ち、民間の

老人ホームなど全く望めない、そうかといってその間は自宅で介護などとてもできる状態ではない、いったいどうすればいいのか、二宮さんはこういう状況の人々が大勢いると大層悩んでいる、これが投書のあらましだ、

治はこれに対して回答する責任がある、現政権は自宅介護を推進している、そんなに簡単な話ではない、可能な家族もいるだろう、しかし、可能でない家族の方が圧倒的に多いのではなかろうか、現政権は2015年補正予算として低年金の高齢者に3万円を給付することに決めた、その総額は3624億円、

一方で介護施設の整備加速ということで922億円、介護人材の育成・確保ということで444億円を計上、この二つの総額は1366億円だ、いはばこれがこの投書に対するホットな政治家の回答なのである、一人3万円もらって施設に入れるか、「ノー」である、では1366億円で待機中の人々がすぐ入れるだけの特養ができるか、やはり「ノー」なのではなかろうか、

見かけのばらまきをやめよと言いたい、それを特養増設に充てれば少しは賄えるかもしれない、金は細かく分けてはならない、まとめて有効に使ってこそ役に立つ


成年後見人の裏切り行為について

2015-07-02 20:58:49 | 看取りと介護道

今日の夕刊にあった記事です、九〇歳代の女性の成年後見人をしていた元弁護士の男が婦人の口座から

4千万円を私的に流用しキャバクラなどで遊ぶ金に使って逮捕されたというものです、実にたちの悪い

犯罪だというべきです、詐欺といえば"オレオレサギ"が横行し多数の高齢者が引っかかってトラの子の

大事な金をだまし取られています、オレオレサギは騙されたという被害者の悔しさがあります、

ところが後見人の預貯金流用は信頼して財布等を任せていた者の裏切りであり背信行為であり、赦すこと

ができません、成年後見人制度は依頼人が身体や頭脳がまだ正常であり自立できているときにいわば契約

によって、依頼人が認知症など重症化したときに依頼人に代わって財産管理を始め生活全般にわたって

金銭の出入りを任されるものです、従って依頼人に代わって銀行口座を自由に扱うことが許されてい

るのです、この事件の元弁護士の行為は裏切り行為であり時代が時代であれば即刻処刑されても文句

は言えません、現代では裁判制度によってそれなりの求刑がなされ罪を償うことになるでしょう、

彼の犯罪行為はその他大勢の善良で汗を流して依頼人のために働く後見人の人たちの信頼をも疑いの

目で見さ人間不信に陥らせることになり、ひいては後見人制度をも危うくしてしまう、行政側はこう

いった不届きな犯罪を防止する策を立てるべきだし、刑法上も重罪としないといけないと思います


老老介護の果てついに嘱託殺人

2015-06-23 20:01:48 | 看取りと介護道

6月18日の朝日新聞千葉版の記事はまたもショックな内容でした、

茂原市に住む83才の妻が2年ほど前から足腰が弱って転倒を繰り

返し骨折もして一人では動けなくなり、93才の夫に「痛くて苦しい、

眠れない」と訴え殺してほしいと頼み、夫は見るに見かねて首を

絞めて殺したそうです、検察は懲役5年を求刑しました 妻は生前

から家族には迷惑かけたくないとメモを残していたそうで、最近は

夫が付ききりで買い物、庭の手入れ、トイレ連れ添い、当然に料理、

を一人でしていて多分相当に心身弱っていただろうと想像できます、

夫は軽度の認知症を呈していたそうです、公判で夫は嘱託殺人の

罪を問われ、今でも愛していると語ったそうです、夫は靴職人をして

いて妻と知り合い結婚したそうです、娘を二人授かったということで

す、妻は介護サービスを嫌ったそうです、長女はもう少し早く気づけ

ばよかった、父を助けられたのに、とまあこのような内容でした、

さて、このような悲劇が結構新聞などニュースで知ります、報道さ

れないものも多いのではないかと思います、聞くに忍びないことで

 避けるにはどうしたらよかったでしょうか、介護サービスを妻が嫌っ

たということがまず挙げられます、なんとかしてデイサービスなりに

連れてゆくことができたらよかったと思います、なぜ嫌ったか、その

理由が明らかにされたら対策が打てたかもしれません、そのために

は専門知識と情報を集めて当人たちの最善の結果を願って助言し

どうすればよいかを積極的に進めてくれる取り巻き人たちが以前か

らいてくれればよかったと思います、自分だけで何とかしようという

姿勢は絶対に捨てるべきことです

老老介護を家でするということはこういった悲劇を往々にして招き

やすいと思います、いまの政府はこの方行「介護は家庭で」を目指し

ているのです、

 また93才の超高齢老人に牢屋へ5年も行けというのはいかにも

人情がないではありませんか、長い人生の最期を祝福されて迎え

るべきものをこんなふうに迎えさせて良いはずがありません

 


介護、心情的な問題は簡単に片付けられない

2015-05-08 21:18:43 | 看取りと介護道

最近、近所に住む知り合いのおばあさんと話をする機会がありまして、重要なことだと思ったので書いて

みます、ご主人は認知症を患いショートステイを利用していました、しかし、自宅では老々介護がどうし

ようもないくらいに苦しくなったので春ごろから介護付き老人ホームに入所させたそうです、おばあさん

は体も気持ちも楽になったものの、知り合いの人からおじいさんのことを聞かれて事態を話すたびに

なんとなく「どうして家で夫の世話をしてやらないのだ、妻として責任を果たしていないのではないか」

と面と向かって言われているのではないが、なんとなく揶揄されなじられている気持がすると苦しい胸

の内を打ち明けてくれました、これは私にもあることです、老親を結局は施設に入れてしまって介護の

責任を放棄したのではないかという思いが介護と見取りをおわったいま胸中去来するのです、

あれだけ自分たちの現実を分析して一番良かれと思って道を選択し決行してきた道筋でした、どうして

もそういう後ろめたさが心を痛めます、おばあさんは、もしも施設に入れなかったら介護する家族全員

(といってもこのおばあさんだけですが)が共倒れしてどうなったかわからなかったという感想を聞いて、

その通りだよ、それ以上自分を責めることはよくないことだ、と言いました、その言葉は自分自身に

向けた言葉でもあったのです、いまは喪失の落ち込みから正しくものごとを見ることができていない

かもしれません、しかし、このおばあさんは慰められ力を回復してもらわなければいけないと思いました


ばあやんの召天

2015-04-21 20:15:36 | 看取りと介護道

老人ホームに入所しているばあやん(母)に体調異変が起きたのは先週の土曜日4月11日でした、

発熱し血中酸素濃度が低下していているというのです、それから昏睡状態になりたちまち血圧が

低下して15日に亡くなりました、あれよあれよという間のことでした、93才の誕生日は元気で迎え

その後もいくぶんは活気がないかなと思われるようになりましたが、まさかこのように早く最期が

来るとは全く思ってみなかったです、老衰が急に進んだためという医師の説明でした、

ばあやんは安らかで穏やかな顔でした

じいやんのときと同じようにキリスト教会で葬儀をおこないました、

ばあやんの突然の死で締めくくられた父母の介護と看護の生活でした、わたしら夫婦は体力がなく

不測の事態に対応することはできないと判断し、デイサービス、ショートステイ、老健、介護付き老人

ホームなど順次利用させてもらいやってきました、なるべくできるだけ自宅介護の時期を延ばして

後ろへずらしてホームなどの完全な居住型介護は本当にばあやんもじいやんも90才をとうに超え

て最近になってからでした、それでも自分たちの介護はこれでよかったんだろうか、もっとしてやれ

ることがあったのではなかろうかなどいまは後悔や反省などで頭が一杯です、しかし、人間が

することだから限られた時間や体力や経済力やもろもろ勘案してやれることはやはり限られます、

何でもこなせられた完全な介護や看護は所詮できないとあきらめの感慨に襲われます

しばらくは心も体もぼんやりして過ごしたいとおもいます


ばあやんの誕生日

2015-04-03 20:20:27 | 看取りと介護道

うちのばあやん(母)は3月30日で93歳となりました、今まで特養の入所を望んで連絡を

待っていましたが今のところ来ません、93歳になるという時期だったのでもうホームへ

入所して気楽に過ごしてもらいたいと思い、また私ら夫婦も体力が無理になってきたので

そうしました、いま住んでいるところから余り遠くないところに良さそうな介護付き有料

老人ホームがあるのでそこに決めました、あとは施設の介護サービスにお任せして私ら

できるだけ訪問してばあやんが寂しい思いをしないようにしてあげたちと思います、

じいやんが亡くなってもそのことを伝えても「そうかい」という感じでどの程度に感じて

いるのかわかりませんが全く分からないというほどではなさそうです、両親の写真を行く

たびに持って行き見せています、それにしても私らはいつの間にやら家では夫婦二人の

生活になってしまいました、いつかはこういう日が来るとは思っていたのですが、

両親がいなくなった部屋に入ると寂しいものです


生きているだけでそのまま価値があるってことかな

2015-02-22 21:18:58 | 看取りと介護道
 
生きているだけでそのまま価値があるってことかな

先日、ばあちゃんがお世話になっているデイ・サービスで、そこでの利用者の皆さんとちょっと雑談しました、そのときの話です一人のおばあさんが入浴サービスの後、テーブルに戻って落ち...
 

早いもんでこの記事から1年たったようです、このおばあさんは今もお元気ですよ、

つまり101才というわけです、

多少は注意力が無くなったかと思うぐらいです、

ところでこの日曜日の朝日新聞日曜版で日野原重明先生のコラムで先生の奥様が

亡くなっておられたことを知りました、認知症で病んでおられたとは知っていました、

先生も寂しくなられた、103才という年齢の重さを知らされます


介護施設選びは難しい、実態費用は玉手箱みたいなもの

2015-02-19 21:44:29 | 看取りと介護道

有料老人ホームや老健、特養、いずれにしても介護が苦しくなってくると被介護者を入れて

あげたいと思います、そこで大変なのが施設のパンフレットや資料に書かれている料金表

の中身、大体の介護施設が類似のパターンで表記してくれています、ところが実態はそう

簡単ではありません、共通に書かれているのは入居一時金(有無)、食費、居住費、そして

管理費、ここまでは分かるにしても、要介護度に応じた負担金、提携医療機関にかかる

医療費、日常の介護にかかわる消耗品の実費、そのほか買い物代行費、病院への送迎費、

美容費とか娯楽費とかなんだかんだと訳の分からない費用が上積みされます、

だからパンフレットに書かれた一カ月の費用などは単純に高いとか安いとか信じてはならない

わけです、できるだけ費用中身について良く説明を受け、特に一時金の途中解約金の内容

はよく納得しておかないと後で泣きを見るのは明らかです、介護施設選びは本当に難しい

ものだとつくづく思います、更にわからないのは介護の実態ですがどういう介護をしてもら

えるか入居してみないとわからない、まさに開けてビックリ玉手箱といったところです


在宅中心介護という幻想

2015-02-04 13:51:39 | 看取りと介護道

内閣官房社会保障改革担当室長という長い肩書の地位の高い人が朝日新聞で

介護のこれからの姿について主張していましたが、その要点は介護職員の不足、

即ち介護予算の不足を乗り越える為には在宅介護しかない、高齢者が一方的に

介護されるのではなくお互いに介護し合えばいいと仰るのです、要介護度2以下

の比較的軽度な人々なら可能かもしれない、実態は施設に入れない貧困の要介

護度が高い老老介護者、病気持ち同士の介護者は言われなくともそうせざるを

得ないのです、そして疲れ果て人生の生きる張り合いを失って悲惨な結果に陥る

のではないでしょうか、この室長は現場がどういうものか分かっているのでしょうか、

実際の個々の家庭を現場をもっと見て回らなくてはいけない、机上の空論・暴論と

言われても仕方がない、彼の主張は大いに疑問です