(童話)万華響の日々

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室生犀星 「後の日の童子」の印象

2010-11-23 17:57:03 | 生と死を想う

後の日の童子」室生犀星 創元推理文庫 2005年発行 日本怪奇小説傑作集Ⅰ

 夕方になると夫婦の家を訪れる童子がいた。童子は紅く塗っ

た笛を手にしていた。夫婦は童子の訪れを毎日心待ちにして

いた。童子は夫婦の息子であった。夫婦には最近赤児が生ま

れた。夫婦は赤児を童子には会わせない方がよいと思った。

 しばらく父母と話したり、遊んだ後、童子はいずこかへ帰って

しまうのであった。童子がいないときには、父親は近所の家に

住む子供を、どこか自分の息子の面影に似ていると思いなが

ら訪ねたりした。息子はそんな父を見て、自分と似た子を探さ

ないで欲しいと頼むのであった。父親は笛を吹いて息子に聞こ

えるようにと願うが、息子は自分の居るところまでは届かない

ろうという。父親は、おまえに聞きたい気持ちがあれば、聞こ

えるだろうというのであった。ある日、父は帰っていった息子の

後をつける。童子は蓮の花が咲く水田に消えてしまった。

童子はその後も訪ねてきたが、その姿は日を追うごとに何か

ぼやけたものになっていった。夫婦には共に息子の姿がかす

んで見え、影のようになっていくのをどうしようもなかった。

 夫婦は、息子が死んでもう三ヶ月経ったことをいまさらのよう

に嘆いた。童子もまた父母の姿がかすんで見えると訴えた。

父は、お互いの縁が次第に薄れてゆくためだと話した。

 それ以後、童子は訪ねてこなかった。夫婦は今まで息子が

訪ねてきたように感じたのは気のせいだったかと語り合った。

しかし、家の周りのどこかに童子の黒い影があるような気もし

て、父は笛を吹いてみるのであった。

 室生犀星(1889年ー1962年)は1918年に29歳で結婚

し、1921年32歳で長男 豹太郎が生まれた。しかし、翌年に

長男は死去した。本作品はこの悲しい経験から生まれたもの

であろう

 逝ってしまった小さな息子への慕情が何とも妖しい影のよう

な幻想を生み、それを夫婦ともども感じたというところが切な

い。日が経つにつれて息子の幻影がかすんでおぼろげになっ

てゆくというところも何とも悲しい人間の心の現実を表してい

る。

 幼子を亡くした多くの両親の気持ちを代弁しているような優し

いいけれども、裏哀しい感慨に満ちた作品である。



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