(童話)万華響の日々

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「アカデミア美術館所蔵のヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち」展(国立新美術館)の印象

2016-08-31 19:20:21 | 展覧会

国立新美術館(六本木)で開催中の「アカデミア美術館所蔵のヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち」を観た、1500年前後から1600年にかけての45作品が展示中だ、新約・旧約聖書から得られた題材の堂々たる絢爛たる絵画ばかりだ、自分が特に感銘を受けた作品について感想を述べる、

展示場に入るとすぐに目に入ってくるのがポスターの看板的な「聖母子(赤い智天使の聖母)」ジョバンニ・ベッリーニ1485-90年である、幼子イエスが見つめる母マリアの頭の上には赤色の子天使たちが飛翔している、聖母の顔は優しく慈愛に満ちイエスの表情も信頼に満ち穏やかである、同じ題名の「聖母子(アルベルティーニの聖母) ティツィアーノ・ヴェチッェリオ 1560年ごろ は雰囲気ががらりと変わって上空に光る天国の輝き以外は暗黒に近い暗さの中に母マリアと幼子イエスのみが光を受けて浮かび上がる、闇の支配するこの世に与えられた神のみ子イエスを表現している、劇的な表現である、

そして圧倒的な偉大さをもって観るものに迫ってくるのが大カンバス(410×240cm)に描かれた「受胎告知 ティツィアーノ・ヴェチッェリオ 1563-65年」である、まずその大きさに驚く、よくぞ運搬できたものと感心、畏怖するマリアを祝福する大勢の天使たち、それは幻想的でおぼろげであり天国から射す光の輝きが絶対的な存在を示しているようだ、

一方、女性美を遺憾なく表現しつくしたように思われるのが「ヴィーナス ティツィアーノ・ヴェチッェリオと工房 1555-65年」である、黒衣で下半身を覆ったヴィーナスはぞっとするほどの官能美に溢れる、「パルツォ帽をかぶった女性の肖像 ベルナルティーノ・リチーニオ 1530-40年」もまた美しい女性像であり、現代に生活する女性かと見まごうほどだ、1500年代の絵画がこれほど写実的で生き生きし、輝き溢れる美に満ちていることはイタリア・ルネッサンスの特徴であろう




核のゴミ最終処分場は海底でいいのだろうか

2016-08-30 14:43:39 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

8/10の東京新聞によれば(下記参照)、原発から出る使用済み核燃料の廃棄物の最終処分場について、経産省は最終処分地として基準を決めたそうだ、最適に近いとして浮上したのが海底処分場だ、地権者がいないとか運搬のしやすさなどがその理由、だがその案を見ると海岸線から15km以内で海底から300m以上のところとある、どうもこれでは危険が大きいと感ずる、

余りにも陸地に近ずぎるからだ、過去に起きた地震の震源深さをみれが10kmから500kmぐらいにばらついている、このような深度に埋めたとしても、この間に埋まっている核廃棄物は地震による震動やプレートのずれや亀裂にあい分散したり海底に浮上するような危険な可能性があるのではなかろうか、

また500km以上深い海底に埋設することは技術的に不可能ではなかろうか、海底は本当に10万年以上(放射性核種の長期半減期)にわたって安定した場所であろうか、不明だ、

やはりすべての放射性核種の半減期が数年以内に、長くとも40年以内に収まるように(本来の廃炉の基準年数)核変換の可能性を研究することが必要である、それが原発を稼働してしまった我々の義務責任であると思うのだが・・・「もんじゅ」実現をいまだに諦めない国ならばそのような研究をするぐらいはなんでもなかろうと思う

東京新聞8/10の記事{核のごみ最終処分場 候補地基準を了承 不透明な海底案 高評価

経済産業省は九日、使用済み核燃料など原発から出る「核のごみ(高レベル放射性廃棄物)」の最終処分地としての適性を判断する基準を大筋で決めた。火山や断層からの距離などを基に、十二月にも日本列島を「適性が低い」「あり」「高い」の三色に塗り分けた地図を公表。受け入れに前向きな自治体を探して詳しい調査を申し入れる方針だが、難航も予想される。}


福島原発の凍土壁は「道なかば」、どうなるのか

2016-08-27 20:09:11 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

映画「シン ゴジラ」は巨大化し益々凶暴となり米国政府などから核攻撃しか倒す術が残っていないとされたとき、日本政府はゴジラを冷凍させて動きを止める策を放った、映画ではゴジラは冷凍液を口から投入されて動きを停止した、その続きが知りたいところだ、いつまで冷凍状態が持続するのか、不明のまま終わる、映画はこれでいいのだが、実はシン ゴジラは原発の化身だという見方があるそうだ、

いま福島原発凍土遮水壁は流入する地下水の遮断を行う策として2013年9月に取られた、今月18日に持たれた原子力規制委員会の検討会で1%の地下水がまだ凍っていない、実際には水350トン/日が海へ流出しているが凍土壁を造る前と量的にはあまり変化がないといわれている、東電は追加工事で凍土壁の凍っていないところを凍らせると発言しているそうだ、すなわちシン ゴジラは生きているということになる、

凍土壁に使われた工事費は既に345億円に達した、さらに追加工事費が必要、更に更に凍土壁維持に必要な運転費用は年間どのくらいなのか、また完全な凍土壁が完成するのかどうかまだわからない状態だ、まさに「道なかば」だ、その間、汚染水はどんどん溜まっている、どうなるのだろうか


「つまらない男」はダメ人間という意味ではない

2016-08-26 20:53:15 | 雑感・エッセイ

民進党の蓮舫代表代行は岡田克也代表を指して「大好きだが、一年半一緒にいて本当につまらない男だと思う」と冗談を飛ばした、と報じられた、民進党の党代表選を控てのことだけにこの発言が波紋を拡げているようだ、残念だが言葉というものは発言者の意図とは関係なく独り歩きする、蓮舫氏にとって不利にならないことを願う、

そこでこの「つまらない男」とは一体真実なんだろうかと考えてみた、この言葉はマイナスイメージを与える言葉だろうか、広辞苑を参考にすると「詰まらない」とは、まず面白くない、単調だ、無味乾燥だ、融通が利かない、道理に合わない、価値がない、ばかげている、などなど、更に勝手に広げてみると、馬鹿正直、優柔不断、愚か、箸にも棒にもかからない、木偶の坊、無力な奴、役立たず、・・・・

実に表向きは情けない内容のことばである、この言葉を掛けられる相手とは余程の信頼関係がなくてはいえない、冗談が冗談と分かってくれる相手でないといえない、してみると蓮舫氏と岡田氏は仲が善いという証拠でさえある、だからこの言葉は信頼があるからこそ言えたのであり、更に考えると、「詰まらぬ男」とは木偶の坊であり、宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」で表し目指した理想といえる状態の人間像である、

「詰まらぬ男」は実は詰まらぬどころか、固そうに見えて人間味があり、正直であり、信頼に足る木偶の坊のような役立たずのような病身で弱みがあり、ダメ人間のように見えるが、それゆえに却って他人の心を思いやることのできる人間であり愚直であり寡黙である人のことである、蓮舫氏はそう言いたかったのであろう、そういう意味で蓮舫氏も自分も「つまらない人間だ」といいたかったかも、・・・・だがこの字づらをとらえて悪用したり誹謗したり上げ足を取ろうとする者もいるのであるから公の面前ではゆめゆめ注意を怠らないことが重要だ


「ルノワール展」 (国立新美術館)を観て

2016-08-21 19:15:15 | 展覧会

国立新美術館にて開催されてきた「ルノワール展(オルセー美術館、オランジュリー美術館所蔵)」を観た、100点を超えるルノワール(1841-1919)の代表作品、肖像画あり、風景画あり、舞踏会画あり、花や静物画あり、裸婦画ありである、有名な代表作「ムーラン・ド・ギャッレットの舞踏会(1876年)」は本邦初公開だそうだ、画集などで昔から馴染み深かった作品だがこうして本物を見るとやはり違う、舞踏会場のどこかに知っている人がいるような錯覚に陥る、

「ピアノを弾く少女たち(1892年)」や「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル(1897-1898年)」の少女たち、「ガブリエルとジャン(1895年)」の母子、など実に家族への愛に満ちた作品の数々、

「ガストン・ベルネーム・ド・ヴィレール夫人(1901年)」の若妻の美しさ、「ベルネーム・ド・ヴィレール夫妻(1910年)」の円熟した年代に達した仲睦まじい夫婦肖像、

「浴女たち(1919年)」とか「横たわる裸婦(ガブリエル)(1906年)」などの裸婦の生命力に溢れた女たちは圧巻、だが作家の「グラジオラス(1885年)」や「静物(1885年)」などや風景画等にあらわされる写実性の素晴らしさにも目を見張らされる、

誰もが惹きつけられたと思われる「田舎のダンス(1883年)」と「都会のダンス(1883年)」の一対の寄添う男女のダンス姿に羨望を覚えぬ者はいないのではなかろうか、相手の男はなぜか顔が見えないアングルであるのもルノワールが男より女により一層の愛着を抱いていた証拠だ、それにしてもそれほどの生きる喜びにあふれる一対のダンス画である



映画   シン・ゴジラ     日本    2016年

2016-08-20 19:34:00 | 映画の印象

従来のゴジラの続き話としてではなく全く新しい未知巨大生物として東京に出現したところから始まる

観終わった直後には「シン ゴジラ」は原水爆や原発事故の恐怖が化身したものと思っていた、だが日本の南海から出現して関東地方に上陸し、歩き回るだけで住民と国土を恐怖と破壊に陥れ、変態してとてつもなく巨大化した怪物のその実態は巨大地震や巨大津波とも重なる、さらに明治政府のような富国強兵の復古調に変態しつつある現自民・公明政権を現すようにもなぜか感じたのである、「シン ゴジラ」が二度と日本にも世界にも出現しないようにするにはどうしたらいいのか、それが大問題だ

全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
⇒「映画の真相とその隠された深層」


道半ばのアベノミクスのエンジンを最大限に吹かす力はあるのか

2016-08-05 16:24:27 | 社会診断 政治

今回の参院選で安倍首相がアベノミクスの状況を「道半ばだからアベノミクスのエンジンを最大にふかす」と再々繰り返してしゃべった、さてこの「道半ば」という言葉を聞きどういう印象を受けるであろうか、他の表現では「日暮れて途遠し」ともいう、どちらも目的地に向かって到達できるかどうか全く心細いという感じで用いる、首相は思わず吐いた「道半ば」という言葉にいかに現在アベノミクスが五里霧中であり目的地を見失っている彷徨っている状態であることを思わず知らず言ってしまった、と思わざるを得ない、またこの状態でエンジンを最大限に吹かすということはかつての暴走族の無茶苦茶な暴走運転を思い起こさずにはおかない、エンジンは持つのか?

エンジンとは大規模な財政出動、今回の経済対策では、リニア中央新幹線の開業前倒しなどを盛り込み、事業規模を28兆円超まで積み上げた、さらに対策の原案に「日本銀行には、経済・物価情勢を踏まえつつ、2%の物価安定目標を実現することを期待する」と明記したそうだ、従来の東海道新幹線に相当する距離区間にこんな飛行機並みの高速リニアをすること自体意義があることなのか、またリニアは他産業にどれだけ技術革新の波及効果をもたらせることができるのか、60年代のアメリカで行われたアポロ計画は収束したが多数の技術革新の波及結果があった、それと比較してリノアは国税を投入する価値があるのか、このエンジンは疑問だらけだ


映画    ロブスター   ギリシャ他   2015年

2016-08-05 15:16:27 | 映画の印象

「本当は怖いグリム童話」というのがかつてはやったことがあった、あれに似た感じ、会員制の結婚相手を探す秘密クラブであろうか、45日間で結婚相手を探せなかったら、希望の動物に変えられ狩りの獲物にされる

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「木々との対話」(東京都美術館)を観た印象

2016-08-02 13:00:21 | 展覧会

上野公園に東京都美術館が開館されたのは1928年であった、それから90年を経た、それを記念した「木々との対話」なる展覧会が開催されている、特徴ある五人の作品が展示されている、木を素材としたテーマであるが、印象的であったのは、

土屋仁応の動物、幻獣の真白い汚れのない彫刻は目を惹いた、船越 桂の現代的なスフィンクス彫刻も異形でエロチックな妖しい世界だ、國安孝昌による木材の廃材で構築された巨大渦巻きはブラックホールを思わせる、二階から見下ろすと想わず吸い込まれそうな眩暈の幻覚がおきる、他の二者を含めて芸術家の磨き抜かれた創造性豊かな世界に眼を見張った