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「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校 ヘルマン・フィンケ著(白水社)

2019-11-03 22:18:55 | 読書
”戦場のピアニスト”2002年に公開され数々の賞を獲得したロマン・ポランスキー監督の映画です。第二次世界大戦、ナチスドイツのユダヤ人狩りの最中ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、シュピルマンは何とかゲットーから脱出し知人に匿われる。其処でドイツ国防軍将校に見つかってしまうが、「ピアノを弾いて欲しい」と請われ救われるシーンには感動し忘れられない。
ピアニストを救ったドイツ国防軍将校はどんな人だったのか?この本はそれが書かれたノンフィクション。将校はウイルヘルム・ホーゼンフェルトという学校の教師だった。指導者ヒトラーには自分の中では批判的服従であり「常にどんな人に対しても最上、最良の部分を探すようにしている」と言い眼の前の人間に対する敬意を失わなかった。彼のポーランド人やユダヤ人の人道的救済は60人をくだらなかった。これは彼のキリスト教としての倫理観が大きかった。
映画”戦場のピアニスト”のクライマックス。シュピルマンとホーゼンフェルトの出会いは1944年11月、本の中でも戸惑い恐れ震えるシュピルマンにホーゼンフェルトは終始礼儀正しく口調も丁寧だったと書かれている(映画では乱暴な口調に訳されているが、訳者は違うと指摘している)。胸は高鳴り戦慄を覚えた二人の出会いのシーンは忘れられない。後にフォーゼンフェルトはロシアの捕虜となっても矜持を保ち、しかし1947年7月脳卒中に倒れ病院から捕虜収容所への繰り返しが続いた。動脈硬化、心筋機能不全、左半身麻痺であった。この状況を知った嘗て命を彼に救われた人々が釈放に奔走したが1952年8月、57歳で胸動脈剥離で亡くなった。遺体はスターリングラードの収容所墓地に埋葬され墓標も無いと言う。彼と妻アンネマリーの往復書簡もお互いを愛情深く励まし続け、悲しくつくづく戦争は負ばかりとの思いを強くした。そしてあのドイツ国防軍将校の人間像に触れ、遣り切れなさで胸は一杯になった。しかし彼を顕彰しようと2007年ポーランド大統領は国家最高の賞を授与表彰した。”オリジナルサウンド・トラック”を改めて聴いて見ようと思う。

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