旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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畳語・重ねことばを楽しもう。パート2

2016-11-01 00:10:00 | ノンジャンル
 縦50センチ。横35センチの木版に彫刻刀が走り、白い文字が浮き出ている。
 「言葉は、人類の財産であり、文字は人間の最大の発明である」
 老友仲本潤英氏からの戴きものである。
 「直彦クン。ワシは戦前に横浜に移り住み、日本復帰後、老後を故郷で過ごそうと帰ってきたが、老友間でも沖縄口は交わさなくなった。唯一、沖縄訛りの大和口に入ってくるのは畳語、重ねことば。これも放っておくと、忘れられるであろう。いかにも惜しい。次の時代の人が受け皿になってくれるかどうかは別として(こんな言葉の楽しさがある)ことを語ったり、重ね連ねて置くのもワシやキミの役目のひとつだと思うがどうか」。
 数年前、潤英翁は(畳語拾い)を奨めてくださった。以来、沖縄口について書く機会毎に、語る機会毎に(ささやかな実行)をしてきた。ここへきて、またぞろ潤英翁の言葉が思い出され、畳語たちを記す作業を始めるしだい。前回に引き続きお楽しみあれ。

 ◇かんちり がんちり
 *食事も(かんちりがんちり)咀嚼して胃の腑に納めないと、消化不良を起こし、栄養分を損ねる。同様に言葉も、相手がよく理解するように話さなければ意味をなさない。
 例=話は何事も、まず自分がよく理解してから、他人には話しなさい。会話は(かんちりがんちり)が第一だぞと、親にも先輩にもボクは教わった。殊に子どもには(かんちりがんちり)の話し方を心掛けたい。

 ◇たっくぁい むっくぁい
 *くっつき ひっつき片時も離れないさま。家ではやんちゃの限りをつくす童子でも、いざ外出すると親にくっついている。くっつき虫になる。それは童子ばかりでなく若い恋人同士にも見られる。男女7歳にして席を同じゅうせずと教えられた筆者なぞは、ホの字人を(たっくぁいむっくぁい)した経験がない。そのせいか昨今、街中を、しかも白昼もかえりみず(たっくぁいむっくぁい)をし、歩行を困難にしているさまを見ると‟チェッ!みっともないっ!”と心の中で非難しながら、羨ましがっている。冗談にも古女房が(たっくぁいむっくぁい)の様子を示そうものなら、真剣に離婚を考えるだろう。
 独白=若い女性なら別。

 ◇けれれん ぽろろん
 *絃歌三昧のさま。ケレレンは雅楽や祭りに打つ金鼓の音。ポロロンは大小の鼓の音。それに歌三線が加わっての空騒ぎのさま。大きな祝いごとがある場合、時刻をわすれ、夜中まで(けれれん ぽんぽん)をするさまが、いまでもないことはない。最近は「うるさいっ!安眠妨害だっ」と、怒鳴り込まれたという例もあるが、祝宴の主旨を理解している近所の方は大抵、認め合っている。近所付き合いとして容認しているようだが、程度は知らなければならないだろう。

 待て待て。
 ここまで書いて、こんな駄文を読み受けて、自分の言葉に活かそうという読者がいるだろうかと、いささか不安になってきた。
 しばし筆を置いて、傍らにあった文藝春秋編「教科書でおぼえた名詞」をめくったら、こんな詩に引き込まれた。

 「ゆづり葉」 河井酔茗。
 
 子供たちよ これは譲り葉の木です。
 この譲り葉は 新しい葉が出来ると 
 入り代わつてふるい葉が落ちてしまふのです。

 こんなに厚い葉 こんなに大きな葉でも 新しい葉が出来ると 
 無造作に落ちる 新しい葉にいのちを譲って・・・・。

 子供たちよ。お前たちは何を欲しがらないでも
 凡てのものがお前たちに譲られるのです。
 太陽の廻るかぎり 譲られるものは絶えません。

 輝ける大都会も そっくりお前たちが譲り受けるのです。
 読みきれないほどの書物も 
 みんなお前たちの手に受取るのです。
 幸福なる子供たちよ お前たちの手はまだ小さいけれど・・・・。

 世のお父さんお母さんたちは 何一つ持つてゆかない。 
 みんなお前たちに譲つてゆくために
 いのちあるもの、よいもの、美しいものを 
 一生懸命に造つてゐます。
 
 今お前たちは気が付かないけれど ひとりでにいのちは延びる
 鳥のやうぬうたひ、花のやうに笑つてゐる間に 
 気が付いてきます。

 そしたら子供たちよ もう一度譲り葉の木の下に立って 
 譲り葉を見る時が来るでせう。


 河井酔茗=明治7年(1874)~昭和40年(1965)大阪生まれ。明治末期に口語自由詩を提唱。詩集に「無弦弓」「霧」「花鎮抄」などがある。

 初めて読む1編「ゆずり葉」。分知らずを重々承知しながら「ゆずり葉」になって、沖縄口の幾ひらかを(子どもたち)に譲る役目を担おう。自惚れにすぎるか。