冬の始まりを告げる渡り鳥サシバが、沖縄列島に1日だけ翼を休め、さらに温かい南の国への旅を続ける。その群れの飛来は12月初めまで見ることができる。
「暑いっ!」というぼやきを口にすることは、もうあるまい。けれども、この時候に降るこぬか雨を「鷹ぬシーバイ」と称する。鷹の1種サシバの群れが漏らす小便ということだが、これがなかなかのクセもの。「たかが鷹のショウベン!」と侮って、うかつに濡れると風邪をひきやすい。長い夏で体力が低下しているせいもあって、寝込むと「パンナイ パンナイ」高熱を発する。そのさまが「熱(にち)パンパン」で以外に長引く。(熱)に(パンナイ)を付けると擬態語になろうが「パンナイ パンナイ」だと畳語に類する。
さて、今回も会話を彩り、表現を豊かにする(重ねことば)たちを拾ってみよう。
◇とぅんちゃめー ふぃんちゃめー(ひんちゃめー)。
*そこいらにある有るもの無いものを間に合わせにみつくろって、物事を済ませるさま。物事は前もって準備、仕込みが肝要なことは承知していても、常にそうできるかというと実行できかねる。しかし、周囲のものが何かをやるのに、モノが不足して手を焼いている場合、自分の持ち合わせているモノを「とぅんちゃめー ふぃんちゃめー」して提供する人もいる。
◇うーとーとぅ かーとーとぅ。
*「うーとーとぅ」は(尊し)を語源とし、仏前に合唱するときに発する言葉。それに「かーとーとぅ」が重なると、ちょいとふざけたさまになり、ご利益が希薄になる。もっとも「うーとーとぅ」は、ほとんど心の中で唱えて発生はしないものだが、心のこもった祈りであるかどうかは、そのさまを見れば知れる。ボクなぞは仏前に線香をあげたまではよいが、正座もせず、立ったまま、あぐらをかいたまま、形ばかりの合掌をすることが多々あった。
すると、おふくろは「そんな不作法な‟うーとーとぅ かーとーとぅ”と唱えても先祖神には届かない!やり直しなさい!」と戒められた。つまり「うーとーとぅ」は(尊い)が「かーとーとぅ」が重なると(不遜)になる。この畳語は冷やかしや軽口程度に使い留めていたほうがよろしかろう。
◇さんじゃん くんじゃん。
*物事を手の施しようもないほどにすること。またはそのさま。大和口の畳語「散々」にあたる。せっかくまとまった話に途中から横槍を入れて「さんじゃん くんじゃん」にされた。またはした経験はないか。仲間内にも時に一言居士がいて、纏まった決まり事が「さんじゃん くんじゃん」元も子までもなくなるどころか、仲間内の亀裂の原因にもなりかねない。まあ、そこまで深刻になることもあるまいが・・・・。別な使い方の例。
*期待した晴天の運動会が大雨になり「さんじゃん くんじゃん」になった。
*ゴルフコンペ。パターの調子が悪くスコアは「さんじゃん くんじゃん」だった。
類似語に「かちゃーまーとぅー」がある。
形のあるものに技量もないのに、余計な手を入れて、掻きまわし、原型に戻せなくなること。またはそのさま。得意がることもないが、ボクの得意技のひとつである。現に今、1冊の本を探すために本棚をかき回したのはいいが、元に戻せず、部屋中「かちゃーまーとぅー」「さんじゃん くんじゃん」状態になっている。整理整頓に関する学習能力がまるでない。そんなボクが「畳語」などを拾って書いても、読者の参考になるかどうか、心細くてならない。けれども、くじける気持ちをたしなめてくれるインド、いや、世界中の偉人マハトマ・ガンジーの言葉がある。いわく、
「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。
ガンジー(1869~1948)はイギリスに留学。弁護士の資格を取得して帰国。南アフリカでインド人の差別虐待に抗議し、不殺生を基調とする非暴力主義運動を展開。民族の独立運動の指導者でああることは、ボクなどが、知ったかぶりをするまでもない。
「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。
これはガンジーの1日たりとも心安まることのない民族独立運動、差別廃止、平和運動の信念から発せられた命懸けの言葉であろう。
のうのうと生きているボクが感銘をうけたのは「永遠に生きると思って学びなさい」の金言。雲の上のガンジーの思想を泥の中のボクが引用すること自体、不遜であるが「生きている間は学びなさい」を感じ取ったしだいだが・・・・。
その辺りを学習したつもりで「消えゆく沖縄口・畳語」を拾い続ける指針にして(学ぶ)つもりでいるのである。もちろん、思いあがりは承知の上。笑って許していただきたい。
◇むっちゃい くぁったい。
*べたべた・ねばねばのさま。いささか感覚的な畳語。食べ物なぞ「むっちゃい くぁったい」のもの・さまは敬遠されがちだが、納豆を筆頭に栄養価の高いモノが多い。男と女の中も、他人にどう思われようとも「むっちゃい くぁったい」がいい。別の言い方「たっくぁい むっくぁい」も「むっちゃい くぁったい」の(粘りけ)があればこそで、ボクは両の畳語が好きだ。
もうすぐ申年が行く、切羽詰まってから何の思いもなく「そうそう パーパー」無駄なことをしないよう・・・・と、今年もまた決意している。
「暑いっ!」というぼやきを口にすることは、もうあるまい。けれども、この時候に降るこぬか雨を「鷹ぬシーバイ」と称する。鷹の1種サシバの群れが漏らす小便ということだが、これがなかなかのクセもの。「たかが鷹のショウベン!」と侮って、うかつに濡れると風邪をひきやすい。長い夏で体力が低下しているせいもあって、寝込むと「パンナイ パンナイ」高熱を発する。そのさまが「熱(にち)パンパン」で以外に長引く。(熱)に(パンナイ)を付けると擬態語になろうが「パンナイ パンナイ」だと畳語に類する。
さて、今回も会話を彩り、表現を豊かにする(重ねことば)たちを拾ってみよう。
◇とぅんちゃめー ふぃんちゃめー(ひんちゃめー)。
*そこいらにある有るもの無いものを間に合わせにみつくろって、物事を済ませるさま。物事は前もって準備、仕込みが肝要なことは承知していても、常にそうできるかというと実行できかねる。しかし、周囲のものが何かをやるのに、モノが不足して手を焼いている場合、自分の持ち合わせているモノを「とぅんちゃめー ふぃんちゃめー」して提供する人もいる。
◇うーとーとぅ かーとーとぅ。
*「うーとーとぅ」は(尊し)を語源とし、仏前に合唱するときに発する言葉。それに「かーとーとぅ」が重なると、ちょいとふざけたさまになり、ご利益が希薄になる。もっとも「うーとーとぅ」は、ほとんど心の中で唱えて発生はしないものだが、心のこもった祈りであるかどうかは、そのさまを見れば知れる。ボクなぞは仏前に線香をあげたまではよいが、正座もせず、立ったまま、あぐらをかいたまま、形ばかりの合掌をすることが多々あった。
すると、おふくろは「そんな不作法な‟うーとーとぅ かーとーとぅ”と唱えても先祖神には届かない!やり直しなさい!」と戒められた。つまり「うーとーとぅ」は(尊い)が「かーとーとぅ」が重なると(不遜)になる。この畳語は冷やかしや軽口程度に使い留めていたほうがよろしかろう。
◇さんじゃん くんじゃん。
*物事を手の施しようもないほどにすること。またはそのさま。大和口の畳語「散々」にあたる。せっかくまとまった話に途中から横槍を入れて「さんじゃん くんじゃん」にされた。またはした経験はないか。仲間内にも時に一言居士がいて、纏まった決まり事が「さんじゃん くんじゃん」元も子までもなくなるどころか、仲間内の亀裂の原因にもなりかねない。まあ、そこまで深刻になることもあるまいが・・・・。別な使い方の例。
*期待した晴天の運動会が大雨になり「さんじゃん くんじゃん」になった。
*ゴルフコンペ。パターの調子が悪くスコアは「さんじゃん くんじゃん」だった。
類似語に「かちゃーまーとぅー」がある。
形のあるものに技量もないのに、余計な手を入れて、掻きまわし、原型に戻せなくなること。またはそのさま。得意がることもないが、ボクの得意技のひとつである。現に今、1冊の本を探すために本棚をかき回したのはいいが、元に戻せず、部屋中「かちゃーまーとぅー」「さんじゃん くんじゃん」状態になっている。整理整頓に関する学習能力がまるでない。そんなボクが「畳語」などを拾って書いても、読者の参考になるかどうか、心細くてならない。けれども、くじける気持ちをたしなめてくれるインド、いや、世界中の偉人マハトマ・ガンジーの言葉がある。いわく、
「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。
ガンジー(1869~1948)はイギリスに留学。弁護士の資格を取得して帰国。南アフリカでインド人の差別虐待に抗議し、不殺生を基調とする非暴力主義運動を展開。民族の独立運動の指導者でああることは、ボクなどが、知ったかぶりをするまでもない。
「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。
これはガンジーの1日たりとも心安まることのない民族独立運動、差別廃止、平和運動の信念から発せられた命懸けの言葉であろう。
のうのうと生きているボクが感銘をうけたのは「永遠に生きると思って学びなさい」の金言。雲の上のガンジーの思想を泥の中のボクが引用すること自体、不遜であるが「生きている間は学びなさい」を感じ取ったしだいだが・・・・。
その辺りを学習したつもりで「消えゆく沖縄口・畳語」を拾い続ける指針にして(学ぶ)つもりでいるのである。もちろん、思いあがりは承知の上。笑って許していただきたい。
◇むっちゃい くぁったい。
*べたべた・ねばねばのさま。いささか感覚的な畳語。食べ物なぞ「むっちゃい くぁったい」のもの・さまは敬遠されがちだが、納豆を筆頭に栄養価の高いモノが多い。男と女の中も、他人にどう思われようとも「むっちゃい くぁったい」がいい。別の言い方「たっくぁい むっくぁい」も「むっちゃい くぁったい」の(粘りけ)があればこそで、ボクは両の畳語が好きだ。
もうすぐ申年が行く、切羽詰まってから何の思いもなく「そうそう パーパー」無駄なことをしないよう・・・・と、今年もまた決意している。