“夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 やさしい影 野の小径 水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている水のほとり 石楠花色にたそがれる はるかな尾瀬 遠い空”
作詞江間章子。作曲中田喜直「夏の思い出」の歌詞である。
さて私は(夏が来れば)どんな歌を思い出すのか。
“小さい花はこべの花 おかあさんの花 野原にそっと咲いて いつもボクを見ている花 小さな花はこべの花 おかあさんの花”。
これである。
遠い日の高校生のころ、東京の高校玉川学園から交歓学生でやってきた、今はジャーナリストの森口豁や脚本家(故)金城哲夫ら数名の同期生たちが歌ってくれたのが、60年経ったいまでも心に刷り込まれていて、時折、何の前振りもなく口ずさんでいる自分に気付く。殊に5月になると“はこべの花~”が口をついて出るのは、色とりどりの花が咲き「母の日」があるからかも知れない。けれども、他界して40年にもなるおふくろと重なるのは(はこべの花)ではなく、黄色い(ゆうなの花)と真っ赤なアカバナー(赤花・ハイビスカス)である。常に身近に咲いているからだろう。
母親・おふくろの話になると誰しも目じりが下がり、瞳を輝かせるのは、これまたどうしてだろう。理屈抜きに(いい人)に成り切っている。母親とは誰にとっても、そうした存在なのだろう。そして、母親が口癖のように掛けていたユシグトゥ(寄事・教訓)が、これも誰しも心に刻んでいるのではなかろうか。
3年前、92歳で逝った沖縄芸能史研究家で、私が師と仰いできた崎間麗進先生の御母堂はこうして諭していて、麗進先生はこれを座右の銘としておられた。
「人ねぇーウシェーらってぃん 人ぉウシェーんな」。
直訳すれば「他人に軽んじられても、他人を軽んじてはならない。他人に馬鹿にされても差別されても他人を差別したり、馬鹿にしてはならないということになる。
「那覇のど真ん中(泉崎町)に生まれ育ちながら、貧乏人の子沢山でね。なにしろ沖縄の中心那覇は、貧富の差がひどくてクーシームン(貧乏人)は、とかく差別された。ヒンスウムン!ヒンスウムン!とウェーキンチュ(富貴人・金持ち)の子弟は、口にして差別し、いじめの対象にもされていた。そのことで僕がグレはしなかと気にして(人ねぇーウシェーらってぃん 人ぉウシェーんな。ますます劣等感を増すばかりだ!)と、口癖のように言っていたのではないかと思うよ」。
私のおふくろはどうだったか。
いくつかな言葉が脳裏をはしるが、一番に思い出すのは、「三人からぁ世間=みっちゃいからぁ しきん」。
「人が三人寄れば世間の態を成す」。したがって、世の中に出たら、三人どころか多勢の人と接して生きなければならない。わがままは家では通用するが世間では通らない。協調性を持て!という訳だ。五男四女の中の9番目の私。よほどわがままで協調性に欠けていたのだろう。20歳過ぎても30歳になっても「三人からぁ世間」のひと言を掛けられてきたが、さあ、おふくろの寄言を実行してきたかどうか。ちゃんと悟り切っていない。
親と子はいつの時代でも世界中同じなのだろう。ウクライナには次のような慣用句がある。
「小さな子は頭痛をもたらし、大きい子は心痛をもたらす」。
赤ん坊や幼児を育てるのも大変だが、親の苦労はむしろ、子が大きくなってからの方が大きいという。各国の諺を拾ってみよう。
◇小さい子は母の前掛けを踏みつけ、大きい子は母の心を踏みつける」=ドイツ。
◇小さい子は膝に重く、大きな子は心に重い=エストニア。
◇小さい子は粥を食べ、大きな子は親の心を食う=チェコスロバキア。
◇小さい子は眠らせてくれず、大きくなると母親の方が眠られぬ=ロシア。
◇小さい子は小さな喜び、大きな子は大きな悩み=ロシア。
それでも世界の母は、懸命に子育てをしてきている。
琉歌にいわく。
♪思み童しかち 今どぅ思み知ゆる 昔我身守たる 人ぬ情
〈うみわらび しかち なまどぅ うみしゆる んかしワミ むたる フィトゥぬ なさき〉
「我が愛する子をすかすし、守り育てるようになって、思い知るのは昔、このようにして自分を育ててくれた人(親)の愛情の深さである」と詠んでいる。
どうやら子育ての大変さは、子の立場のころは気付かないが、自分が人の子の親になってつくづく実感し、親の情愛を知ることになるだろう。
「親の意見と茄子の花は 千にひとつの仇はなし」。
親子ばなしをするたびに出てくる教訓の一句だが、これまた誰しも親にならないかぎり、内容を把握していないように思えるが如何なりや!
はてさて。
かくも「いい親」に成り切って蘊蓄を垂れ流している私。一男一女の子たちには、どう評価されているのか。この際聞いてみようか。いやいや、聞くまい。自信がない。答えが・・・怖い。そっと歌って己を慰めよう。
“小さい花はこべの花 おかあさんの花~”
窓の向こうに梅雨を受けて紅の色を増しているアカバナーが、こっちを向いて笑っている。
作詞江間章子。作曲中田喜直「夏の思い出」の歌詞である。
さて私は(夏が来れば)どんな歌を思い出すのか。
“小さい花はこべの花 おかあさんの花 野原にそっと咲いて いつもボクを見ている花 小さな花はこべの花 おかあさんの花”。
これである。
遠い日の高校生のころ、東京の高校玉川学園から交歓学生でやってきた、今はジャーナリストの森口豁や脚本家(故)金城哲夫ら数名の同期生たちが歌ってくれたのが、60年経ったいまでも心に刷り込まれていて、時折、何の前振りもなく口ずさんでいる自分に気付く。殊に5月になると“はこべの花~”が口をついて出るのは、色とりどりの花が咲き「母の日」があるからかも知れない。けれども、他界して40年にもなるおふくろと重なるのは(はこべの花)ではなく、黄色い(ゆうなの花)と真っ赤なアカバナー(赤花・ハイビスカス)である。常に身近に咲いているからだろう。
母親・おふくろの話になると誰しも目じりが下がり、瞳を輝かせるのは、これまたどうしてだろう。理屈抜きに(いい人)に成り切っている。母親とは誰にとっても、そうした存在なのだろう。そして、母親が口癖のように掛けていたユシグトゥ(寄事・教訓)が、これも誰しも心に刻んでいるのではなかろうか。
3年前、92歳で逝った沖縄芸能史研究家で、私が師と仰いできた崎間麗進先生の御母堂はこうして諭していて、麗進先生はこれを座右の銘としておられた。
「人ねぇーウシェーらってぃん 人ぉウシェーんな」。
直訳すれば「他人に軽んじられても、他人を軽んじてはならない。他人に馬鹿にされても差別されても他人を差別したり、馬鹿にしてはならないということになる。
「那覇のど真ん中(泉崎町)に生まれ育ちながら、貧乏人の子沢山でね。なにしろ沖縄の中心那覇は、貧富の差がひどくてクーシームン(貧乏人)は、とかく差別された。ヒンスウムン!ヒンスウムン!とウェーキンチュ(富貴人・金持ち)の子弟は、口にして差別し、いじめの対象にもされていた。そのことで僕がグレはしなかと気にして(人ねぇーウシェーらってぃん 人ぉウシェーんな。ますます劣等感を増すばかりだ!)と、口癖のように言っていたのではないかと思うよ」。
私のおふくろはどうだったか。
いくつかな言葉が脳裏をはしるが、一番に思い出すのは、「三人からぁ世間=みっちゃいからぁ しきん」。
「人が三人寄れば世間の態を成す」。したがって、世の中に出たら、三人どころか多勢の人と接して生きなければならない。わがままは家では通用するが世間では通らない。協調性を持て!という訳だ。五男四女の中の9番目の私。よほどわがままで協調性に欠けていたのだろう。20歳過ぎても30歳になっても「三人からぁ世間」のひと言を掛けられてきたが、さあ、おふくろの寄言を実行してきたかどうか。ちゃんと悟り切っていない。
親と子はいつの時代でも世界中同じなのだろう。ウクライナには次のような慣用句がある。
「小さな子は頭痛をもたらし、大きい子は心痛をもたらす」。
赤ん坊や幼児を育てるのも大変だが、親の苦労はむしろ、子が大きくなってからの方が大きいという。各国の諺を拾ってみよう。
◇小さい子は母の前掛けを踏みつけ、大きい子は母の心を踏みつける」=ドイツ。
◇小さい子は膝に重く、大きな子は心に重い=エストニア。
◇小さい子は粥を食べ、大きな子は親の心を食う=チェコスロバキア。
◇小さい子は眠らせてくれず、大きくなると母親の方が眠られぬ=ロシア。
◇小さい子は小さな喜び、大きな子は大きな悩み=ロシア。
それでも世界の母は、懸命に子育てをしてきている。
琉歌にいわく。
♪思み童しかち 今どぅ思み知ゆる 昔我身守たる 人ぬ情
〈うみわらび しかち なまどぅ うみしゆる んかしワミ むたる フィトゥぬ なさき〉
「我が愛する子をすかすし、守り育てるようになって、思い知るのは昔、このようにして自分を育ててくれた人(親)の愛情の深さである」と詠んでいる。
どうやら子育ての大変さは、子の立場のころは気付かないが、自分が人の子の親になってつくづく実感し、親の情愛を知ることになるだろう。
「親の意見と茄子の花は 千にひとつの仇はなし」。
親子ばなしをするたびに出てくる教訓の一句だが、これまた誰しも親にならないかぎり、内容を把握していないように思えるが如何なりや!
はてさて。
かくも「いい親」に成り切って蘊蓄を垂れ流している私。一男一女の子たちには、どう評価されているのか。この際聞いてみようか。いやいや、聞くまい。自信がない。答えが・・・怖い。そっと歌って己を慰めよう。
“小さい花はこべの花 おかあさんの花~”
窓の向こうに梅雨を受けて紅の色を増しているアカバナーが、こっちを向いて笑っている。