旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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女性解放・海浜に遊ぶ

2015-05-01 00:04:00 | ノンジャンル
 菜の花から生まれたらしい黄色いハーベールーが人家の庭にも舞っている。
 ハーベールーとは蛾をふくむ蝶類の総称だが、一般的にはモンシロチョウやアゲハチョウなどを指しハベル、ハビルとも言い、地方によって呼び名も多々。
 沖縄の春、そして若夏をアギ(陸地)に運んでくる。琉歌に次のような1首を見る。

 ◇ミストゥミティ起きてぃ 庭向かてぃ見りば 綾蝶無蔵が(あの花くぬ花)吸ゆる妬たさ
 *ミストゥミティ=早朝の丁寧語。普通語はフィティミティ。*綾蝶無蔵=アヤハベル=綾模様の蝶。*ンゾ=愛する女性の総称。
 早起きをして戸を開けて庭を見ると、自分の愛する女性を思わせる美しい模様の蝶が咲き誇る色とりどりの花から花へと飛び回っている。彼女の心も蝶のように定まらず、惑いがあるのではなかろうか。この私ひとりに止まってくれたらいいのに・・・。そう思うと蝶に嫉妬を覚える!
 大抵は花を女性、蝶を男性に例えるのが普通。けれども、この詠人はこれを入れ替えている。ややもすると(愛憎)になりかねない主題を(自分の花)にすることによって、目覚めのときの爽やかさを上品に表現している。よほどいい恋をしている花と蝶だったにちがいない。
 アギ(陸地)にその年の新しい命がよみがえる頃、今年は40日ほど前にアーサ(アオサ・岩海苔)が採れ、スヌイ(もずく)が食卓に乗って食欲を促している。そして、島びとは気温の上昇にともない、解放を求めて海浜に行楽する。
 「三月遊び=さんぐぁち あしび」「浜下り=はまうり」がそれだ。
 年中行事のひとつとして華やかに催される「サングァチー」は、旧暦三月三日に賑わう。今年は4月21日だった。
 戦前まではこの日。那覇などでは一斉に稼業の手を空けて、殊に老若を問わない女性たちが、この日のために仕立てた着物をつけ、重箱詰めの馳走を持参して海浜に出、儀式として、まず白砂を丹念に踏み歩き、海水に手足をすすぎ、あるいは潮浴びをして身を浄化、(女性の諸厄)を払った後、白浜に敷いた敷物の上に馳走を並べて飲食。さらに沖縄独特の鼓・チヂンに合わせて歌い、即興舞いをして、春の1日を海浜に遊ぶのである。
 1日で済ます所もあり、那覇の垣花町、若狭町などでは3日間を遊びに興じた。その間、男たちは家事一切を受け持ち女性たちを解放した。

 ◇夫やりば夫ゐ 舅やりば舅ゐ 三月ぬ遊び 我っ達ぁ勝手
 〈WUやりば WUゐ シトゥやりばシトゥゐ サングァチぬ あしび わったぁ かってぃ

 「夫が何さっ!舅が何さっ!三月遊びはアタシたち女の自由の日よっ!思いのままにあそびましょっ!」。
 そう言ってのける若妻もいて、解放の日の歓びを詠んでいる。
 「舅、夫は絶対的存在だったからね。口応えひとつ許されず、ただただ服従するのみ。だからサングァチーだけを楽しみに1年365日を暮したものさ」。
 これは筆者の明治生まれのおふくろが、サングァチミッチャ(旧暦3月3日)が近くなると、懐かしそうにもらしていたことば。
 「でも、女は嫁ぐまでは父親、嫁いでからは夫、舅に従っていたほうが、しあわせなのよ」。
 このことばを付けるのを忘れなかった。もっとも、戦後のデモクラシーを享受した姉たちは、フフンと鼻で笑いながら聞いていたが・・・・。

 浜下りは本来(儀式)である。
 季節の風が北から南にまわり、水が温むようになると、男たちが海に出る作業が頻繁になる。そこで女たちは海浜に出て海の安全、幼児の健全な生育を祈願したのが始まり。それに(みそぎ)の伝説などが後付けされて(遊び)主体になったとされる。
 奄美大島では「この日、浜下りをし潮干狩りを成し、貝類や小魚など海の幸を鍋に入れないとその1年、海のモノを口にすることが叶わない。(どういうわけか)耳が遠くなったりする」なぞという言い伝えもある。
 「浜下り・浜遊びを正当化するための都合ばなしさ」。
 そう一笑にふす向きもあるが、それこそ取ってつけた、うがった見方。素直に浜下りを楽しめばよいのではなかろうか。今風の解釈をつけていては、民間の風俗行事は何ひとつ楽しめない。

 四面海に囲まれた沖縄とは言え、海浜が近くない集落はどうするか。
 宜野湾市我如古(がねこ)集落には独特の(三月遊び)が現存する。旧正月をすませたところから「十人筆者=じゅうにん ふぃっしや」という、いわば「三月遊び実行委員会」が組織され、拝所回りの手順が吟味され、手踊りの稽古等々が始まり、当日の運営一切を女性だけで仕切っている。
 現在は男女問わず自治会長が中心に実施されている。会場もかつてはガニク・ヒラマーチャー(我如古平松)と呼ばれる松の下だったが、いまは公民館で行われている。地謡以外は男性の参加は遠慮しなければならない(決まり)だったが、それもいまでは緩和されて、集落中で「女性解放の日」を祝っている。もちろん、集落の起源であるニーヤ(根家)我如古グスク(城)村ガー(井泉)などを参拝してからの(遊び)である。手踊りの中に「スンサーミー」がある。一名「作たる米=ちくたるめー」という「サンサーミー節」「すーらき節」「今帰仁節」の3節でなされる「ウステーク踊り=臼太鼓」は一見の価値がある。

 かくて野山は百花繚乱。海浜には新しい命の誕生が躍動。太陽はそれらを包み込んで輝き、沖縄は一気に夏へ。