旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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神の授けもの・ハジチ物語

2008-09-18 00:39:14 | ノンジャンル
★連載NO.358

 那覇市歴史博物館は、パレットくもじ4階にある。
 8月15日から10月1日の期間、比嘉清眞写真展「ハジチのある風景」が開催されているが、見応えのある貴重な写真を感動をもって拝観した。

那覇市歴史博物館

 ハジチは、近年まで奄美大島をふくむ南西諸島全域にあった〔入墨〕の風習。女性の人生儀礼風俗で両の手の甲に施す。紋様は時代によって異なるが、針突細工<ハジチジェーク>あるいはハジチャーと称する専業人がいて、指の部位に応じて縫針を3本から20本余を束ね、泡盛で摺った墨を用い、あらかじめ下描きをした紋様を突いて入墨をした。
 1719年、琉球国王尚敬の冊封副使として来琉した中国人徐葆光〈じょほこう〉は、その著書「中山伝言録」に〔15歳までにハジチを完成する。このことで来世の安楽が約束されるという琉球人の永世観念の風習〕といった意味合いのことを記している。しかし、それも時代と共に悪習と見なされ「ハジチ廃止」が詮議されたが実施に至らず、沖縄県誕生後の1899年<明治32年>10月20日、おりからの風俗改良運動と連動して「入墨禁止令」が出されている。ところがこれも建前、昭和初期までハジチ施術はひそかになされていた。
 それを立証するように比嘉清眞氏のカメラにおさまったのは、1971年〈昭和51年〉から1983年〈昭和58年〉にかけて県下各地で撮影したハンシー<老婆>たちのハジチである。9月20日は、写真展会場で比嘉清眞氏のギャラリートークがある。モノクロ写真35枚には、いきいきとしたハンシーたちの顔とハジチが生きていて、いっそう説得力のある講話になるにちがいない。

比嘉清眞写真展より

 ところで、こんなハジチばなしはいかが。

 むかしむかし。
 あるところに村がありました。村人は芋や米、粟を作り家畜を飼い、近くの海で漁をして暮らしていました。決して豊かではありませんが、かと言って衣食住に困るほどではありません。しかし、どうしたことか男たちは皆、働き者なのに女たちは適当に家事をするだけで、1日のほとんどをムラガー<村井戸。共同井戸>に集まり、洗い物は口実でユンタク<おしゃべり>するか、家でフィンニ<昼寝>をして過ごしています。
 「朝寝フィンスー、昼寝ヤンメー」という古諺も説いているように〔朝寝を常とする者は貧乏なり、昼寝をむさぼる者は病をつくる〕道理です。そのありさまを憂慮した天の神さまは、村の女たちを集めて言いました。
 「このままでは、村が滅びてしまう。男たちの働きに甘えて、女のやるべき職分を忘れてはいけない。男も女もそれぞれの職分を果たしてこそ、村の繁栄は望めるのだ。おまえたちに、申し付けることがある」
 神さまは、女たちひとりひとりに松の木の苗を3本づつ渡して言いました。
 「松の苗を見事、成木に育てよ。もし、1本でも枯らそうものならきつい天罰を下すであろう。その代わり、松の木を育ててこの村をミドリ豊かにしたならば、褒美をやろう」
 女たちは皆、恐れ入りました。なにしろ、神さまの申し付けとあっては逆らえません。ユンタクするヒマもフィンニするヒマもありません。村を囲むように松の苗を植え水をやり草を取り、朝に夕に見回って入念に育てることにしました。そうすると女たちは体を動かすこと、つまり〔働くこと〕に喜びを見出したのです。植物はすべて正直です。女たちの丹精に応えて、すくすくと成長しました。何年かして、松の木が村をミドリに囲んだころには、女たちは男たちに劣らない働き者になっていました。村が栄えていったことは言うまでもありません。神さまは再び女たちを集めて言いました。
 「よくぞやった。それでこそ、村のみならず琉球は暮らしよい国になるのだ。約束通りに褒美を授けよう。ひとりひとり両手の甲を差し出しなさい」
 神さまが、女たちの手の甲に施したのは入墨です。それは、この村の女たちが皆、働き者であるという〔証〕の入墨だったのです。
 このことが、たちまち琉球中に聞こえ、嫁入り前の娘たちはすすんで入墨をし、働き者であることを誇りにしました。これが「ハジチ」の始まりということです。
 これは、明治29年生まれのおふくろに聞いた話。おふくろの手の甲にも、形ばかりのハジチがありました。慶応3年生まれの祖母のそれは見事なものでした。
 「だから、ハジチはアシバー<遊び人>が彫っている刺青と同じに考えてはいけない。あくまでも、御神加那志に賜った褒美なのだからね」
 私はいまでも、このおふくろの「針突起源説」を支持している。なんと素直のいい子であることか。
 繁華街には、ギリシャ神話に出てくるような図柄や花模様のタトゥをした若者が闊歩している。彼たち彼女たちは、それなりの誇りや証をもってのタトゥに違いない。刷り消しは自在らしい。「カッコいいっ!」と共感して、私も真似してみようと思うのだが、もう肌が許さないだろう。仮に県魚グルクン<フエダイ科タカサゴ属>を二の腕にあしらったにしても、この歳の肌では活きのいいグルクンの色鮮やかさは出ず、すぐに3日前に塩煮したグルクンになってしまうに違いない。タトゥは若者にまかせて、老体は親からもらった無傷の肉体を死守することにする。

次号は2008年9月25日発刊です!

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