旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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フェンサーの立場・ホートゥーの立場

2008-09-10 20:26:13 | ノンジャンル
★連載NO.357

「ゲリラ豪雨とは、よく言い当てたものだ」
 そう感心してはいられない豪雨が本土各地に被害をもたらしている。降り方が東北と思えば九州、九州に気をとられていると中部地方、近畿そして関東。ミクロの観測可能な気象台の科学力をも振り回し、予想もつかないことから、どこで起きるか分からないゲリラ戦術になぞらえて、マスコミが付けた気象用語が「ゲリラ豪雨」。
 死者が出る豪雨にみまわれた九州、本州各地の方々に対して誠に不謹慎極まりない思いだが「半分でも沖縄に降ってくれたらいいのになぁ」と、私などはついつい口にしてしまう。と言うのも梅雨明けこの方、テレビのお天気情報画面には連日〔太陽マーク〕が並ぶ沖縄地方だからだ。それはもろに水事情に影響。県渇水対策連絡協議会は早々〔節水〕を呼びかけるにいたっている。
 十五夜遊びをはじめ、秋祭りを楽しみにしているものにとっては、連日の太陽マークは歓迎するところ。一方雨が少なく、思うような収穫が期待できない農家は「今からでもいいから、ひと雨ふた雨をもたらす傘マークが見たい」と切望している。人間はなるだけ自分の立場や都合のいいようにものごとを解釈して、納得するようにできているらしい。
 「胴ぬ前んかい スルバンはんちゅん」。古諺である。商い用語だが「人は皆、有利なように、手前に算盤をはじく」としている。しかし、これは商い用語を越えて今でも日常に生きている観念ではなかろうか。そのことで多少〔困る〕人があったにしても、それに気づいたにしても算盤はやはり〔胴ぬ前〕にはじき続けるもののようだ。

 むかしむかし。山を隔てた村に、ふたりの男が住んでいました。ひとりはフェンサー〈猛禽類鷹の1種〉のヒナを飼っていて「丈夫に育てて成鳥になったら大空を飛ばしてやろう」という夢を描いていました。もう一方の男はホートゥー〈鳩〉のヒナを飼い「成鳥になって、村の上空の柔らかい風に乗せて飛ばしたら、きっとこの村にミルクユー〈弥勒世。平和世〉をもたらしてくれるだろう」と、念入りに育てていました。月日が経ち、フェンサーもホートゥもふたりの男の期待通りに成鳥になりました。フェンサーもホートゥもまた、育ての親のもとをわが家として棲み着いています。
 ある晴れた秋の日。山の向こうの男はフェンサーを空に放ち、その飛翔を見て大いに満足していました。また、山のこちらの男もホートゥを空に放ち、羽で心地よく秋風をそよがせている様を飽きずに見入っていました。しかし、偶然にもフェンサーとホートゥは村と村と分かつ山の上空で出会ったのです。すると、フェンサーは、そこは本能というものでしょう。ホートゥを格好のエサとして捕食行動に出ました。ホートゥはホートゥで天敵の攻撃を察知して逃げにかかりました。しかし、両者には飛ぶ速さに差があります。ホートゥはたちまちフェンサーの嘴にかかり、あえなく捕食されてしまいました。

 飼い主の男たちは、その様をそれぞれの立場で目撃していました。フェンサーの男は歓喜の声を上げました。
 「シタイッ!〈したりっ!〉。さすがオレが育てたフェンサーだッ。見事にホートゥをしとめた。愛を込めて育てた甲斐があったッ!」
 しかし、ホートゥの男は悲鳴を上げました。あのきれいな羽を食い千切られて散らしていく様は、なんと悲惨極まりない。
 「せっかく愛を尽くして育てた甲斐もなく、これからというときにフェンサーの餌食になるとは・・・・。なんと哀れなことか」と、嘆き悲しみました。
 男ふたりは、山ひとつ隔てて逢ったことも話したこともありません。それなのにひとりは歓喜し、ひとりは悲嘆にくれたということです。
 この話。沖縄県民が総決起して金武町の国道越えの実弾演習を中止撤去させて「県民の平和運動の勝利」としたものの、実弾演習場は大分県に移設されたに過ぎず、大分県民は不安を囲う結果になった事実と重なりはしないか。

 「因果はめぐる小車の・・・」。芝居のセリフを持ち出すには不真面目過ぎるが、池波正太郎の時代小説「仕掛人・藤枝梅安」の1話にこんなシーンがある。金で人殺しを請け負う仕掛人・鍼医者梅安と楊枝職人彦次郎の家に、近くの寺の生くさ坊主が魚のアンコウを下げてきて早速「鍋」にする。そして、酒を前に三人してそれをつつきながら、およそ次のような会話をする。
 「このアンコウは、小魚を食って大きくなったが結局、鍋になって三人の胃袋におさまる。この三人はどうなるのかね和尚」と梅安。和尚は持った箸のせわしい鍋と口との往復を止めずに言う。
 「同じようなものさ。小魚を食ったアンコウは、こうして人間に食われる。それで命を繋いだ人間は、いずれ死ぬと土に埋められてウジ虫に食われる。自然の摂理というものよナムアミダブツ、南無阿弥陀仏ッ」
 待て。
 なぜこんな話になったのだろう。そうか、ようやく、微かに感じられる秋風が私をセンチにしたのだろう。いや、きっとそうに違いない。



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