旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

夏の夜のお話

2008-09-04 12:31:21 | ノンジャンル
★連載NO.356

 処暑も二百十日も過ぎて、北国からは秋の気配の便りもあるが、沖縄の酷暑はまだまだ続く。
 9月7日は旧暦8月8日「トーカチ」の日に当たる。鹿児島でも盛んに行われると聞く〔米寿・斗搔き祝い〕同様、沖縄では大きな祝事儀式のひとつでもある。親のトーカチ祝いは、借金してでも挙げるとされ、親が80歳を数えたころから子は男女問わず談合を重ねて、祝儀の宴の資金造りを心掛ける。
 しかし今年は暦のいたずらか、祝儀のトーカチと役祓い・魔除けの行事「ヨーカビー」が日を同じくしている。ヨーカビーは「八日火」とも「妖怪火」とも書くが、8月は旧盆の後のせいか人間界のモノではない紛れモノ「マジムン」「タマガイ」の跳梁の月間と信じられてきた。正体は定かではない。それだからマジムンなのだが、とかくタマガイ・フィーダマ〈火の玉。鬼火〉を多く見ることができたそうな。いまは、生きている人間のほうが恐ろしく、彼らも出にくくなっているらしい。

 殊に旧暦8月1日から15日の中間にあたるヨーカ〈8日〉には、各村落で厄祓い・魔除けの行事をした。一般的にはマジムン・タマガイを村落内に入れないよう、村落が見渡せる高台に青年たちが登って監視したり、ホーチャク〈爆竹〉を派手に打ち鳴らしマジムンどもを追っ払った。また、村落の入口では青年たちを中心に法螺貝を吹き、島太鼓をたたき棒術、空手を演じ、獅子を踊らせて悪霊の浸入を許さなかった。タマガイが人家の上に認められた場合は、すぐにユタ〈女の霊能者〉を招いて御祓いをしたが、タマガイが地面すれすれに認められると、その家には近々〔子が授かる〕前兆ともされているから、ヨーカビーは必ずしも不吉事ばかりではないようだ。これらは今風に言う〔納涼行事〕の要素もあったかのように思われる。
 いずれにしても夏の夜には、妖怪・幽霊・マジムンばなしがよく似合う。「恐るさむんぬ 見-ぶさむん=恐ろしいけれども見たいもの」。この恐いもの見たさの心理が妖怪変化を生んだと考えられるが、これらを祓うのにもっとも有効なのは「マース=塩」。これは全国共通の観念だろう。主成分の塩化ナトリウムは、単に調味料だけではなく工業用としても大きな役割を果たしていることは、門外漢の小生の知識の中にもある。では、葬儀の際の浄め塩、水商売の盛り塩には邪気を祓う効力があるか。また、その起こりはどうか。

むかしむかし。
 マース〈食塩〉を袋に詰めて売り歩くことを生業にしている男がいた。
 「海浜近くの村より、山村のほうが商売になるやも知れない」
 そう思い立った男は、ひとつふたつ山を越えた山村にたどり着いた。しかし、人家はポツリポツリと点在するのみ。〔まずい所にきたもんだ。こう人家が少なくて商売になるかな〕と懸念しながらも、決して裕福には見えない、いや、一目で貧しいと分かる茅ぶきの1軒家を訪ねた。戸を開けて中に入ると大きな箱を前にした老婆がひとり坐っている。白髪をなでつけた様子もなく、身に着けている着物も、もう何日も替えてないように思われる。しかも来意を告げても言葉を返すでもない。伏し目がちの表情がなんとも暗い。痩身はほとんど精気を発しない。それでも塩売りの男は商売を忘れず、独り言のように声を掛け続けた。すると、たったいま男に気づいたかのように顔を上げると老婆はポツリと言った。
 「ウチだけで塩を買っても仕方がない。隣家にも声を掛けてやる。待っているがいい。ただし、この箱を開けてはならない。中を見てはいけない。きっとだぞぇ」
 そう蚊の鳴くような声を残して老婆は出て行った。一合でも二合でも塩を売りたい男は言われるままに待つことにしたのだが、決して「見てはいけない」と念押しされると見たくなるのが人情。〔老婆の足ではすぐには戻って来まい〕と勝手に決めた男は、件の大きな箱を開けてみた。そこに見たのは老婆の連れ合いか!生きているとも死んでいるとも定めがたい老爺が横たわっている。白髪は乱れ目はくぼみ、はだけた胸の骨は浮き上がって、ほとんど骨と皮。息をのんだ塩売りの男が箱のフタを閉めようとしたまさにその時、箱の中の老爺がくぼんだ目をカッと開け、ガバッと跳ね起き、かすれた声で言った。
 「見たなぁ~!」
 塩売りの男はギャーと悲鳴をあげると、それでも商売物の塩袋は忘れずに担いで逃げた。ふりかえると件の老爺が生臭い風に乗ったかのようにフワリフワリと追ってくる。男は逃げる!命がけで逃げる!老爺は追ってくる!仰天のあまり担ぎ方が悪かったのか塩袋の結び目がほどけて、塩はこぼれっぱなし。難を逃れるためとはいえ人間、全力疾走にも限度がある。恐怖で息が切れた男は「も、もう、ここまでっ!」とあきらめて目をつぶり、その場にへたり込んでしまった。しかし、追ってきたはずの老爺の気配がない。おそるおそる目を開けて振り返ると、逃げてきた道には塩袋からこぼれた白い塩が散乱しているだけで老爺の姿は煙のように消えていた。そこで塩売りの男は悟ったのである。
 「およそ幽霊、悪霊、妖怪、マジムンの類は塩を恐れるのだ。塩に弱いんだ。塩には浄めの効力があるのだ」
 この話が時と共に沖縄中に聞こえ広がり以来、厄祓い・魔除けには塩を用いるようになったそうな。
 しかし、件の老爺老婆がこの世のものだったかどうか。また、その山中とはどこだったのか。21世紀の今日まで明らかにはされていない。




シバサシ


次号は2008年9月11日発刊です!

上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com