沖縄タイムス紙の投稿欄に「茶のみ話」とタイトルするコーナーがある。
自分に関わる記事を転載するのは、いささか(手前味噌)に過ぎるが、同社編集局の許可を得て紹介することにする。
{楽しみな琉歌百景}*比嘉典子(76)=沖縄市。
令和元年10月20日から上原直彦氏の文、名嘉睦念氏の絵による連載「うたを描く・琉歌百景」が始まった。
『誰が宿がやゆら 月ぬ夜ぬゆしが 弾くや三線ぬ 音ぬしゅらしゃ』。分かりやすい解説で楽しみが、またひとつ増えた。
30年前、旧石川市に伊波一郎さんという方がいらっしゃった。新聞投稿を通じて知り合いになり、文通していた。手紙の中に「僕は三線のチンダミ(調弦)をする時は、声を出して「チャタン、チャタン、チャタン、チャタンクェーヌメー(北谷、北谷、北谷・北谷桑江ぬ前)と歌います」と書かれてあった・「チャメ!」とはおっしゃらなかった。
人間生きていく上では、石橋をたたくまではなくとも、チンダミ(三線の調弦・ここでは助走)は必要である。伊波さんは校長を退職した後、「趣味で三線を作ってあるから家を訪ねていらっしゃい」と話されていたので、友人と石川まで行った。頂いた三線は今も大切に床の間に立てある。その頃から三線に興味が湧き、いつか習いたいと思っていた。
ラジオの番組「民謡で今日拝なびら」には『琉歌百景』のコーナーがあり、時間になるとペンを用意して書き留めている。三線を習って6年目にもなり、琉歌、狂歌も投稿できるようになった。森羅万象皆師。生きてゆく上で無駄な物はひとつもない。
76歳の私は、山学校したのを埋めるべく今、いろいろと学んでいる。毎月の第3日曜日が待ち遠しい。
くどい蛇足になるが『うたを描く・琉歌百景』は、毎月第3日曜日に掲載。琉歌集や巷間、庶民の唇に乗った流行り唄の三八六を小生の琴線にふれたモノを選択して、その味わいを読者と共有したいとの発想から生まれた連載。決して「解説」なぞという代物ではないことを明記しておかなければならない。つまりは、上原流の拙文である。
連載開始と同時に、こうして感想文を頂くとは「こいつぁ春から縁起がいいわぇ!」と、名嘉睦念氏と、密かに乾杯したことだが、浦添市の仲本美津子さん(82)は、小生にとって恐れ多い高名な詩人三木露風の「ふるさとの」を引用して「茶のみ話」に寄稿。たまたま三木露風のこの歌は、承知していて時折り口ずさんでいる一遍。小生の知り人には、それを承知している人はもう皆目と言っていいほどいない。けれども、仲本美津子さんの原稿に「同好の士」を得た思いである。
{琉歌百景}*仲本美津子(82)=浦添市。
『誰が宿がやゆら 月ぬ夜ぬゆしが 弾くや三線ぬ 音ぬしゅらさ』
本紙連載「琉歌百景」の「やさしくなれる時間」を読んだ。上原直彦氏の巧みな解説と名嘉睦念氏の版画に引かれ、何度も声を出して読み、味わった。
月夜は人をやさしくしてくれるという上原氏の文を読み、六十数年前「鳩の浮き巣か」と歌われた小さな島で見た、青の風景と、優しかった島人の姿が思い出された。
間借り先の部屋で、ランプの明かりを消し、板戸を開けた。青く降り注ぐ月明りに、黒く立ち並ぶ福木の影を眺めた。ゆったりと流れ来るひと節の島うたの笛の音に、人恋しく涙した。
「ふるさとの小野の木立に 笛の音のうるむ月夜や 少女子は熱き心にそをば聞き涙流しき 十年へぬ同じ心に君泣くや母となりても」。
三木露風作詞、斎藤佳三作曲の曲である。いまも手元にある1冊の学生歌集の中で出合った歌だ。叙情的な歌詞と8小節の小曲だが、美しく格調高い旋律は、歌い込むほどに郷愁をそそる。
あの頃覚えた歌で、今もひそかに胸の内で温め持っている。妻となり母となり、ばあばとなりても、口ずさめば、あの頃と同じ心に涙する名曲である。
「琉歌百景「」の第2回も、わが身にも覚えのある解説が楽しく、読み返し味わった。版画の美童に見とれながら・・・・。
歌には不思議な力がある。
♪兎追いしかの山~小鮒釣りしかの川~夢はいまも巡りて~忘れがたきるふるさと~
「ふるさと」作詞高野辰之・作曲岡野貞一。兎は追ったことはないが、小鮒(田魚・ターイユ)釣りはよくやった。何かの拍子に「ふるさと」を唇に乗せることがある。それがひとりの場合、決まって目をつぶる。幼い日をともにした「あの顔この顔」が浮かんでくる。通称「村小堀=むら ぐむゐ」と称したお堀が網膜をスクリーンとして「フナ釣り」のシーンがビデオテープのように再生される。それを求めて小生は「琉歌」から離れられないでいるのかもしれない。
自分に関わる記事を転載するのは、いささか(手前味噌)に過ぎるが、同社編集局の許可を得て紹介することにする。
{楽しみな琉歌百景}*比嘉典子(76)=沖縄市。
令和元年10月20日から上原直彦氏の文、名嘉睦念氏の絵による連載「うたを描く・琉歌百景」が始まった。
『誰が宿がやゆら 月ぬ夜ぬゆしが 弾くや三線ぬ 音ぬしゅらしゃ』。分かりやすい解説で楽しみが、またひとつ増えた。
30年前、旧石川市に伊波一郎さんという方がいらっしゃった。新聞投稿を通じて知り合いになり、文通していた。手紙の中に「僕は三線のチンダミ(調弦)をする時は、声を出して「チャタン、チャタン、チャタン、チャタンクェーヌメー(北谷、北谷、北谷・北谷桑江ぬ前)と歌います」と書かれてあった・「チャメ!」とはおっしゃらなかった。
人間生きていく上では、石橋をたたくまではなくとも、チンダミ(三線の調弦・ここでは助走)は必要である。伊波さんは校長を退職した後、「趣味で三線を作ってあるから家を訪ねていらっしゃい」と話されていたので、友人と石川まで行った。頂いた三線は今も大切に床の間に立てある。その頃から三線に興味が湧き、いつか習いたいと思っていた。
ラジオの番組「民謡で今日拝なびら」には『琉歌百景』のコーナーがあり、時間になるとペンを用意して書き留めている。三線を習って6年目にもなり、琉歌、狂歌も投稿できるようになった。森羅万象皆師。生きてゆく上で無駄な物はひとつもない。
76歳の私は、山学校したのを埋めるべく今、いろいろと学んでいる。毎月の第3日曜日が待ち遠しい。
くどい蛇足になるが『うたを描く・琉歌百景』は、毎月第3日曜日に掲載。琉歌集や巷間、庶民の唇に乗った流行り唄の三八六を小生の琴線にふれたモノを選択して、その味わいを読者と共有したいとの発想から生まれた連載。決して「解説」なぞという代物ではないことを明記しておかなければならない。つまりは、上原流の拙文である。
連載開始と同時に、こうして感想文を頂くとは「こいつぁ春から縁起がいいわぇ!」と、名嘉睦念氏と、密かに乾杯したことだが、浦添市の仲本美津子さん(82)は、小生にとって恐れ多い高名な詩人三木露風の「ふるさとの」を引用して「茶のみ話」に寄稿。たまたま三木露風のこの歌は、承知していて時折り口ずさんでいる一遍。小生の知り人には、それを承知している人はもう皆目と言っていいほどいない。けれども、仲本美津子さんの原稿に「同好の士」を得た思いである。
{琉歌百景}*仲本美津子(82)=浦添市。
『誰が宿がやゆら 月ぬ夜ぬゆしが 弾くや三線ぬ 音ぬしゅらさ』
本紙連載「琉歌百景」の「やさしくなれる時間」を読んだ。上原直彦氏の巧みな解説と名嘉睦念氏の版画に引かれ、何度も声を出して読み、味わった。
月夜は人をやさしくしてくれるという上原氏の文を読み、六十数年前「鳩の浮き巣か」と歌われた小さな島で見た、青の風景と、優しかった島人の姿が思い出された。
間借り先の部屋で、ランプの明かりを消し、板戸を開けた。青く降り注ぐ月明りに、黒く立ち並ぶ福木の影を眺めた。ゆったりと流れ来るひと節の島うたの笛の音に、人恋しく涙した。
「ふるさとの小野の木立に 笛の音のうるむ月夜や 少女子は熱き心にそをば聞き涙流しき 十年へぬ同じ心に君泣くや母となりても」。
三木露風作詞、斎藤佳三作曲の曲である。いまも手元にある1冊の学生歌集の中で出合った歌だ。叙情的な歌詞と8小節の小曲だが、美しく格調高い旋律は、歌い込むほどに郷愁をそそる。
あの頃覚えた歌で、今もひそかに胸の内で温め持っている。妻となり母となり、ばあばとなりても、口ずさめば、あの頃と同じ心に涙する名曲である。
「琉歌百景「」の第2回も、わが身にも覚えのある解説が楽しく、読み返し味わった。版画の美童に見とれながら・・・・。
歌には不思議な力がある。
♪兎追いしかの山~小鮒釣りしかの川~夢はいまも巡りて~忘れがたきるふるさと~
「ふるさと」作詞高野辰之・作曲岡野貞一。兎は追ったことはないが、小鮒(田魚・ターイユ)釣りはよくやった。何かの拍子に「ふるさと」を唇に乗せることがある。それがひとりの場合、決まって目をつぶる。幼い日をともにした「あの顔この顔」が浮かんでくる。通称「村小堀=むら ぐむゐ」と称したお堀が網膜をスクリーンとして「フナ釣り」のシーンがビデオテープのように再生される。それを求めて小生は「琉歌」から離れられないでいるのかもしれない。