♪秋や暮りたしが 育てぃたる菊や 残てぃ初冬ぬ 伽になゆさ
<あちや くりたしが すだてぃたる ちくや ぬくてぃ はちふゆぬ とぅじになゆさ>
歌意=秋は暮れたけれども、その前に植え育てた菊は残って咲き誇っている。肌寒い中で何よりの伽(慰め)になっている。
伽(とぅじ)には別に(妻)のことでもあるが、この場合(慰め)にとどめたほうがいい。
手元にAサイズより縦がちょっと短めで濃い緑表紙の「琉歌集」がある。
島袋盛敏著。昭和44年(1969)7月1日、沖縄風土記社発行版。どこでどう手に入れたのか記憶が時間の彼方に薄れてしまっている。無理に思い起こせば昭和34年(1959)10月1日、琉球放送に入社。報道部を経てラジオ制作部兼編成部に配属。郷土番組ディレクターを命じられた折り上司だった外間朝貴氏(故人)が「番組制作の参考に」と、手渡された1冊ではなかったのか・・・・。ちなみに外間朝貴氏は、琉球歴史や伝説、風俗史を題材に「伝説を訪ねて」なる沖縄初のラジオドラマを開拓した方。毎週日曜日午後8時放送の30分番組でボク自身(声優)をやらせてもらっていた。
1ドルが365円当時、初任給36ドルでは専門書なぞ買える実力もなく、会社の資料室、貸本屋、古書店に頼っていたことだが「琉歌集」は定価7弗。自前では購入できなかった1冊が手元にある。紙質がいまひとつのせいか時間のせいか表紙は幾度目かのセロテープの世話になっているし、ページは手垢で赤茶けていて、いまでは丁寧に扱わないと破損しそう・・・・。
目次。
*節組の部。
宮廷音楽の教則本「工工四・上中下巻順」に「かぢゃでぃ風節30首」に始まり、里唄「うみやから節」まで208首を記載。
*吟詠の部。
四季=春67首。夏43首。秋52首。冬28首。
賀正=163首。相聞=464首。哀傷=135首。名所=86首。旅=43首。教訓=10種。願望=28首。風刺=28首。懐古=9首。分句=2首。音楽=3首。酒=9首。天然痘=2首。狂歌=147首。
次いで種類別及び作者牽引が付き625ページに及ぶ。
♪天ぬ御定みや 変わるくとぅ無さみ しぐり雲渡る 冬ぬ始み
<てぃんぬ うさだみぬ かわるくとぅ ねさみ しぐりくむ わたる ふゆぬ はじみ>
歌意=天の定める自然の推移というものは実に不変である。あれほど高く澄みきっていた秋の空にも時雨雲が渡り、冬の始めを告げている。天は偉大なり。
雪の降らない沖縄では、空を渡る雲に四季感を覚えるのである。
島袋盛敏(しまぶくろ せいびん)。
明治23年(1890)12月19日生。昭和45年(1970)1月2日没。教育者。沖縄研究者。
首里久場川の士族の家柄に生まれている。沖縄県師範学校を卒業後、県立図書館嘱託。国頭(北部)中頭(中部)そして那覇などの小学校教師を勤めた。昭和6年(1931)。沖縄学の仲原善忠氏の奨めで上京。成城学園女学校教師を勤める傍ら琉球文学、琉球芸能などを研究。昭和27年(1952)、同校を退職後は研究に専念。「球陽外巻・遺老説伝=1935」「琉球の民謡と舞踊=1956」「琉球大観=1964」「琉球全集=1968」などを著している。特に「琉球大観」は、およそ500年にわたる約2890首を集大成した大著である。
また柳田国男、伊波普猷、比嘉春潮らの勧めと国立国語研究所の委託を受けて、自身の言語である首里方言の辞典編集に取り掛かり、昭和26年(1951)出版の「沖縄語辞典」の基礎となった稿本1万2000語以上を完成している。
実に、実に不遜ながら島袋盛敏師の著書、殊に「琉歌集」を繰り返し読ませて頂いてそのたび多くの言葉、オキナワンスピリッツを感受している。小生にとっては師の著書はバイブル的存在である。
♪初冬ぬ空ぬ 霜とぅ思みなちゃさ 残る白菊ぬ 花ぬ姿
<はちふゆぬ すらぬ しむとぅ うみなちゅさ ぬくる しらじくぬ はなぬ しがた>
*思みなちゅさ=思いきわめた。思ってしまった。見間違えた。
歌意=年内にしては昨夜は寒さを感じた。翌朝、早々に起きて庭を見る。ところどころが白くなっている。やはり霜が降りたのかと思い、よくよく見れば、その白は霜ではなく、秋の名残りの白菊の姿ではないか。
夕闇が夜の闇にかわる頃ともなれば、巷には早ジングルベルが流れ、赤鼻のトナカイになり切った男女が喜色満面で初冬を楽しんでいる。「ボーナスの使途の目途がついたのだな」と、余計な憶測をする自分がいる。かつては己もそうだったのに・・・・。ボクの人生も「初冬」を迎えた。冷たい風が吹き抜ける。
<あちや くりたしが すだてぃたる ちくや ぬくてぃ はちふゆぬ とぅじになゆさ>
歌意=秋は暮れたけれども、その前に植え育てた菊は残って咲き誇っている。肌寒い中で何よりの伽(慰め)になっている。
伽(とぅじ)には別に(妻)のことでもあるが、この場合(慰め)にとどめたほうがいい。
手元にAサイズより縦がちょっと短めで濃い緑表紙の「琉歌集」がある。
島袋盛敏著。昭和44年(1969)7月1日、沖縄風土記社発行版。どこでどう手に入れたのか記憶が時間の彼方に薄れてしまっている。無理に思い起こせば昭和34年(1959)10月1日、琉球放送に入社。報道部を経てラジオ制作部兼編成部に配属。郷土番組ディレクターを命じられた折り上司だった外間朝貴氏(故人)が「番組制作の参考に」と、手渡された1冊ではなかったのか・・・・。ちなみに外間朝貴氏は、琉球歴史や伝説、風俗史を題材に「伝説を訪ねて」なる沖縄初のラジオドラマを開拓した方。毎週日曜日午後8時放送の30分番組でボク自身(声優)をやらせてもらっていた。
1ドルが365円当時、初任給36ドルでは専門書なぞ買える実力もなく、会社の資料室、貸本屋、古書店に頼っていたことだが「琉歌集」は定価7弗。自前では購入できなかった1冊が手元にある。紙質がいまひとつのせいか時間のせいか表紙は幾度目かのセロテープの世話になっているし、ページは手垢で赤茶けていて、いまでは丁寧に扱わないと破損しそう・・・・。
目次。
*節組の部。
宮廷音楽の教則本「工工四・上中下巻順」に「かぢゃでぃ風節30首」に始まり、里唄「うみやから節」まで208首を記載。
*吟詠の部。
四季=春67首。夏43首。秋52首。冬28首。
賀正=163首。相聞=464首。哀傷=135首。名所=86首。旅=43首。教訓=10種。願望=28首。風刺=28首。懐古=9首。分句=2首。音楽=3首。酒=9首。天然痘=2首。狂歌=147首。
次いで種類別及び作者牽引が付き625ページに及ぶ。
♪天ぬ御定みや 変わるくとぅ無さみ しぐり雲渡る 冬ぬ始み
<てぃんぬ うさだみぬ かわるくとぅ ねさみ しぐりくむ わたる ふゆぬ はじみ>
歌意=天の定める自然の推移というものは実に不変である。あれほど高く澄みきっていた秋の空にも時雨雲が渡り、冬の始めを告げている。天は偉大なり。
雪の降らない沖縄では、空を渡る雲に四季感を覚えるのである。
島袋盛敏(しまぶくろ せいびん)。
明治23年(1890)12月19日生。昭和45年(1970)1月2日没。教育者。沖縄研究者。
首里久場川の士族の家柄に生まれている。沖縄県師範学校を卒業後、県立図書館嘱託。国頭(北部)中頭(中部)そして那覇などの小学校教師を勤めた。昭和6年(1931)。沖縄学の仲原善忠氏の奨めで上京。成城学園女学校教師を勤める傍ら琉球文学、琉球芸能などを研究。昭和27年(1952)、同校を退職後は研究に専念。「球陽外巻・遺老説伝=1935」「琉球の民謡と舞踊=1956」「琉球大観=1964」「琉球全集=1968」などを著している。特に「琉球大観」は、およそ500年にわたる約2890首を集大成した大著である。
また柳田国男、伊波普猷、比嘉春潮らの勧めと国立国語研究所の委託を受けて、自身の言語である首里方言の辞典編集に取り掛かり、昭和26年(1951)出版の「沖縄語辞典」の基礎となった稿本1万2000語以上を完成している。
実に、実に不遜ながら島袋盛敏師の著書、殊に「琉歌集」を繰り返し読ませて頂いてそのたび多くの言葉、オキナワンスピリッツを感受している。小生にとっては師の著書はバイブル的存在である。
♪初冬ぬ空ぬ 霜とぅ思みなちゃさ 残る白菊ぬ 花ぬ姿
<はちふゆぬ すらぬ しむとぅ うみなちゅさ ぬくる しらじくぬ はなぬ しがた>
*思みなちゅさ=思いきわめた。思ってしまった。見間違えた。
歌意=年内にしては昨夜は寒さを感じた。翌朝、早々に起きて庭を見る。ところどころが白くなっている。やはり霜が降りたのかと思い、よくよく見れば、その白は霜ではなく、秋の名残りの白菊の姿ではないか。
夕闇が夜の闇にかわる頃ともなれば、巷には早ジングルベルが流れ、赤鼻のトナカイになり切った男女が喜色満面で初冬を楽しんでいる。「ボーナスの使途の目途がついたのだな」と、余計な憶測をする自分がいる。かつては己もそうだったのに・・・・。ボクの人生も「初冬」を迎えた。冷たい風が吹き抜ける。