旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

歌手になる日

2017-12-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「忘年会は来週だそうだね」
 「オレんとこにも世話役のK君からメールが入ったよ。カラオケハウスを予約してあるそうな。キミは何を歌うのかね」
 「そうさなぁ・・・・。いま流行りの歌は到底無理だし結局、懐メロということになるだろうよ」。
 初老の男二人がおでんにフウフウ息を吹きかけ、ビールの冷たさを楽しんでいる。学生時代の古馴染みか、かつて職場を同じくした仲なのか。
 「歌は古馴染みと歌うにかぎる。息子一家、娘婿一家に誘われてカラオケハウスのマイクを握ることがあるが、親父の選曲は古いだのなんだの、受けが悪い上に軽くいなされてしまう。1曲止まりでマイクを彼らにゆずることになる。こちらはもっぱら聞き役だ」。
 「分かるよその気持ち・・・・。そこへいくと古馴染み同士は、時代の流行りを共有しただけに、言葉通り、いまは昔のあの歌この歌が自由に歌える」
 「12月はいいね。普段はあまりやらない懐メロ番組を放映するからテレビの前に坐ることがある」。
 季節も年齢によって捉え方があるものだ。

 ボクはどうだろう。
 先日、テレビの画面に見覚えのある顔が大写しになった。ドラマである。
 「んっ?誰だったっけ?おや!佐川満男ではないか。いい歳になったなぁ・・・。しかしまあ、渋いいい演技だ」。
 なぞと感じ入り、日頃はそう観ないドラマを最後まで観てしまった。そして彼の歌に思いを馳せる。

 ♪遅かったのかい君のことを 好きになるのが遅かったのかい
  ほかの誰かを愛した君は 僕を置いて離れていくの 
  遅かったのかい 悔やんでみても 遅かったのかい 
  君はもういない~
 

 40年ほど前に彼の「今は幸せかい」を聴いた折りは、甘ったるく、そう好きになれず、それでも歌詞とメロディーに惹かされて、それとなく馴染んでいた。その後、彼のことは気にもかけず、彼もまた、歌謡界からその名を消したかのようだった。「引退した」と勝手に思い決めていたことだが、どうしてどうして、歌手は役者に転身して、存在感のある演技をみせている。聞けば大阪を拠点に現役活動をしているという。なるほど、歌をもって真剣に生きてきた者は、例え一時的挫折はあっても、他のジャンルで才能を発揮することができるものだと、ボクとしては大真面目に佐川満男を意識しないわけにはいかなかった。勤め人がピアニストになっても、主婦が社長になっても、何の不思議もないように人間、自分自身さえ見失わなければ、充実した人生を歩めるものだと、佐川満男に教えてもらったような気になった。
 「挫折は失敗ではない。諦めこそが生き方を希薄にするものらしい」なぞと小賢しく、悟り顔をしたしだい。
 
 ♪今は幸せかい君と彼は 甘い口づけは君を酔わせるかい
  星をみつめて一人で泣いた 僕のことは忘れていいよ
  今は幸せかい悔やんでみても 今は幸せかい 君はもういない

 
 件のおでん屋の二人。
 「今度の忘年会には演歌はよして、あちらモノを披露しようか!以外にイケぜオレは!」
 「変身ってわけか。三波春夫がシャンソンを歌うようなものだな」。
 笑ってビールのジョッキを合わせる仕様が微笑ましい。

 ボクのアチラものはどうだ。「テネシーワルツ」を口ずさむ。

 かつては普通に使っていた横文字も、日本が戦争態勢に入ると殊に英語は、敵国語として禁止された時代がある。それは戦後になっても、大人たちの意識に刷り込まれたままだったらしい。けれども若者たちは、自由と平和を標榜する「アメリカ世」をすんなり受け入れ、アメリカへの憧れを膨らませていた。その導入になったのが音楽や映画。「テネシーワルツ」もそのひとつ。
 テネシーの「シー」を「スィー」と発音して、アメリカ文化を手に入れた気になっていた。映画を観ればジョン・デレック、ランドルフ・スコット、そして若いジョン・ウェインなどが2丁拳銃を巧みに扱い、ライフル片手に荒馬を乗りこなし、インディアンをやっつける!。あのスケールの大きさは青少年の夢を膨らませて余りあるものがあった。現実的には、学校の行き帰りに通る歓楽街をAサインバーやキャバレーのジュークボックスの(今から思えば)パティー・ペイジが唄うオリジナルの「テネシーワルツ」や、あちらモノの音楽が聴こえ、時には日暮れを待って、わざわざ聴きに行った少年の日があった。
 そこへ江利チエミの「テネシーワルツ」が1枚加わる。ますますアメリカ西部の開拓地テネシーが身近に感じられた。いまでもアメリカといえば、ワシントンやニューヨークよりもテネシーへ、馬に乗って行きたい。

 ♪去りにし夢 あのテネシーワルツ なつかしい愛の歌 
  面影しのんで今宵も唄う うるわしのテネシーワルツ~

 おでん屋の二人は勘定を払うと残りのビールを飲み干し、フットワークよろしく格子戸を開け、暖簾を押し分けて出て行く。おそらく忘年会のカラオケのレパートリーを増やしにか、あるいは青春を取り戻しにだろう。おでんとビールの温もりを夜風がなでていく。