旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

熊本大地震・不発弾処理

2016-05-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「オスプレイでなければならなかったのかねぇ・・・。被災した方々の救援目的は容易に理解できる。反対は決してしないが・・・。オスプレイというのがねぇ・・・。複雑な心境になる」。
 4月14日夜9時26分。熊本県を襲った大地震。戦争中は、沖縄からの疎開地としてお世話になった熊本。沖縄県民には身近な地であるだけに(心痛)は絶えず、いち早く救援活動を開始、継続している。
 自衛隊の出動は当然として、基地移設問題で揺れる普天間基地に配備されていたオスプレイ2機が出動した。県民は一様に懸念、不安を余儀なくされた。
 このことについて沖縄タイムス紙は、4月19日付の紙面で次のように伝えている。

 {熊本で新垣卓也}
 普天間飛行場に配備されている米海兵隊の輸送機MV22オスプレイ2機が18日午後4時すぎ、熊本地震の被災者支援のため、熊本県内に到着した。水や食料など20トンを搬送。日本の被災支援に初めてオスプレイが参加した。
 17日、4機のオスプレイが演習先のフィリピンから普天間飛行場を経由して米軍岩国基地に到着した。関係者によると2機は整備などの都合で初日は運用しなかった。
 2機は18日午後3時半ごろ、山口県の岩国基地を離陸し、約45分後に熊本県益城町の陸上自衛隊高遊原分屯地に着陸。同県南阿蘇村の白水運動公園に救援物資を運んだ。輸送した物資はペットボトルの水2リットル計1200本や食料(ごはん・パン)、テント80張り、簡易トイレ160個など。
 オスプレイは19日以降も輸送を行う。活躍中は、同県八代市沖に停泊している海自ヘリコプター搭載型護衛艦「ひゅうが」で燃料補給を受ける予定。安倍晋三首相は衆院特別委員会で「高い能力を生かした支援を期待できる」と述べた。
 被災地では、オスプレイの救援物資輸送への歓迎を懸念が交錯した。益城町小山の団地から避難した北島亮さん(32)は「水も食べ物もない中での支援は本当にありがたい」と評価。同町惣領に住む太田文博さん(65)は、「ニュースで事故が多いと聞いた。万が一何か起きたら話にならないし、そもそも他に手段があるのでは」と首を傾げた。

 「ありがたい」「他に手段があるのでは」。
 世界各地で事故を頻発しているオスプレイ。被災地でも基地をかかえる沖縄でも「オスプレイの活躍?」の捉え方は、なんとも言い難い複雑さをもって飛び続けている。
 さらにさらに。日を同じくして4月19日付沖縄タイムス紙には、
 {不発弾処理 国道58号線封鎖 浦添市牧港 5月15日実施}の見出しが目を射る。

 {浦添}浦添市牧港1丁目の解体工事現場内で3月26日に発見された米国製5インチ艦砲弾1発の不発弾処理作業が5月15日午前10時10分から、牧港の国道58同線を一時封鎖して発見現場近くで行われる。避難場所と現地対策本部は、いずれも浦添市消防本部牧港出張所。
 市によると、午前9時に対策本部を設置。同9時5分から避難誘導を開始し、交通規制は同45分から正午までで、最大2時間15分の見通し。
 陸上自衛隊や県警、市などの関係者が不発弾処理対策会議を開き、詳細を確認する。
 同時間帯は対象区域となる国道58号の通行ができない。
 それに伴い、迂回路として牧港交差点から国道330号(浦添バイパス)を通り、城間の国道58号に抜けるルートと牧港南交差点からパイプラインを通り、同国道に抜けるルートを想定している。
 市の担当者は「交通への影響が大きいと予測される。周辺住民の安全を確保しつつ、スムーズな対応を心掛けたい」と話している。

 戦後この方(不発弾処理)なる報道は日常的になされ(またかよっ!)で知るようになり、特別の脅威、驚愕、不安も覚えなくなった。その感覚の方が、むしろ恐ろしい。しかも、今回の不発弾処理をする日が5月15日。終戦から27年に及ぶアメリカ支配から脱却した「日本復帰」した日である。昭和47年(1972)のことだ。あれから44年経った。

 沖縄の地下には、まだまだ予測できない米国製、日本製の不発弾が眠っているとされる。それが何時、どんな状況で目を覚ますか!県民の不安と恐怖は癒される目途はたたない。その筋の話によると、
 「沖縄戦で投下された爆弾の不発弾を完全発掘処理するには、あと100年を要する」という。
 沖縄の日本復帰の道筋をつけたと言われ、政界の‟団十郎”と称された佐藤栄作総理大臣は、昭和40年(1965)8月19日、中村梅吉文部大臣、鈴木善幸厚生大臣、橋本登美三郎官房長官、田中角栄自民党幹事長らを引き連れ、3日間沖縄に滞在した。そして、帰京の際、次のような名言?を残した。
 「沖縄が帰らなければ、日本の戦後は終わらない」。
 
 「アメリカがクシャミをすると日本は風邪をひく」
 そう言った評論家がいた。風邪どころか沖縄は戦争ウィルスに冒されて高熱を出しっぱなし・・・。戦後は未だ終わってはいない。