旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

時を刻む・流行歌その3

2015-12-10 00:10:00 | ノンジャンル
 古い年賀状が出てきた。
 年月日を見ると15年も前のもの。
 「謹賀新年」の筆字の下に、これは黒のサインペンの流れるような女文字。「久しく逢っていませんが、今年はぜひお茶する機会をつくりましょう・真智子」とある。30歳半ば、彼女の夫君と親交を深くし、彼女の家庭料理の御世話にも再三なったことだが、夫君の仕事の都合で東京に移ってからは、無沙汰が続き、季節の便りだけの交友になっていた。気がつけば、ここ4,5年、年賀状もお互い絶えている。今年は夫婦宛に新年の挨拶をしよう。

 ◇「逢いたくて逢いたくて」唄/園まり。
 伴子、亜希子、順子、麗子、ゆきゑ・・・・。
 そんな名前の中にひとり(まり)と名乗る女性がいた。姓は(宮下)といい、父親の仕事の都合で埼玉県からきた人だった。バンカラが売りもののボク。他の女ともだちは「おい!」とか「亜希子!」とか、呼び捨ての声掛けをしていたのだが(その人)だけに(まり)とも(まりちゃん)とも呼べず(宮下さん)とは、さらに呼べなかった。遠いあの頃にしては、ショートカットの黒髪がごく自然に、顔だちをすっきりとさせた色白の人だった。
 あるグループでの出逢いだったのだが、多くを語るでもなく、しかし、口を開くと、しっかりとした発言をしていた。ボクは仲間以上の好意を寄せ、いつか突発的に「好きだよっ!」と言いそうな自分が怖かった。
 そんなある日。何の前触れもなく、その人は「父の転勤で・・・・」と、人伝の言葉を残して、大阪へ行ってしまった。脱力感が全身を覆い、ボクもグループを脱退した・・・。以来、その人の消息をまるで知らない。
 いま、もしラジオかテレビに「あの人に逢いたい!」なぞという番組があったなら、ボクは迷わずその人の名前をあげるだろう。
 ♪愛した人はあなただけ わかっているのに心の糸が結べない 好きなのよ好きなのよ くちづけをして欲しかったの だけど 切なくて涙が出てきちゃう~
 年末の風は、ボクの胸にあの人の白い顔を運んできた・・・・。

 「厄介な!いや、不自由な世の中になったものだ」。
 吸いたいときに煙草が吸えない。公的な場はすべて(禁煙)の文字がにらみを利かせている。ボクの仕事場は11階建ての10階にあり、1服するにも社外に出なければならない。「世のならい」では致し方もなく、エレベーターのお世話になりっぱなしである。それが煩わしくて煙草に、きっぱりと別れを告げた意思強固な御仁も傍にはいるが生来、意思薄弱を通しているボクは、いまだに1日15本から22、3本に愛用のジッポーの火を向けている。
 この拙文を書いているすぐ手にすることのできる個所に煙草とジッポーは、声を掛けられるのを待っている。その煙草の箱の表にはこう書いてある。
 「煙草は、あなたにとって心筋梗塞の危険性が非喫煙に比べて約1.7倍高くなります。(詳細については、厚生省のホームページをご参照ください)とあり、ご親切にアドレスまで記してある。
 また箱の裏には、
 「たばこの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします。喫煙の際には周りの人の迷惑にならないように注意しましょう」とある。
 表の文言は、なるべく読まないようにし、裏の「周りの人の迷惑にならないよう」を採用しているボクなのである。

 ◇「ベッドで煙草をすわないで」唄/沢たまき。カバー=リリー。
 財布やハンカチとともに煙草を持つようになって50余年。わが家は和式造りでベッドがなく「ベッドで煙草をすわないで」と言われたことはない。寝煙草はしていた。けれども、酔いにまかせても枕もとの畳を焦がして以来、寝煙草は自粛している。
 いつだったかの日活映画で、石原裕次郎と北原三枝?か南田洋子かのベッドシーンを見た。裕次郎はシーツから裸の上半身を出して、ニガイものでも呑み、吐き出すように煙草を吸っていた。彼がやると何でも図にはまっている。
 「よし!いつかおれもやってみよう!」
 若いボクはそう決めていたことだが、時だけが虚しく過ぎるばかりで、家でも外でも裕次郎を演じることは実現していない。気持ちは切れてはいないが、もう無理だろう。
 なぜならば昨今は、家でも外でも煙草を吸えば、相手の笑顔をかき消し、眉を曇らせるばかりか、ストレートに「臭い!」という残酷な言葉を投げつけられる・・・・。
 それでも青春の憧れのワンシーンは忘却仕難く、今夜も、
 ♪ベッドで煙草をすわないで~私を好きなら火を消して~甘いシャネルのため息が~今夜もあなたを待っている~
 沢たまき、リリーのハスキーボイスを耳の奥によみがえらせながら窓を開け、今日ラストの煙草にジッポーを合わせて吸い、寝支度をするばかり・・・・。ボクには「裕次郎の夜」は、もう来ない・・・。
 心待ちしていた電話がなった、古馴染みからだ。
 「カラオケでもどうだ」。
 否はない。「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」とはいかないが、時間を逆回ししてわれらの青春歌謡を堪能してくるか!。