旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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海洋王国・マーランが行く!

2015-12-01 00:10:00 | ノンジャンル
 秋の海にマーラン船が走った。
 うるま市教育委員会が復元した沖縄特有の木造物資運搬船・マーラン船(通称山原船=やんばるしん)が、11月3日、与那原町在「与那原マリーナ」に入港した。同船は1日に国頭村安田港を出港、うるま市の平安座南港、同津堅港軽油という約115キロの帆走だった。
 うるま市はマーラン船の操船技術を継承し戦前、沖縄本島海岸の交通の要所となり、物資が運搬されていた様子を再現する「やんばる~与那原間帆走事業」を計画。造船は同市の船大工越来治喜さん(61歳)が手掛けた。風力だけで走るマーラン船の復元は戦後初めてで、操船はB&Gうるま市勝連海岸クラブのメンバー延べ13名が務めた。
 この日の海岸は強風。決して順風満帆とはいかず、津堅島から約2時間の海路だったが、同海岸クラブの親田辰美会長(58歳)は「風が気になったが無事ゴールした。(風頼み)だった先人たちの苦労を実感できた」と日焼けした顔いっぱいの達成感を述べていた。
 また、ゴールを見届けた与那原町古堅国雄町長には、かつてマーラン船で運ばれた薪、山原竹、スヌイ(もずく)などが国頭村やうるま市の関係者から手渡された。

 ♪やんばるぬ山ぬ広さあるくとぅや 与那原ぬタムン 見ちどぅ知ゆる
 〈やんばるぬやまぬ ふぃるさあるくとぅや ゆなばるぬタムン んちどぅしゆる

 と琉歌にあるのは、まさにこれである。
 「国頭村はじめ大宜味、名護など山原地方の山々は余程広いに違いない。毎便毎便、マーラン船が運び、与那原の浜に言葉通り‟山積み”される薪を見れば分かるではないか」。
 行ったことも見たこともない山原地方の山々の広さを大量の薪材から想像した与那原はじめ、南部の人びとの心情がうかがえる1首である。
 昔から海を生活の場として逞しく生きてき、したがって造船技術に長けていた海の民勝連の人たちが(マーラン船復元)を成し遂げた情熱は容易に納得できる。快哉!快哉!

 琉球には古くからさまざまな(船・舟)があり、それぞれの役割を果たしてきた。それらを列記してみよう。
 ◇唐船=とうせん・とうしん。進貢船として中国航路に就いた官船。
 ◇楷船=かいせん・きーしん。薩摩航路の官船。
 ◇飛船=ひせん・びしん。緊急時に唐、薩摩に派遣する特別官船。
 ◇馬艦船=まーらんせん。通称やんばるせん・やんばらー。大型は東南アジア、中国航路の貿易船。小型は琉球国内を結ぶ物資輸送船。
 ◇タタンナー=マーラン船の小型。
 ◇シンニ=丸木舟。内海漁業用。または近距離の離島への渡し船。
 ◇サバニ=近距離漁業用。帆を掛けると中距離も対応できる。

 明治4年(1871)石油発動機船が導入され、離島航路が改善される一方、大正期にかけては鹿児島郵便船会社が沖縄に就航。運輸丸、名護丸、本部丸、盛安丸、大成丸、幸運丸、渡口丸など民間運営の汽船が活躍した。とは言っても離島航路は月に1回、もしくは2回だった。

 話をマーラン船に戻そう。
 マーラン船は近世中期以降、沖縄で最も普及したシナ式ジャンク型の主に物資輸送船。名称「マーラン」は「馬艦」の唐音を転訛したもので、18世紀はじめ中国・福建省伝来の船型。それまでの大和船(地船)に比べて、より大型。また、船足も海上を(馬のように走った)ことから(馬艦)の呼称が付いたという。
 尚敬王代、宮古、八重山航路の御用官船が、この馬艦造りに改定されたことをきっかけに、18世紀には沖縄全域に普及した。
 両先島蔵元政庁(琉球王庁の出先機関)の御用公船として仕立てた12反帆船を例外として、たいていは5~8反帆船。マーランは殊に、沖縄本島北部・通称ヤンバル地方と那覇や与那原などを結ぶ船として活躍したことは前述のとおりである。

 港は文化の入り口である。
 なかでも経済は物資の流通に負うところ大だ。現在は船便に航空便が加わって、那覇空港はハブターミナルが稼働し、中国、アジア諸国を結んで沖縄経済、いや、日本経済の要になっている。
 くだけた話をすれば、港のあるところ色街・歓楽街が出来、景気を活性化させた(マーランの時代)もそうであった。船頭やカコ(水夫)たちも花街の(花)と大いに親しんだ。馴染みの花も出来る。しかし、山原と那覇のこと。季節によっては半年も1年も那覇行きが絶えることがある。そこで、花街の花が彼らの船の入港を待ちわびる琉歌をひとつ。

 ♪名護や山原ぬ行ち果てぃがやゆら なまでぃマーランぬあてぃぬ無らん
 〈なぐやヤンバルぬ いちはてぃがやゆら なまでぃマーランぬあてぃぬねらん

 歌意=名護という所は山原の果ての果てなのだろうか。上客の船頭たちの噂も沙汰も聞こえない。商売あがったりだワ。
 人で賑わう港はいい。軍港はいらない。