梅雨明けと同時に大地を焦がす太陽。
旧暦6月を「真六月=まるくぐぁち」といい、暑さにまだ馴れていない身体には目ークラガン(めまい)するほどの酷暑。
月が替わって旧暦7月。ひと月の間に体は暑さに順応して、いやいや、(暑い!暑い!を連呼しても涼しくなるわけでもないし)と諦めたかして、眉間にシワを寄せながらも(暑い!)とは云わなくなった。しかし、実際には「七夕ティーダ=太陽」と称して、1年のうちでもっとも(暑い!)がしばらく続く。
8月2日は旧暦七夕。そして8月8日は旧暦7月13日で旧盆の入り。先祖霊を迎える「御迎え=ウンケー」9日「中ぬ日=ナカヌヒー=中日」10日は先祖霊を黄泉の国へ御送りする「御送ゐ=ウークヰ」。沖縄人はこの3日間をいかにも先祖が目の前に存在するかのようにもてなし、過ごすのである。
七夕のあり方は他府県とは異なる。
単なる星祭りではない。人びとはその日のうちにそれぞれのお墓に赴き「お墓を清めにきたこと」「旧盆が近いことを告げ、周辺を掃き清める。近代的な墓苑ではなく、代々変わらない郊外の墓所は夏草におおわれ、刈り取るのに汗で全身を濡らすが心は爽やかである。作業が終わると持参した御茶湯(ウチャトー)と花を供えて唱える。
「13日は盆の入り。子、孫揃ってお待ちしています。御取い持ち(うとぅいむち)さってぃ、うたびみそぉーり(おもてなしされていただけますように)」。「あもてなしをします」ではなく「おもてなしをさせていただく・接待をさせていただく」と云うところなぞ、先祖崇拝を信仰とする沖縄人の奥床しい精神文化を感受することができる。また各家庭では普段、取り扱いを禁じられている仏壇・仏具を清めるのも、七夕の大事な作業のひとつ。
星祭りをまったくしないでもない。
中国から本土をへて入ってきた星祭り。王府時代、歴代王は自ら先祖霊を祀る首里円覚寺や那覇泊の崇元寺を参拝したあと、大美御殿(ウーミうどぅん)にお供の者を集めて、おそらく(冷し)と思われるが、素麺をふるまい、宵の星空を眺めたとか。ここでも星祭りよりも先祖供養が優先されている。
星祭りの琉歌もないではない。
◇一年に一夜 天ぬ川渡る 星ぬ如とぅ互げに 契りさびら
〈ふぃとぅとぅしに ちゅゆる あまぬかぁわたる ふしぬぐとぅ たげに ちじり さびら)
歌意=1年に一夜だけ天の川を渡って逢い、愛を確かめ合うというふたつの星のように、わたしもあなたも天の川よりも深い契を結びおこう。
そして盆入り。
御盆(ウブン)という云い方もあったようだが、「シチグァチ=七月」と沖縄本島では呼称している。古くはシューロー(祖霊)ソーロー(精霊)とも云い、先祖神を家庭に招いて、その年の豊作をたまわったことに対する感謝と翌年の豊作祈願をする農耕行事なのである。その年に収穫した農作物を主にお供えする理由はそこにある。それもこれも先祖神の守護があってのこと。祈願したら感謝すのは当然のこと。感謝を忘却すると二度と祈願は叶わない。
余談。
去年の旧盆の祈り、仏壇のお供え物の中にマンゴーやフライドチキンがあるのを見て小学生の孫に問われた。
「ご先祖様の時代にもマンゴーやフライドチキンはあったの?」。
爺は答えた。
「昔はなかっただろうネ。でも、ご先祖様が皆の健康を見守って下さり、よく働いたおかげで、いまはマンゴーもフライドチキンも食することができる。お口に合うかどうか、どうぞお召し上がりくださいと、お供えするわけサ。お線香を上げてそうすすめてごらん。きっと、歓んでお箸をつけて下さるヨ」。
「ふ~ん・・・・」
孫は、にわかには解釈仕難い納得の仕方だった。
古い慣用句に、
「七月、正月すんでぃる 唐ん大和ん歩ちゅる=シチグァチ、ソーグァチすんでぃる トゥんヤマトゥん あっちゅる」がある。
毎年毎年、農業漁業はもちろん、時には渡航の危険を承知の上で、遠い遠い中国や大和に渡り働くのは何のためか。お盆や正月を不足なく成すためである。
それほど沖縄人にとっては正月、殊にお盆は重きを置いた行事なのだ。
この考え方は現在でも濃厚で、県外に住まいをし、働く人、あるいは嫁いだ人も、お盆には万難を排して里帰りをする。先祖敬い、親孝行の観念がそこにはある。一族が勢ぞろいする楽しみのひとつ。
お盆がすむと、今度は旧暦の8月15日を待つ。月見もさることながら各地でそれぞれの豊年祭、村遊び、村踊りがあるからだ。この時期にも帰省者は多い。わざわざ村芝居やエイサーに出演する人も少なくない。こうして猛暑ながらも、人と人が親しく交わる行事があるからこそ、猛暑、酷暑も(なんのそのッ!)心豊かに乗り越えられるのだ沖縄人は。
遅い日没のころ、窓を開けるとエイサーの歌三線や太鼓の音が風に乗って我が家にも届く。半裸の身体に快い。そのエイサーや村踊りのサウンドが遠のくころ、夜はどこからか時折、涼風が肌をなでる。暦も8月7日は「立秋」を告げる。まあまあ、そうせかないで太陽の輝きを楽しみながら、9月8日の旧暦十五夜を待とう。
旧暦6月を「真六月=まるくぐぁち」といい、暑さにまだ馴れていない身体には目ークラガン(めまい)するほどの酷暑。
月が替わって旧暦7月。ひと月の間に体は暑さに順応して、いやいや、(暑い!暑い!を連呼しても涼しくなるわけでもないし)と諦めたかして、眉間にシワを寄せながらも(暑い!)とは云わなくなった。しかし、実際には「七夕ティーダ=太陽」と称して、1年のうちでもっとも(暑い!)がしばらく続く。
8月2日は旧暦七夕。そして8月8日は旧暦7月13日で旧盆の入り。先祖霊を迎える「御迎え=ウンケー」9日「中ぬ日=ナカヌヒー=中日」10日は先祖霊を黄泉の国へ御送りする「御送ゐ=ウークヰ」。沖縄人はこの3日間をいかにも先祖が目の前に存在するかのようにもてなし、過ごすのである。
七夕のあり方は他府県とは異なる。
単なる星祭りではない。人びとはその日のうちにそれぞれのお墓に赴き「お墓を清めにきたこと」「旧盆が近いことを告げ、周辺を掃き清める。近代的な墓苑ではなく、代々変わらない郊外の墓所は夏草におおわれ、刈り取るのに汗で全身を濡らすが心は爽やかである。作業が終わると持参した御茶湯(ウチャトー)と花を供えて唱える。
「13日は盆の入り。子、孫揃ってお待ちしています。御取い持ち(うとぅいむち)さってぃ、うたびみそぉーり(おもてなしされていただけますように)」。「あもてなしをします」ではなく「おもてなしをさせていただく・接待をさせていただく」と云うところなぞ、先祖崇拝を信仰とする沖縄人の奥床しい精神文化を感受することができる。また各家庭では普段、取り扱いを禁じられている仏壇・仏具を清めるのも、七夕の大事な作業のひとつ。
星祭りをまったくしないでもない。
中国から本土をへて入ってきた星祭り。王府時代、歴代王は自ら先祖霊を祀る首里円覚寺や那覇泊の崇元寺を参拝したあと、大美御殿(ウーミうどぅん)にお供の者を集めて、おそらく(冷し)と思われるが、素麺をふるまい、宵の星空を眺めたとか。ここでも星祭りよりも先祖供養が優先されている。
星祭りの琉歌もないではない。
◇一年に一夜 天ぬ川渡る 星ぬ如とぅ互げに 契りさびら
〈ふぃとぅとぅしに ちゅゆる あまぬかぁわたる ふしぬぐとぅ たげに ちじり さびら)
歌意=1年に一夜だけ天の川を渡って逢い、愛を確かめ合うというふたつの星のように、わたしもあなたも天の川よりも深い契を結びおこう。
そして盆入り。
御盆(ウブン)という云い方もあったようだが、「シチグァチ=七月」と沖縄本島では呼称している。古くはシューロー(祖霊)ソーロー(精霊)とも云い、先祖神を家庭に招いて、その年の豊作をたまわったことに対する感謝と翌年の豊作祈願をする農耕行事なのである。その年に収穫した農作物を主にお供えする理由はそこにある。それもこれも先祖神の守護があってのこと。祈願したら感謝すのは当然のこと。感謝を忘却すると二度と祈願は叶わない。
余談。
去年の旧盆の祈り、仏壇のお供え物の中にマンゴーやフライドチキンがあるのを見て小学生の孫に問われた。
「ご先祖様の時代にもマンゴーやフライドチキンはあったの?」。
爺は答えた。
「昔はなかっただろうネ。でも、ご先祖様が皆の健康を見守って下さり、よく働いたおかげで、いまはマンゴーもフライドチキンも食することができる。お口に合うかどうか、どうぞお召し上がりくださいと、お供えするわけサ。お線香を上げてそうすすめてごらん。きっと、歓んでお箸をつけて下さるヨ」。
「ふ~ん・・・・」
孫は、にわかには解釈仕難い納得の仕方だった。
古い慣用句に、
「七月、正月すんでぃる 唐ん大和ん歩ちゅる=シチグァチ、ソーグァチすんでぃる トゥんヤマトゥん あっちゅる」がある。
毎年毎年、農業漁業はもちろん、時には渡航の危険を承知の上で、遠い遠い中国や大和に渡り働くのは何のためか。お盆や正月を不足なく成すためである。
それほど沖縄人にとっては正月、殊にお盆は重きを置いた行事なのだ。
この考え方は現在でも濃厚で、県外に住まいをし、働く人、あるいは嫁いだ人も、お盆には万難を排して里帰りをする。先祖敬い、親孝行の観念がそこにはある。一族が勢ぞろいする楽しみのひとつ。
お盆がすむと、今度は旧暦の8月15日を待つ。月見もさることながら各地でそれぞれの豊年祭、村遊び、村踊りがあるからだ。この時期にも帰省者は多い。わざわざ村芝居やエイサーに出演する人も少なくない。こうして猛暑ながらも、人と人が親しく交わる行事があるからこそ、猛暑、酷暑も(なんのそのッ!)心豊かに乗り越えられるのだ沖縄人は。
遅い日没のころ、窓を開けるとエイサーの歌三線や太鼓の音が風に乗って我が家にも届く。半裸の身体に快い。そのエイサーや村踊りのサウンドが遠のくころ、夜はどこからか時折、涼風が肌をなでる。暦も8月7日は「立秋」を告げる。まあまあ、そうせかないで太陽の輝きを楽しみながら、9月8日の旧暦十五夜を待とう。