旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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沖縄=県令・知事・主席。そして知事 その⑱

2012-03-01 00:00:00 | ノンジャンル
 悲願の日本復帰を果たして1年が過ぎた。27年間のアメリカ世から脱却したものの、県民の生活には依然として〔明と暗〕がつきまとっていた。

 【昭和48年=1973】
 ◇復帰1年・世論調査
 琉球新報社は4月20日から3日間、県下1000人を対象に世論調査を行った。
 調査は主に(1)復帰1年後の実態。(2)現在の不満と将来への希望。(3)沖縄県の振興策。(4)米軍基地と自衛隊について。(5)県政に対する意識と当面する問題への対策などを中心に実施された。回答率は77%。
 その結果『復帰してよかったと実感している』が49.9%。『復帰前がよかった』が36.3%。これはドルと円の通貨価値・物価落差に、生活の不安があったためで、回答者の77.9%が理由にした。『米軍基地』は、完全撤去47.7%。『自衛隊』は42.3%が肯定。その理由の大半は、災害救助に期待してのこと。『屋良政権支持』は、50.6%と前回〈1972年12月〉の69%を下回った。

 【昭和49年=1974】
 ◇コザ市から沖縄市へ
 コザ市は戦前の越来村。人口約7000人の純農村だった。昭和20年4月1日、米軍は沖縄上陸を果たすや、この地にマリン部隊や野戦病院、物資集積所等々を設置。中心地になった字呉屋〈ごや〉を米軍は、どう聞き取ったのか『コザ』と発音。それにならって越来村議会は昭和31年6月13日、意識調査に基づき『コザ村』にすることを決議。しかし、それも束の間。同年7月1日、市制を施行『コザ市』を名乗った。「日本唯一のカタカナの市」は「基地街」の呼称とともに全国に知られた。現在の『沖縄市』に改名したのは、昭和49年4月1日のことである。

 【昭和50年=1975】
 ◇皇太子御夫妻に火炎ビン
 7月17日正午過ぎ。皇太子殿下〈現・今上天皇〉は、沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁に就任なされた機会に、美智子妃殿下を伴い沖縄を訪れた。しかし、県内では歓迎派・反対派が真っ二つ分かれ、民主団体や学生など約4万人を動員してデモ行動に出た反対派と日の丸の小旗を振って沿道を埋めた歓迎派は、警察の厳戒体制のもとで対峙した。こうした騒然たる中、夫妻は「ひめゆりの塔」への車中の人となったが途中、空港から糸満市内にさしかかった午後1時5分ごろ、沿道の建物3階窓から御夫妻乗車の後続車に火炎ビンや石、空きビン、角材が投げられたが一行は無事。犯行に及んだ男二人は、その場で逮捕された。
 さらに午後1時25分ごろ、御夫妻が「ひめゆりの塔」に到着した際、同塔の壕の中から火炎ビンが表路上に投げられた。沖縄戦の犠牲になった188名の沖縄県立師範学校・沖縄県立第一女学校の学徒の冥福を祈られた際の事件。壕に潜んでいた男二人は、なおも爆竹を鳴らして飛び出してきたところを警備員が取り押さえた。男らは「沖縄解放同盟」と書き込んだヘルメットを被っていた。
 【沖縄県知事】
 ※平良幸市〈たいら こういち〉。明治42年~昭和57年=1909~1982=。
 西原村〈現・町〉出身。第2代〈公選〉沖縄県知事
 昭和3年〈1828〉沖縄県立師範学校を卒業後、教職に就いた。戦後は、沖縄民政府文教局入りし、教育復興に尽力。その後、昭和22年〈1947〉に西原村村長選挙に当選して政界入りをした。沖縄群島議会議員、現在の県議会にあたる立法院議員・議長を務めた。そして、昭和51年〈1976〉6月、屋良朝苗前知事の後継者として知事選挙に出馬し当選。自治権の確立、反戦平和の理念を貫き、復帰処理、戦後処理にあたった。しかし、昭和53年7月30日に実施される「交通方法変更問題と予算折衝のため上京中、脳血栓で倒れ、この年11月、任期半ばで辞職。現役時代は、社会大衆党書記長及び委員長の任にあり、沖縄の革新勢力の要だった。昭和57年〈1982〉3月5日没。

 【昭和51年=1976】
 ◇具志堅用高世界チャンピオンに
 10月11日。山梨県甲府市・山梨学院大学体育館で行わWBAジュニアフライ級タイトルマッチで、タイトル保持者・ドミニカ共和国のホワン・グスマンと対戦した沖縄県八重山・石垣市出身具志堅用高〈21歳〉は、7回のゴングが鳴った32秒後、グスマンにノックアウト勝ち。世界チャンピオンの座についた。以来、13回のタイトル防衛を果たし、沖縄の青少年や県民に「やれば出来るっ!」の勇気と希望を与えた。
 しかし、昭和56年〈1981〉3月8日。地元沖縄・具志川体育館でメキシコのペドロ・フローレスとグローブを交えた14回目の防衛戦に敗れて引退した。
 現役時代、キャンプ中の具志堅用高に問うたことがある。
 「リングに上がったときの心境は?」
 彼は語った。
 「怖いっ。逃げ出したいっ。観客にはただのロープにしか見えないあの四角い囲いが、ブロックに高い塀に思える。そこから出るには、相手を倒すしかない。その一心で打ち続けるのですよ」。

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