★連載NO.376
「故与那覇朝大という先輩画家の後を受けて、僕なぞが絵筆を取っていいのかなぁ。プレッシャーかかるなぁ」
画家屋良朝春が、ちょっと腰を引いた。私はすかさず攻めの言葉を掛ける。
「貴方自身が敬愛しつづけてきた朝大氏を継承することを躊躇する気持ちはよくわかるが、17年前に立ち上げたRBCiラジオの一大イベント・「ゆかる日まさる日さんしんの日」だ。いまや年中行事的認知を得ていることは、貴方も承知しているだろう。しかも、貴方と私は終戦直後の石川市城前小学校、石川中学校、石川高校を共にし、卒業後の道はそれぞれに異なったが、今日まで先輩後輩の縁を深くしてきたではないか。先輩である私が提唱した「さんしんの日」。1個とは言え後輩の貴方が深く関わると思うと、想像してみるだけで愉快この上もない。ぜひ力を貸してほしい」
一気にまくしたてる口説きに、屋良朝春は答えた。
「解りました。先輩後輩のロマンの共有ですね。描かせてもらいましょう」
2009年3月4日、読谷村文化センター・鳳ホールを主会場に実施される第17回「ゆかる日まさる日さんしんの日」のポスターは、こうしてでき上がった。
屋良朝春は、沖縄タイムス社芸術選奨絵画部門の審査員を勤める沖縄画壇大現役の画家である。そんな彼に先輩風を吹かして、イベントのポスターを描かせたのだから、私はずいぶんの非常識を押しつけたのかも知れない。いや、絵画に関しては立派な門外漢だからこそできた所業だろう。
青を基調にし、沖縄ならではの海と白波と海岸。向こうには、かならずしも伊江島としなくてもよいが、離島の多い沖縄を象徴して“島”を配している。そして、中央に棹太のがっしりした三線。全体的に明るく〔沖縄の春は、さんしんの音色と共にやってくる〕という主催者側のキャッチフレーズそのままである。
もう20年は経ったろうか。夏の高校野球甲子園大会、8月15日の試合をテレビ観戦しながら思った。
「日本の終戦の日。正午には、いかに白熱している試合も中断して、全戦没者への慰霊の黙祷を1分間捧げる。この60秒の間は全国民、主義主張を越えて平和を祈念し、心をひとつにしている。この一体感をラジオで表現できないか。沖縄県民こぞって、このことを共有することはできないか」
そう考えはじめたとき、目の前にあったのが三線。
「これだっ。21万余丁の三線を保有する沖縄。なぜ、いままでそのことに気づかなかったのか。特定の日を設定して、沖縄中の三線を一斉に弾いてみよう」
体中の血が熱くなるのを覚えた。さっそく、当時のラジオ局長中村一夫<現QAB琉球朝日放送社長>に相談。平成5年3月4日、那覇市の中心地にあるパレットくもじ9階の劇場を主会場にスタートしたことではあった。
2009年3月4日、午前11時45分に放送は開始する。15分間で番組説明とチンダミ<調弦>をする。そして、正午の時報を合図に祝儀歌「かじゃでぃ風=ふう」と「特牛節=くてぃぶし」を大演奏する。これは鳳ホールの舞台に正装で正座した古典音楽団体員50名単位の奏者がリードする。客席はもちろん、ラジオに相呼応して県下各市町村の芸能団体、サークル、職場、家庭、学校現場の子どもたちが、一斉に三線を弾き歌うのである。電波とは実に強力だ。今回は神奈川県川崎、愛知県名古屋、東京、大阪、北海道などに加えてパリ、北京、タイ、ドミニカとの中継もすでに仕込済み。つまりは、沖縄人の行くところ、世界中に三線が同行していると言える。
9時間15分の生放送。各時報毎に「かじゃでぃ風」「特牛節」は、繰り返し演奏されるがその間、民謡団体の合唱、ベテラン、新人の歌者の熱唱。中には「さんしんの日」に合わせて、祖父から歌三線を教わりはじめた5歳児も登場する。
沖縄人にとって三線とは何だろうか。
歌謡の起源は〔民族の魂、祈り〕と位置づけしている私風に言えば、言葉・歌詞、三線の音は命の鼓動であり、沖縄人の血そのものであるとしたい。
第1回から6年、ポスターを描いてもらった親友与那覇朝大は言った。
「三線をよくする者は、歌三線で参加する。ならば絵描きのオレは絵で参加しよう」
実のところ、与那覇朝大も歌三線が好きだった。それどころか、彼の出身地八重山民謡の歌唱力は玄人はだしだった。
与那覇朝大亡き後を受けてポスターを描いた屋良朝春画伯も自風ながら三線を弾く。「さんしんの日」に触発されたかして、数年前から本格的に教習を受け、某民謡団体が毎年行なっている審査会の新人賞部門を受験しているが、いまだ合格の報は聞いていない。
何ごとも継続すれば輪ができる。1月20日時点で東京、大阪、北海道などから入場整理券の予約申し込みがある。「さんしんの日」に知り合って結婚した人もあれば「さんしんの日」に出産したという夫婦の報告もすでにある。
ともあれ、さまざまな人たちの思い入れとともに、三線の音色が南の島を染め、春を告げる日は近い。
次号は2009年1月29日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
「故与那覇朝大という先輩画家の後を受けて、僕なぞが絵筆を取っていいのかなぁ。プレッシャーかかるなぁ」
画家屋良朝春が、ちょっと腰を引いた。私はすかさず攻めの言葉を掛ける。
「貴方自身が敬愛しつづけてきた朝大氏を継承することを躊躇する気持ちはよくわかるが、17年前に立ち上げたRBCiラジオの一大イベント・「ゆかる日まさる日さんしんの日」だ。いまや年中行事的認知を得ていることは、貴方も承知しているだろう。しかも、貴方と私は終戦直後の石川市城前小学校、石川中学校、石川高校を共にし、卒業後の道はそれぞれに異なったが、今日まで先輩後輩の縁を深くしてきたではないか。先輩である私が提唱した「さんしんの日」。1個とは言え後輩の貴方が深く関わると思うと、想像してみるだけで愉快この上もない。ぜひ力を貸してほしい」
一気にまくしたてる口説きに、屋良朝春は答えた。
「解りました。先輩後輩のロマンの共有ですね。描かせてもらいましょう」
2009年3月4日、読谷村文化センター・鳳ホールを主会場に実施される第17回「ゆかる日まさる日さんしんの日」のポスターは、こうしてでき上がった。
屋良朝春は、沖縄タイムス社芸術選奨絵画部門の審査員を勤める沖縄画壇大現役の画家である。そんな彼に先輩風を吹かして、イベントのポスターを描かせたのだから、私はずいぶんの非常識を押しつけたのかも知れない。いや、絵画に関しては立派な門外漢だからこそできた所業だろう。
青を基調にし、沖縄ならではの海と白波と海岸。向こうには、かならずしも伊江島としなくてもよいが、離島の多い沖縄を象徴して“島”を配している。そして、中央に棹太のがっしりした三線。全体的に明るく〔沖縄の春は、さんしんの音色と共にやってくる〕という主催者側のキャッチフレーズそのままである。
もう20年は経ったろうか。夏の高校野球甲子園大会、8月15日の試合をテレビ観戦しながら思った。
「日本の終戦の日。正午には、いかに白熱している試合も中断して、全戦没者への慰霊の黙祷を1分間捧げる。この60秒の間は全国民、主義主張を越えて平和を祈念し、心をひとつにしている。この一体感をラジオで表現できないか。沖縄県民こぞって、このことを共有することはできないか」
そう考えはじめたとき、目の前にあったのが三線。
「これだっ。21万余丁の三線を保有する沖縄。なぜ、いままでそのことに気づかなかったのか。特定の日を設定して、沖縄中の三線を一斉に弾いてみよう」
体中の血が熱くなるのを覚えた。さっそく、当時のラジオ局長中村一夫<現QAB琉球朝日放送社長>に相談。平成5年3月4日、那覇市の中心地にあるパレットくもじ9階の劇場を主会場にスタートしたことではあった。
2009年3月4日、午前11時45分に放送は開始する。15分間で番組説明とチンダミ<調弦>をする。そして、正午の時報を合図に祝儀歌「かじゃでぃ風=ふう」と「特牛節=くてぃぶし」を大演奏する。これは鳳ホールの舞台に正装で正座した古典音楽団体員50名単位の奏者がリードする。客席はもちろん、ラジオに相呼応して県下各市町村の芸能団体、サークル、職場、家庭、学校現場の子どもたちが、一斉に三線を弾き歌うのである。電波とは実に強力だ。今回は神奈川県川崎、愛知県名古屋、東京、大阪、北海道などに加えてパリ、北京、タイ、ドミニカとの中継もすでに仕込済み。つまりは、沖縄人の行くところ、世界中に三線が同行していると言える。
9時間15分の生放送。各時報毎に「かじゃでぃ風」「特牛節」は、繰り返し演奏されるがその間、民謡団体の合唱、ベテラン、新人の歌者の熱唱。中には「さんしんの日」に合わせて、祖父から歌三線を教わりはじめた5歳児も登場する。
沖縄人にとって三線とは何だろうか。
歌謡の起源は〔民族の魂、祈り〕と位置づけしている私風に言えば、言葉・歌詞、三線の音は命の鼓動であり、沖縄人の血そのものであるとしたい。
第1回から6年、ポスターを描いてもらった親友与那覇朝大は言った。
「三線をよくする者は、歌三線で参加する。ならば絵描きのオレは絵で参加しよう」
実のところ、与那覇朝大も歌三線が好きだった。それどころか、彼の出身地八重山民謡の歌唱力は玄人はだしだった。
与那覇朝大亡き後を受けてポスターを描いた屋良朝春画伯も自風ながら三線を弾く。「さんしんの日」に触発されたかして、数年前から本格的に教習を受け、某民謡団体が毎年行なっている審査会の新人賞部門を受験しているが、いまだ合格の報は聞いていない。
何ごとも継続すれば輪ができる。1月20日時点で東京、大阪、北海道などから入場整理券の予約申し込みがある。「さんしんの日」に知り合って結婚した人もあれば「さんしんの日」に出産したという夫婦の報告もすでにある。
ともあれ、さまざまな人たちの思い入れとともに、三線の音色が南の島を染め、春を告げる日は近い。
次号は2009年1月29日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com