★連載NO.373
牛がやってた。
丑は12支の2番目に席を得ている。昔の時刻で〔丑の刻〕は、現在の午前2時及びその前後2時間。くどく書くと、午前1時から3時まで。草木も眠る丑三つ時である。
沖縄口でいまでも使っている言葉に「いっとぅち=ちょっとの意」がある。今日的に言う2,3分の「ちょっと」ではなく「いっとぅち=いっとぅちゃとも言う」は、一時の語源からすると「2時間ほど」をさすわけで、昔と今の時間観念がうかがえて、ゆったりとした時の流れすら覚える。
〔日本列島、そんなに急いでどこへ行く〕
「いっとぅち」「ちょっと」は、2時間ほどでありたいと思うのは、フユー<怠惰>過ぎるだろうか。また、丑の方角は北北東。昔風のカラハーイ<唐針。羅針盤>には、こうした12支を記したものを見かけることがある。
牛に関する言葉を拾ってみよう。
※牛、驚くばかり=牛も驚くほど色が黒いこと。
※牛に喰らわる=人にだまされるのたとえ。
※牛に汗す=【荷車に乗せ牛に引かせると、牛が汗をかくほどの荷物であるということから】蔵書のたいへん多いことをさすことば。
四字熟語にすると「汗牛充棟」と書くそうな。
※牛の一散=【元来、鈍い牛がむやみにはやることから】思慮の浅い者が調子に乗って無分別な行動に走ること。
沖縄口の会話にも「牛」は、よく登場する。例えば、集合時間を予め定めてあるにもかかわらず、遅れてきた者に対して、座主は皮肉を込めて言う。
「牛どぅ乗てぃちー=ずいぶんゆっくりだが、牛に乗って来たのかいッ」
逆に、そうそう急いで行くこともない場合にはこう言う。
「牛乗てぃ行かな=牛に乗ってゆっくり行こうよ」
琉歌の中の牛。
宮廷音楽<古典音楽>の演奏会やそれなりの宴席の冒頭で歌われる曲がある。
順番は①かじゃでぃ風。②恩納節。③長伊平屋節。④中城はんた前節。⑤特牛節と歌い継ぐ。」これを「御前風五節=ぐじんふう いちふし」という。かつて、琉球国の祝賀の宴で国王の御前にて演奏されたことから、この呼称がついている。
この御前風五節の最終曲「特牛節」は文字にも表れているように「牛」が関わる。特牛の方言読みは「くてぃ」。日本の古語では「ことひ。ことゐ」と言い「強大な雄牛」をさし、これに対して大きな雌牛を「うなめ」というと、ものの本にある。
♪大北ぬ特牛やナジチ葉どぅ好ちゅる 我した若者や花どぅ好ちゅる
<うふにしぬクティや ナジチばどぅ しちゅる わしたワカムンや ハナどぅしちゅる>
歌意=大北の巨牛はハイキビを好んで食う。われわれ若者が好きなのは花である。
大北<うふにし>は、沖縄本島中西部に位置する現在の読谷村<よみたんそん>。かつての読谷山間切の古称。ナジチ葉=なじちゃら・なじゅちゅらとも言うが、和名ハイキビ。どこでも生えている生命力旺盛な雑草。アスファルトの裂け目からでも芽を出す。
この場合の「花」は、単にフラワーではなく若者同士、青春精気としたほうが歌は膨らむ。
さらに、花を「弥勒世。平和の世」に置き換えてみてもいいのではないかと思う。
しかし現在は、この歌詞ではなく、
「常磐なる松ぬ変わるくとぅ無さみ 何時ん春来りば色どぅまさる」の歌詞を用いている。この歌詞のほうが祝儀歌としては相応しいとしたのだろう。これに類似する和歌が古今集巻一・春の部にある。
“ときはなるまつのみどりもはるくれば いまひとしほのいろまさりけり”=源宗千朝臣。
読谷村の名所のひとつ残波岬にある歌碑には〔大北ぬ特牛や・・・・〕の古歌が刻まれていて、地元の人たちは「御前風五節」を歌う場合には、この古歌を採用しているのは、すばらしい〔こだわり〕だと言い切りたい。
特牛節の碑(読谷村残波)
ではいま1首、狂歌で締めよう。
♪牛ん蝸牛ぬん角ぬ生てぃ居りば 同むんとぅ思むる人ぬ可笑さ
<ウシんチンナンぬん チヌぬミーてぃうりば ヰヌムンとぅ うむる ふぃとぅぬ うかさ>
歌意=牛も蝸牛<かたるむり>も角が生えている。したがって同種、同格
と思い込む人がいる。なんと可笑しいことか。
総理大臣が陣笠議員に成り下がるのもどうかと思うが、陣笠議員が同じバッジを胸にしているからと言って、総理大臣と同格・・・・<かも知れないが今は>同格ぶって選挙区入りして得意満面になっているさまは、なんとも愛嬌があっていい。
牛歩とは〔牛のようにのろい歩み。物事が遅々として歩まないこと〕と辞書にあるが、それでもいい。「ゆったり。急がず慌てず」と解釈して、今年は牛歩の1年にしようかと思っている。消極的過ぎるだろうか。
「急じゅる中 ようんなぁ=急いでいるときこそ、ゆったりゆっくりと」<古諺>
次号は2009年1月8日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
編集人の都合により、更新が遅れましたことを深くお詫び申し上げます・・・。
牛がやってた。
丑は12支の2番目に席を得ている。昔の時刻で〔丑の刻〕は、現在の午前2時及びその前後2時間。くどく書くと、午前1時から3時まで。草木も眠る丑三つ時である。
沖縄口でいまでも使っている言葉に「いっとぅち=ちょっとの意」がある。今日的に言う2,3分の「ちょっと」ではなく「いっとぅち=いっとぅちゃとも言う」は、一時の語源からすると「2時間ほど」をさすわけで、昔と今の時間観念がうかがえて、ゆったりとした時の流れすら覚える。
〔日本列島、そんなに急いでどこへ行く〕
「いっとぅち」「ちょっと」は、2時間ほどでありたいと思うのは、フユー<怠惰>過ぎるだろうか。また、丑の方角は北北東。昔風のカラハーイ<唐針。羅針盤>には、こうした12支を記したものを見かけることがある。
牛に関する言葉を拾ってみよう。
※牛、驚くばかり=牛も驚くほど色が黒いこと。
※牛に喰らわる=人にだまされるのたとえ。
※牛に汗す=【荷車に乗せ牛に引かせると、牛が汗をかくほどの荷物であるということから】蔵書のたいへん多いことをさすことば。
四字熟語にすると「汗牛充棟」と書くそうな。
※牛の一散=【元来、鈍い牛がむやみにはやることから】思慮の浅い者が調子に乗って無分別な行動に走ること。
沖縄口の会話にも「牛」は、よく登場する。例えば、集合時間を予め定めてあるにもかかわらず、遅れてきた者に対して、座主は皮肉を込めて言う。
「牛どぅ乗てぃちー=ずいぶんゆっくりだが、牛に乗って来たのかいッ」
逆に、そうそう急いで行くこともない場合にはこう言う。
「牛乗てぃ行かな=牛に乗ってゆっくり行こうよ」
琉歌の中の牛。
宮廷音楽<古典音楽>の演奏会やそれなりの宴席の冒頭で歌われる曲がある。
順番は①かじゃでぃ風。②恩納節。③長伊平屋節。④中城はんた前節。⑤特牛節と歌い継ぐ。」これを「御前風五節=ぐじんふう いちふし」という。かつて、琉球国の祝賀の宴で国王の御前にて演奏されたことから、この呼称がついている。
この御前風五節の最終曲「特牛節」は文字にも表れているように「牛」が関わる。特牛の方言読みは「くてぃ」。日本の古語では「ことひ。ことゐ」と言い「強大な雄牛」をさし、これに対して大きな雌牛を「うなめ」というと、ものの本にある。
♪大北ぬ特牛やナジチ葉どぅ好ちゅる 我した若者や花どぅ好ちゅる
<うふにしぬクティや ナジチばどぅ しちゅる わしたワカムンや ハナどぅしちゅる>
歌意=大北の巨牛はハイキビを好んで食う。われわれ若者が好きなのは花である。
大北<うふにし>は、沖縄本島中西部に位置する現在の読谷村<よみたんそん>。かつての読谷山間切の古称。ナジチ葉=なじちゃら・なじゅちゅらとも言うが、和名ハイキビ。どこでも生えている生命力旺盛な雑草。アスファルトの裂け目からでも芽を出す。
この場合の「花」は、単にフラワーではなく若者同士、青春精気としたほうが歌は膨らむ。
さらに、花を「弥勒世。平和の世」に置き換えてみてもいいのではないかと思う。
しかし現在は、この歌詞ではなく、
「常磐なる松ぬ変わるくとぅ無さみ 何時ん春来りば色どぅまさる」の歌詞を用いている。この歌詞のほうが祝儀歌としては相応しいとしたのだろう。これに類似する和歌が古今集巻一・春の部にある。
“ときはなるまつのみどりもはるくれば いまひとしほのいろまさりけり”=源宗千朝臣。
読谷村の名所のひとつ残波岬にある歌碑には〔大北ぬ特牛や・・・・〕の古歌が刻まれていて、地元の人たちは「御前風五節」を歌う場合には、この古歌を採用しているのは、すばらしい〔こだわり〕だと言い切りたい。
特牛節の碑(読谷村残波)
ではいま1首、狂歌で締めよう。
♪牛ん蝸牛ぬん角ぬ生てぃ居りば 同むんとぅ思むる人ぬ可笑さ
<ウシんチンナンぬん チヌぬミーてぃうりば ヰヌムンとぅ うむる ふぃとぅぬ うかさ>
歌意=牛も蝸牛<かたるむり>も角が生えている。したがって同種、同格
と思い込む人がいる。なんと可笑しいことか。
総理大臣が陣笠議員に成り下がるのもどうかと思うが、陣笠議員が同じバッジを胸にしているからと言って、総理大臣と同格・・・・<かも知れないが今は>同格ぶって選挙区入りして得意満面になっているさまは、なんとも愛嬌があっていい。
牛歩とは〔牛のようにのろい歩み。物事が遅々として歩まないこと〕と辞書にあるが、それでもいい。「ゆったり。急がず慌てず」と解釈して、今年は牛歩の1年にしようかと思っている。消極的過ぎるだろうか。
「急じゅる中 ようんなぁ=急いでいるときこそ、ゆったりゆっくりと」<古諺>
次号は2009年1月8日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
編集人の都合により、更新が遅れましたことを深くお詫び申し上げます・・・。