旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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北風のころ・竈廻ゐ

2008-11-06 15:26:47 | ノンジャンル
★連載NO.365

 「明日は、竈廻ゐがあるから今夜は遠慮するよ」
 週に1度集まっている〔ことばの勉強会〕の帰り、もう8年も顔を合わせている松崎伸男は、私の〔どうだ、一杯〕の誘いをそうかわした。
 彼が生まれ育った恩納村安富祖では、旧暦10月に入ると早々に〔竈廻ゐ〕をする。特別の仕込みはないが、その行事の後は公民館に男衆が集まって慰労会という名の酒盛りがあるため、二日続きの酒を慎み、私との一杯よりも集落の面々とのそれを優先したのだろう。というよりも〔お前の酒は長っ尻で深夜に至る。身が持たないッ〕が本音だろう。そこが松崎伸男のやさしいところ。集落の伝統行事にかこつけて、私を傷つけまいとする気配りは、本音を見通しながらも嬉しかった。

 〔竈廻ゐ=かま まーゐ〕
 3月後半から吹き始めた沖縄の南風も、ここへきて徐々に北に変わりつつある。そのため、火の扱いに注意を呼びかける行事が〔竈廻ゐ〕なのだ。火災除けの祈願行事と解していいだろう。

 地域によって「火御願=フィー ウグァン。 ヒー ウグァン」「竈番=カマバン」「火松御願=フィーマチ ウグァン。ヒーマーチウグァン」「火返し=フィーゲーシ」などの呼称がある。様式は地域によって異なるが、一般的には竈廻ゐの当日、集落の御嶽に村の主立った人たちが集まり、諸行事を司る神女<ノロ、祝女。カミンチュ>による火災除け祈願をし、夜がふけてから若者組が拍子木を打ちながら各戸を廻り〔火の用心〕を呼びかける。
 「朝夕、火松=フィーマーチ=思み詰みそうり!朝に夕に火元に気配りあれ!」
 「火松、肝要しみそうり=火の要慎第1になさりませ」
 などと呼ばれる。この唱えも地域によって異なりがある。火と松を併せているのは、かつての火越こしはトゥブシ<ともしびの意>に頼っていて、松材をお箸大に裂いたものを使用していたからだ。竈廻ゐの夜の若者組みの呼ばわりの声を聞いたならば、一家の主婦は合掌して「思み詰みやびら=肝に銘じます」と返事する。
 しかし、昭和30年ごろからは石油~ガス~電化と進み〔竈廻ゐ〕も、ほとんど形式的になったが、火ぬ神<フィヌカン。ヒヌカン>信仰は根強く継承されている。見聞するところでは松崎伸男の住む恩納村安富祖をはじめ、恩納村谷茶、読谷村座喜味、糸満市喜屋武、南城市玉城中山などは、重要な年中行事のひとつとして位置づけしている。オール電化された今日的キッチンにも〔火の用心〕の札が貼られているのを普通に見るが、何の違和感もない。これは沖縄だけだろうか。とかく、それほど火神信仰は深いと言えるだろう。
 沖縄には仏壇が登場したのは後世のことで、それ以前は〔火ぬ神〕が中心。一家の主婦がそれを守っている。火ぬ神を造置するには、神元家とは関係なく主婦の意思で成してよいとされているが、その主婦が早逝した場合は処分されて、たいていは後を継ぐ長女が新しく設けるのが慣例。シム<台所・しも・下>に神棚を作り、陶器の香炉を置いただけの〔火ぬ神〕だが、日常は先祖神以上の存在。簡単には廃れまい。
 北風が吹き始めるころになると「盗人ぉ 持たりーるうっぴどぅ 持っち行ちゅしが 火や 家屋敷、財産、命までぃ持っち行ちゅん」という俗語を聞く。ドロボーは持てる分しか持って行かないが、ホーファイ<火事>は、家屋敷、財産、命までも持っていくとして、火の用心を重視している。


 ところで。
 旧暦10月を俗に「飽ち果てぃ10月=あちはてぃ じゅうぐゎち」という。10月を除く正月から師走までは、統一的な一斉行事があるが、旧暦10月だけは「竈廻ゐ」「種子取ゐ=タントゥイ。タニドゥル。八重山諸島」「祖神祭=ウヤガン。宮古諸島」などはあっても、全県的行事がない。したがって諸行事の際、特別に作られ、火ぬ神や仏壇に供えられる季節料理にありつけない。つまりは、馳走を口にするこれといった行事のない10月の30日間は「飽き飽きする。あきれ果てるほどの月」としたのである。芋が主食だった昔びとにとっては、米飯にありつける諸行事は月々楽しみだったに違いない。それを目標に日々働いたという話には実生活感がある。

 後日。
 松崎伸男は語った。恩納村安富祖の〔竈廻ゐ〕は旧暦10月3日、今年は新暦10月31日、管轄警察署の防災担当官も参加して行われたそうな。公民館前広場で警察犬の実演があり、人が集まったところで火災防止のアピールがなされた後、区長を先頭に1軒1軒火の元を視察。「予定通りの慰労会をした」という。美酒だったろう。
 私も火の用心を肝に銘じておこう。ガスの扱いはおろか台所にも立たないが、なにしろ煙草を好み、寝煙草をするから。

次号は2008年11月13日発刊です!

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