旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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竜・鶏・海鳥・旅。そして、人間

2008-02-14 15:17:33 | ノンジャンル
★連載NO.327

 昔々。
 人も動物も、生きとし・・・生けるものが仲よく生きていたころの大昔。
 天を飛び、海を駆けていた竜が沖縄の島に寄り、陽気に誘われて昼寝をしていました。すると、そこいらを這い回っていたンカジ〈ンーカジ。百足〉が[これは、よい棲み処]と思ったのか、竜の耳に入りました。神通力を有する竜とは言え、これはたまりません。
 「アガーヨーッ!痛いっ。痛いっ」
 自分では、どうすることもできません。そこで竜は、身を人間に変えて医者の所へ行きました。しかし、人間界では1番の識者とされる医者が、竜の変身に気づかないはずはありません。医者は言いました。
 「これ竜よ。人間を欺いてはいけない。ありのままの姿を見せるならば、耳の中のンカジを取り除いてやるがどうだ」
 竜は、医者の言葉に従い本来の姿になりました。医者の治療法はこうでした。
 飼っているナードゥイ〈ヤードゥイ。庭鳥・家鳥・鶏〉を1羽、竜の耳の中に放ちました。虫類が好物の鶏は、あっと言う間に百足をついばんで出てきたのです。ハシットゥ〈安心、平常心。いい気分を表す言葉〉なった竜は、医者と鶏に幾度も幾度も礼を言い、海に出、天に昇っていきました。
 それからというもの竜は鶏を敬い、受けた恩を忘れず、鶏の世界を守護するようになりました。
 やがてこのことは琉球中に知れ渡り、殊に琉球の公船・中国の唐船〈とうしん〉、薩摩への楷船・飛船〈けーしん・びしん〉の高艫には、鶏の絵を描いた旗を揚げるようになりました。鶏の恩を忘却しない竜はそれを見て[航海の安全を守ってくれる]と考えたのです。また、実際にどんな荒れた海も琉球船の鶏旗を見て、竜が静めてくれたということです。
 このように、竜神に対する信仰はいよいよ厚く、いまでも実用している内海用の舟サバニの前部に、大きな2重丸の意匠をほどこしたそれを見ることができますが、これはサバニそのものを竜に見立てたものとされています。




 一方には、航海安全を守護するのは、姉妹神〈WUNAE。WUなゐ〉とする観念もあります。唐や大和への船旅の安全は、姉、妹の生霊が[海路を穏やかならしめる]という信仰があります。船旅に出る兄・弟には、姉・妹が織ったティーサージ〈手布〉を持たせました。いまに、歌い継がれている「白鳥節=しるとぅやー。しらとぅやー」は、このことを歌った名曲です。
 ♪御船ぬ高艫に白鳥が居ちょん 白鳥やあらん御姉妹御霊
 〈うにぬ たかとぅむに しるとぅやが ゐちょん しるとぅやや あらん うみなゐ うしじ〉
 歌意=航海中の船の高艫に、白い海鳥が止まっている。いやいや、これは単なる海鳥ではない。われわれの航海を守護する姉妹神の化身である。合掌。
 このことは、竜神信仰と深くつながっているのです。また、船旅に出る場合、姉妹の頭髪、それも頂部のそれを切り、守り袋に入れて携帯する風習がありました。家族は常に運命共同体とする考え方がうかがえます。
 琉球王府時代には「風旗。かじばた。かじはた」もありました。
 厚さ2㎝・高さ40㎝ほどのフシがついていない板に、船形を彫り込んだもので、公用をもって唐、大和に行く役人の留守宅の屋外に掲げました。役目を遺漏なく勤め[無事なる帰還]を祈願。その場合、風旗は風上に向けるのが決まりでした。風旗は、船出の数日前に作られ、これを先頭にして家族一同が揃い、首里の幾つかの御嶽を巡礼しました。

 昔の船旅は、言うまでもありませんが帆船です。何よりも風が頼みです。
 宮古、八重山、久米島などの離島から、王都首里に上る場合も、家族はもちろん、親戚の婦女子は揃って身を清め、御嶽詣でを成して航海安全を祈願しました。このことを「風願=かじにげぇ。かじにがい」と言いました。四面海に囲まれ、海とともに生きてきた、いかにも沖縄らしい信仰・風習と思うのですがいかがでしょう。

 竜、鶏、海鳥、人間、そして風。
 かつては皆、共存して息づいていたのですが、いまのわれわれは科学万能の中にどっぷりとつかり、自然に対する敬愛をどこかに置き忘れてはいないでしょうか。いや、心のどこかに持ってはいても、古い習わしはむりやり捨てようとしているように思えてなりません。もったいなくはありませんか。

次号は2008年2月21日発刊です!

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