旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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さんしんの日・会話・来年はッ

2007-03-08 10:27:22 | ノンジャンル
★連載 NO.279

 第15回「ゆかる日まさる日さんしんの日」<RBCiラジオ主催>は3月4日、沖縄中をさんしんの音で春色に染めて華やいだ。さんしんの周辺には、いろんな世話ばなしが生まれる。


 琉球放送株式会社ひと筋。39年経理を担当。経理局長・役員を勤めて2月末日をもって定年退職した新嘉喜友功。専門職とは言えその道に徹しての定年であった。そのせいもあってか(さんしん音楽)とは、まったく無縁。ときたま、イッパイ入って歌う歌は、決まって「河内音頭」。専修大学時代に覚えたらしい。7つの差はあるが、つぶしが効かず、制作現場から異動させてもらえなかった私とは、妙に気があって兄弟分を通してきた。
 新嘉喜友功の出社が(今日まで)になった日、私は愛用のさんしんを専用の箱に納めて贈ったが・・・・。3日後彼は、共通の友人にもらしていた。
 「僕は、さんしんの持ち方さえ知らない。上原先輩は、友情を濃くして愛用のさんしんを進呈してくれたのだろうが、持ち帰ってつらつら考えてみた。先輩にとっては、意味合いを持つさんしんも、まったく弾けない僕のもとでは、失礼を承知の無用の長物。先輩の志だけをいただいて、お返しすべきでは・・・」
 深刻に近い口ぶりであったと言う。私は、すぐに新嘉喜友功に電話を入れた。
 「自分が好きなモノは皆、好きなのだと錯覚したようだ。余計な気遣いをさせてすまなかった。遠慮なく返していいよ。その代わり収集品のひとつ、壺屋焼の花瓶と交換しようか」
 定年記念の贈り物を交換するのも妙な話だが、彼に負担をかけまいとする気が多少、はたらいたからだ。
 林不忘の小説「大岡政談」に登場する丹下佐膳の手に入った(乾雲坤竜)ふた振りの妖刀は、夜になると「血が吸いたいッ」と、夜鳴きして丹下佐膳を狂乱させたそうな。人斬り包丁に成り下がった妖刀は、さもありなん。ほんものの名刀は「鞘におさまっているもの」とは、黒沢明映画「椿三十郎」の中のセリフ。妖刀とさんしんを同列にするつもりがあってはならないが、
 「さんしんは、置物ではない。弾いてはじめてさんしん。花瓶と交換しよう」
 新嘉喜友功との会話は、丹下佐膳、椿三十郎まで引き合いにして、ついつい長ばなしになってしまった。しかし、さんしんと花瓶の交換が成立したかといえば、そうではない。彼の判断は、意外な言葉となって返ってきた。
 「先輩。その交換ばなしは1年、待ってくれませんか。15年育った(さんしんの日)は、放送現場にこそ立てなかったが、僕も琉球放送の社員として、深く関わってきたと自負しています。今年は間に合いませんが、1年かけて練習して、16回目には「かじゃでぃ風」を弾き、歌えるように努力してみます。願望が叶かどうか、やってみなければ公約できませんが、ともかく1年だけ、このさんしんを預からしていただきたい」
 私にとっては、感動的なコメントだった。もちろん、新嘉喜友功の決意を尊重・優先。さんしんは花瓶に代わることなく、彼の家に住むことになった。つぎに私がやることは、さんしんの教則本「工工四」を彼に届けることである。さんしん仲間がひとり増えたことが、何よりうれしい。

 一方。
 「さんしんの日」の立ち上げからの同僚である真栄城忠之<現・RBCビジョン社長>は(オキナワンスピリッツ・サンシン)なるキャッチコピーを生み出し、
 「第1回目は間に合わないが、来年までにはさんしんをモノにして合奏に加わりたい」
 と、興奮気味に決意していた人物。しかし、(来年)という言葉が好きなのか今年、遂に14回目の(来年はッ)を聞いてしまった。
 待て。
 真栄城忠之の名誉のために一言、書き添えたい。彼は現役の社長。琉球放送入社当時から、仕事の鬼として知られている。弾きたくとも、さんしんを手にする時間がないのである。私としては、真栄城忠之の(来年はッ)を何年でも待ちつづける。

♪置ちょおてぃん鳴ゆみ 提ぎとぉてぃん鳴ゆみ 里が抱ち弾ちどぅ 我胴や鳴ゆる
 <うちょおてぃんなゆみ さぎとぉてぃんなゆみ さとぅがだちふぃちどぅ わどぅやなゆる>
 さんしんは訴える。
 「私、さんしんは、あなたがふれもせず置いたままでは鳴りません。壁に飾りもの同様に、提げて眺めてもなりません。あなたが両手でやさしく抱き寄せて弾いてくださってこそ、いい音を出せるのです。鳴るのです


次号は2007年3月15日発刊です!

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