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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「在日米軍基地」を読む

2024-01-31 | g 読書日記

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『在日米軍基地 米軍と国連軍、「2つの顔」の80年史』川名晋史(中公新書2024年)を読んだ。

日本に米軍基地はいくつある? 

嘉手納、普天間、佐世保、横田、座間、横須賀、横田、あと三沢か・・・。直ちに浮かぶ基地名はこんなところ。呉、岩国、厚木、朝霞もそうかなと、もう少し浮かぶ。

本書の「はじめに」には**防衛省のデータによると、2021年時点で日本には130の基地がある。**(ⅱ頁)とある。

なに? 130?

米軍基地について無関心な私でも国連軍の存在は知っていた。だが、カバー折り返しの**世界で最も多くの米軍基地を抱え、米兵が駐留する日本。米軍のみならず、終戦後一貫して友軍の「国連軍」も駐留する。**という本書紹介文を読んで驚いた。そうなのか・・・。在日米軍や米軍基地のことはメディアで報じられることがあるが、在日国連軍のことはどうだろう、新聞でも目にしたことがない。

折り返しの紹介文の後半は**本書は新発見の史料をふまえ、占領期から朝鮮戦争、安保改定、沖縄返還、冷戦終結、現代の普天間移設問題まで、基地と日米関係の軌跡を追う(後略)**と続いている。そして**「日本は基地を提供し、米国は防衛する」という通説を覆し、特異な実態を解明。戦後史を描き直す。**と結ばれている。これはもう読むしかない。

先日書店の新刊本のコーナーでこの新書を手にして、上の紹介文を読んで、買い求めた。米軍基地の歴史的経緯について何も知らないというのはまずいだろうと。

本書の章立ては次の通り。これで内容の凡その見当がつくかもしれない。

第1章 占領と基地 ― 忘れられた英連邦軍
第2章 朝鮮戦争 ― 日米安保と国連軍地位協定
第3章 安保改定と国連軍
第4章 基地問題の転回と「日本防衛」
第5章 在日国連軍の解体危機 
第6章 普天間と辺野古 ― 二つの仮説
第7章 凖多国間同盟の胎動
終 章 二つの顔

第6章 普天間と辺野古 は基地問題の「今」。本書に現行の辺野古基地建設計画を示す図が掲載されている(199頁)。また既に1965年以降、米海軍で現行計画とよく似た計画が立案されていた、とのことで、マスタープラン1966 全体図も掲載されている(203頁)。

なぜ「最低でも県外」は実現できなかったのか。**本書の分析と仮説にしたがうならば、鳩山政権下で生じた普天間移設、とりわけ国外移設政策が頓挫した原因は、根本的には普天間が国連軍基地の地位にあることである。そして、普天間の移設先は1965年以降の経緯からしても、米国にとっては辺野古以外にありえない。普天間の移設を実現するための必須の条件は、国連軍基地としての普天間の機能を維持することにある。**(231,2頁)

知らないことばかり・・・。もう少し基地の問題に、いや、基地のことだけでなく、国際情勢にも関心を持たなければ。

巻末に掲載されている参考文献(英語文献を含む)は細かな活字で8頁、注記は20頁にも及ぶ。本文は実に緻密な記述だ。


※ 引用文中、下線引きは私がしました。

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「白光」を読む

2024-01-28 | g 読書日記

■ 正月に朝井まかてさんの『グッドバイ』(朝日文庫)を読んだ。主人公の大浦 慶は実在した女性(1828年~1884年)で、あの時代(そう、江戸から明治にかけて)にこれほど積極的にビジネスを展開した女性がいたのかと、驚いた。

360

図書館本で読んだ『白光』(文藝春秋 2021年 *1)も朝井まかてさんの作品。主人公の山下りん(1857年~1939年)はこの国初の聖像画師(イコン画家)。山下りんの生涯を表現力に優れた朝井さんが描き切る。

大浦 慶も山下りんも全く知らない女性(まあ、日本史の教科書に出てくるような人物ですら満足に知らないのだから当然ではあるが)だった。文芸評論家の斎藤美奈子さんは朝井まかてさんの作品について**歴史のド真ん中から少し脇にそれたところにいる人物に光を当てる。それが朝井まかて流評伝小説の共通点かもしれません。**と『グッドバイ』の解説(425頁)で指摘している。

なるほど、『眩(くらら)』の主人公は葛飾北斎の娘の葛飾応為が主人公だし(過去ログ)、直木賞受賞作の『恋歌(れんか)』の主人公は樋口一葉の和歌の師、中島歌子だ(過去ログ)。

さて、『白光』。

数か所の引用でこの長編小説の案内をするなどということは出来っこないことは承知しているが・・・。

**オリガ姉も聖母子像を見つめ、細い息を吐く。
「ロシアの聖像画が世俗的な芸術に翻弄されてしまう前の、崇高なる画です。(後略)」
混乱した。
「世俗的な芸術に翻弄された。ロシアの聖像画が?」
「さようです。聖書の物語を題材にしていても、それが聖なる画だとは限りません。ルネサンスの伊太利画を無闇に追うと信仰から遠ざかります。ルネサンスは人間性を謳歌する芸術至上主義。大変に魅力的です。でもわたくしは信仰者として懐疑します。聖像画は芸術であってはなりません」**(344,5頁)

来日していたロシアの伯爵令嬢・オリガの言葉は信仰のための宗教画ではなく芸術としての絵を描きたいと願っていた山下りんの葛藤、苦悩の理由(わけ)を示している。

時は明治。ロシア正教宣教師ニコライの洗礼を受けた山下りんは帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクに留学する。だが、**「三人きょうだい、皆、器用。そして頑固で強情っぱり」**(355頁)と弟が言うような性格のこともあり、また上掲のような理由から、りんは留学先でまわりの人たちと和すことができない。

失意の帰国・・・。

**「わたくしもロシアにいる時、躰に変調を来したゆえわかるのです。簡単にわかるなどと申せばおこがましいでしょうが、僭越を承知で申し上げます。わたくしは修道院で指導の修道女らと反目しました。仲間にも見放されました。ですから主教様とはまるで違うのです。わたくしの場合、わたくしが我儘、愚かでありました。(後略)」**(406頁)

その後、りんは次第に宗教画を描くことの意味、意義を理解し、イコンを次々描いていく・・・。

幼いとき父親を亡くし、貧しい生活をしていたりんは絵師になりたいと家出。晩年、白内障を患って筆を置き、生まれ故郷の笠間に戻る。りんはその地で他人とはほとんど交わることなく静かに暮らした。

終章最後の2ページの文章は崇高に感じた。

*****

巻末には主要参考文献、参考論文が4頁半にも亘って約70編も掲載されている。『白光』は小説という形式を採った山下りんに関する論文だ。


*1 この小説は3月に文春文庫になるようだが、それまで待てなかった。紹介していただいたブログ友だちに感謝したい。

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「生き物の「居場所」はどう決まるか」を読む

2024-01-26 | g 読書日記

360
『生き物の「居場所」はどう決まるか』大崎直太(中公新書2024年)

 中公新書の1月の新刊『生き物の「居場所」はどう決まるか』『在日米軍基地』『カーストとは何か』『日本の経済政策』の4冊の内、前の2冊を買い求めた。先に『生き物の「居場所」はどう決まるか』を読んだ。

『生き物の「居場所」はどう決まるか』のサブタイトル「攻める、逃げる、生き残るためのすごい知恵」の攻めるのも逃げるのも生き残るための行動だ。植物VS植物、動物VS動物、それから植物VS動物。観察、研究によって明かされる生き残るための攻防。本書には生き物たちの巧妙な生き方に関する古今の様々な研究が紹介されているが、単なる研究史ではない。

本書には次のようなことを示す図表がいくつも掲載されていて、それらは記述内容の理解に有効だ。大陸からの距離と島の面積と鳥の種数の関係、ワラビを食べる植食性昆虫の食べる部位と食べ方の関係、熱帯雨林における中規模攪乱仮説、4つの異なる段階で起こると考えられる繁殖干渉、ギフチョウとヒメギフチョウの分布境界、等々。

本書の内容を自分のことばで紹介できれば良いのだが、多岐にわたる内容を簡潔に要約してまとめるほど理解が深まってはいないので(と言い訳をして)、カバー折り返しに記されている本書紹介文から引用したい。**生き物の居場所=ニッチは、なぜそこに決まっているのか。これまでに餌や配偶者の存在などの理由が考えられてきたが、実は天敵の不在こそが何よりも重要なのだ。生き物たちの巧妙な生き方から、天敵不在と繁殖干渉という、生態学の核心的概念を紹介する。** 天敵不在も繁殖干渉もなんとなく意味内容が浮かびはする。それぞれ一章を割いて、具体的な事例を挙げて説いている。

へ~ そうなのか・・・、知らない世界のことを少しだけでも知ることは実に楽しい。そのための読書はこれからも続けていきたい。


 

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龍頭と撞座の位置関係

2024-01-24 | g 火の見櫓考〇



で示した半鐘の撞座は反対側にもある。二つの撞座を結ぶ軸線と龍頭の長軸線の向きが一致している(黄色の線の向き)。こんなことは今まで気にもしなかったが、梵鐘について調べていて、ウキペディアでこのことを知った。

梵鐘は古代中国にルーツがあって、日本には6世紀後半に入って来たとのこと。で、その頃は前述の2本の線が直交していたそうだ。写真で言えば撞座が右側の縦帯のところにあったということ。それが平安後期以降に、写真のような位置関係になったそうだ。

なぜ、位置関係を変えたんだろう。位置関係が違うと何が変わるんだろう・・・。

上の写真のように二つの軸線が一致していると鐘を叩いた時に直交している時より揺れやすい、ということが直感的に分かる。揺れやすいということは龍頭(つり手)がスムーズに動くということだ。負荷(無理な力)がかかりにくいとも換言できる。軸線直交の場合と軸線一致の場合とでどの位の差があるのかは分からない。それ程違わないのかもしれないが、龍頭にかかる負荷を少しでも低減させようという意図で、位置関係を変えたのかな・・・。

それから揺れ方が違うと叩き易さ(撞き易さ)が違うのかもしれない。もし揺れが大きい方が叩き易い(撞き易い)のであれば、位置を変えた理由になるかもしれないがどうだろう。

このような推論しか、私にはできないが全く別の理由があるのかもしれない。どこか鐘を鋳造している工場に出向いて取材してみようかな。そうすれば何かわかるかもしれない。


注:上の写真とは別の半鐘の龍頭


 

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「源氏物語と日本人」を読む

2024-01-23 | g 読書日記

360 
 NHKの大河ドラマ「光る君へ」が始まり、書店には紫式部、「源氏物語」に関連する書籍が並んでいてその数はかなり多い。

先日、松本の丸善で『眠れないほど面白い空海の生涯』由良弥生(王様文庫)と『源氏物語と日本人 紫マンダラ』河合隼雄(岩波現代文庫 2016年6月16日第1刷発行、2021年5月25日第2刷発行)を買い求めた。先に「空海」を読み、次にこの本を読んだ。

著者の河合さんは第1章 人が「物語る」心理 の冒頭に**『源氏物語』は光源氏の物語ではない。これは紫式部という女性の物語である。**(2頁)と書き、さらに少し先に**物語に登場する女性群像が光源氏という主人公の姿を際立たせるためではなく、紫式部という女性の分身として見えてきたのである。紫式部という一人の女性が、彼女の「世界」をこのようにして描ききったのだ、と思った。**(2頁)と書いている。なるほど。これが心理療法の研究者としての河合さんの見方、見解なのだ。

『源氏物語』は多くの女性を光源氏の相手役に据えて、様々な恋愛模様を描いた物語で、紫式部が宮中などで知った女性たちをモデルにしていると一般には解釈されよう。河合さんは次のように指摘している。**「内向の人」である紫式部は、自分の体験を外在する人たちとの関係として見るよりも、むしろ、自分自身の内界の多様性として受けとめたと思われる。**(93頁)

河合さんは源氏物語に登場する女性たちを光源氏との関係(関係性という言葉の方がよく使われるように思うが、両者の違いがよく分からない)によって「妻」「母」「娼」「娘」の領域のいずれかに捉え、この順番に扇形に四分割した円(マンダラ)に位置付けている(202頁の図)。

「娼」の円弧上には六人の女性が夕顔、朧月夜、六条御息所、空蝉、未摘花、藤壺の順にプロットされている。夕顔と朧月夜は光源氏との関係、振る舞いが似ているという印象だったがマンダラでもそのことが示されている。

また「娼」の隣の「娘」にプロットされているのは秋好中宮、明石の娘、玉鬘、朝顔。この四人の中で朝顔は「娼」の夕顔に最も近い位置にプロットされている。なるほど、確かにふたりは似ているが夕顔は「娼」で、朝顔は「娘」という位置付けは納得できる。マンダラという図によってビジュアルに示されると分かりやすい。本書に示されているマンダラについてこのように書いても理解できないどころかイメージすら浮かばないだろうから、興味のある方は書店で確認していただきたい(講談社+α文庫にも収録されている)。

河合さんは紫の上を「娘」から「娼」までマンダラの四つの領域をすべて経験してきた女性として捉え、その内容を解説している。一つの領域に留まっていなかったということだ。なるほど、確かに紫の上は光源氏との関係が密であり長期間続く存在感のある女性だ。このことはマンダラ四領域通過ということからも理解できるということだろう。

本書の章立ては次の通り

第一章 人が「物語る」心理
第二章 「女性の物語」の深層
第三章 内なる分身
第四章 光の衰茫
第五章 「個」として生きる

第三章から俄然面白くなる。

言葉の定義がよく分からず、充分理解できないところもあったが、物語に登場する女性たちを紫式部の分身と捉えるという本書の論考はなかなか興味深い内容だった。


この機会に「源氏物語」の関連本を他にも読みたい。

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「信濃路文学の旅」

2024-01-22 | g 読書日記

420
 ブログに取り上げるのが遅くなってしまったけれど、上掲した「信濃路文学の旅」の①から④の4冊を昨年末に松本在住のKBさんから送っていただいていた。

長野県が舞台の小説などの文芸作品を地域別に収録(小説などは部分収録)し、それぞれの作品の解説文を載せている。三人の編著者は同じ高校の教諭だった方々。その中のお一人藤岡改造先生は私が在校していた時にもおられた。そんなこともあり、『幽霊の出ない話』を40年以上も前に読んでいる。


『幽霊の出ない話』藤岡改造(審美社1979年)
**俳諧の宗匠藤岡筑邨が、本名の藤岡改造を名のって、こんなに鋭く、おもしろく、ユニークな作品集の作者であることを知って、オドロキ、モモノキ、サンショノキである。**帯の文章の前にこの文章が書かれている(臼井吉見の書評)。

長野県が舞台の作品としてまず浮かぶのは北 杜夫の『どくとるマンボウ青春記』。4冊の中の②〈松本・安曇〉にその一部が収録されている。また①〈北アルプス〉には『幽霊』の一部が収録されている。掲載されているのはあの場面だろうな、と思って確認すると当たっていた。

目次を見ると川端康成、志賀直哉、島崎藤村、辻 邦夫、井上 靖、芥川龍之介、松本清張、森村誠一、檀 一雄、野上弥生子、永井路子、福永武彦、野口雨情、立原道造・・・、よく知られた作家や詩人が何人も。収録されている作品の大半は未読、隙間時間に読むのにちょうど良い。

本を送って、いや贈っていただいたKBさんに感謝しなくては。ありがとうございました。


 

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半鐘の龍頭

2024-01-22 | g 火の見櫓考〇

 なぜ梵鐘(火の見櫓の半鐘も同様)のつり手の飾りに龍が使われているのか。今まで特に疑問にも思わなかったが、FBに半鐘とその頭部の龍頭(竜頭)の写真(①  ②)を載せたところ、ある方からこのことを問うコメントをいただいた。それで調べてみた。




龍頭 二頭の龍頭が相反する造形、宝珠を載せている。この先は仏教の世界。龍は何を銜えているのだろう・・・。

火の見櫓の専用品としてこのような半鐘が鋳造されていたのであれば、龍は水を司る神であるから、火除けの願いを込めたのだという説明も出来るだろう。だが、そうではなくて寺の梵鐘でサイズが小さいものを火の見櫓の半鐘として用いたのだから、この説明は合理性を欠く。

今はネット時代、検索すると何らかの答えが見つかる。蒲牢(ほろう)という中国の神話に出てくる想像上の動物に行き着いた。咆えることを好み、また鯨を襲った時に鯨の咆えるのを聞くことも好むという。それで鐘の音が大きく響くように願って蒲牢をつり手部分の飾りにした、ということだ。蒲牢は龍の子だから姿が龍とよく似ている。それで、龍頭と呼称するようになったのだろう。


尚、この半鐘は松本市寿の火の見櫓(写真③)に吊り下げられていたが、火の見櫓は既に撤去され、半鐘は保管されている。このことについて既に書いた(過去ログ)。

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「眠れないほど面白い空海の生涯」読了

2024-01-19 | g 読書日記

 『眠れないほど面白い空海の生涯』由良弥生(王様文庫)は約460頁もあるが、空海の生涯が読みやすく書かれている。この本のミソは空海の人生を決したとも言える謎の一沙門を女性と想定したこと。善道尼(ぜんどうに)と名づけて、その女性との交流を主軸に置き、空海の生涯を物語に仕立てていること。なお、空海の生涯はウキペディアに詳しいので関心のある方は参照願います。

仏教に関する難しい言葉や知っている言葉であっても意味をよく知らない言葉には例示したように分かりやすい説明があり、本文の理解を助けている。**煩悩(肉体や心の欲望、他者への怒り、執着など人間の身心を悩ませ迷わせるもの)**(122頁)**最澄が入唐求法(にっとうぐほう 唐に行き仏の教えを学ぶこと)を朝廷に願い出た(後略)**(168頁)

遣唐使船が出航後に暴風雨に遭って日本に引き返し、一年近く(たぶん)の後に再度唐を目指すことになった時、欠員が出たために遣唐使船に乗ることができたという強運の持ち主。唐に流れ着き、空海が代筆した嘆願書の格調の高い名文、見事な筆跡に役人が驚き、入国が認められる。やはりこのエピソードに僕は一番感動する。

長安の高僧・恵果の弟子およそ1,000人の中で最も優秀だった空海。恵果の元で学んだのはわずか半年!その間で恵果は空海へ新しい密教(瑜伽密教)の伝授を終え、しばらくの後、入滅。本来20年と定められていた留学期間だが、空海はたった2年間で学ぶべきことは全て学んだと、帰国する。

帰国後、直ちに入京が認められず(20年と定められた留学期間を守らなかったことや政治的な事情による)、大宰府(ちなみに本書では大宰府にも北九州の地方官庁という注釈をつけている)で足止め3年。唐にいた期間より長い。

京に帰ってからの空海と先に帰国していた最澄との、どういうのか、そう、仏教界の主導権をめぐる駆け引きが物語の大半を占める。その際、嵯峨天皇の存在が大きい。以下省略。

それにしても空海の勤勉さは凄いとしか言いようがない。幼少の頃から最晩年まですばらしく充実した人生。また高野山にも東寺にも行きたいな。


東寺 五重塔 2008年1月


高野山 根本大塔 2014年11月


 

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「眠れないほど面白い空海の生涯」

2024-01-17 | g 読書日記

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以上の写真 ブログの過去ログから


 菩提寺の宗派が真言宗ということもあり、空海に関する本を読んできた。ただ単に空海について知りたいという好奇心から。1月10日から2泊3日で松山旅行をして、50番札所 繁多寺と51番札所 石手寺を参拝したこともあって、また空海本を読み始めた。

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『眠れないほど面白い空海の生涯』由良弥生(王様文庫 発行年不明)

命がけの入唐

第一船から第四船まで四艘の遣唐使船で唐に向かうも暴風雨に見舞われ、唐に行き着いたのは空海の乗る第一船と最澄の乗る第二船だけだった・・・。その1年近く前になるのか、遣唐使船がやはり暴風雨で日本に引き返しているが、その時、空海の入唐は認められていなかったのだから、実に幸運だった。

眠れないほどではないけれど、確かに面白い。ようやく空海が福州(長安からで2,400キロも離れたところ)に流れ着くも入国を認められなかったというところまで読み進めた。第一船の大使から代筆を頼まれた空海の嘆願書(漢文)により入国が認められたということは既に読んだ本で知っていた。(過去ログ

このことについて本書には次のように書かれている。**嘆願書を読んだ観察使(地方行政の最高責任者=長官)はその文章の格調の高さや力強い筆跡の見事さなどに関心し、大使一行への態度を変えた。すぐさま船の封印を解いて全員を船内に戻し、大使一行の上陸を許可したうえ、急造の宿舎を全員に与えて食料を提供した。**(204頁 太文字化したのは私) 一艘あたり100~120人が乗っていたとのことだ。

このエピソードに今回も感動した。やはり空海は凄い。その後、空海は長安で恵果という高僧の弟子になる。簡単に書いたが長安に着くのは日本を発ってから半年近く経ってから。まだまだその先がある・・・。読み進むのが楽しみ。

引用文にもあるが本書は言葉の説明を直後の( )内にしているので分かりやすい。


 

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松山市のマンホール蓋

2024-01-17 | g 地面の蓋っておもしろい〇




撮影日:2024.01.11
 松山市のマンホール蓋 カラー蓋も見ました。1972年(昭和47年)に選定された松山市の花・ヤブツバキです。円形の中に上手く納めています。その周囲を縁取っているのは伊予かすりの井桁文様。 まつやま おすいという表記、みんなでつくろう住みよい松山というメッセージも。

火の見櫓を背景にして撮るという条件は満たせず。


 

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「免疫「超」入門」を読む

2024-01-14 | g 読書日記

360
『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社ブルーバックス2023年)を33会松山旅行の前に読んでいた。

本書の章立ては以下の通り。
第1章 人類の宿命・病原体と免疫の戦い
第2章 ヒトに備わった、5つの感染防御機構
第3章 病原体との攻防
第4章 自己を攻撃する免疫
第5章 炎症とサイトカイン
第6章 免疫とがん
第7章 老化を免疫で止められるか
第8章 脳と免疫の深い関係

**MHCにペプチドが結合している状態を「抗原提示」といい、MHC―抗原ペプチド複合体を発現している細胞を「抗原提示細胞」といいます。マクロファージ、樹状細胞、B細胞が、主な抗原提示細胞です。そしてここが重要なのですが、クラスⅠ MHCはキラーT細胞に、クラスⅡ MHCはキラーT細胞に、それぞれ抗原ペプチドを提示し、TCRによって認識されます。**(53頁)

脳の老化が確実に進んでいる。本を読み始めて数分後には記憶消去システムが自動的に起動して、小説では登場人物が分からなくなってしまう。だからノートにメモしながら読んでいる。

『免疫「超」入門』は免疫の基礎を説いた本だが、上掲文のように、免疫学などの専門用語が頻出する。あれ、MHCって何だっけ、TCRって何だっけとなってしまう。小説を読むときと同じようにノートにメモしながら読んだ。だが、内容の理解は覚束ない。老化現象が脳の全域で進んでいるのだろう。


「本を読んで内容が理解できなきゃ意味ないじゃん」と言わても仕方ない。でも、と敢えて言いたい。たとえ内容が理解できなくても読むことが楽しいのだから、それで良いと思っている。

本書の「はじめに」に免疫学は覚えるべき用語が多すぎて医学部の学生から最も嫌われている科目の一つだということが書かれている。私が理解できないのは当たり前のこと。

だが、ヒトの体ってミクロなレベルでもものすごく良くできているということは分かった。「これでいいのだ」


 

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松山旅行3

2024-01-13 | g 旅行記〇

松山旅行3 2023.01.12


しまなみ海道

松山市駅9時30分発の高速バスでしまなみ海道を通り尾道へ。新尾道駅に12時前に着く。駅のコインロッカーに荷物を預ける。


千光寺公園

新尾道駅からタクシーで日本さくら名所100選と夜景100選に選定されている千光寺公園へ。所要時間は15分程。桜のシーズンは激混みだと、タクシーの運転手さんから聞いた。この新展望台、RC(鉄筋コンクリート)とS(鉄骨)の混構造。施工難度高そう。


尾道市立美術館(安藤忠雄)


千光寺

巨岩を避けつつ活かすように大宝山の中腹に建てられている千光寺(写真無し)。




尾道ラーメン


千光寺から尾道市立美術館前まで歩いて下り、そこからタクシーで新尾道駅へ戻る。駅近くのラーメン屋で尾道ラーメンを食べる。スープが濃いめかな、でもウマい。

新尾道駅14時21分発のこだま852号で福山駅へ。福山駅14時41分発の新幹線のぞみ32号に乗り換えて名古屋に向かう。名古屋まで2時間かからない。名古屋駅17時40分発の特急しなので塩尻へ。車内で駅弁を食べる。楽しかった旅行も終わりが近づいている。塩尻駅に定刻19時37分に着く。

駅近くの従妹のところに駐車させてもらっていた車でSさんとYさんを送って、8時過ぎに無事帰宅。

楽しい旅行ありがとね、みんな。また行きましょう。


今朝(13日)、33会のグループラインをつくり(メンバー10人)、旅行中に撮った写真(大半がここには載せなかった集合写真)を載せた。これで幹事の役目おしまい。 今後グループラインが交流の場として活かされることを願う。


 

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松山旅行2

2024-01-13 | g 旅行記〇

松山旅行2 2023.01.11 


天気は快晴。参加者の日頃の行いがよいのだろう。それに私は晴れ男。33会の旅行は今回が6回目だが、一度も雨に遭っていない。

道後温泉本館のすぐ近くの宿を朝9時ころ出て徒歩で伊佐爾波(いさにわ)神社へ。10分程で着いた。Rさんによるとこの石段は約130段あるとのこと。いきなり厳しい試練(*1)。




伊佐爾波神社参拝の後、徒歩で路面電車の道後温泉駅へ。路面電車で大街道駅で下車、ロープウェイで勝山山頂にある松山城へ。広大な連郭式平山城。






帰りはリフトで降りてきた(料金はロープウェイと同じ)。


昼は鯛めし

松山城見学を終えた時は12時少し前だった。で、昼食。松山といえば鯛めし。従弟のH君から宇和島鯛めしをすすめられていた。松山市内には鯛めしを提供する店が何軒もあるようで、ロープウェイの乗り場近くにも数軒あった。その中の1軒、「丸水(がんすい)」に入り、迷うことなく宇和島鯛めしをお願いした。



宇和島鯛めしは高級なたまご掛けごはん。他に炊き込みごはんタイプとお茶漬けタイプがあると聞く。今回、参加者8人の内、おいちゃんは3人。その3人は昼間っから日本酒。3種類の地酒の飲み比べ。


51番札所 石手寺

午後。せっかく四国に来たんだから札所にも行きましょうと、バスで51番札所の石手寺へ。


仁王門(国宝) ここの仁王像は重要文化財。


三重塔(重要文化財)


本堂(重要文化財)


参拝してから御朱印をいただいた。お土産にお守りを買い求めた。


50番札所 繫多寺

51番札所の石手寺の次は50番札所の繫多寺。タクシーで向かう。


本堂

白装束に身を包んだお遍路さんと出会う。


ここでも御朱印をいただく。達筆、すばらしい!


大正時代に建てられた洋館 萬翆荘


繫多寺から松山城のロープウェイ乗り場近くまでタクシーで戻り、萬翆荘へ。屋根は改修前の東京駅と同じ天然スレートのうろこ葺き。




高齢者、いや高齢者に限らず旅行には適度な休憩タイムが必要だ。萬翆荘の隣にある愛松邸「漱石珈琲店」でコーヒータイムしようとしたが、臨時休業していた。残念。仕方なく路面電車で宿の近くの道後温泉駅へ。駅に着いたのが夕方4時10分くらい前。4時になるとカラクリ時計が動く。グッドタイミング!

坊ちゃんカラクリ時計




どんな動きをするのか知らなかったから、せり上がる動きに感動。「おお、すばらしい!」漱石の小説「坊ちゃん」の登場人物の人形が現れる。1994年(平成6年)に道後温泉建設百周年を記念してつくられたと、案内リーフレットに載っている。


道後温泉本館

カラクリ時計のある広場からは宿までゆっくり歩いても10分くらい。女性陣が買い物をする間、おいちゃん3人はカフェで休憩タイム。休憩タイムと買い物タイムを取らないといけない、特に33会の旅行では。


宿9階の部屋から道後温泉本館を望む。


本館正面 本館は現在改修工事中で、仮囲いされていたが、最近撤去された。道後温泉本館は重要文化財(指定1994年)

5時頃宿に戻り、浴衣に着替えて草履履きで本館へ(温泉街を浴衣姿で歩くのはマナー違反なのかな)。

**神代の昔、大国主命と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神が国造りのため伊予に来られたところ、折悪しく少彦名命が重病に倒れました。これを見た大国主命は掌の上に少彦名命をのせ、湧き湯にひたされたところ、さしもの重病もたちまちなおりました。身をもって湯治を体験された二神が浴池を整えられたのが、この道後温泉のはじまりと伝えられております。(後略)** 入浴チケットに印刷されている道後温泉の由来の紹介文より引用。

**脛に傷をして苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見付け、足を浸したところ傷が完全に癒え、元気に飛び去ったということがあります。それを見た人々が不思議に思い入浴してみると、爽快で疲労を回復でき、病人もいつの間にか全快したことから利用されるようになりました。** 旅行前に旅行社から渡されていた案内チラシから引用。

現在改修工事中のために、利用できる浴室は狭かったが、それ程混んではいなかった。やや熱めの湯に浸かって疲れを癒す。


宿の部屋から見た夕景 2023.01.11 05:57PM

さて、宴会。

8時過ぎに宴会を終え、部屋に戻って夜中12時頃まで痛飲。何十年も前の想い出話で夜が更けて、気がつけば夜中の12時近くになっていた・・・。あの頃はみんな若かった。みんな誰かに恋してた。


*1 スマホに記録されている11日の歩数11349歩。旅行先では普段より歩くことになるが神社仏閣は実にバリヤフルだ。加齢とともに足腰が弱ってくるし、膝にトラブルを抱える者も出てくるだろう。そうなると石段130段の上り下りは困難になるだろう。このようなことを理由に旅行不参加、という人が出ないようにするためにはどうすればよいのだろう・・・。行先の状況を詳細にチェックして、できるだけバリアの少ないところを旅行先に選ぶこと、他の参加者がサポートすること。他には?

今回のメンバーが全員参加する旅行があと何回できるだろう・・・。思いの外少ないように思う。毎年旅行するとしてもあと5回くらいか。いや3回? 厳しい現実だ。 新しい御朱印帳を用意しても使い切ることはできないなんて考えたくないなぁ。




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松山旅行1

2024-01-13 | g 旅行記〇

松山旅行1 2023.01.10
 33会の旅行の主に写真による記録 参加者8人(内1人は東京から参加)

松本、塩尻から四国の松山へ
塩尻駅8時49分発の特急しなの4号で名古屋へ
名古屋駅11時10分発の新幹線のぞみ21号で岡山へ


岡山駅12時47分着、構内のレストランで食事。岡山駅13時35分発の特急しおかぜ13号で松山に向かう。


新神戸から岡山へのぞみで向かう途中、進行方向左側の車窓から2基の火の見櫓が見えた。また、予讃線ではたぶん今治市内だと思うが進行方向の右側に火の見櫓が見えた(*1)。火の見センサーは旅行中も感度良好。

松山駅着16時16分。私以外の6人(東京から参加の〇さんは別行動)は路面電車で道後温泉駅まで行き、徒歩で数分の宿、花ゆづきへ向かう。私は松山在住の従弟H君の車で移動。松山市駅前のいよてつチケットセンターで高速バス(松山市駅→新尾道駅)のチケットを購入してから宿へ。路面電車組とほぼ同時に着いた。


外観見上げ


宿の中央の吹き抜け空間を見下ろす。正面はEV。下にエスカレーターが見える。

 


宴会場で8時過ぎまで約2時間、その後部屋で11時過ぎまで飲んでいた(寝た時刻は記憶無し)。


*1 写真を撮ることはできなかったが、その時の時刻を確認することはできたはず。火の見櫓が見えた時の時刻が分かれば、列車の時刻表から通過地点のおよその位置が分かる。そのあたりをSVで見ていけば、火の見櫓を確認できたのでは。これからはこの方法。

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「グッドバイ」を読む

2024-01-07 | g 読書日記

360
■ 朝カフェ読書(01.05)で『グッドバイ』朝井まかて(朝日文庫2022年)を読んだ。大浦 慶という実在した女性商人の波乱の生涯。時代は江戸末期から明治初期。

長崎で菜種油を商う大浦屋の女主・大浦希以(けい、後に慶)は菜種油の商いが下降線を辿り始めると茶葉の輸出に活路を見出し、財を成す。しかし・・・。長崎の釜炒り茶とは製法の異なる駿河の蒸し茶の需要が伸びていき、商いの場は長崎から横浜に移っていく。

時代は明治に変わって数年後、慶は煙草葉の商いに関わる手の込んだ詐欺にあい、巨額の負債を抱え込むことになる。ここからが「負けてたまるか!  大作戦」。読んでいて感動の涙。

物語には次のような件も。

慶は幕末の志士とも知り合い、資金援助もしている。佐賀藩士・大熊八太郎(重信)と慶の会話。
**「お慶どの、再会できてよかった。よう生き延びられた」
「何の、これからまた、生きるか死ぬかのビジネスば始めます」
「さような豪儀を申すから、あらぬ噂を立てられる」
「噂とは、私のですか」
「そうだ。幕末に茶葉交易で莫大に稼いで、その金子を長崎に集まった志士らに注ぎ込んだ、倒幕にも一役買った女志士らしいぞ」
(中略)
「私には政についての志なんぞ、なかったですばい」
彼らの熱が眩しくて、傍にいるだけで面白かった。それだけだ。
「まだあるぞ。大浦屋の座敷に志士らを匿うはいいが、毎夜、亀山社中の若者に湯殿で背中を流させたそうな」
「己の背中は己で洗います」
「わしは一度くらい、流させてもらいたかったがのう。しかし言下に振られ申した」
以下略。**(382頁)

坂本龍馬とも懇意になった慶は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にも出てくるとのことだが覚えていない。この小説とはだいぶ印象の違う女性として描かれているようだ。確かめようにも文庫本は既に手元にない。

人生いろいろ。葛飾北斎の娘・お栄さんもすごい人生を送ったけれど、お慶さんもすごかった。あの時代に、こんなにすごい女性がいたのか・・・。


さて、次は何を読む? 

コメント (2)
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