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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

白馬村の火の見櫓

2024-07-29 | g 火の見櫓観察記


1514 北安曇郡白馬村塩島 3柱6○型 交叉ブレース囲い(脚なし)2024.07.28




 自分で運転していたら気がつかなかったと思う。後部座席に座っていたので、よそ見をすることが出来た。白馬村を小谷村に向かって走行中に、この火の見櫓に気がついた。樹間に白い屋根が見えていた。ネット上の地図で確認すると、国道148号からおよそ430m離れたところに立っていた。

小谷村からの帰りに立ち寄った。友人の二人は火の見櫓好きでもないのにつき合ってもらった。 小谷の火の見櫓のように高さは調べなかったが、高い部類に入るだろう。脚元に消火ホースを掛けて引き上げるためのハンガーがあるが、このことだけでは高さは分からない。何か情報を見落としている?

火の見櫓の後ろはサクラの木、来春サクラが咲くころ再訪したい。


 

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小谷村の火の見櫓

2024-07-29 | g 火の見櫓観察記



1513 北安曇郡小谷村中小谷 3柱6半円型 開放(単材脚)2027.07.28





友人二人と小谷村へ。Sさんは幸田 文の『崩れ』(講談社文庫)を読んで、幸田 文と同じように崩れに惹かれるようになったとのこと。日本三大崩れ(なんてあるんだ)の一つ、稗田山崩れを見ることも小谷行きの目的だった。稗田山の山体が崩れたという大崩落の様子を望遠して帰る途中で火の見櫓を見た。この火の見櫓を何年か前に既に見たというSさんは、その時ぼくに画像を送ったというが、記憶にない・・・。

さて、火の見櫓の観察。

単材の短い3本脚も梯子も曲がっている。原因は不明だが、雪の影響かもしれない。屋根は部分的に欠損し、残っている部分も変形している。これは雪のいたずらに違いない。半円形の見張り台はあまり見かけないが、櫓の外側に梯子を設置した場合にはこれで良いと思う。

梯子桟の数と間隔寸法によって、見張り台の高さは約5.7m(0.3m×19)と分かった。見張り台の床から屋根のてっぺんまで、2.5mと仮定すると、この火の見櫓の高さは約8mとなる。

夏の間だけこの火の見櫓の近くに暮らしているというお年寄りに伺うと、もう何年も前から使われていないとのこと。近くに防災行政無線柱が立っていることに気がついた。周囲の山の影響で音声が聞き取りにくいのではないかと気になったが、このことは訊かなかったった。

交叉ブレースとリングとは突きつけ溶接されている。久しぶりに見た、なんちゃってリング式ターンバックル。


 

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だれが日本を養うのか?

2024-07-24 | g 読書日記


『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』高橋五郎(朝日新書2023年)を読み終えて、ふと昔読んだ本のタイトルが浮かんだ。その本を自室の書棚から取り出してきた。『だれが中国を養うのか?』レスター・R・ブラウン(ダイヤモンド社)という本で、巻末に発行年が1995年と記されている。30年近く前に読んだ本だ。このタイトルに倣って、記事のタイトルを「だれが日本を養うのか?」とした。


『だれが中国を養うのか?』の章及び節の見出しはそのまま日本に当てはまる。「縮小する耕地」「限界にぶつかる土地生産性」「拡大する穀物不足」「穀物を求める競争」「食料不足の時代が始まる」・・・

スーパーマーケットで買い物する時、産地を確認すると多くが外国産だ。魚、肉、大豆製品、小麦製品・・・。日本は食料を自国で賄うことができず、輸入に頼っていることはみんな知っている。国産にこだわろうとすると品数は少なく、高価だ。

『食料危機の未来年表』を読むと、サブタイトルの「日本人が飢える日」が決してあり得ないことではないのだなと思う。序章に掲載されている未来の飢餓年表によると、2020年の世界の飢餓状態人口は17億3,800万人(世界の人口78億500万人)となっている。実に世界人口のおよそ22.3%、5人に1人が飢餓状態にあることになる。そして2100年には5人に2人が飢餓状態になることが予測され、同表に示されている(世界の飢餓状態人口43億2千万人/世界の人口103億6千万人)。

著者が示すカロリーベース食料自給率は18%で、農水省が示す38%を下回っている。どちらのデータを採るにせよ、日本は食料自給率が低いことに変わりはない。著者の試算による各国の食料自給率(カロリーベース自給率(全穀物・全畜産物)2020年)を見ると、日本は128位(182国中)となっていて、「隠れ飢餓」状態にあると指摘している。

著者は**危機感を煽るようなことは避け、真に国民が知るべきことはなにかということについて、原点に立ち返って考えてみることにしたのである。**(67頁)と記しているが、本書読むと、「日本の現状、まずいなぁ」と思う。

農水省のホームページに載っている食料・農業・農村基本法の第2条には国民が最低限度必要とする食料は、凶作、輸入の途絶等の不測の要因により国内における需給が相当の期間著しくひっ迫し、又はひっ迫するおそれがある場合においても、国民生活の安定及び国民経済の円滑な運営に著しい支障を生じないよう、供給の確保が図られなければならない。とあるんだけどなぁ(太文字化は私がした)。

国際社会が協力してこの問題に取り組まなければならないのに、戦闘機の共同開発なんかしている場合か。


 

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「ずっと、ずっと帰りを待っていました」

2024-07-18 | g 読書日記

360
『ずっと、ずっと帰りを待っていました  「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』浜田哲二・浜田律子(新潮社2024年)を読んだ。

本書の著者のふたりは元朝日新聞のカメラマンと元読売新聞の記者の夫婦。沖縄本島で戦没者の遺骨や遺留品を収集、身元を特定して遺族に返還する活動にボランティアで取り組んでいる。

**米軍の戦史にも、「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる沖縄戦**(12頁)では20万人以上が犠牲となったと言われている。若き指揮官・伊東孝一大隊長は沖縄戦から奇跡的に生還するも、率いていた部下1,000人の9割は戦死していた。終戦の翌年(昭和21年)、伊東はおよそ600通の詫び状を遺族に送る。直後、伊東の元には356通もの返信が届く。伊東はその手紙を70年もの間、保管していた。

浜田夫婦が伊東孝一と面会したのは2016年3月。この時、95歳だった伊東は、**手紙は誰にも見せるつもりはない。私が最期を迎えた時、棺に入れて焼いてくれるよう遺言を残してある。**(8頁)と浜田哲二に伝える。だが、あることを理由に(ここでは書かない)伊東はその後、356通の手紙を浜田夫婦に託す。手紙を世に出して、沖縄戦の真実をより多くの人に伝えて欲しいという願いを込めて。

手紙を世に出すためには差出人(戦死した兵士の妻や父親、母親)の遺族の了承を得なければならない。困難を極める遺族探し・・・。**遺族の死去や転居、地名変更や自治体の消滅など**(11頁)70年の時という高い壁。行政に問い合わせても個人情報保護を理由に回答を拒まれる。それでも2024年2月の時点で手紙の四分の一を遺族に返還することができたという。

本書では25通の手紙が取り上げられている。各々について、伊東孝一の手記や復員した兵士、戦没者やその家族の手紙や証言、その他の記録などを参照して構成された兵士の最期の姿がまず描かれる。続いてその戦没者の遺族探しの様子や出兵前の家族との暮らしの様子などが描かれた後、詫び状を受け取った家族の伊東に宛てた手紙が紹介されている。手紙に書かれているのは伊東大隊長への感謝、困窮する暮らし、父親を知らない幼子を育てる苦労、世間の冷たい視線・・・。

本書の目次には手紙の中の言葉が使われている。
「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」
「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」
「今は淋しく一人残され、自親もなく子供もなければ金もなく」
「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」
「御貴書により、あきらめがつきました」
「息子の帰りを、一日千秋の思いで待って居りました」
  ・・・・・
どの手紙を読んでも涙が流れる。

そして手紙を親族(子どもや甥・姪ら)に直接手渡した時の様子が描かれる。再婚した母親への不信感が解かれる息子、泣き崩れる妹・・・。それを読んで涙、涙・・・。

1945年(昭和20年)8月の終戦からまもなく79年経つ。だが、太平洋戦争はまだ終わってはいないのだな、と本書を読み終えて思った。

 *****

「新しい戦前になるんじゃないですかね」 

**昨年の暮れ(2022年12月28日)に放送されたTV番組「徹子の部屋」でゲストのタモリは黒柳徹子さんの「2023年はどんな年になるでしょう」という問いに、このように答えた。「新しい戦前」か・・・、私もこの番組を見ていて、なるほど戦後が終って、再び戦争へと向かうような状況になってしまったな、と思った。**(2023年9月12日の記事)

 *****

本書を多くの人に読んでいただきたいと切に願っています。


文中敬称略

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緑化蓋

2024-07-17 | g 地面の蓋っておもしろい〇


松本駅前にて 2024.07.16

 「緑化蓋」とも「蓋庭」とも呼ばれるマンホール蓋。マンホール蓋の周囲に草が生えています。小雨がぱらついて緑が鮮やかでした。こういうのを愛でるマニアな人も。

動く鉄大好きな人たちには撮り鉄、乗り鉄、飲み鉄なんてあるのかな、いろいろニッチな世界があるようですが、地面の蓋大好きな人たちにもいろいろニッチな世界があるようで・・・。

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海の日に

2024-07-15 | g 読書日記

 今日、7月15日は海の日。海から登る朝日、あるいは海に沈む夕日の印象的な写真が撮れたらいいけれど、ここは海無し県長野だから、ちょっと写真撮ってくる、というわけにはいかない。海釣りの趣味もないし。

廻りを山に囲まれた環境で育つのと、眼前に広がる海を日々目にして育つのとでは志が違ってくるだろうな、と思う。やはり龍馬は後者の環境が生んだのだと思う。廻りを山に囲まれた環境だと、あの山の向うはどうなっているんだろう・・・って思う子もいるだろうが、そこまで見えない世界を広げることができるのかどうか・・・。内側に向かう内省的な人間が育つのだろう。で、海無し県長野から岩波茂雄や古田 晁(筑摩書房の創業者)、小尾俊人(みすず書房の創業者)ら出版人が生まれ育った・・・。これ本当かな、眉唾な珍説をでっちあげちゃったかな。


何かタイトルに海の文字が入る小説やエッセイがないかな、それも文庫・・・。直ちに浮かぶのはやはり『老人と海』だが、自室の書棚にはない。高校生の時に読んだのかな。


2007年に村上春樹の長編小説を集中的に読んだ。今年安部公房を集中的に読んでいるのと同じように。その中に『海辺のカフカ』上下があった。だが今、手元にあるのは『羊をめぐる冒険』上下(講談社文庫)のみ。過去ログ


北 杜夫の『どくとるマンボウ航海記』も忘れちゃいけない。

 
安岡章太郎の『海辺の光景』もある。


南木佳士には『海へ』というエッセイだったかな、がある。南木佳士のこれらの作品も今は書棚にはない。

読んだことがある作品で直ちに浮かぶのはこんなところかなぁ。


フランスの作家・ヴェルコールの『海の沈黙・星への歩み』岩波文庫があった。10代の時に読んだ短編。内容は忘れてしまったけれどタイトルは覚えていた。

帯に**ナチス占領下、深い沈黙を強いられた〝自由の国フランス〟で人間の尊厳を守り自由のために生命を賭けた市民の姿に肉薄する抵抗文学**とある。『海の沈黙』はテレビ番組で紹介され、読んでみようと思ったことを覚えている。書棚から取り出して写真を撮った。


冬の海。五能線に乗って、酒(ビールじゃなくて日本酒)をちびちび飲みながら冬の日本海を見てみたいなあ・・・。人生って寂しいなぁとかなんとか想いながら・・・。

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「散華 上下」を読む(加筆)

2024-07-15 | g 読書日記


■ 『散華 紫式部の生涯 上 下』杉本苑子(中央公論社1991年 図書館本)を読んだ。

上下巻各8章、約830頁の長編。副題が「紫式部の生涯」となっている通り、紫式部と後年呼ばれることになる小市が7歳の時から始まる物語には52歳で生涯を閉じるまでの45年間が描かれている。

悲しいかな僕はこの長編を「物語」として読むのに必要な登場人物の名前や人間関係を記憶する能力、短期記憶力が衰えている。老いは容赦ない・・・。掲載されているいくつもの系図を頼りに、あるいはあれこれノートにメモしながら記憶力を補い、何とか読み終えた、というのが本当のところ。

と、断った上で、この小説の圧巻は下巻の「宇治十帖」だと言いたい。「宇治十帖」は杉本苑子さんの「源氏物語論」だ。紫式部は本編をどう自己評価したのか、なぜ続編とも位置付けられる「宇治十帖」を書いたのかについて論じている。

以下、そのように思う箇所を長くなるけれど何か所か引用したい(引用ばかりで気が引けるけれど・・・)。

**宮廷生活の華やぎに身を置き、物語の作り手として賛嘆の声にとりまかれる日常であればあるほど、そこから遊離し、暗い、孤独な淵の底へ、一個の石となって果てしなく沈んでゆく自分を感じる。
そして、そのような心の在り方を透(とお)して、改めて自作を読み返してみると、光源氏はあまりのも理想の人、美と栄光の権化でありすぎた。**(下巻319頁) 
このような反省を小市(紫式部)にさせて、その理由を内省的な性格に生まれついたことに因ると杉本さんは書いている。

**(このままでよいのか? 物語のどこに、わたしがいる? わたし自身の本当の声は、どこに聞こえる?)**(下巻321頁 太文字化は私)
**別人の作とすら思えるほど、しかし『宇治十帖』から受ける印象は前作とは異なっていた。**(下巻327頁)
杉本さんはこのように書き、続けて具体的にどう違うのか、指摘している。
**文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」ということだろう。(中略)小市の――紫式部の『源氏物語』ではなく、その読み手自身の『源氏物語』なのである。(中略)数知れぬ読者の、主観や個性に合せ、その側におりて行って多様な注文に応じきることなど、しょせん一人の書き手にできることはない。することでもない。
では、どうすればよいか。答えはただ一つ、作者は自分のためにのみ書き、自分の好みにのみ、合せるほかないのだ。すべての読者が、おもしろくないと横を向いてしまっても仕方がない。自分が「よし」と思うその気持ちに合せて書く以外に、拠りどころははない。**(下巻333頁) 
このような指摘は言うまでもなく、同じ書き手としての杉本さんの文学論でもあるだろう。

以上のように書かれている「宇治十帖」を読んで、同じようなことを書いたな、と次の記事を思い出した。

**『源氏物語』全五十四帖のうち、最後の十帖が「宇治十帖」で、ここに最後のヒロイン・浮舟が登場する。柴井さんの見解によれば、浮舟はこの長大な物語の主人公、また三田村さんは浮舟に紫式部の願いが投影されていると指摘している。この「宇治十帖」については紫式部ではなく別人が書いたのではないか、という説が昔からあるという。ぼくもこの説を唱える本を読んだ。だが、ぼくはただ単に願望として、紫式部がしがらみを解き、書きたいことを書きたいように書いた結果だと解したい。**(拙ブログ2024.05.14の記事から引用した。文中の太文字化は本稿でした)

やはり、そうですよね杉本さん。

1月に始まった大河ドラマ「光る君へ」も前半が終わったが、まひろ(紫式部)はまだ「源氏物語」を書き始めていない。『散華』でも上巻ではまだ小市は書き始めない。貴族社会の次のような現実を冷徹な目で観察している。
**表面、優雅な日常の裏で、血で血を洗う苛烈な闘争がくり返されてきたのは、勝者の側に立つ者と、敗者の側に押しやられる者との明暗が、あまりといえば際だつからであった。追い風を受けていったん上昇気運に乗れば、栄華の極みにまでのぼりつめ、その逆だと乞食すれすれの境遇にも堕ちかねない。明と暗、栄光と没落の図式が極端に別れるところに、この時代の貴族社会の、むごたらしい現実が露呈していた。**(下巻330頁)

小市が次第に書いてみようかなという気持ちになっていく様も描かれている。

貴族社会における恋の不条理さを言う小市に向かって、叔母(父親の為時の妹)の周防は言う。**「難のない人間はいず、不条理や不公平を伴わない愛もない。それが現実ならば、せめて物語の中ででも、理想の男性像を求めるしかないわね。小市さん、書いてみたら?」**(上巻420頁)
おそらく小市もこの様な気持で書き始めたのだろうが、次第に光源氏が自分の気持ちと乖離していき、結果として続編「宇治十帖」を書くことになったということだ。

**幾度となく読み返し、一字一字、引き写していくうちに、文字の背後にひそむ底力のごときものに小市は触発され、わしづかみにされて、
(書いてみたい! わたしも!)
激しい願望の虜となった。
(あの人に書けるなら、わたしにだって・・・・・)
でも、それは単なる比較でも競争心でもなかった。『枕草子』を凌ごうなどという気はまったくない。清少納言と張り合うつもりも、微塵もなかった。**(下巻159頁) 
そうかなぁ・・・。

**「和泉式部は情の人、清少は感性の人、そしてわたしは・・・・・」理の人とでも位置づけて、書きつづけるほかないと小市は思う。**(下巻275頁)
和泉式部、清少納言(よく分からないけれど清少納言を清少としている箇所がある)そして紫式部。平安の女流作家3人に対する杉本さんの寸評ということになる。なるほど、これは覚えておきたい。

文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」と書いてあった。だからこんな読み方をしても構わないだろう・・・。

**「ながいこと本当にごくろうさまでしたね紫式部。わたくしたちばかりでなく、源氏物語ははるか後の代まで生きつづけ、たくさんの人々に読まれつづけていくことでしょう。物語の命、その力に較べたら、一ッときを支配する権力など、儚いものですね」**(下巻334頁)
これは杉本さんが彰子中宮に語らせた労りの言葉。


大河ドラマ「光る君へ」は恋愛ドラマだと思うけれど、『散華』にはあまりそのような雰囲気は感じない。ともに紫式部の生涯を描いているけれど、テイストはかなり違う。

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「源氏物語 女たちの世界」

2024-07-12 | g 源氏物語〇

 『ことばのしおり』(信濃毎日新聞社)の著者・堀井正子さんは信越放送のラジオ番組「武田徹のつれづれ散歩道」にレギュラー出演している。堀井さんは日本文学研究家で近代文学に詳しい方。漱石、鴎外、藤村、啄木らの作品や人となり、作品の時代背景などについて番組で縦横に語っておられる。柔らかくて優しい声がとても素敵で、どんな方だろうといつも思いながら聴いている。(一部加筆) 2006年11月18日、拙ブログにこのように書いた。


堀井さんの講演会がJR広丘駅近くの「えんてらす」で開催されることを知ったのはひと月くらい前だっただろうか。その時、直ちに電話で聴講の申し込みをした。2006年来の願いが叶う。

その講演、「源氏物語 女たちの世界」~信州の源氏絵をひもとく~ が昨日(11日)の午前中に行われた。堀井さんは「源氏物語」をどのように解説されるのだろう・・・。

「源氏物語」54帖それぞれの場面、例えば有名な「雨夜の品定め」や六条御息所と葵の上の牛車の場所取りバトルなどが描かれた源氏絵(というのだそう)が松代の長国寺や県立歴史館など、長野県内各地に屏風や掛け軸などの状態で収蔵されているそうで、堀井さんの講演は、源氏物語に登場する女性たちについて、それらの源氏絵によって可視化された場面を解説していくというものだった。

スクリーンにはじめに写しだされたのは清少納言の「香炉峯の雪 *1」撥簾の図の掛け軸と琵琶湖の近くにある石山寺で紫式部が「源氏物語」を書きはじめる場面を描いた掛け軸。

紫式部の掛け軸の拡大画像に変えて「これ、まひろです」と堀井さん。聴講者の大半は年配の女性。大河ドラマを見ているのだろう、堀井さんの言葉に驚きというか、感嘆というか、そんな声があちこちから。講演のイントロとして上手いと思った。紫式部が中宮彰子(しょうし、ドラマではあきこ)に個人授業している場面も紹介された。

堀井さんはラジオで聴いていた通りの語り口で、スクリーンに写し出される源氏絵の説明をし、物語について分かりやすく解説していく。9時半にから11時半までの2時間で全54帖を語るのには時間が足りない。1帖をおよそ2分で説明するのは到底無理。堀井さんは時間が足りないことは承知しておられたが、ざっくりと物語の概要を話して終りにはしたくなかったようだ。時間内で話せるところまで、詳しく解説しようとされていた。

残念ながら解説は物語の最後まで到達しなかったが、画像は最後まですべて写し出された。特に印象に残ったのは光源氏が薫を抱いている場面。正妻・女三の宮との間に生まれた薫の実の父親は柏木。光源氏はうれしそうではなく、複雑な表情しています、と堀井さん。なるほど、確かに。光源氏はこの時、父親の桐壺帝のことを考えていたのかもしれない。後妻・藤壺との間に生まれ、後の冷泉帝となる男の子の父親が自分ではなく、息子の光源氏だということを知っていたのだろうか、と。

このことについて、堀井さんは、どちらかに決めて説くことはしなかった。桐壺帝は冷泉帝となる子どもが息子と藤壺との間に生まれた子どもであることを知っていたと私は思う。光源氏は桐壺帝と同じ経験をすることになるが、対応が違う。ふたりの対応の違いによって、紫式部は貴族社会の変化、衰退を暗示しようとしていたのではないか、と思うようになったので。

講演が終わり、進行係の方から、感想や質問があれば、どうぞと声がかかったので、私は挙手をして、堀井さんに好きなヒロインを尋ねた。若い頃は明石の君、この頃は紫の上が好きという答えだった。その理由も説明されたが、省略。

続けて、浮舟はどうでしょう、と尋ねた。答えの最後は「浮舟は尼として生きていけるのかな?「夢浮橋」ですからね・・・」という意味内容のコメントだった。あ、夢浮橋ってそういうことなのか、なるほどと納得。

「浮舟が好きなんですね」と堀井さん
「ハイ」と私 

「源氏絵」の絵解きを最後まで詳しく聴きたかったなぁ。*2


*1 白楽天の詩の香炉峰ノ雪ハ簾ヲ撥ゲテ看ル を踏まえて口で答えることなく、行動で示したという清少納言の機智。杉本苑子の『散華 紫式部の生涯 下』を読み始めたが、ちょうどこのことが出て来ていた。

*2 本の出版が予定されているそうだ。

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大町市常盤の火の見櫓

2024-07-11 | g 火の見櫓観察記


1512 大町市常盤 西山公民館 3柱66型トラス脚 2024.07.10

 昨日(10日)のヤグ活で29基の火の見櫓を見たが、この火の見櫓を見るのは初めてだった。


中間に踊り場はないが、背の高い火の見櫓だ。櫓のプロポーションも好いし、屋根と見張り台の大きさのバランスも好い。脚がトラスなのも好い。横架材の間隔がやや広いか。もう少し脚を長くして、その分横架材の間隔を狭くしても好かったかもしれない。だが、火の見櫓の製作過程で、そこまではチェックできないものと思われるし、芸術品を制作しているわけではないのだから・・・。

火の見櫓の構成要素の微妙な違いが印象に影響するということを改めて知る。丸鋼の交叉ブレースに割枠式ターンバックルが使われている。リング式ターンバックル(輪っか)がないと少し寂しい。


大町の火の見櫓の外付け梯子には落下防止カゴが付いている。


脚部 トラス脚。下端だけ、トラスを形成していないのはちょっと残念。


 

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久しぶりのヤグ活 3/3

2024-07-11 | g 火の見櫓観察記

 


21 松本市新村



22 松本市新村 木造梯子(踏み残:山形鋼)控え柱付き 手前に木柱の街灯



23 塩尻市洗馬



24 塩尻市宗賀



25 塩尻市宗賀



26 上伊那郡辰野町小野 どしゃ降り 



27 上伊那郡辰野町小野



28 上伊那郡辰野町小野 登録有形文化財登録見込み 辰野町でもう少しヤグ活したかったが、どしゃ降りであきらめた・・・。



29 塩尻市塩尻町


7月10日のヤグ活は以上(1/3 2/3 3/3)の通り

ヤグ活は歩く。昨日の歩数は約11,500歩だった。

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久しぶりのヤグ活 2/3

2024-07-11 | g 火の見櫓観察記

 


11 北安曇郡松川村



12 安曇野市穂高 火の見櫓のある風景



13 安曇野市穂高 



14 安曇野市穂高 



15 安曇野市穂高 緑化火の見



16 安曇野市三郷



17 安曇野市三郷



18 安曇野市三郷



19 安曇野市三郷 



20 松本市梓川

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久しぶりのヤグ活 1/3

2024-07-11 | g 火の見櫓観察記

 昨日(10日)、久しぶりにヤグ活をした。群馬の火の見ヤグラー・長井さんと彼の弟さんを案内、20基をノルマに北は大町市美麻から南は辰野町まで終日櫓めぐりをした。午後の降雨で夕方早めに切り上げたが、29基見ることができた。その内初見はNo.8の1基。以下、観察順に3回に分けて全形写真を1カットずつ載せていく。


1 安曇野市明科七貴



2 北安曇郡池田町



3 大町市 竈神社の太鼓櫓(火の見櫓の用途ではない)



4 大町市三日町



5 大町市美麻 僕を火の見沼に誘い込んだ罪な木造櫓(2012年に現在の場所に移設された)。



6 大町市常盤



7 大町市常盤



8 1512 大町市常盤 



9 北安曇郡松川村



10 北安曇郡松川村


 

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「散華 紫式部の生涯」杉本苑子

2024-07-08 | g 読書日記

420
『散華 紫式部の生涯 上』杉本苑子(中央公論社1991年図書館本)

 毎週月曜日と木曜日の午前中、9時半ころから10時半ころまでなぎさライフサイトのスタバで朝カフェ読書をするのが私の日々の生活での1週間単位のルーティン(routine)。今朝(8日)は『散華』上巻を読んだ。『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いた小説と知り、読んでみようと思った。で、図書館で借りてきて、読み始めた。

登場人物が多い。「藤原為頼・為時略系図」「藤原文範関係略系図」「藤原義懐略系図」というように示されてはいるが・・・。『源氏物語』(現代語訳)を読んだ時と同じように、これらの系図を参照しながら読む。

読み始めて感じたことをどう例えよう。そう、出航前の客船に次々乗客が乗り込んでくる様を描いているかのよう。やがて出航し、航海するだろう。どんな航海なのか・・・。平穏な航海ではないだろうと予想する。

下巻の目次を見ると「越前国府」から始まっている。主人公の小市(紫式部、大河ドラマではまひろ)が『源氏物語』を書きはじめるのは下巻になってから、と分かる。下巻の第6章は「宇治十帖」。下巻を楽しみに読み進めよう。

読み始めたばかりだけれど、この小説をスタバで顔見知りの店員さんに薦めた。彼女はぼくと同じで、角田光代訳の『源氏物語』を読んだと聞いているので。


 

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「第四間氷期」を読む

2024-07-04 | g 読書日記


 マイクル・クライトン(マイケル・クライトン)は『ジュラシック・パーク』(ハヤカワ文庫)で、琥珀に閉じ込められた蚊の体内に残っていた血液から抽出したDNAをスーパーコンピューターで解析、複雑な作業を経て恐竜をよみがえらせるというアイデアを提示した。


また、安部公房は『第四間氷期』(新潮文庫1970年11月10日発行、1971年3月10日2刷)で、胎児は生命の進化の過程を再現する(*1)ということから、水棲哺乳類、水棲人間を誕生させた。

**御存知のように、個体発生は系統発生を繰返すものです。厳密に言えば、祖先の形をそのまま繰返すわけではないのですが、ともかく基本的な対応関係をもっている。そこで、その発生的段階において、なんらかの手を加えてやれば、その生物を系統発生から引離し、まったく新しい種にしてやることもできるわけだ。**(141頁)作品中には鰓呼吸する水棲哺乳類、水棲人間の育成プロセスの詳細な記述がある。

安部公房の『第四間氷期』はサスペンス的な要素もあるSF。安部公房の想像力の凄さに感動すら覚えた。

太平洋海底火山群の活発化等による海面上昇で**ヨーロッパはまず全滅、アメリカにしても、ロッキー山脈をのぞけば完全に全滅だし、日本なんか、先生、山だらけの小島がぽつんぽつんと、五つ六つ残るだけだというんですからなあ・・・・・。**(231頁)

こんな未来予測にどう対応するか。水棲人、海中で生存できる人間に未来を託そうとする研究者たち・・・。安部公房がこの作品を発表したのは1959年(昭和34年)、テーマは古くなるどころか、今なお、極めて現代的だ。

3月から安部公房の作品を通読しているが、感じるのは論理的で緻密な思考。『第四間氷期』でもこのことを感じた。展開されるストーリーは説得力があってリアル。荒唐無稽な印象は全くない。ラストの紹介は省略するが、なんとも印象的でかなり上空から海面を俯瞰する映画のラストシーンのよう。



*2 **胎児たちは、あたかも生命の誕生とその進化の筋書きを諳んじているかのごとく、悠久のドラマを瞬時の〝パントマイム〟に凝縮させ、みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。**と『胎児の世界』(中公新書)の著者、三木成夫氏はまえがきに書いている。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。7月4日現在13冊読了。残り10冊。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月

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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読む

2024-07-02 | g 読書日記

360
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(集英社新書 2024年4月22日第1刷発行、5月19日第3刷発行)を読んだ。この本は今ベストセラーになっているそうだ(6月22日付日経新聞読書(書評)面ほか)。

著者の三宅さんは本が読めなかったから、会社を辞めたとのこと。本の虫。**好きな本をたくさん買うために、就職したようなもの**(14頁)とまで言う三宅さん。

本も読めない働き方が普通の社会っておかしくないか、という問題意識から明治以降の読書の歴史を労働との関係から紐解き、読書の通史として示している。読書史と労働史を併置し、どうすれば労働と読書が両立する社会をつくることができるか、を論じている。

本書の終盤のなぜ本は読めなくてもインターネットはできるのか、という論考は興味深い。三宅さんは本は知りたいことだけでなく、「ノイズ」も含まれている、インターネットの情報はノイズが除去されていて、知りたいことだけ提供されてると指摘し、次のようにまとめている。**読書は欲しい情報以外の文脈やシーンや展開そのものを手に入れるには向いているが、一方で欲しい情報そのものを手に入れるに手軽さや速さではインターネットに勝てない。**(207頁)


『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史(光文社新書2023年 過去ログ

映画を早送りで観る人たちが話題になったことも本書で取り上げられている。映画を鑑賞モードではなく、情報収集モードで見る人たち。効率よく情報を得るのに、ノイズ混じりの読書は不向きだ。ノイズのない情報をいかに効率よく収集するか、現在の労働社会では情報収集の効率性が求められる。だから読書ではなくインターネット、という図式。

**本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。**(234頁)

だが、自分とは異なる価値観、自分には関係がないと感じる知識、ノイズこそ大切だ、と三宅さんは説く。**他者を人生に引き込みながら、人は生きていかなくてはならない。**(230頁)のだから。他者を自分の人生に引き込むとは、自分とは関係ないと思われるノイズを排除しないで受け入れること。

それを可能にするために三宅さんは全身全霊をやめよう、全身労働社会から半身労働社会、分かりやすく言えば働きながら本を読める社会への転換を提言する。

「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ってどんなことが書かれた本ですか?」とKちゃんに問われれば(Kちゃんでなくても)、「要するにワーク・ライフ・バランスを最適化しましょう、と説いた本」とぼくは答える。「読書好きな著者の三宅さんはワーク・ライフ・バランスのライフを読書に代表させて「仕事と読書の調和」の必要性を説いている。これを個人の問題に帰着させてしまうのではなく、働き方と関係づけて論じたところがミソかな」と。そして、「巻末に示されている参考文献は10頁にも及ぶ。このような多くの文献をベースに分かりやすく論じているところも本書の魅力」と付け加える。


 

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