従来の「携帯電話」は電話とメールの機能しかなかったが、最近では上記のような機能が付加された多機能ツールとなった。もはや携帯電話ではない。「ケータイ」は原義から離れてこの多機能ツールの名前として定着した、と思う。先日のNTTDoCoMoの新聞広告でもケータイと表現されていた。
『空を飛ぶ恋 ケータイがつなぐ28の物語』新潮文庫 には人気作家が描いたケータイにまつわる短編が収録されている。ところがなんとケータイという表記が出てくる作品は一編しかない。どうやら作家達はこの若者コトバのケータイを作品にあまり使いたくないようだ。
ケータイと書きそうな川上弘美や阿川佐和子は携帯電話、携帯と書き、金原ひとみは携帯、重松清は携帯電話としている。柳美里のケイタイは例外だろう。ではいったい誰がケータイという表現を使ったのか・・・。
意外なことに高村薫。
**上着のポケットのなかでごわごわしているお前は、携帯電話ではなく、ケータイなんだそうだ。**
「ケータイ元年」と題するこの短編で著者は、アメリカから帰国して七年ぶりに東京本社勤務となった大会社の部長が「えー?ケータイ持ってないの!」といわれてケータイを使い始めた頃をユーモラスに描いている。あの硬派の高村薫、いつもとは違う雰囲気の作品だ。
28のケータイ・ストリー。さすがプロの書き手、どの作品もいい。でも一番好きなのは、川上弘美の「不本意だけど」。