透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「春ラ!ラ!ラ!」

2015-03-30 | A あれこれ

 「春ラ!ラ!ラ!」 石野真子 昭和55年。

「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」を+で見ています。 そう、今夜はアルコールな夜のブログです。

この番組で石野真子ちゃんをずいぶん久しぶりに見ました。 昭和55年は西暦で1980年、35年前です。当時彼女は19歳でした(って知っていたわけではなく、ネットで調べました)。あの頃の真子ちゃんはストライクゾーンに入るかどうか微妙なところ。厳しく判定すればボールだったかも。

で、今54歳! 赤いドレス姿の彼女はとてもチャーミングでした。若いころより魅力的とさえ思えました。いや、この印象は決してアルコール効果によるものはでないと思います。  今ならまちがいなくストライクゾーンのど真ん中!

こんなこと書いちゃっていいのかな。 いいんです!



 


ブックレビュー 1503

2015-03-29 | A ブックレビュー

 
 

 毎年恒例、花咲か爺さんの全国ツアーがこの鄙里にやってくるのはまだしばらく先になりそうだ。

3月の読了本は4冊。

『形態デザイン講義』内藤廣/王国社
『日本近代建築の歴史』村松貞次郎/岩波現代新書
『松本景観ルネッサンス』溝上哲朗/書肆 秋櫻舎
『日本全国獅子・狛犬ものがたり』上杉千郷/戎光祥社

溝上氏の『松本景観ルネッサンス』はなかなか興味深い内容だった。松本城下の通りの計画を論じたもので、松本平の周囲の山々をアイストップとして計画されているということを実証的に示している。

シンプルな三角形の山容の常念岳は松本平のシンボル的な山だが、この山を城下では見ることができないようにして、松本城の黒門手前のところからだけ見ることができるように計画されているという溝上氏の発見。

この常念岳の囲い込みと利休の「朝顔の茶会」の演出とは瓜二つだという氏の見方は、なるほど!だった。

*****

狛犬研究の第一人者である上杉千郷氏の『日本全国獅子・狛犬ものがたり』は狛犬の教科書のような本だ。

この本との偶然の出会いが僕を狛犬の世界に誘うことになった・・・。


 3955


春の朝 0329

2015-03-29 | E 朝焼けの詩


春のフォトアルバム 撮影日時 150329 05:44AM

■ 平安の才女が春はなんてったてあけぼのよとエッセイに書いたけれど、平成のヨッパライ中年もそう思う。

前稿に書いた通り、昨日は鄙里のラーメン屋でよく飲んだ。でも今朝はいつも通り早起きした。牛乳と豆乳を飲んで、昨晩頑張ったカラダを慰めた。

リビングの窓の障子を開けて東の空を見ると、朝焼け。淡いベージュ色に染まっていた。その様は刻一刻と変わっていく・・・。


 


春の朝 0328

2015-03-28 | E 朝焼けの詩


春のフォトアルバム 撮影日時 150328 05:39AM

今朝早く東の空一面がオレンジ色に染まっていた。久しぶりにリビングの東の窓からカメラを構えて写真を撮った。

さて、今日は60数戸ある鄙里の集落の長としての仕事をいくつかこなさなくてはならない・・・。


 


狛犬本

2015-03-24 | C 狛犬



 『日本全国 獅子・狛犬ものがたり』 上杉千郷/戎光祥出版  なかなかおもしろそうな本を見つけた。知らない出版社だが、えびすこうしょうしゅっぱん と売上カードにルビがふってある。 

狛犬について分かりやすく書かれた本だ。この教科書的な本を読んで狛犬に関する基礎的な知識を得れば、狛犬の見え方が変わってくるだろう・・・。いままで見えなかったものが見えてくるかもしれない。

既に書いた喩えだが、星座に関する知識がなければ、満天の星をみても星座は見えず、ただ星がランダムに散らばっているとしか見えない。

狛犬についても然り。狛犬について知れば、姿・形の細部の違いが見えてくるだろう。

章立てを書いておこう。

第1章 一歩近づいてみる獅子・狛犬
第2章 獅子、東へ走る
第3章 狛犬はこうして生まれた
第4章 官から民へ、変身する狛犬たち
第5章 日本全国・狛犬めぐり
第6章 シーサーと世界の獅子
第7章 〝獅子舞〟小ばなし

第1章に獬豸(かいち)という中国の想像上の猛獣が図とともに紹介されている。先日見た和田の西善寺の涅槃図には、この獬豸によく似た動物が描かれていた。

**この獣は頭に一角を持ち、人が闘うところを見れば邪悪なほうに挑み、人の論を聞けば不正のほうを噛む、正邪を分かつ獣であるとされています。この獬豸の持つ性質が邪悪を祓う狛犬と重ね合わされ、獬豸の持つ角が狛犬にもつけられたということです。**(25頁) このような知識を得てから狛犬を見れば、頭部に角を探すようになるだろう。

**「狛犬」の「狛」は、広く異国のもの、エキゾチックなものという意に解釈するべきだと思われます。**(64頁)



 


528 松本市和田の火の見櫓

2015-03-23 | A 火の見櫓っておもしろい


528

 松本市和田の西善寺の涅槃図が公開されていることを新聞記事で知り、最終日(22日)に見に行って来た。縦4.7メートル、横5.4メートルもある大きなもので、中央に入滅した釈迦、その周りに多くの弟子たち、下の方にさまざまな動物たちが描かれていた。動物の中には狛犬ではないかと思わせる、動物も一対描かれていた。

寺のすぐ近くでこの火の見櫓に遭遇した。櫓の中央部分に表面がつるりんちょな半鐘とサイレンを設置してある。
櫓の下半分のデザインは火の見櫓そのもの。リング式ターンバックル付きのブレース、それと脚元も火の見櫓だ。

上半分はかなり細い櫓で柱材を水平部材で繋ぐ構造。そして櫓のてっぺんにふたつのスピーカーを設置してある。







ユニークな姿・形の火の見櫓だ。

火の見櫓の後継として立てる防災無線柱も、1本柱では味気ない。このような火の見櫓とのミックスタイプのデザインならいいのに・・・。


 


527 塩尻市北小野の火の見櫓

2015-03-22 | A 火の見櫓っておもしろい


527 両小野中学校(塩尻市北小野)のグラウンドの隅に立つ火の見櫓

 矢彦神社と小野神社の狛犬を見てからの帰路、火の見櫓が見つかるかもしれないと思い、国道153号(旧三州街道)から北小野地区の生活道路に入りこんでみた。しばらく狭い道路を進んだところでこの火の見櫓が目に入った。

姿・形の整った火の見櫓だ。周囲をフェンスで囲ってある。生徒たちの立ち入りを禁止しているのだろう。



屋根の上に本格的な避雷針がすっと立っている。反りのついた方形の屋根、下り棟の先に飾りの蕨手が付いていないのは残念。屋根と見張り台のバランスが良い。

どうやら、ここ数年の間に塗装されたようだ。

脚部の写真も載せておく。ピントが合っていないし、逆光でうまく撮れていないが記録としては無いよりマシだろうから。




 


小野神社の狛犬

2015-03-21 | C 狛犬



 前稿の矢彦神社とこの小野神社(塩尻市北小野)とはもともと同一の神社だったそうだ。それがなぜ二社に別れることになったのか、その経緯や矢彦神社が塩尻市内の飛び地の辰野町にあるのか、興味深い。ウィキペディア等に記事があるから、俄か勉強で得た知識はここには書かない。



大鳥居から直線的に拝殿まで伸びる参道に狛犬がいた。  台座に刻まれた文字によると建立は大正7年(1918年)8月。今年98歳になる狛犬だ。







矢彦神社の狛犬と同様に、それ程個性的でもないような気がする。もっとも違いが分からぬ男が観察しているのだから、あやしいが・・・。

参道に体を直交させ、頭だけを鳥居の方に向けて、不審者というか悪霊が聖域に入り込まないか見張っている。



矢彦神社の狛犬

2015-03-21 | C 狛犬

■ 塩尻市内の野町飛び地にある矢彦神社の狛犬に会いに行ってきた。前稿に挙げた上西条の道祖神からここまでは車で10分とかからない。隣接する小野神社(塩尻市)と共にうっそうとした社叢(しゃそう:この言葉はいままで知らなかった)に囲まれている。


神楽殿


勅使殿


拝殿

手前の神楽殿から勅使殿、そして拝殿と直線状に並ぶ。拝殿の手前に狛犬がいた。 



右 獅子 いつ頃からか知らないが、阿形の獅子と吽形の狛犬をまとめて狛犬と呼ぶようになったという。





左 狛犬 榊で顔が隠されている。



台座に彫り込まれている文字により昭和5年11月の建立で、設計・彫刻が小野肇という人だと知る。

先日見た阿禮神社や三嶋山神社の狛犬ほどユニークではなく、おとなしいというかオーソドックスな印象。体の表面の装飾的意匠はよく見ると左右で違っている。

狛犬は石工の遊び心によってユニークな姿・形のものが少なくないようだ。狛犬ファンがかなりの数になることも頷ける。


 


塩尻市上西条の道祖神

2015-03-21 | B 石神・石仏



 週末のサードプレイス、カフェバロでケータイで撮った上のようなアングルの写真をFさんから見せてもらった。

さて、どこの火の見櫓だろう・・・。塩尻市内だという道祖神と火の見櫓の所在地の説明を受けてもよく分からなかった。帰宅してから調べて、既に見たことのある火の見櫓であることが分かった。だが、間知ブロック積みの擁壁を窪ませたところに祀ってある道祖神には気がつかず、観察していなかった・・・。

で、今朝(21日)、出かけてきた。道祖神の前の道路は三州街道ではないかと思うが、どうだろう。





酒器像。向かって左側の女神が酒器を手にしていて、右側の男神が手に持つ盃に酒を注いでいる。両神のまんじゅうのような丸い顔、温和な表情。分かりにくいが顔の上に御幣が彫ってある。

建立年を知りたかったが、裏面に見つけることはできなかった。


 


― 消えた・・・

2015-03-17 | A 火の見櫓っておもしろい

  カタクラモール再開発予定地の火の見櫓と消防団詰所の解体・撤去がほぼ終わった。



昨日(16日)の夕方行ってみると、かろうじて火の見櫓の立ち上り基礎と火の見櫓の柱脚部分(等辺山形鋼)が残っていた。大正15年に建設され、地域の安全遺産として貴重だった火の見櫓が消えてしまった。

こうして1基、また1基と火の見櫓が姿を消していく・・・。


 


「やしょうま」

2015-03-15 | A あれこれ

 お釈迦さまの命日の法要・涅槃会(ねはんえ)の供え物として米粉でつくるものを「やしょうま」といいます。やしょうまをつくるのは長野県内だけでしょうかね。

お釈迦さまは陰暦の2月15日にクシナガラという所で入滅されたとのことですが、今日(3月15日)、菩提寺で涅槃会が営まれました。


△ 薄く切る前ののり巻き寿司のような「やしょうま」が2本写っています。


△ やしょうま 包丁で薄くきりましたが、糸で切ることもあります。


△ 配布用に袋詰めにしたやしょうま

菩提寺でつくるやしょうまの材料は米粉、砂糖、塩、片栗粉、食紅です。米の粉を湯で練って蒸してつくります。食紅で色(赤、黄、緑)をつけて棒状にしたものを巻き込むようにしてつくります。絵柄に凝ったものもあるようですが、菩提寺でつくるのは写真で分かる通りシンプルなものです。

昨日の午後、檀家総代の奥さんたちが寺に集まってつくったものを今日の午前中に薄く切り、参列者に渡せるように袋につめました。

本堂にお釈迦さまの入滅の様子を描いた大きな涅槃図(ネット検索すれば涅槃図がいくつもヒットします。)の軸を掛けて法要を営んだ後、参列された皆さんにお渡ししました。

*****

3年間務めた総代ですが、この法要が最後の行事です。新しい総代と引き継ぎをしてから、慰労会をして終わりとなります。