透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

PFCって何?

2010-09-30 | A あれこれ



■ 残業。食事に出る時間が惜しくて、やむなくカップヌードルで空腹をしのぐ。日清食品のカップヌードルライトを食べたのは初めて。ふたの裏側に「気にしてますか?PFCバランス」とある。PFCってなんだろう・・・。

よく見るとPFCの説明も印刷されている。PはProteinでたんぱく質、キサントプロテイン反応って中学の教科書に出てきたかな。FはFatで脂質、そしてCはCarbohydrate(カーボハイドレイト)で炭水化物。食事の三大要素の略号を並べたものだと知る。

アルファベット3文字の略号が多い。IMF、JBL、GPS、WHO、CPU、・・・。PFCと似ているものにPFIがある。EECはもう無くなったが、これが出てきたのは小学校の社会科書だったかな。

どうもこの種の略号は意味を理解しないとなかなか覚えることができない。GPSがGlobal Positioning System の略号だと知ると、ああ、なるほどそういう意味かと分かるが、略号の氾濫には閉口する。


078 塩尻市桟敷の火の見櫓

2010-09-30 | A 火の見櫓っておもしろい

 
078 塩尻市桟敷

 桟敷公民館の道祖神のすぐ近くに立っている火の見櫓というのがこれ。

屋根の印象が今まで見てきた火の見櫓と異なるのは、むくっているように見えるからか(「むくる」は「反る」の逆)。理由が分からないが、見張り台に水平ルーバーが付けられている。写真で屋根の下が黒く見えるのはそのため。

銘板により昭和29年の竣工だと分かった。


 追記:水平ルーバーは鳥避けかもしれない(160605)


彼岸花

2010-09-29 | B 繰り返しの美学

片倉館の屋根

「繰り返しの美学」は建築を構成する要素(例えば窓)を、その属性(大きさ、形、色、材質など)を変えることなく等間隔に直線的に繰り返すという単純ではあるがタイトな条件によって秩序づけられた状態に美を見いだそう、という試み。上の片倉館のドーマーの屋根のように。

対象を建築に限定しない、構成要素の属性を変えることも認める、等間隔という条件をルーズにする、直線的という条件をはずして例えば平面的に繰り返すことなども認めるというように条件を緩和すると、いろんなものが「繰り返しの美学」の対象となる。下の彼岸花のように。


田んぼの畦に咲く彼岸花

彼岸花の直線的な繰り返し(等間隔ではないが)が季節限定の繰り返しの美学な風景をつくり出している。

どのような視点で観察するか、これがポイント!

旧島々駅舎

2010-09-29 | A あれこれ

路上観察 旧島々(しましま)駅舎

■ 大正9(1920)年に建設された島々線の駅舎(島々線は昭和30(1955)年に上高地線に改称された)。

昭和41(1966)年に島々駅の一駅手前の赤松駅(赤松地区の火の見櫓をしばらく前に載せた)が新島々駅と名称が変わった。島々駅は無人駅となり、その後昭和58(1983)年の台風による土砂災害がきっかけで新島々~島々間が廃止された。

旧波田町(松本市波田)が平成2(1990)年にこの駅舎を新島々駅の向かいに移築。現在は農産物などの直売所を兼ねた観光案内所として使われている。

今でも駅舎として現役ならいいのに、いや、解体されずに保存されているだけでも喜ぶべきか・・・。


塩尻市桟敷の道祖神

2010-09-28 | B 石神・石仏


塩尻市の桟敷公民館脇の双体道祖神 

 遠くから見えた火の見櫓めざして車で集落の中の狭い道を進んだ。火の見櫓のすぐ近くにこの道祖神が立っていた。両神の表情がよく似ている。女神が随分大きな酒器を手にしているが祝い事には酒が付き物だ。右の男神が手にしている盃には賽銭が置いてあった。

側面の刻字から安政5(1858)年の作と分かった。永い年月人びとの日々の暮らしをそっと見守ってきた道祖神。火の見櫓と共にこれからも・・・。


「大江戸生活体験事情」

2010-09-27 | A 読書日記


 季節に合わせて時刻を変える「不定時法」。1日を昼と夜にまず分けてそれぞれを6等分して一刻(いっとき)を決める。この方法だと冬至の昼は一刻が1時間50分、夜は一刻が2時間10分くらい、夏至は昼の一刻が2時間40分、夜が1時間20分くらいになるという(上の表紙に昼の時刻(明六つ)を示すイラストがある)。季節で昼も夜も一刻の長さが違うのだ(そうか、知らなかった・・・)。

この不定時法で生活してみて、著者の田中さんは野鳥が不定時法で生活していること、人も不定時法の方が身体のリズムにあっていることなどが分かったという。

行灯のもとで版本や浮世絵を見ると非常にくっきりと見えるそうで、浮世絵を電灯のもとで見るのと行灯のもとで見るのとでは印象が全く異なるそうだ。

筆は今と江戸時代ではかなり違うようで、巻筆と呼ばれる江戸時代の筆は仮名の繊細な線が美しく書けるそうだ。このことも田中さんが試して確認している。

他にも火打ち石で火をつけてみたり、着物で暮らしてみたり(私がテレビで見る田中さんはいつも着物姿だ)、下駄履きで歩いてみたりといろいろ試している。

体験江戸学、体験して初めて気が付いたエコな江戸の暮らしの知恵と技術を紹介する本。

『大江戸生活体験事情』 石川英輔・田中優子/講談社文庫

070~076 茅野の火の見櫓たち

2010-09-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 茅野の火の見櫓たちを紹介します。


①070


②-1   071


②-2 JR中央東線青柳駅近く

①と②の火の見櫓は中央東線の電車からよく見えます(進行方向右側の窓から)。
②は重量鉄骨で組んだ火の見。


③-1  072


③-2 金沢 大沢


④-1  073  

踊り場への梯子の掛け方に注目


④-2 金沢小学校前
 
屯所の2階から直接上ることができるように空中梯子が掛けられています。


⑤  074 金沢 下町


⑥  075 宮川 坂室


⑦  076 宮川 田沢

火の見櫓の後ろに邪魔なモノが・・・


 


068 十基十色

2010-09-25 | A 火の見櫓っておもしろい



 
068

 松本市波田に火の見櫓が何基あるのか分からないが、いままでに4基観察した。あと1基、国道158号線沿いにあることに気が付いているが、車を停める場所がなく、観察できないでいる。

この火の見櫓の柱脚部分は写真のようにベースプレートとアンカーボルトが露出している。これは火の見櫓では珍しいのでは。私は初めて見た。コンクリート基礎に埋め込んでいるのが一般的ではないかと思う。

火の見櫓の構成要素はそれ程多くはないが、デザインは「十基十色」だ。

火の見櫓っておもしろい!  


 


旧波田町役場庁舎

2010-09-25 | A あれこれ
『火の見櫓 地域を見つめる安全遺産』鹿島出版会  によると長野県内には火の見櫓が2300基くらいあると推定されるという(松本在住の方が1870基確認したそうだ(2004~2005年))。

そんなに多いならこのブログも火の見櫓にカテゴリーを限定してしまおうかなどと考えたが、それでは書いていてつまらない。発散型人間にはカテゴリー限定ブログは無理だ。もっとも最近は火の見櫓を取り上げることが多いが。

さて、今回は先端のデザイン。

大正14(1925)年に建設された木造の波多村役場(当時は波田ではなく波多と表記していた)。


旧役場庁舎全景 

L型プランの場合、折れ点をエントランスにしていることが多い。左右対称重視の結果か。玄関ポーチの上がバルコニーになっている。当時はなかなかハイカラな庁舎だっただろう。


屋根の上の平面形が四角形の塔

塔の方形(ほうぎょう)の屋根を銅板一文字葺きとし、頂部に槍の先のような飾り(フィニアル)を付けている。手前の切妻屋根の棟端にもやはりフィニアルを付けている。

フィニアルは西洋館に必須のアイテム。垂直性を強調した中世ゴシック教会のデザインを明治初期にそのまま取り込み、それが全国に広がった、ということか・・・。

ここを訪ねたのは休日で中に入ることはできなかった。塔の部分の内部空間がどうなっているのかいつか確認したい。