透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

遠景から近景へ(追記) 

2006-11-30 | A あれこれ

■東京 建築観察記 4

                            

一葉記念館 柳澤孝彦 (061125)

柳澤孝彦氏の作品は何ヶ所か見学しているが、雑誌などで文章を読む機会が少ないから氏の建築理念についてはほとんど何も知らない。


『建築家のメモ メモが語る100人の建築術』丸善 に収録されている氏の「メモ」には**建築を一要素とする環境としての風景は、地勢と建築のデザインの双方を、重ねあわせたところにこそ開かれる。**と書かれている。
**私は常々、建築100%、ランドスケープ100%、合計200%と思い続けている。** と柳澤氏は文章を続けている。

一葉記念館が立地する台東区竜泉にはいわゆる路地空間や地域のコミュニティが今でも残っている。柳沢氏がこのような環境との調和を意図して計画したことを遠景から覗うことができる。伝統的な連子格子によってファサードのデザインを抑制して、周辺環境によく馴染む落ち着いた雰囲気の創出に成功していることによる。

建築に近づくとアルミ製の格子がモダンな印象に変わるが、縁甲板を型枠にしたコンクリート打ち放しの外壁(柳沢氏が好んで使う出目地付き)とよくマッチしている。ただ1階のスチール製(だと思うが)の黒い格子と外壁との納まりはなんとも不自然で、竣工後に追加設置したような印象だった。受付で訊いて、当初から計画されていたということを確認したが・・・。

この記念館の主人公、一葉については機会があれば書きたいと思っている。

ところで、『建築家のメモ』で柳澤氏は「中川一政美術館」をとり上げている。川上弘美の最新作のタイトルにもなった「真鶴」にこの美術館をいつか再訪したいと思う。


10年以上前に訪ねた時のパンフレット


 


スパイラルな表参道

2006-11-28 | A あれこれ

■東京 建築観察記 3

表参道ヒルズについて設計者の安藤さんは、新建築に寄せた「公共という主題」という文章を**とにかく難しい仕事だった。**と書き出している。企画から完成まで12年にわたるプロジェクト、100人近い権利者との打ち合わせ、その苦労を**冗談でなく100倍のエネルギーが要った気がする。**と書いている(06年5月号)。困難な仕事をまとめた安藤さん、闘う建築家の面目躍如といったところだろう。



さて、この表参道ヒルズ観察記。これは、表参道ヒルズの内部の様子を写したものだが、もう少しアングルを工夫すれば、どこかのショッピングストリートに見せることが出来そうだ。

安藤さんはこのプロジェクトの経緯について**表参道と建築空間を繋ごうという話が、建物の中にもうひとつの街路を、もうひとつの街をつくろうという話に発展していった。**と紹介している。そのことは、この文章を今日再読するまで知らなかった。そういうことだったのか・・・。この内部空間の構成がよく分かった。表参道ヒルズは建築の中に街をスパイラル状に創ったところなのだ。そのように捉えると上の写真がどこかのストリートに見えて当然だ。そして下の写真は、「内部空間化されたスパイラルストリート」の様子をよく示している。



休日ともなるとこのショッピングストリートを設計者の目論み通りに大勢の人たちが「回遊」する。先日私も回遊したがなんだか息苦しかった。あまりに閉鎖的なのだ。せめて一ヶ所、黒川さんがやったように抜けていたら、そして表参道のケヤキの紅葉が見えたら・・・。そのためだったらもう少し高層にしても良かったのに、私はそう思う。



それが無理だとするなら、安藤さん、吹き抜け空間の上に屋根など造らないで欲しかった、「住吉の長屋」のように。

もうすぐクリスマス、この吹き抜けに雪が降る・・・、最高の演出だと思うけどな。開閉式の屋根という手だってあったじゃないですか。 クリスマスのころ東京には雪なんか降らないか・・・。


 


開いた建築、閉じた建築

2006-11-28 | A あれこれ

■東京 建築観察記 1

① 日本看護協会ビル 黒川紀章(061126)

表参道に面する大きな屋根つきの開口。ビルの向こうに緑が見えるが、これも通りからのビスタを意識して計画的に植栽されたもの。階段の上はカフェテラスになっている(写真②)。


② 紅葉したケヤキの向こうに見えるのが表参道ヒルズ。


③ 表参道ヒルズ 安藤忠雄(061126)


④ 表参道ヒルズの裏側へ抜ける通路から見る。向こうに見えるのが日本看護協会ビル。

このふたつの建築は都市(と表現するのが大袈裟なら、表参道)との関係が対照的だ。日本看護協会ビルは黒川紀章の設計だか、私的な領域と公的な領域との間に公私の中間的な領域を設けている。日本の伝統的なすまいに見られる縁側のような空間なのだと黒川氏はこの中間領域を説明し、その必要性について早くから唱えている。約30年前に竣工した福岡銀行本店にもこの考え方が適用され、ここと同じような大きな屋根(大袈裟だと思うが、当時アーバンルーフと黒川氏は説明していた)付きの空間が計画されている。随分昔に九州まで見学に出かけた。

都市と建築との「共生」のために必要な空間ということなのだろう。日本看護協会が掲げる社会への貢献という理念とも合致している。

一方、安藤忠雄設計の表参道ヒルズは表参道に対して閉じている。このことは既に書いたが、大規模な建築の割には出入口が小さい(写真③)。ただしこれは意図的なものだろう。

向かい合っているふたつの建築、表参道との関わり方が全く対照的なことは写真だけでもよく分かる。私は黒川氏の考え方に共感する。

安藤さんは自閉する建築が好きなんだなと改めて思った。あるいはクライアントの要望を受け入れたのかもしれないが、「表参道との空間的な繋がりを考えて欲しかった」と思う。表参道ヒルズについては稿を改めて書く予定。


 


東京 建築観察記 概要

2006-11-27 | A あれこれ

東京で建築してきました。25、26日、充実の2日間でした。

○ 一葉記念館(柳澤孝彦)
○ 村井修建築写真展 「都市の記憶」 竹中工務店東京本店ギャラリー
○ パラレル・ニッポン 現代日本建築展 1996-2006 東京都写真美術館
○ 表参道ヒルズ(安藤忠雄)、日本看護協会原宿会館(黒川紀章)
○ 第15回 現代日本の建築家展   GA gallery
○ 伊東豊雄 建築|新しいリアル  東京オペラシティアートギャラリー


 


色の意味

2006-11-24 | A あれこれ



色はデザインの重要な要素だ。車、家電製品、ファッション、もちろん建築の場合にも。色の選択は恣意的に行なわれることもあるし、色の持つ意味、機能によることもある。選択した色に後から意味付けをする場合もある、あたかもその色が必然であるかのように。

西伊豆の松崎町には屋根を黄色に塗装した集落がある。町に「伊豆の長八美術館」を設計した石山修武さんの提案によるが、この色には当初国からクレームがついたらしい。景観上黄色は好ましくない、ということだったのだろう。

石山さんはこれは「うこん色」、日本の伝統色なのだと反論した。役人は伝統色という説明に納得したらしい。それで黄色い集落が出現したというわけだ。ただ、何故うこん色なのか、そのことについて石山さんの説明があったのかどうか記憶に無いが、たぶん何らかの理由付けがされているはずだ。建築のデザインには説明が求められる、もちろん色についても。

しばらく前に祝祭性を演出するのにアイシティの場合には旗が有効だと書いた。昨日久しぶりに出かけてみると旗の色が替わっていた。このえんじは好きな色だがクリスマスの色でもないし正月の色でもない。この色は何かを表象しているのだろうか。

恣意的に選択された色は弱い。やはり、意味というかメッセージ性が欲しい。「豊かな緑」と表現する場合、緑が自然を表象するように。仮にクリスマスカラーの濃い赤と緑だったら、そして大きなツリーが飾られたらここは楽しい空間になったのに・・・。そういう祝祭性の演出は商業空間には大事だと思うけれど。しばらく前にもそう書いたが、しつこく繰り返しておく。

 


1123

2006-11-23 | A あれこれ

 **君の新しい記念館がこの秋に完成するそうですね。設計したのは柳澤孝彦さんという東京藝大出身の有名な建築家。美術館をいくつか手がけたベテランだからきっと素敵な記念館ができると思います。ぼくも是非見学に行きたい。記念館のオープンが11月23日だとしたら、君はどう思うだろう・・・。**

君にこの手紙を書いたのは、ここ信濃が春爛漫の四月は二十二日のことでした。あれから七ヶ月。小雪も過ぎて早、冬の気配が感じられます。手紙の最後にはこんなことを書いていたんですね。僕は君の記念館はもしかしたら今日、君の命日に開館するのでは、と思っていたのです。でももう開館したんですね。

どんな建築だろう・・・。まだ雑誌には掲載されていないようだけれど、先日ようやく写真を見つけました。正面はどうやら連子格子、光と影が織り成す静謐な空間・・・。 

この記念館の所在地、台東区竜泉は、**「たけくらべ」の素材を得た地であり、その歴史のなかで培われた江戸から昭和にかけての雰囲気が今も濃密に感じられる地域です。**  と、この「公共建築ニュース」に紹介されています。

近々、出かける予定です。僕は美術館や記念館に出かけても展示作品より、建築の方にどうしても目がいってしまうけれど、今回は展示品もじっくり見学したいと思います。そう、君の達筆な筆字の手紙などを。それにしても君は、1123(いいふみ)をたくさん残してくれましたね。





 


デザインの優先順位

2006-11-23 | A あれこれ


          ○ ティファールのHPより

確か先週の土曜日(11/18)、朝日新聞の朝刊にティファールの全面広告が載っていた。**取っ手がとれると、キッチンは美しくなる。**というコピー。
**取っ手が取れるから、狭いスペースでも重ねてコンパクト収納、だからキッチンがスッキリきれい。**という説明文がついていた。

他にもお皿のようにすみずみまでキレイに洗える、余った料理はそのまま冷蔵庫で一時保存できる、と取っ手がとれることの利点が挙げられていた。なるほど、確かに。 鍋には取っ手、この常識はティファールに取っ手、おっと、とって非常識(?)ということなんだろう。

スタッカビリティ、隙間無く重ねることができる、ということは折りたたむことができることと共にコンパクトに収納するための条件だ。その好例として椅子を挙げることができる。会議室などで使用する大量の椅子はコンパクトな収納を可能にするために、このどちらかの条件を満足している、まず例外なく。

ふだん収納しておく椅子のデザイン(設計)の優先事項は「コンパクトに収納できること」なのだが、鍋の場合はどうだろう。料理の際の持ち運びのためには取っ手が必要、だからきちんとした取っ手をつける、そのことにのみ注目すると取っ手が着脱できる鍋は発想できない。鍋を使うとき、使わないとき、さてどっち。

デザインの条件の項目やその優先順位を変えて考えると、全く違ったものが生まれることがある・・・。例示はしないが建築の設計にも、もちろんそのことはあてはまる。

鍋に話を戻そう。雑誌に紹介されているキッチン、見事になにも写っていない。「スッキリと美しく」だ。その一方で、カントリー風とでもいうのだろうか、フライパンや鍋、食器が美しくディスプレイされたキッチンが紹介されることもある。ウッディなテーブルには白やピンクのテーブルクロス・・・。前者は建築の専門雑誌に、後者は主婦などを対象にした雑誌に多い(ような気がする)。

キッチン、どちらの状態を好ましいと思うかは、人それぞれだろう。ところでうまい料理が出てきそうなキッチンはどっち? 後者、私はそんなイメージをもっている。

 


人生とは旅である

2006-11-21 | A 読書日記
 
「趣味悠々」

お遍路は人生を見つめる旅(放送11/29)
別にお遍路にあこがれる深い理由があるわけではありません。ただ札所を何ヶ所か訪ねてみたい、そう思っているだけです。

お遍路といえば空海、ということで『空海の風景』を読み始めました。私は司馬さんの熱心な読者ではありません。司馬作品を読むのは久しぶりです。『「空海の風景」を旅する』中公文庫の帯にはこの作品は司馬遼太郎の最高傑作とあります。     


今回はこの辺で、いつか改めてきちんと書く機会があれば・・・。

ヴェネチア・ビエンナーレ建築展

2006-11-20 | A あれこれ



 今日(11/20)の朝刊(特記無き場合は長野県の地方紙、信濃毎日新聞を指します)の文化欄に「路上観察」盛況の日本館 ベネチア建築展に参加して という藤森さんのレポートが載っていました(写真左)。

「新建築」11月号にも藤森さんの「ヴェネチア・ビエンナーレ観察記」と題するレポートが掲載されています(写真右)。(ベとヴェと表記が違っています)どちらにも藤森さんが撮影した会場内の様子の写真が載っています。

このヴェネチア・ビエンナーレは2年に1度開催される「現代アートのオリンピック」と呼ばれる祭典のことで、テレビでも話題になる映画祭もその1セクションなんですね。建築展は映画祭ほど一般の人たちにはなじみがないかもしれません、だからこの新聞記事には少し驚きましたが、建築界では毎回話題になります。

今回は藤森さんがこのイベントにコミッショナー兼建築家として参加したということなんです。新聞記事の下の写真は会場への入り口で「IN」と表示されています。この入り口はねずみ木戸というそうで、歌舞伎小屋の入り口のことだそうです。初めて知りました。茶室の入り口、躙口(にじり口)と同様に非日常の世界への入り口として効果的な演出だと思います。藤森さんが顔を出しています。因みに「新建築」にはこの入り口から顔を出す藤森さんと伊東さんの写真が載っています。

この建築展全体のテーマは「都市、建築と社会」だそうで、新建築には都市の急成長による諸矛盾をどうするかという含意があったと藤森さんは書いているのですが、どちらの記事からもそのテーマに対する藤森さんなりの回答がうかがえないのが残念です。

用意した高価なカタログが初日に売り切れた、と藤森さんはいささか浮かれているようで、冷静に分析してみせるいつもの鋭さが感じられないのです。

来年4月14日からはこの「藤森建築と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市」展が東京オペラシティアートギャラリーで開催されるとのことです。

写真に写っている「びく」(藤森さんは「繭」に喩えていますが)のような路上観察劇場を観に行きたいと思います。






冬のソナタ

2006-11-19 | A 読書日記



今回は「冬のソナタ」。

冬ソナについて書くことになるとは全く予想外なこと、しかも今頃。わが家に、冬ソナのビデオがある。テレビ放送を録画したものを以前もらった。りんごさんのブログを読んで、先日ラスト2話(19、20話)を観た。『もうひとつの冬のソナタ』ワニブックスと混同してしまって、ドラマのラストがどうだったか忘れてしまっていた。

交通事故の後遺症でチュンサンは一日もはやく手術をしないと失明の恐れがある、と医者に宣告される(確かドラマでは医者は一刻もはやくと言っていたが)。

手術後に記憶障害などの後遺症が残るという指摘に結局チュンサンは手術をしないで、薬による治療を選択する。彼はユジンとの思い出を残すことを選択して視力を失ったのだった。

さて、自分ならどうするだろうか・・・、このドラマの主人公に自分を据えてみる。で、相手のユジンは・・・、もちろん内緒。初恋の思い出を残すのか、視力を残すのか。こう自分の問題に置き換えて考えると、彼の選択の重みがよく分かる。

中年おじちゃんは思う、このドラマは自分にはまずあり得ないテーマを提示してくれて、そのことについて考えさせてくれたということに意味があるのだと。もちろん、ショートカットのユジンが可愛かった、それだけでもいいんだけれど・・・。


自分のためのエコロジー

2006-11-18 | A 読書日記

「男はつらいよ 寅次郎物語」
今回は、母を訪ねて三千里(そんなにないか)。寅さんは渡世人仲間の遺した男の子を連れて母親を捜す旅へ。和歌山、吉野、そして志摩。
こういうの弱いんです。涙、涙、涙・・・。寅さん、かっこ良かった。

さて本題、今回はエコロジー。

『自分のためのエコロジー』 甲斐徹郎/ちくまプリマー新書

人に健康な状態があるように健康なすまい(すまいに限らず建築全てにあてはまる考え方ですが)がある、という指摘は以前からありました。例えば、採光のための窓がきちんと設けてないので、昼間から照明を点けなければならない、これは不健康なすまい(建築)の一例といえるでしょう。尤も最近、ガラスを多用した、採光、最高って建築もよくありますが。で、夏暑くてクーラーガンガン、これは不健康な建築。

健康にすまう、ということも考えなくてはいけないかもしれません。ハードだけでなくソフトも考えよう、というわけです。この本を読んでその思いを強くしました。夏季、窓を閉めきって通風をしないで、クーラーをかけっぱなしというのは不健康なすまい方の一例。

大都会の夏、クーラーを使わないすまい方なんて考えられない・・・。でもこの本にはヘチマやひょうたんなどの「緑のカーテン」を南側の窓の近傍につくるなどの工夫をすることで、それ程クーラーを使わない健康なすまい方ができることが紹介されています。

著者の甲斐徹郎さんは「経堂の杜」などの環境共生型コーポラティブ住宅をコーディネイトしている方だそうで、上記のような工夫(緑のカーテンだけでなく他にもいくつか実践しているのですが)をしてクーラーなしの生活をしているそうです。外気温が36℃のとき室温が27℃という、納得の実測データが示されています。

「健康なすまい」に「健康にすまう」こと、「エコ」って、要するにそういうことなんですね。もっとエコな生活をしないといけませんね。
 


ことばのしおり

2006-11-18 | A 読書日記

 「しおる」の名詞が「しおり」ということらしい。栞ではなくて枝折りと漢字を充てたほうが意味が分かりやすい。枝を折って道しるべとしたものから転じて案内、手引きという意味だそうだ。

『ことばのしおり』堀井正子/信濃毎日新聞社 のあとがきで著者は一月(ひとつき)を一つの言葉でしおる(後略)と書いている。「しおる」を調べてみて前述のことが分かった。

この本の著者の堀井さんは現在SBC(信越放送)のラジオ番組「武田徹のつれづれ散歩道」にレギュラー出演している。日本の近代文学について詳しい方で漱石、鴎外、藤村、啄木の作品や人となりについて番組で縦横に語っておられる。柔らかくて優しい声がとても素敵で、どんな方だろうといつも思いながら聴いている。

その堀井さんの著書ということで先日読んでみた。月一回のペースの新聞連載をまとめたもので、あとがきに倣えば一月を一つの言葉でしおったエッセイということになるだろうか。

例えば11月には、「かかしあげ」「甘藷」「落ち葉焚き」「一葉忌」「小春日和」「夜なべ」という6年分の言葉がとり上げられている。平易な言葉で綴られている短い文章が実に味わい深い。

「文は人なり」優しそうな人柄が文章からも伝わってくる。教養講座などの講師をしておられるそうだが講義を直接拝聴する機会があればうれしい。


 


原初的な形

2006-11-16 | A あれこれ



○ 上:旧生方家住宅(群馬県沼田市) 
  『日本の民家 第五巻 町屋Ⅰ』学習研究社より



昨晩、懸魚は棟木の小口を塞ぐ目板にデザイン的な要素が加わって出来たものだと指摘した。ならば、目板そのもの、懸魚の原初的な形が見つからないかと、手元の資料を当たってみたところ、上の写真を見つけることができた。

資料によるとこの町屋は関東、東北地方に現存するものではきわめて古いものだという。17世紀末頃の建設だと推定されるらしい。

下は以前載せたものだが、比較的新しい懸魚(屋根の上の棟飾りは烏おどし)の写真。

「デザイン」とは何か・・・
両者を比較するとそんな思いに駆られる。

目板:調べてみると狭義には板と板の隙間を塞ぐ細長い板状のものを指すらしい。確かに目板葺き、目板張り、敷目板張りなどはこの意味で用いられている。ここではカバープレートという意味で用いている。

 


デザインの原義

2006-11-15 | A あれこれ



池田町、松川村にて撮影

蔵の妻壁の上部には上の写真のような家紋や屋号を印した円い部分があります。名称が当然あるはずですが、知りません。調べる「ずく」がありません。
どうしてこんな○印がどの蔵にもあるんでしょう・・・。

中の写真にそのヒントがあります。小屋組みによってはこのように棟梁が妻壁から顔をのぞかせることになります。蔵の小屋組みの場合、太い丸太が棟梁に用いられます。その円い小口が妻壁から突き出ていると、前稿で書いたように腐朽しやすいのです。で、小口を左官仕上げで塞いでしまった。その部分に意匠が施されて上の写真のように次第になった、というわけです。中には抜け殻のようにこのようなデザインだけが壁に施されている場合もあります。

壁から突き出た梁の上に小さな切妻屋根を架けた写真を既に載せましたが、あれが「傘」だとするとこちらは「カッパ、レインコート」ということになるでしょうか。

さて下の写真、以前も載せましたが懸魚です(普通の民家ではあまり見かけない形ですが)。 棟木は母屋より木がらが大きいことから破風板の下にこぼれてしまいます。そこで例の「目板」で小口を塞いだのですが、次第に意匠が施されて・・・、懸魚になった、というわけです。

まとめると蔵の○印も懸魚も機能的には同じ、そう棟梁材の小口の腐朽を防ぐため、それが次第にデザインされたのだ、というのが私の見解です。

一見全く無関係に見える両者のデザインの原義は同じ(と私は思います)。