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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

サピア・ウォーフの仮説

2006-06-30 | g あれこれ考える〇

「サピア・ウォーフの仮説」という興味深い仮説があることをごく最近知った。あることについて検索していたのだが、その関連でヒットした。都合よくこの仮説を解釈すると、言語が世界の見え方を規定する、別の表現をすれば認識の仕方を規定するという仮説で、言語(言葉)に無いものは知覚されないというもの。

これは、知性と感性とによってものは知覚、認識されると私がこのブログに書いてきたことと同じ内容ではないか・・・。知性と言語は、同義と考えて差し支えない。 但し、感性によって知覚されるということについてはどうなんだろう。言語化されていないことの知覚、このことについてもこの仮説は触れているようだ。

アメリカの二人の研究者によって唱えられた説のようだが、欧米人は日本人のように、例えば虫のなきごえを「いいな!」と感ずるような感性による知覚、認識は難しいようだから、言語、換言すれば知性に偏った説になったのかも知れない。 きちんとこの仮説について調べたわけではないので理解がまだ浅い。テキストを探して勉強してみたい。 


 

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国立駅舎 観察記

2006-06-26 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇

○レールを使った構造体。

左 レール2本を背中合わせにしてリベットでとめた独立柱。
中 梁と柱の取り合い なんだか苦労してつくってるな~。
右 レールの持出し梁と柱との取り合い、渋い。母屋と屋根下地は木。

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ブックレビュー 2006.06

2006-06-24 | g ブックレビュー〇



ブログでとり上げたり、その関連で書き出した本。平積みしておいて20冊くらいになったら、並べて写真を撮り、記録に残す。


追記:その後この方法を止め、月ごとにブックレビューを載せることとした(2017.12.03)。

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約束

2006-06-23 | g 読書日記

○秀作を聴く(060623) 

**「約束を忘れなかったのか」「忘れるもんですか」 激しく、ほとんど叫ぶようにお蝶は言った。「一日だって、忘れたことはなかったのよ」**

藤沢周平の『橋ものがたり』新潮文庫は江戸の橋を舞台とする出会いと別れのものがたりだ。

橋は川によって分断されているふたつの土地を結ぶ、そして人の心も・・・。 この短編集に収録されている「約束」をCDで聴いた。朗読は倍賞千恵子さん。

幼なじみの幸助とお蝶。奉公に出ることになったお蝶が幸助を仕事場に訪ねてくる。

**「五年経ったら、二人でまた会おう」(中略)「どこで?」「小名木川の萬年橋の上だ。お前は深川から来て、俺は家から行く。 そして橋の上で会うことにしよう」**

五年後・・・お蝶を待つあいだ、幸助は考える。五年前の約束だ。お蝶が覚えているとは限らない・・・。今ごろ知らない男の女房になっているかも知れない・・。 約束の時刻を三時間も遅れてお蝶が幸助の待つ橋の上に現れる。そして、冒頭の台詞。さすが女優の倍賞さん、上手い。「約束を忘れなかったのか」のあと、「忘れるもんですか」と涙声で叫ぶ。この台詞にぐっときてしまった。目頭が熱くなり、涙、涙・・・。この手の話にはとにかく弱い。

手元にはもう1枚、『静かな木』がある。藤沢周平晩年の作品。2枚のCDを貸してくれた友人によると落語家 柳家三語楼の朗読がなかなかいいらしい。深夜、静かに聴こう。
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本と建築

2006-06-22 | g 読書日記
○最近の本 最初の本(060622)

本格建築家で、本書く建築家の代表の二人、黒川紀章と宮脇檀。

『情報列島日本の将来』第三文明社は1972年の発行、この年黒川さんは38歳。たぶんこれは私が一番最初に読んだ建築家の著した本だ。

カバーの折り返しにはこうある。**人間環境の将来は、ハードな部分を占める個々の建築物よりも、それらをつなぐコミュニケーション、交通、エネルギーといったソフトな情報的部分が、より重要になると予想する(中略)ユニークな情報空間論。**

今から34年前黒川さんはこう予想していた。さすがと言うほか無い。パラパラとページを繰ってみると、文章のあちこちにサイドラインが引いてある。懐かしい本。

『最後の昼餐』新潮社 友人に教えてもらって、書店に注文した本。伝票の書名欄には「最後の晩餐」と書いてあった。美大卒の根津りえさんのカラーのイラストがなかなかいい。私が最近読んだ、建築家の書いた本。

黒川さんは既に100冊以上の著書があるらしい。宮脇さんが何冊くらい本を出したかは分からないが、文章のうまい方だった。何冊か文庫になっている。

二人とも優れた建築作品を設計したけれど、初期の作品の中には既に解体されてしまったものもある。黒川さんの先の本はもうとっくに絶版になってしまっただろう。

この国では、優れた建築や本でも寿命が短い。建築や本の寿命の長短は、国の文化度をはかるものさしとして有効かも知れない・・・。
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法隆寺の謎を解く

2006-06-18 | g 読書日記

 今夜はサッカー、クロアチア戦。夜はブログが書けないから、朝書いておこう。

世界最古の木造建築、法隆寺には謎が多いらしい。例えば、焼失して再建されたのかどうか。このことについて、論争が続いていたらしいが、発掘調査などにより今日では再建説で決着しているようだ。

『法隆寺の謎を解く』武澤秀一/ちくま新書   書店に平積みされていた。

この手の本を見つけるとうれしい。創建当時の法隆寺は塔や金堂などの伽藍配置が縦一列だったことが発掘調査で分かっている。ところが再建されて今日に残る法隆寺では金堂と、塔が横に並んでいる。縦から横へ配置を変えたのは一体何故か。そこには一体どんな意図があったのか・・・。

そういえば「前方後円墳」について松本清張は□と○が前後ではなく横に並んでいると捉えるべき、と唱えていたと何かで読んだ。縦と横の配置上の違い、この意味は大きい。

著者は法隆寺の中門の中央に柱があることにも注目して、伽藍配置の変更の謎について空間論的な視点も取り入れて解釈を試みている。その結論はここには書かない、推理小説の犯人やトリックを書いてしまうのと同じ事になるから・・・。

それにしても、法隆寺の中門だけが何故、中央に柱があるのか。梅原猛や伊東忠太ら、多くの人たちが唱えるいくつかの説を紹介しているが、著者の説は私を十分に説得してくれた。

縦から横への変更についての見解にも説得力があって、なるほど!と納得した。歴史ミステリーに関心のある方にはおすすめの一冊。

オーストラリア戦はアサヒで×だった、今夜はキリンで応援しよう!

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もっとコロッケな日本語を

2006-06-18 | g 読書日記
『もっとコロッケな日本語を』東海林さだお/文春文庫 漫画とエッセイ、ふたつの分野で活躍しているショージさんのユーモアあふれるエッセイ集。タイトルに惹かれて購入。収録されているどのエッセイも面白い。

○ドーダの人々「ドーダ!」の自慢話をする人たちの観察記。銀座のクラブには、「ドーダの人々」が集まって「ドーダ博」が開催されている、とショージさんは書く。飲食費がべらぼうに高いから、功成り名遂げた人しか入場できない、とショージさんは続ける。客の一人が自慢話をして、「ドーダ」、もう一人の客が「こんなドーダは、ドーダ」と応じる・・・。

○野菜株式会社 リストラ篇会社の役員がカボチャやジャガイモ、モヤシなど野菜社員をリストラするために会議を開く。会議で交わされる会話の記録。

モヤシ役員A モヤシというのはどうかね。
役員C 日陰で育ったんだろ。
役員D 体弱そうだよね。
ニラ役員D あれ、日もちしないよね。社長  レバーなんかとイチャイチャすんじゃねーよ。
キュウリ役員E 栄養とかあるのか、おまえは。
役員C ワカメとキュウリの酢のものくらいでいい気になるんじゃねーよ。
社長  おいしいけどね。 

*以上本文から適宜省略して引用。 ○青春の辞典これはここには書けないな~。放送コードじゃないや、なんていうのかな・・・ 何とかに触れる・・・書店で手にとってみて下さいな。 それにしてもショージさん、本いっぱい出してるナ~ッ!
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深志教育会館

2006-06-17 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇

 
①施設外観  コンクリート打放し撥水剤塗布仕上げ

松本深志高校創立130周年記念事業で計画されたという「深志教育会館」、設計者は同校OBの建築家 柳澤孝彦さん。 


②ホール内観 

注目は天井。鉄骨と木のHPシェル・トラスとでも表現 したらよいか・・・ 天井の仕上げについて、知人と意見を 交わした。  設計者の柳澤さんが小さく写っている(右)。  設計意図、設計プロセスについて講義をしていただいた。 このホールは二枚の可動間仕切り壁によって分割すること ができ、講演会場やコンサートホール、自習室など多様な 用途に対応できるという。


③ホワイエから 屋外を見る 

大開口とコンクリートの庇、 事務室の横長の窓 砕石敷きの外構。  いずれも柳澤さんが好んで使うボキャブラリー。 外断熱した外壁、仕上げの羽目板は唐松と聞いた。 


④ホール上部 開口部の外の壁柱、これも柳澤さん好み。

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読書に疲れた時の読書

2006-06-16 | g 読書日記
○山根さんのエッセイ集 (060616)

NHKアナウンサーの山根基世さんのエッセイ集。

『であいの旅』毎日新聞社を読んだのは1988年のことだ。帯の文字が読みとれるが、これは山根さんの最初のエッセイ集。 先日『ことばで「私」を育てる』講談社文庫を書店で手にして、迷うことなく購入した。実に18年ぶりに山根さんのエッセイを読んだ。 仕事柄、ことばに関心を寄せ、ことばを大切にしている山根さんのことばにまつわるエッセイ集。

ブログを書くようになって、「!」なところなどに付箋をつけるようになった。 読書に疲れた時の読書には、やはりエッセイがいい。
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すずめおどり

2006-06-15 | g 民家・町屋の観察〇




路上観察 すずめおどり(060615)  

■ 諏訪地方を走行中に見つけました。上の写真:破風板を交叉させていますが、すずめおどりは付けていません。すずめおどりで飾るほどではないという、この建物の持ち主の判断でしょうか。

一般的に破風板は頂部で留めにするのですが、この地方ではなぜこのように納めているのかは解りません。屋根棟に木や竹を×型に交叉させた千木を置くことがありますが、それと何か関係があるのかなとも思いますが、ただ単にかたちが似ているだけなのかも知れません。

下の写真:それほど古くない住宅です。二つの棟の端にそれぞれ同じデザインのすずめおどりを付けています。偶然二つがくっついているように見えるアングルになりました。どちらの写真も車を路上に停めて大急ぎで撮影。じっくり観察はできませんでした。

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吉島家住宅 観察記(2)

2006-06-14 | g 民家・町屋の観察〇

↓ 長さ10mの梁(060610)



○梁の端部、柱や壁との取り合い



下の写真は上の写真で右側の壁とぶつかっている梁の端部の詳細です。この梁の長さは5間半、約10m。太さは2尺、60cm位はありそうです。この梁を円柱と見なして計算し、重量を求めてみると、どうやら1.5トン!位はありそうです。普通乗用車の重量の約1.5倍。

在来木造の梁で一般的に使用される長さ2間、3.6mの梁の重量は50kg位ですから、約30倍!ということになります。 朱色の箱の上の梁のところで重ねるようにして繋いでも構造的には成立すると思いますが、敢えて一本の梁を使ったのでしょう。この吉島家住宅が建てられたのは明治の末期、当時の職人達の心意気を感じます。

このような建築を保存することも当然必要なことだと思うのですが、それを支える職人達の技術の継承も国の責務として行なう必要があると思います。それも職人達の高齢化を考えると急務だと思うのですが・・・。

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路上観察  高山の町屋

2006-06-11 | g 民家・町屋の観察〇


吉島家住宅外観 中央が入口どうじ 


高山市内の住宅外観 060610 

■ 高山地方では持ち出し梁や庇を支える腕木、垂木などの木口を白く塗っている。これがアクセントとなっていて美しい。写真を見ると吉島家住宅でも行なわれていることが分かる。

木口(切断面)は水を吸い易く腐朽しやすいことから、それを防ぐ目的で塗装したものが、意匠的に次第に洗練されてきたものだろう。梁や垂木の木口を銅板で包むのも本来の目的は同じ。 懸魚も元々は棟木の木口を塞ぐ目的だったのだろう。

以前書いた諏訪地方のすずめおどりも破風板端部の木口を塞ぐ板に意匠的な遊びを加えたものだと思う。

懸魚って何? 手元に写真が無いので、別の機会に紹介します。


 

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吉島家住宅 観察記

2006-06-11 | g 民家・町屋の観察〇


○仏間から中庭を見る(060610)

中庭と通りを仕切る高い土塀。障子の白と塀の紅殻との対比が美しい。 


○なかどうじから奥のギャラリーを見る

ギャラリーの壁は現在では大半がグレーだが、以前は全体が紅殻だったようだ。展示空間の背景の壁としてはグレーの方が好ましいのかもしれないが、建築的にはやはり紅殻だろう。それも塀のような少し薄めの色がよさそうだ。

この吉島家住宅では、入口どうじの奥行きがあって低い天井の空間によって、吹き抜けの空間をいっそう際立たせている。高窓からの光によって視線を自然に上方の小屋組みに誘導する・・・。 この卓越した空間構成には驚くばかりだ。

東京の友人のブログが吉島家住宅再訪のきっかけとなった。 感謝。

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匠の技と美の結晶

2006-06-10 | g 民家・町屋の観察〇

 
○「涙が出るほど美しい」  こういう空間のことですよね、タウトさん


○束柱と小梁の構成美 

吉島家住宅を観に高山まで出かけて来た。友人のブログに触発されて。

この吹き抜けの空間! 土間と畳敷きの部分とが吹き抜けの一体の空間として開放的に構成されている。大黒柱に架けられた二本の梁。その上に、梁間方向に架けられた太い一本の赤松の梁。

弓張提灯を納めてある紅殻色の箱が空間のアクセントとして効いている。 太い梁から吊られた束と極薄い見付けの鴨居、そこに閉てられた衝立のような二本の障子。この構成は白眉だと思う。

空間を「おうえ」と「なかおうえ」とに軽く仕切る腰高障子、仕切り方が絶妙。 高窓から差し込む光が、時の経過とともに空間に変化を与えるということは経験的に容易に想像できる。

光による吹き抜け空間の演出。 長い年月をかけて飛騨の匠達によって培われてきた技と美、その見事な結実。

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駅には悲恋がよく似合う

2006-06-07 | g 読書日記

『映画の中で出逢う「駅」』臼井幸彦/集英社新書

駅は重要な役割を担ってしばしば映画に登場する。この本は映画に登場するヨーロッパやアメリカそして日本の駅を数多く取り上げて、駅が映画の中でどのように登場し、どのような役割を果たしているのかを論じている。優れた映画論であり、優れた建築論でもある。 著者は大学で土木工学を修め、旧国鉄に入社した方で、現在北海道旅客鉄道の常務。

都市の歴史を刻む駅、都市のランドマークとしての駅が映画では格好の舞台となることはよく解る。物語の始まりで主人公が降り立つ駅、エンディングで主人公が列車に乗り込む駅・・・。映画に登場するいくつかの駅が写真で紹介されているがヨーロッパの駅の重厚な存在感には圧倒される。

日本では建築の建て替えがはやいが、駅も例外ではなく、全国の都道府県庁所在地の主要46駅のうち、初代の駅舎が原型を留めているのは、なんと東京駅だけだという。長野県でも松本駅や長野駅が凡庸な(と書いたら設計者に失礼かも知れないが)駅に建て替えられてしまった。

著者も指摘しているが、駅には恋愛それも悲恋がよく似合う。でもその舞台に相応しい駅は、日本の都市部にまだあるのだろうか。邦画に登場する印象的な駅舎は北海道を始め、鄙びた地方のものが多いように思う。

今年の4月、東京のイイノホールで「建築と窓」について講演を聴いたが、その中で「映画と窓」についても話が及んだ。観る人の関心の所在によって映画の捉え方が違うのだと改めて思った。

そう、映画も観る人の知性と感性とによってそれぞれに受容されるのだ、建築と同様に・・・。

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