今年一年、拙ブログを閲覧していただきましてありがとうございました。
どうぞよい年をお迎え下さい。
立科町にて
■ 『ふしぎな国道』佐藤健太郎/講談社現代新書を読んでにわか国道ファンと化し、塩尻市内にある国道の終点まで行って来た。
「青看」に示されている簡易おにぎり
塩尻市高出交差点 上の写真に写っている横断陸橋から撮影した。
■ ここは東京日本橋を起点とする国道20号(上掲書によると、国道20号は皇居前の桜田門で国道1号から分岐して始まるそうだが、法律上の起点が日本橋で、桜田門までは1号との重複区間とのこと)と名古屋市東区小川交差点を起点とする国道153号の終点。国道マニアでも何でもないから分からないが、ひとつの交差点がふたつの国道の終点というのはそれ程多くないのでは。交差点が三つの国道から成るというのは珍しいと指摘しているサイトもある。
写真の左上、赤い車のところが国道153号の終点。左下、分離帯に青い標識が立っているところが国道20号の終点。上から右に向かって名古屋市熱田区から長野市に至る国道19号が続いている。
「簡易おにぎり」の国道20号の標識と国道153号の「フルスペックおにぎり」
このカバーデザインを見て、青空をこのように四角く切りとる金沢21世紀美術館の中庭スペースを想起した。
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■ およそ世の中にあるもので趣味の対象になっていないものはない。だから国道マニアがいても別に不思議ではない。橋、坂道、トンネル、峠・・・。道路関連のこれらのものを趣味にしている人もいる。
昨日の早朝、渚の24時間営業の書店で『ふしぎな国道』 佐藤健太郎/講談社現代新書を買い求め、スタバで読んだ。発散型人間だから他の趣味のことも気になる。
著者は免許取りたてのころ、近所を通っている国道408号を走って、それが学園都市・つくば市から成田空港までを結んでいることを確認する(正確には空港直前から数kmは国道295号とのことだが。このあたりの厳密さにも国道マニアはこだわりがある)。
では408号の次、409号は一体どこにあるのだろう・・・。「欠落を埋めたい」たちの著者はこのような疑問にかられ、道路地図を引っ張り出す。これが著者が国道マニアになったきっかけだという。
国道と聞くと、きちんと整備された立派な道路をイメージするが、未舗装区間があったり、車が走行できない階段!があったり(青森県龍飛崎の突端)、民家の間を通る生活道路があったり、商店街のアーケードを貫いていたり(東大阪市)とさまざまで、なんと国道扱いのエレベーターや登山道もあるそうだ。距離が200m(kmではない)に満たない国道もあるという。それから鹿児島市から種子島、奄美大島を経て沖縄本島に達する海上区間を含む国道もあるというから驚く(国道58号)。
鉄道マニアは撮り鉄、乗り鉄、鉄道関連のグッズコレクターをはじめ、駅舎を観察したり廃線跡を探し歩く者などさまざま。国道マニアにもさまざまなタイプがいるとのことだが、スタンダードなのは国道の標識を撮影して回ることだという。国道の起点から終点まで走ることを趣味としている人もいるそうだし、逆に国道を走ることなく目的地まで行くことができる道路を探して走る非国道走行マニアもいるそうだ。やはりマニヤの世界は人の理解を超えたところにあるものだ。
本書には珍品の写真もいくつも載っている。例えばROUTEの綴りを間違えた標識、ROUOE ROUET ROUTO RUTOE RUTE RUTOE。
知らないこと満載でなかなか興味深い内容の本だ。となりの芝生は青いというが、なかなか国道もおもしろそうだ。国道と火の見櫓か・・・。
メモ
国道標識は丸みを帯びた逆三角形で、マニアたちは「おにぎり」と呼ぶ。おにぎりの上段に「国道」、真ん中に大きく国道番号(数字)、下段に「ROUTE」の文字が入っているタイプを正式名では118系、通称フルスペックおにぎりと呼ぶ。
都道府県道の標識は6角形で、マニアたちは「ヘキサ」と呼ぶ。ヘキサゴンの略称。
標識にもローカル色があるそうで、それを撮影してコレクションすることが国道マニアの基本形というのも頷ける、火の見ヤグラーもそうだから。
撮影日 141227 松本市島立にて
■ 正月明けに行われる「三九郎」の骨組みが早くも組まれている。3角錐を成す櫓で、3本の柱を横架材で繋ぐ構造であることが見て取れる。
私の暮らす鄙里でもかつては落葉松材を使って写真と同様の骨組みを組んでいた。私が小学校のPTAの役員をしていた時も落葉松を山から伐り出してきて使った。だが、いつ頃からか竹が使われるようになった。竹は容易に調達できて、軽いので運ぶのも楽、ということがその理由だろう。
三九郎は小正月に行われる(正月明けの休日に行われる地域も少なくない)火祭りの呼び名で、全国的にはドンド焼、サギチョウ、サイノカミなどと呼ばれている。
長野県内でもこの火祭りの呼び名はいくつもあって、今月14日付市民タイムスに三九郎の呼び名に関する記事が載った(ふるさとの民俗44)。
記事には呼び名の分布図が載っている。それによると木曽南部(岐阜県寄り)の呼び名はサンチョ、サギチョーとなっている。今読んでいる藤村の『夜明け前』にも**(前略)正月十五日とあるから、山家(やまが)のことで言えば左義長(さぎちょう)の済む頃であるが(後略)**第一部上(324頁)と出てくる。
左義長には注釈がついていて、巻末に**平安時代以来、小正月(一月十五日)に行われる火祭りの行事、どんど焼ともいう。松飾などを焼き、その火で餅や団子を焼いて食べ、無病息災を願った。**と説明されている。
新聞記事に**サンクロウと呼ぶ地域は、塩尻市から東筑摩郡・松本市・安曇野市・北安曇郡南部にかけてであり、その範囲は江戸時代の松本藩内に収まっている。**とある。
呼び名の分布については興味があって、以前調べてみたことがあった。過去ログ だが、松本藩のエリアと関連付けてみることには気がつかなかった・・・。
記事には**火祭りの呼び名は、江戸時代初頭に改易された石川玄蕃頭康長に対する御霊信仰から生まれたもので、三九郎は康長の幼名ではないか**とする私の友人(*)の説が紹介されている。
正月の松飾りをしない家も増えてきた。離農や減反で米をつくらなくなり、藁の入手が困難になってきたし、飾りのつくり方も伝承されなくなってきている。こうしてこの国の伝統的な行事が次第に廃れていく・・・。
我が家では出来栄えはよくないが私がつくった松飾りを今日飾った。やれやれ。
* 友人は道祖神と御柱、三九郎との関係について興味深い論考をしている。
撮影日 141226 07:01AM
■ NHKのラジオ深夜便のアンカーのひとり須磨佳津江さんは番組の最後に「朝の来ない夜はありません」とコメントする。この言葉は春の来ない冬はありませんと同義で、苦しい時の後には必ず楽な時が来るといった意味が込められた、リスナーへの応援メッセージと解していいだろう。
時々この言葉をそのまま表現したかのような朝焼けになることがある。昨日の朝焼けがそうだった。さわやかで、何か良いことがありそうだな、と感じさせる朝焼けだった。
不気味な印象の朝焼けもあるが、この朝焼けは瑞兆だと思った。
では、何か良いことがあったのか・・・。何もなかった、いや、一日事故にも遭わず、無事過ごせたことこそ良いことだった、と感謝すべきなのかもしれない。
■ 再読するにあたって、新たに文庫を買い求めた藤村の『夜明け前 第一部上』を読み終えた。
『夜明け前』ってどんな小説ですか、とある方から問われた際、「街道を行き来する旅人たちがもたらす情報から読みとる江戸末期から明治維新までの激動を描いた小説」と答えたが、そのような描写が文中にあった。
**年も暮れて行った。明ければ文久三年だ。その時になって見ると、東へ、東へと向かっていた多くの人の足は、全く反対な方角に向かうようになった。時局の中心は最早江戸を去って、京都に移りつつあるやに見えて来た。それを半蔵は自分が奔走する街道の上に読んだ**(355頁)
早朝に松本市内のスタバに出かけ、カウンターで選んだコーヒーを告げると、店員さんが「ショートをマグカップでしたね」と続けた。前にも同様の経験をしたが、その時の店員さんだったのだろう。私は「よく覚えていますね」と返した。 若い女性店員から声をかけてもらって、早朝からいい気分。
スタバで『夜明け前 第一部 下』新潮文庫を読み始めた。幕末から明治初期の劇的な転換期、激流に揉まれ、様々な影響を受けながら生きてゆく青山半蔵と周りの人たち・・・。
加賀乙彦が近代小説の白眉だと評したこの長編小説が年越し本となる。
■ 今日(20日)の信濃毎日新聞朝刊の子ども欄に「鳥のふんの正体は?」という見出しの記事が掲載されていた。
**体から出た「いらないもの」は生まれるまで卵の中にためておかなくてはなりません。そこでおしっこを水にとけない「かたまり」の形にして、卵の中がよごれないようにしているのです。**
これはなるほど!な説明だ。
知らなかった・・・。おしっこといえば当然液体ではないのか、それが鳥の場合はかたまりだなんて・・・。
卵から生まれるトカゲやヘビも鳥と同じように「かたまりおしっこ」をするそうだ。
ああ、これってもしかしたら常識なのかもしれない・・・。「え~、そんなことも知らなかったの?」という声が聞こえてきそうだ。
うんちといっしょの白っぽいかたまりがおしっこだそうだ。
撮影日時 141217 朝7時半過ぎ
■ 昨日(16日)から冬型の気圧配置が強まって長野県内では北部を中心に大雪になり、積雪量は1メートルを超えている。
私の暮らす鄙里でも数センチの積雪があって、毎日観察している隣家の柿の木の枝にも着雪した。こんな朝でもヒヨドリが飛来している。その様子を数枚撮った。
野鳥だって寒いだろうに、平気なんだろうか・・・。
■ 先日行きつけのカフェでたまたま居合わせたお客さんが大の映画好きの方だった。なんと年間100本近く映画館で観ているという。カフェに来る前に「ゴーン・ガール」を観てきたとのこと。この映画のことは全く知らなかったが、14日(日曜日)に観た。
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藤沢周平の「橋ものがたり」という短編集に収録されている「約束」という作品は、奉公に出た幼なじみの男女が5年後に萬年橋で再会する約束をし、実際にその約束を守るという物語。過去ログ この物語ではお互いが信頼し合っていることの素晴らしさに涙した。これが映画化されていればきっと観て、そして涙したことだろう・・・。
先日テレビで放送された映画「幸せの黄色いハンカチ」もやはり「信頼」がテーマ。罪を犯した夫(高倉健)から離婚を切り出されたものの、出所して戻ってくる日をひたすら待っていた妻(倍賞千恵子)。お互いが信頼関係できっちり結ばれていることのすばらしさが風になびく何枚もの黄色いハンカチに象徴的に表現されていた。このシーンにはやはり涙がこぼれた。
人間社会はベースにお互いの信頼関係があって成立するものだと思うが、「ゴーン・ガール」の夫婦には信頼関係が全くない。
夫婦とは相手を騙し、自分をも騙して対外的に幸せ演じるものだという意味のことが最後に語られる。サイコ・サスペンスだからこのようなエンディングもありかもしれないが、私好みのストーリーではなかった・・・。
失踪劇を演じた妻は宿泊していたホテルというかモーテルで所持金を奪われてしまう。そこで元彼に助けを求めて、彼の別荘に身を隠す。この別荘でも信じられない「事件」が起きるのだが、そのことには触れない。
その別荘の様子を観ていて、フランク・ロイド・ライトが手掛けた「落水荘」だと気がついた。このことを指摘する記事はネット上に見つからないが間違いないと思う。エンドロールにこのことが出てこないかとスクリーンをじっと見ていたが、文字が細かくて、いや文字の流れについていけなくて確認できなかった。
「周到に準備して、こんな完璧な仕掛けをされたら完全犯罪が成立するなあ」「この夫婦にはこの先どんな生活が待っているのだろう・・・」
■ 来年の事を言うと鬼が笑う、とか言うけれど、この時期になれば笑われないだろう・・・。
以下に冗長な文章を書く。
中学の同級生といまだに交流が続いていて、年に数回飲み会をする。飲み会の席ではいつも旅行の事が話題になって、みんなでどこかに行こうということになる。
2006年の1月21、22日(記録を確認したから間違ってはいないが、そんなに前だったのか・・・、まだブログを始めていないから検索しても見つからないわけだ)に京都、2013年の1月に東京に出かけた(東京旅行:過去ログ)。で、次回は奈良旅行となった。
忘れていたけれど数年前にも奈良旅行の話が出ていた(過去ログ)。奈良へは1月24、25日の日程で出かける。参加者は今のところ9人(京都旅行に行った7人全員が奈良旅行にも参加する)。
24日は松本駅発7時4分の特急しなの2号で名古屋まで行き、 新幹線のぞみ13号で京都に向かう。京都駅着10時8分。ここで東京から参加する○さんと合流して(このことを○さんに知らせるメールの文面が、ちょっとまずいかなと思ったことは既に書いた通り)、JR線で奈良に向かう。奈良駅着11時18分。少し早目の昼食をして、奈良交通のバスで法隆寺まで行き(昨年ひとりで行った時はJR線を利用した)、その後、薬師寺、唐招提寺と廻る予定。
これは強行軍かもしれない。私ひとりなら全く問題ないが、同行のおばちゃんたちから、文句が出そうな気がする。
「買い物する時間がないじゃん」「ゆっくり食事したいよね」 なんとか、かんとか・・・わいわい、がやがや・・・「ハイ、結論です」と誰か。「唐招提寺はパスしましょう」 22日に忘年会があるけれど、その席でこんなことになりそうだ。
当日の夕方、宿泊するホテルで奈良県在住のN君と合流して、夕食会というか飲み会。 適当なお店があればいいけれど。 2次会は適当に消えちゃってください。 なんてことは参加メンバーからして、無いな。いやあるかも。
翌25日は8時半ころチェックアウトして徒歩で興福寺へ。荷物をどうするか・・・。 1泊旅行でも荷物の多い人がいるからなぁ。日頃の行いの良い人たちの旅行だからお天気は心配ないだろう。ぼくは晴れ男だし。
興福寺から東大寺、春日大社と廻る予定。この3箇所はそれぞれ1kmちょっとの距離だが、徒歩ではきついかもしれない。 「みんな若いから大丈夫」などと言わない方がいいだろう。タクシーに分乗して移動するか・・・。9人ならちょうどいい人数だ。×3台
3箇所廻るのは厳しいかもしれない。おばちゃんたちは買い物と甘味どころで休憩希望かな。まあそれが楽しみなら、おじさんたちは素直につきあうしかない。春日大社を外すか・・・。
これも忘年会で相談しよう。気持ちだけ中学生にもどって、あれこれ話すのが楽しいのだ。
■ この本に収録されている野鳥は287種。日本では560種ほどの野鳥が記録されているそうだから、その約半分が紹介されていることになる。
メジロの項を見ると**昆虫類も食べるが、ツバキやウメ、サクラなどの花蜜をよく吸い、秋にはカキの木の実も食べる**(121頁)とある。
そうだったのか・・・。先日柿の実を啄ばむメジロを観察した。その時、珍しい光景を見たと思ったが、どうやらごくありふれた光景だったようだ。
毎朝見ている柿の木には一体何種類の野鳥がやってくるだろう・・・。観察が楽しみだ。
**「これが江戸か」
半蔵等は八十余里の道を辿って来て、漸くその筋違の広場に、見附の門に近い高札場の前に自分等を見つけた。広場の一角に配置されてある大名屋敷、向うの町の空に高い火見櫓までがその位置から望まれる。**(第一部上156頁)
今読んでいる『夜明け前』にこんな一節がある。主人公の半蔵が結婚後まもなく、義兄の寿平次と伴の佐吉とともに江戸に上ったときの様子で、木曽を発ってから12日目のことだった。
この描写から火の見櫓(小説では火見櫓と表記されている)が江戸の景観を特徴付ける要素として認識され、ランドマーク的な存在で目立っていたことが窺える。過去ログ
今回の再読で『夜明け前』に火の見櫓が出てくることに気がついた。やはり意識していると気がつくものだ。
北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』にも松本は縄手の火の見櫓(作品では火見櫓と表記されている)が出てくることに気がついたが、やはり火の見櫓に関心を持ってから再読した時だった。過去ログ
他の作品にも出てきているだろう・・・。
1月旅行の予定です。のぞみ13号で名古屋から京都に行きます。京都駅着10時8分です。ここで合流して奈良に向かいましょう。ホテルは当方で予約します。
■ 昨晩のこと、ある人にケータイでメールを送ろうと、このように打って、送信前に誤字脱字がないか確認のために読んで、これはまずいかな、と思った。
で、ここでみんなと合流して と入力し直し、ホテルは当方で予約します。を削除して送った。
ケータイの送受信メールを本人以外、例えば家族が読む可能性は私の場合は限りなくゼロに近い。相手の事情はよく分からないが、たぶん同様。だがこれは通常の条件下の場合であって、そうでなければ全く無いとは言い切れない。事情が分からないままこんな文面を読まれたら誤解されるかもしれない。
君子であろうとは思わないが、李下に冠を正さず、だ。
メールを送信したある人とは33会の旅行(過去ログ参照)に東京から参加する予定の○さん。旅行のスケジュールが細部まで決まるのは今月の20日ころ。そうしたら直接電話で内容を伝えよう。
ああ、世の中、誤解を招くようなことがいっぱいあるんだろうな・・・。