透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

京都ひとり旅 教訓

2015-12-31 | A あれこれ

 ちょうど1泊2日の旅行ができるくらいの臨時収入があったので、京都へひとり旅に出た。以下、今回のひとり旅で得た教訓を記し、次回のための備忘録としたい。

 徒然草第52段の「仁和寺にある法師」が教えるように、旅行先について詳しい人から事前に情報を得ておくこと。目的に合った情報を雑誌やネットなどで得ておくことも必要。ただし、旅行先で全く予期しない出会い、ハプニングを楽しみにしているのなら、これらは全く不要。この場合は宿の手配も不要かも。要は旅行の目的に沿った準備をきちんとするということだ。

 神社仏閣を訪ねる時は正規のアプローチをすること。そうしないと空間構成がよく理解できないし、配置の意図も分からない。リーフレットなどがある場合には必ず目を通し、全体像を把握してから見学すること。神社参拝のマナーというか、ルールをわきまえてお参りしたい。

 写真を撮ることで満足しないで、対象をよく見ること。そうしないと大切なものを見落とす。できればスケッチをしたい。メモを取ることも必要。

■ あまり目的を絞り込みすぎるとつまらない。タイトなスケジュールを組まないで、寄り道(目的外のこと)もすること。しかしここで欲張りすぎることは禁物。写真についても然り。路傍の花を撮ったり、食レポもしたい。そうしないと潤いに欠けた、パサパサの旅行になる。旅行先で出会った人ととは会話すべし。マニアな旅に徹するなら、それだけに集中すべし、これにも一理あり。

 カメラの予備バッテリーを持って行くこと。モーター駆動でバッテリーの消耗が激しい。


 


今年の3冊

2015-12-31 | A ブックレビュー

  今日は大晦日、今年も残すところあと半日となった。読んだ本から今年の3冊を選んだ。


『夜明け前』 島崎藤村/新潮文庫

作家加賀乙彦が日本の近代小説の白眉と評した長編。江戸から明治へと大転換した日本、その激動の時代を木曽は馬籠の人たちはどう生きたか。 この小説を読むのは3回目、かな。



『木精(こだま)』 北 杜夫/新潮文庫

繰り返し6回も読んだ小説は他にない。北 杜夫の作品の大半を読んだが、この作品が一番好き。



『道路の日本史』 武部健一/中公新書

奈良時代から平安時代にかけて既に全国的な道路網が整備されて、それが現代の高速道路網とかなり重なっていることを本書で知った。これには驚いた。「道路の歴史」というテーマに興味を覚えた。


 


ブックレビュー 1512

2015-12-31 | A ブックレビュー


『見知らぬ国へ』 北 杜夫


『余寒の雪』 宇江佐真理


『春の城』 阿川弘之


『葭の髄から』 阿川弘之

今年最後のブックレビュー、12月に読んだのはこの4冊。

宇江佐真理さんの作品を読むのは初めて。表題作「余寒の雪」は読者の誰もが予想する結末だが、読み進んで涙ぐんでしまった。人情物は好い。早世されたのは悲しく残念なこと。

阿川弘之氏のエッセイ集「葭の髄から」 きちんと自分の考えというか見解を述べること。こう書いて「自反而縮雖千萬人吾往矣 みずからかえりみてなおくんば、せんまんにんといえどもわれゆかむ」 という諏訪清陵高校の校訓を思い出した。


今年はあまり本を読まなかった。それだけ他にすることがあった、ということだろう。来年はどんな本と出合うことができるだろう・・・。楽しみ

 


下御霊神社 京都ひとり旅(12)

2015-12-31 | A あれこれ

 下鴨神社近くのカフェで暫し休憩。店員さんに下御霊神社まで徒歩でどのくらいかかるか尋ねると「結構遠いです。20分くらいかかると思います」との答え。それで、近くの京阪鴨東線出町柳駅から隣の神宮丸太町駅まで電車で行くことにした。下御霊神社は京都御所の南東にあり、神宮丸太町駅からは徒歩で5分くらい。2日間とも移動にタクシーや電車を利用したのに34000歩、22、3キロも歩いたとは・・・。

下御霊神社は平安時代の貴人の怨霊を祀り疫病災厄から都を守る神社、御所の産土神。


下御霊神社  所在地:京都府京都市上京区新烏丸通丸太町下ル下御霊町

なかなか趣のある神社だ。



「笑ゥせぇるすまん」に似ている。笑う狛犬として人気があるようだ。狛犬に威嚇的な表情が多いのは神域を守護する役目からして当然だが、このような表情の狛犬もいいものだ。









舞殿左後方から唐破風の拝所、その後ろの弊殿を見る。



拝所の狛犬 写真は手ぶれ。 それ程大きくはないが、獰猛な顔つきは迫力がある。



北野天満宮の楼門階段脇他の狛犬と作者は同じ、芳村茂右衛門。





神殿狛犬 黄金の体に阿形の獅子は緑の巻き毛、吽形の狛犬は青の直毛、そして二股の角。

2日間のひとり旅の最後に訪ねた神社ですばらしい神殿狛犬と出会うことができ、満足。 またもカメラのバッテリー切れ。この2枚は一旦バッテリーをカメラから取り出し、しばらくしてから再び装填してなんとか撮ることができた。何箇所も神社をお参りした御利益が早くもあったのかも・・・。


 


河合神社 京都ひとり旅(11)

2015-12-31 | A あれこれ

■ 下鴨神社の長い参道の途中にある摂社、河合神社に立ち寄った。








舞殿越しに拝殿を見る

この神社の御祭神は神武天皇の御母神、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。この玉依姫命は女性の願望に尽力してくださる「日本第一美麗神」! 美容や、縁結び、安産など女性ならではの願いごとを叶えてくださる神様ということで、特に若い女性に人気のパワースポットなんだとか。確かに若い女性の参拝者が多かった。


拝殿






神殿狛犬



境内に鴨 長明の方丈の庵が復元されていた(過去ログ)。 え?なぜここに鴨 長明の庵? 鴨 長明は下鴨神社の禰宜(神職)の家系に生まれ育ったという。庵の近くの説明板を載せる(下)。

この庵は方丈記の詳細な記述をもとに、中村昌生氏の監修により復元されたという。方丈の方は正方形の方、四角という意味。丈は長さの単位、1丈は10尺、約3m。床は板張りで囲炉裏があった。

簡単に分解することができ、好きなところに運ぶことができるシステムなので、プレファブのルーツとして取り上げられることもある。私も学生の時にこのような説明を聞いた(ような気がする。あるいはその後の学習の成果かも)。





 


下鴨神社 京都ひとり旅(10)

2015-12-30 | A あれこれ


南口鳥居 後方に楼門が見える。


楼門

 大徳寺の塔頭大仙院の枯山水庭園を見てから、バスで下鴨神社に向かう。

バスは北大路通から下鴨本通へ。バスを降りると、下鴨神社の境内へはこの南口鳥居も楼門もくぐることなしに、東側から拝殿付近に直接アプローチすることになった。

これはまずかった・・・。

やはり正規のアプローチをしていかないと、神社の空間構成を正しく体験することができない。ということで、トホホな参拝となってしまった。

神社仏閣は正規のアプローチをすること、これも教訓。

舞殿



本殿前の狛犬

今回は下見、ということにして次回「正しく」参拝しようと思う。


 


大仙院庭園 京都ひとり旅(9)

2015-12-30 | A あれこれ


庭園解説の冊子からの転載

 この場面が記憶にあるものの、どこの庭園なのか長い間分からなかった。ここが大徳寺の塔頭、大仙院の庭園だと分かったのは2009年10月のことだった(過去ログ)。それ以来いつかこの庭園を見たいと思っていが、今回ようやく念願叶って訪ねることができた。

龍安寺の石庭は一面の白砂の上に15個の自然石を配した抽象的な庭園で、鑑賞する人にその意味の解釈は委ねられている。

比して大仙院のこの庭園は具象的で、立体的な水墨画のようだ。今風に言えば3D水墨画

砂上の自然石は船だが、別のもにに見立てたら、「それは違います」と否定され、「大河を進む船なのです」と説明されるだろう。すると誰でも「なるほど」と納得するに違いない。

船の後ろの透渡殿について、この庭園解説の冊子に**寝殿と対屋を結ぶ渡廊下の貴重な遺構であり、寺ではこれを人生の壁としている。**とある。

蓬莱山の滝に始まり、大海に終わる川の流れを人生の表現とする一般的な解釈を受け入れれば、この説明に素直に頷くことができる。

リーフレットによるとこの庭園の作者は大仙院開祖、大聖国師で作庭年は1509年(永正6年)。
龍安寺の石庭とほぼ同じ年代。

写真撮影が許可されていないのは残念だったが、その分じっくり時間をかけて鑑賞することができた。


 


龍安寺石庭 京都ひとり旅(8)

2015-12-29 | A あれこれ

 北野天満宮からタクシーで龍安寺へ。龍安寺と言えばこの石庭。

JR東海の93年冬のコピー 石と砂でできたクイズです。何百年も、正解が出ていません。」は上手い。  



方丈の縁側に座ってこの庭を見ていて「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という小林秀雄の言葉がふと浮かんだ。



いや、そうではなく、この石庭は多様な解釈を許しているのかもしれない・・・。きっと、そうだ。


 


北野天満宮 京都ひとり旅(7)

2015-12-29 | A あれこれ

 朱雀第六小学校の火の見櫓を見てからタクシーで北野天満宮へ。

北野天満宮には2009年の2月に行っている(過去ログ)。この時は狛犬には興味が無かったので全く触れていない。やはり興味、関心のない事は目で見ても脳が反応しないので、記憶に残らない。

以下、12月23日に訪ねた北野天満宮をざっくりと。


表参道 大鳥居




ブロンズ製狛犬



影向松前







臥牛像 御祭神の菅原道真は丑年生まれとのこと。

















楼門


















絵馬所(休憩所)前



中門(三光門)







宝物殿







拝殿



梅が咲いていた。


瓦屋根にも梅


繰り返しの美学@北野天満宮


社殿側面





北野天満宮には12対の狛犬がいるそうだ。その中には宝物殿の白い狛犬はなぜか含まれていないようだから、ここに挙げた狛犬の他にまだ4対いることになる。やはりじっくり隅から隅まで見て歩かないと見逃してしまう・・・。


 


590 朱雀第六小の火の見櫓 京都ひとり旅(6)

2015-12-28 | A 火の見櫓っておもしろい

■ 京都ひとり旅、23日の朝は8時過ぎに京都駅からJR山陰本線(嵯峨野線)で円町駅へ。この駅から朱雀第六小学校の敷地内に立つ火の見櫓目指して歩く。

住宅の屋根の向こうに火の見櫓上部が見えた。


590

小学校のグラウンドの隅に立つこの火の見櫓には半鐘が無い。半鐘が撤去されてしまったものは火の見櫓ではないという見解を示す火の見櫓ファンもいる。半鐘が無ければ火災の発生やその後の状況などを伝えることができないから、火の見櫓としての機能を喪失している。この意味において、先の見解は実に明快だ。

だが私は半鐘の無い「元ヒノミ」も火の見櫓として観察している。



ここに祗園の火の見櫓のような半鐘が吊り下げてあれば感動的なんだけど・・・。

櫓を構成する柱材にも横架材、ブレースにも等辺山形鋼が使われている。見張り台の手すりには消火ホースを掛けるフックが付いている。

半鐘が吊り下げてあったということは確認できない。手すりの上で柱をつなぐ横架材の隅に火打梁のような部材があるが、ここに半鐘が吊り下げてあったのかどうか・・・。フックもないしメンバー(部材寸法)も小さいから判然としない。



注目の脚元。櫓の中間部と同じ扱いで、脚部としてのデザインにはなっていない。

 

小学校の正門の脇に消防団の詰所(関西では屯所という名称か?)があった。

火の見櫓だけを観察して帰っていたら見つけることはできなかった。せかせか行動しないでじっくり周囲を見てまわることが肝心だ。神社巡りでも然り。旅の教訓としたい。





なんということだ

2015-12-28 | C 狛犬

■ ぎおん楽宴小路の火の見櫓を見てから、歩いて清水寺に向かう。距離は2キロくらいのはず。途中で安井金比羅宮に立ち寄る。



ここにも狛犬がいて・・・。 向かって右側の阿形の狛犬(獅子)を撮ったところで、なんということだ、カメラが・・・、バッテリー切れ。

旅の教訓  予備のバッテリーを持っていく これは常識なのかも。

八坂の塔も清水寺の狛犬も脳内保存のみ。

早めに京都駅にバスで戻る。宿に入って、少し休んでから駅前の某ホテルの1階にある居酒屋へ。ここで美女と待ち合わせ、 ンなわけなか・・・。ハニートラップなボンドガールなど現れるはずもなく、カウンターでひとりさみしく・・・。 酒量はというと  と控えめ。そしてという健全な夜だった。 




翌朝、宿を出る時 玄関に飾ってあった狛犬(?)を撮る。今日(23日)は天気が下り坂とのこと。

京都駅から最初の目的地へ電車で向かう。 次稿に続く・・・。


 


589 祇園の火の見櫓 京都ひとり旅(5)

2015-12-28 | A 火の見櫓っておもしろい



櫓壁面にこのエリアの名称「ぎおん楽宴小路」の表示がある。


589

 東山区祗園東、八坂神社のすぐ近くにこの火の見櫓が立っている。今回の京都ひとり旅ではこの火の見櫓を見ない手はないなぁ~、とここに来ることにしていた。

町屋風の小さな店舗が囲むこのポケット広場はネット検索で得た情報によると1994年(平成6年)に整備されたそうだ。よく指摘されることだが日本では街路的空間が一般的で、このような広場的空間というのはそれほど例がない。

この広場には単なる広告塔ではつまらないと考えたのかどうか、鉄骨造の火の見櫓が立っている。それ程広くはない広場、閉鎖的な狭小空間では火の見櫓は人の視線を上方へ誘導する仕掛けとして有効で、魅力的な空間を構成する要素だということを実感した。

ではなぜここに火の見櫓が建てられたのだろうか・・・。

以下やはりネット情報で得たにわか知識。

江戸時代、この辺りに近江の膳所(ぜぜ)藩の京屋敷があり、この場所はその屋敷の東端に位置しているそうだ。膳所藩は淀、亀山、大和郡山の各藩と共に禁裏御所方火消を務めていたが、1722年(享保7年)に京都定火消も兼務する京都火消役の重責を担うことになった。そのために膳所藩は屋敷内に火の見櫓を建て、その役目を務めたという。

このような歴史に基づき、この場所に火の見櫓を広告塔として建てたということのようだ。



火の見櫓はこの小路の先に立っている・・・。

誰でも知っている場所ではなく、ここのような知る人ぞ知るディープな空間の存在が都市の魅力を倍加する。


 


八坂神社 京都ひとり旅(4)

2015-12-27 | A あれこれ

■ 八坂神社を参拝するのはたぶん初めて、この西楼門の前を通ったことはあるけれど。この神社は人気観光スポットだから、観光客が多い。

御祭神は須佐之男命(素戔鳴尊)と妻の櫛名田比売(別表記もある)、子どもの八柱御子神 他多柱。須佐之男命は悪さを重ねてお姉さんの天照大御神を怒らせてしまう。その結果、天の岩屋戸の大トラブルが起こる。

高天原を追放された須佐之男命は出雲の地へ行き、そこで八岐大蛇を退治して老夫婦と娘を助けた。その娘が妻となる櫛名田比売。

(このようなことを記憶しているはずもなく、自室の古事記本を参考にした)
















蛭子社 




蛭子社の狛犬 


大国社 大国様と因幡の白莵の石像




南楼門前の狛犬




南楼門前のもう一対、備前焼の狛犬


南楼門から見た舞殿


舞殿の軒下に吊り下げられた提灯 繰り返しの美学な光景


拝殿