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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

306 長和町の火の見櫓

2012-07-31 | g 火の見櫓観察記

 
306

 火の見櫓のフォルムの魅力として末広がりでなだらかな曲線の脚部を挙げることができる。あの曲線には魅せられる。

松本から三才山トンネルを抜けて上田市丸子(旧丸子町)に入ると、火の見櫓が国道沿いに何基か立っている。それらは皆細身で、脚部は直線的という特徴がある。

他にも櫓上部のブレースにはターンバックルが付いていないこと、櫓が細身なので途中の踊り場は櫓の外に付けられていることなども特徴として挙げることができる。

立科町からの帰路、この火の見櫓を見つけた。やはり上記の特徴を備えている。端正で美しいフォルムが魅力的だ。見張り台のところに余分なものが一切ついていないのもいい。

屋根の4隅には控えめに蕨手が付けられている。





久しぶりの評価

1 櫓のプロポーション ★★★
2 屋根・見張り台の美しさ ★★★ 
3 脚の美しさ ★★★


 

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290~294 立科町の火の見櫓 その1 

2012-07-29 | g 火の見櫓観察記

■ 北佐久郡立科町の火の見櫓の紹介です。今日、29日の早朝、立科町まで出かけて火の見櫓巡りをしてきました。特に下調べをしたわけでもありませんが、16基見つけることができました。

3稿に分けて紹介します。


1 蟹窪

 
290

 私が観察する限り、東信地方の火の見櫓は細身のものが多いです。





梯子が地面に着いていません。どうやら立科町では一般的な設置法のようです。


2 宇山

 
291

火の見櫓と法面(のりめん)に埋め込むようにして建てられている分団倉庫のツーショット。





火の見櫓のブレースにはリング式のターンバックルが使用されていることが圧倒的多く、このような一般的な枠式ターンバックルが使われることはあまりありません。この火の見櫓は比較的新しいものではないかと思います。


3 立石

 
292





この火の見櫓の梯子も下端が接地していません。何故こうしたのか理由は分かりません・・・。姿形は蟹窪の火の見櫓とよく似ています。


4 石川


293

鉄筋コンクリート造の消防倉庫をまたいで立つ火の見櫓です。屋根より見張り台がかなり大きいです。珍しいプロポーションです。こんな火の見櫓があるんですね~。




 5 芦田(立科町役場の近く)

 
294

役場の駐車場に車を停めてあたりを見まわすと、この火の見櫓が目に入りました。









木造の分団倉庫をまたいで立つ火の見櫓です。脚は屋根を貫通しています。


 

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295~299 立科町の火の見櫓 その2

2012-07-29 | g 火の見櫓観察記

6 
 
295

実に美しいフォルムです。

あれ、梯子がない・・・。この写真を見ればそう思いますよね。



で、少し移動すると・・・。構面のひとつが梯子になっているのです。






櫓の平面は台形をしています。こんな形、初めて見ました。 どうやら立科町は火の見櫓ファンにはたまらない町のようです。

探せばまだ他にも珍しい火の見櫓が見つかるような気がして、他の地区に移動しました。カーナビも、町の地図もありません。ヤグラーの感だけが頼りですが、多少なりともすることがあるとすれば、火の見櫓は古い集落内に立っていることが多いですから、古い集落があるようなところを探すことでしょうか。ここには書きませんが、そのようなところには地形的に共通する条件がある、と私は考えています。




 
296 野方


 8

297 野方






9 
 
298 中原




10 

 
299 細谷



防災無線のスピーカー柱に小屋根付きの半鐘を取り付けて、倉庫の屋根の上に見張り台を設置しています。これは火の見櫓とはいえないかもしれません。でも、まあ 珍しい構成の火の見櫓ということで・・・。

立科町では今でも半鐘を叩いていると聞きますから、防災無線柱を立てて、ハイ、オシマイというわけにはいかないのでしょう。


 

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300~305 立科町の火の見櫓 その3

2012-07-29 | g 火の見櫓観察記

11 

 
300 立科町桐原






12 
 
301 立科町外倉

これはいい!


13

 
302 立科町五輪久保




14

 
303 牛鹿

それにしても立科町はすごいです。



屋根の下にも赤色灯がついています。夜はどんな感じになるのでしょう・・・。



15

 
304 山科

これはもう感動です。






16 

 
305 立科町上房


立科町ではユニークな姿形の火の見櫓を何基も見ました。ヤグラーにとって至福の休日でした。

火の見櫓 みんなちがって みんないい  

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久しぶりの海外作品

2012-07-28 | g 読書日記



 レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』ハヤカワ・ミステリ文庫とモームの『太平洋』新潮文庫。カフェバロのKさんが昔読んだ本を1冊たったの10円で売っていたのでこの2冊を買い求めた。

チャンドラーはハードボイルドの巨匠としてよく知られている作家だが、今まで作品とは縁がなかった。この機会に読んでみようと思った。それからモームといえば『月と六ペンス』だが、高校生の時、この作品の他に長編の『人間の絆』を読んだ。モームの作品はそれ以来となる。

昔シンガポールを旅行した時、モームが利用したというラッフルズ・ホテルでお茶でも飲もうと行ったが生憎改装工事中で中に入ることができず、残念に思ったことを覚えている。

久しぶりの海外の作品で、どうもペースが上がらない。お盆の休みに時間をかけて読もうと思っているが・・・。


 

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― あれ?おかしい・・・

2012-07-27 | g 火の見櫓考〇

① ② 



 東京は新宿四谷にある消防博物館。ここに江戸の町並みを再現したジオラマがある。ジオラマには写真のような火の見梯子もつくられている。一度是非見たいと思っていたが、先日その願いが叶った。このことは既に①の写真を載せて書いた。

展示品の撮影OKということだったので何枚か撮った。①の写真を見ていて、あれ?おかしいと思った。

梯子に登って半鐘を叩いている火消の位置がおかしい・・・。半鐘が左側になっているから右手で半鐘を叩くことができない。別の方向から撮った③の写真の方が分かりやすいかもしれない。

地面から屋根上まで架けられている梯子を登って、屋根の上の踊り場に立つ。そのまま火の見梯子を登るわけだから、火消はこちらを向くことになるはずなのに・・・。

人形をセットするときに気がつかない、ということはまずありえない・・・。とすると展示した後に誰かがいたずらをした? いや、気がつかないで梯子の反対側に人形をセットしてしまったのかもしれない・・・。

人は初歩的なミスをするものだ。そしてそのミスに他の人も気がつかない、なんてことが案外多いのでは。


 

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― 屋根の骨組み

2012-07-26 | g 消える火の見櫓 残る火の見櫓



 松本市の隣、東筑摩郡山形村では消防団詰所の建て替えが順次進められている。中大池という地区でも今年建て替えが行われた。それに伴って火の見櫓は解体撤去されてしまったが、半鐘は別の敷地に建てられた新しい詰所の外壁に吊るされている。何故か緑色に塗装されて。


在りし日の火の見櫓 その脚部


解体中の中大池分団詰所



地元住民の意向で火の見櫓の脚部はあずま屋に転用されるという。先日(21日)現地に行ってみると残された脚部はもとの位置から少し移動してあって、コンクリート土間がつくられていた。今後地元の大工さんによって屋根がつくられる予定だと聞いている。火の見櫓の屋根と同じ方形(ほうぎょう)の屋根ではないかと思う。

方形(4角錘)の屋根の小屋組みをどうするか・・・。

ごく一般的な小屋組みの他に扇状に母屋を架けて水平垂木を渡し、屋根下地を張って屋根を葺くという方法も考えられるし、扇垂木を架けるという方法もある。どんな架構にするにせよ軒天井を張らないで小屋組みを見せるようにしたらいいと思うけど・・・。

どうなるのだろう・・・・。


 

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松本市今井の道祖神

2012-07-24 | g 道祖神〇



松本市今井の宝輪寺 参道正面に鐘楼門、その後方に本堂を望む



本堂



前稿で取り上げた火の見櫓の隣に祀られている文字碑



裏面の刻字 文化十三年は西暦1816年



文字碑の隣の双体道祖神 

摩耗が激しく、はっきりしないが両神が体を寄せていて抱肩握手像のように見える。前稿で紹介した火の見櫓の脇に2体とも立っている。


火の見櫓と道祖神が同じ場所にあることが多いのは何故なのか・・・。前から考えているけれど、妥当な答えが見つからない・・・。

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289 松本市今井の火の見櫓

2012-07-23 | g 火の見櫓観察記

 
289 松本市今井の宝輪寺境内入り口脇に立っている火の見櫓 撮影120722




 

 見張り台も屋根も無い簡易なつくり。これは建設当時の姿ではないと思うがどうだろう・・・。屋根付きの見張り台があったとも思えない。

横架材のところに床をつくりモーターサイレンを据え、サイレン保護のために屋根を設置したのは後年のこと、このことは確か。半鐘ははじめからこの位置にも吊してあったのかもしれない。

宝輪寺は木曽義仲と関係する古刹だが、そのことについては稿を改めて。


 

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バナナと同じ

2012-07-22 | g 読書日記

 コンクリートは圧縮力には強いが引張力には弱い。一方、鋼管は引張力には強いが圧縮力には弱い。その相反する特徴を持つ両者を組み合わせることによって互いの短所を補完しあっているのがコンクリート充填鋼管構造だ。

既に何回か書いたことだが、人が考えるものは自然が先回りしてつくっている。では、このコンクリート充填鋼管構造に相当する自然のものとは一体何か・・・。


『図解 橋の科学 なぜその形なのか?どう架けるのか?』土木学会関西支部編/講談社ブルーバックス

この本では橋がどのような設計をもとに、どのような技術によって架けられているのかを、中学生くらいから理解できるように平易に解説している。そのセクション4の「橋と力学」に次のくだりが出てくる。

**圧縮や引っ張りに対する強さは、材料によって違います。石の場合、圧縮に強くて引っ張りには弱いことが分かっています。写真5―5は、皮をむいたバナナと、皮のついたバナナをそれぞれ曲げたものです。この写真からバナナのどんな性質がわかるでしょうか。
曲げの力がはたらくと内側が圧縮、外側が引っ張りの力を受けるのでした。皮のないバナナは外側で切れているので、引っ張りの力に弱いことがわかります。ところが皮は引っ張りに強く圧縮に弱いので、皮のついているバナナでは、逆に内側がつぶれているのです。**(60頁)

ここを読んでいて、そうか、コンクリート充填鋼管構造ってバナナと同じなんだ!と気がついた。


以前書いた類似の記事

技術者の設計の最適解は自然が既に用意してあるということについて、思い浮かぶのは竹だ。

鉄骨構造の柱と梁のジョイント部分にはダイアフラムを設けるが、竹は節という名前のダイアフラムのところから枝(持ち出し梁)を出している!自然は優秀な構造設計者だ。


 

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― 松本市内の火の見櫓

2012-07-22 | g 火の見櫓観察記

 この火の見櫓の所在地は松本市中央4丁目、松本勤労者福祉センターの前。既に一度載せているが、そのときは銘板に気がつかなかった。





見張り台を支える櫓上端の構造、かなりゴツイ。見張り台の床から4本の柱材を立て、屋根の下地材、半鐘の受け材と接合している様子が分かる。そう、これは櫓のてっぺんに屋根と一体の見張り台を載せるという実にレアな構造。


撮影 120721

脚部に付けられている銘板 「松本市白板 中央工業株式會社 大正十五年十月製作」と読める。

建設されてから既に80数年。長い年月人びとの暮らしを見守り続けてきた火の見櫓。これからは地域の人びとが火の見櫓を大切に見守っていかなくてはならないだろう・・・。


現存しない。(191218追記)

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「東京都美術館ものがたり」

2012-07-22 | g 読書日記

 15日の日曜日、日帰り東京した。朝7時前、正確に記すと松本6時51分発のスーパーあずさで出かけた。

フェルメールが描いたあの少女に会うことと消防博物館の見学が目的だったが、上野の東京都美術館は長蛇の列でフェルメールの少女はあきらめた。それで偶々開催中だった「東京都美術館ものがたり」という企画展を観た(9月30日まで開催)。

東京都美術館に関係の深い人たちの作品展で、佐伯祐三、藤田嗣治、東郷青児、赤瀬川原平、日比野克彦ら有名な作家の作品が展示されていた。

無知をさらすが、私はこの美術館誕生の経緯を全く知らなかった。だから九州の石炭商で、美術館の建設資金を寄付した佐藤慶太郎のことや、旧館設計者の岡田信一郎を紹介する展示はありがたかった。

会場には旧館の図面や模型、正面玄関の写真なども展示されていて、興味深かった。新館の改修前と改修後の大きくて精巧な模型も展示されていた。一体どこが違う? 間違い探しクイズのような感覚でふたつの模型をながめた。

展示から新館設計者の前川國男の慧眼、建築かくあるべしという理念にも触れることができた。

前川國男は70年代に美術館・博物館をいくつか設計したが、共通するのはキューブによる群造形と打ち込みタイル。吉岡徳仁がデザインした都美術館のシンボルマークがこの特徴をシンプルに表現しているのはさすが。

大正15年に誕生したという東京都美術館。今回観た展覧会は東京都美術館の老舗としての自負というか誇りを感じた。


『東京都美術館ものがたり』東京都美術館・編/鹿島出版会 

次回はこの美術館のカフェと上野公園にできたスタバを体験しよう・・・。


 

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帯代金拾五両

2012-07-20 | g 道祖神〇



 先日辰野町と箕輪町で火の見櫓巡りをした。その際、何ヶ所かで石神石仏を目にした。辰野町役場の比較的近くで庚申塔や道祖神を道路沿いに並べて祀ってあるのを見かけた。

上の写真で道祖神は右から2番目。整った形の小振りな石に男神と女神が並び立つ、双体道祖神だ。向かって右側の男神は盃を手に持ち、女神は酒器を手にしている。両神のにこやかな表情がいい。表(右下)には羽場崎中、裏には帯代金拾五両と彫ってある(下の写真右)。

以前、朝日村で帯代五両の道祖神を見たが、その3倍だ。遊び心によるものだから、思いっきり吹っ掛けた代金なのであろう。当時(江戸末期だと思うが)の人たちの結束、さらには地域愛を感じる。






 

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288 池田町会染の火の見櫓

2012-07-18 | g 火の見櫓観察記

 
288

 鉄道マニア(鉄ちゃん、鉄子さん)には興味の対象がいくつもあるようだが、その代表的なものは「乗り鉄」と「撮り鉄」ということになるのだろうか。

同じ撮り鉄でも自らさらに厳しい条件をつけてハードルをあげている鉄ちゃんも多いらしい。例えば、撮影スポットまで車で行くにしても高速道路を使わないとか、誰も乗っていないグリーン車を撮るとか、必ず夕景をバックに列車を撮るとか・・・。

では、同じ鉄でも火の見櫓のファン、火の見ヤグラーの場合はどうだろう・・・。まだジャンル分けをするほど数が多くないかもしれないが、じっくり火の見櫓を細部まで観察する人もいるだろうし、見つけた火の見櫓の写真を撮ればそれで満足、という人もいるだろう。

趣味の世界は他人(ひと)の理解を超えたところにあるのだから、人それぞれで一向に構わないと思う。で、私の場合はといえば、最近は撮り鉄というか撮り櫓ということになるかもしれない。見つけた火の見櫓の写真を撮るだけで満足している。細部までじっくり観察しよう、という気持ちにはなぜかあまりならない。



この火の見櫓は安曇野市明科と境を接している池田町会染の集落内にある。県道51号線を車で走っていて気がついた。最近のことだ。

池田町でよく見かけるタイプとは明らかに違う。明科にある火の見櫓に似ていると思ったが、やはりしばらく前に載せた明科の火の見櫓と同じ鉄工所で造られたものだった。全体的によくまとまった造形だ。



櫓の外に設置された梯子から櫓中間の踊り場に入り込む。そのための造形。



柱脚廻り 



銘板 波場鐵工場 昭和37年10月建設 


 

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「日本美術史」

2012-07-18 | g 読書日記



■ どうやら梅雨があけたらしい。で、一気に夏モード全開。昨日(17日)はとにかく暑かった。

今月はあまり読書モードにはならず、ようやく『日本美術史』 監修:辻惟雄/美術出版社 を読み終えた。カバーに**美術愛好者の手引きとして、また、学生の参考書として最適の入門書**とあるが、確かにざっくりと日本の美術史を押さえるには好書だと思う。

本書の近代(明治から戦前の昭和まで)の小見出しは「混乱の時代」、「秩序を求めて」、「若々しき創造の時代」となっている。

「混乱の時代」で、この章の著者、田中日佐夫氏は**明治維新という一種の革命のあとで、明治初期の美術は未分化の混沌とした状態に陥った。
江戸時代までの流れを引き継ぐ絵画の領域にあっては、主題や画面上の構図の混乱、またエスプリの喪失などを見て取ることができる。絵画に限らずすべての芸術にたずさわる人は新しい時代を表現する様式を求められて我を忘れたのである。**(154頁)と指摘している。

この国の芸術(美術、工芸)は長い長い時の流れを経て、江戸も後期になって成熟期を迎えていたということが本書を読むとよく分かる。が、その先に明治維新が待っていたわけで、ここで西洋の文化、芸術がどっと押し寄せ、混乱を招くことになる。それは世界の歴史的な流れからして必然であったように思う。そのことがこの国の文化、芸術にとって幸福なことであったのかどうか・・・。

明治維新をこの国の芸術の流れの中でどう考えるか、どう位置付けるかについて、自分なりの見解というか、結論を見い出すという作業をしなくてはならないだろう・・・。

そういえば以前(20110424)こんな会話をしていた。(過去ログ

「ボクは電力消費ゼロの江戸時代に学ばなくてはならないのではないかってこの頃思うね」
「江戸時代の暮らしに今に活かせるヒントがある・・・」

「そう。江戸時代は日本の伝統的な文化が成熟した時代だよね。それが、明治になって西欧の文化を取り込む際、千年以上も連綿と継承されてきた伝統文化をほとんど断ち切ってしまったことがまずかったのではないかと思う。建築なんてまさにそう」

「そうなんですね・・・。江戸までは夜になれば随分暗いところで過ごしたわけですね。でもその暗さが例えば蒔絵などの工芸を育んだともいえるんですよね」
「そうだね、蒔絵って暗い空間で観るからいいんだね。というか、暗い空間で鑑賞する芸術だよね。他にもあるね、きっと。例えば月を愛でるとかさ」

「そういえば谷崎が「陰翳礼讃」で日本の空間の暗さを評価しましたね」
「そうだね。日本には空間の暗さが育んだ文化があったんだよね。でもそういう暗さを日本人はいつのまにかなくしてしまった」

「そうか・・・」


本書を読んで、例えば根津美術館やサントリー美術館に出かけてもいままでとは違って展示品を興味を持って観ることができる、と思う。

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