■ 隔月誌ku:nel(マガジンハウス)に川上弘美さんの作品が掲載されている。最新5月号、『クレヨンの花束』の主人公のあたしが好きな人は大学の立原先輩。 立原道造の名前が浮んだ・・・。そう、あの詩人であり建築家でもあった立原道造。
手元の古い文庫本(『立原道造詩集』中村真一郎編/角川文庫)の巻末の年譜によると大正3(1914)年東京生まれ。彼は東大の建築科を卒業後、石本建築事務所に就職する。
彼はそこで一年先に入所していた水戸部アサイと運命的な出会いをする。『立原道造・愛の手紙』小川和佑/毎日新聞社には清楚で、上品な水戸部アサイの写真が載っている。 彼は昭和13年にアサイとの結婚後の新居として、「風信子(ヒヤシンス)ハウス」を設計する。
ところが翌年、彼は25歳の若さで病死してしまう・・・。在学中に辰野金吾賞を三度受賞した優秀な彼が建築家として活躍したのはたったの2年間だった・・・。 2004年、彼の残した簡単な図面を基にヒヤシンスハウスの工事が進められ完成した。 約70年の時を経て・・・。
新市名「さくら市」選定の理由
氏家町では勝山城址の桜・鬼怒川堤防の桜堤、喜連川町では県道佐久山・喜連川線の桜並木・お丸山公園の桜など両町民にとって桜は長年親しまれてきた花である。
また、ひらがなにすることで表現が柔らかくなり、桜の花のように美しい“まち”になってほしいという両町民のまちづくりへの願いが込められている。
さくら市のサイトにはキッチリと新市名の選定理由が上記のように示されていた。 拍手、拍手!
新しい市町村のサイトにはこのように明快に名前の由来を記して欲しいのだ。
平成の大合併で全国に新しい市町村が誕生した。
群馬県には「みどり市」が誕生した。名前の由来を知ろうとネットで検索してみたが、残念ながら市のサイトでも説明が見つからなかった。みどりは自然の豊かさを表象するから、豊かな自然に恵まれたところなのだろうと推察する。
ひらがな表記の市町名が意外に多い。つがる市、おいらせ町、むつ市、つくば市、かすみがうら市・・・。これらのなじみの名前は漢字表記でも良いと思うのだがひらがなにしたのにも理由があるのだろう。
福島県には三春町(みはるまち)がある。名前だけは以前から知っていた。数日前の新聞の投稿でその由来を知った。春になると、梅桃桜がいっせいに咲くことに拠るとのことだった。由来を知って、なかなかいいネーミングではないかと思えてきた。 古い地名にはそれぞれ意味がある。地名も文化だとの指摘は多いが、その通りだと思う。
上高地は神降地が転じたものだと何かで読んだ記憶がある。そう、字義の示す通りの意味だったのだ。 新しい市町村名にもそれぞれ意味があるはずだ。その説明をきちんとしておくことはやはり必要ではないか、と私は思う。
栃木県には「さくら市」が誕生した。この手の名前をどう評価すればよいのか分からないが、日本一のさくらの名所を育てるくらいのことをしないと名前の意味が薄れてしまうだろう。
昨晩は、飲み会だった。店の外部はコンクリート打ち放し、内部はモダン和風と評すればよいのか、なかなか雰囲気がよかった。「樹(いつき)」という店の名前は店主の名前の一字を採ったものと名刺から判断した。
ところで飲み会に「酔族会」と名前を付けたが、それは北杜夫のエッセイ集『マンボウ酔族館』/新潮文庫から採った。
今週末、長野県原村のミニギャラリーで開催される作品展の案内状をいただいた。
「布糸木(ふしぎ)七人展」 案内文、いいなと思った。
(前略)「原村の田畑が緑にうめつくされる頃、 緑は八ヶ岳の頂めざして登り始めます」(後略)
映画「オペラ座の怪人」でモノクロのオペラ座の客席が次第にカラーに変わっていく印象的なシーンがあった。 映画のシーンのように八ヶ岳が麓から徐々に萌葱色に変わっていく情景が目に浮かぶ。
豊かな自然の中での暮らしによって磨かれた感性がこの表現を生んだのだろう。この表現・・、どんな方だろう。 残念ながら、都合がつかない。
僕もあなたも見やしない。
「こいのぼりは風の動きを可視化する装置である」以前本で読んだような気がします。確か建築家の書いた本だった・・・。
風なら伊東豊雄さんかな、可視化という表現をするのは磯崎新さんかな、手元の本をパラパラとめくってみましたが分かりません。こんな時、ネット上の情報なら、すぐに検索できるのに・・・。
『ウェブ進化論』梅田望夫/ちくま新書 ではグーグルについて一章割いて論じています。 グーグルのミッションを「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」だと紹介しています。知の世界の秩序の再編成、途方もないミッションの設定ですね~ッ!そのために30万台ものコンピューターが無休で動き続けているというのです。
試みに「透明タペストリー」をグーグルで検索してみました。ちゃんとヒット! しかも私の目論見通りに・・・。 これはすごいこと、実感です。
小川洋子さんの小説『博士の愛した数式』/新潮社は交通事故の後遺症で80分しか記憶のもたない数学者と若い家政婦とその息子が家族を「する」物語。
昨晩、NHKの番組「プレミアム10」を観た。立花 隆氏が脳コンピューターインターフェースの最前線の研究を取材、紹介する番組だった。 SFの世界が既に現実のものとなっている。脳から出る手を動かすための電気的な信号を伝達経路の腕から取り出す。その信号がコンピューターを経由して義手に伝達される。脳の指示に従って義手が動く! アメリカの実験室で取り出された信号をインターネットでイギリスの実験室に送ると、そこの義手が動く!
やがて火星の表面の感触を地球上で我々は直に感じることができるだろう。 ある科学者はこう語っていた。 驚いたことに人工海馬の実験も既に始まっているという。脳の記憶を外在化することも当然可能だろう。 博士の脳の障害をコンピューターがカバーする日も近いだろう。
でも、「ワタシハダレ??」ということになりはしないだろうか・・・。
「第二次世界大戦後に行方不明になっていた元日本陸軍兵士、上野石之助さん(83)が親族と六十三年ぶりに再会を果たした。」
数日前、新聞に報じられていた。弟と抱き合って再会を喜ぶ上野さんの写真も載っていた。 高齢の兄弟、幸せな再会だったに違いない・・・。
不幸な再会もある・・・。 『砂の器』『ゼロの焦点』共に松本清張の代表作。砂の器の和賀英良、ゼロの焦点の室田佐知子は、ともに決して人に知られてはならない過去を持っている。
和賀は子供のころハンセン病の父親とともに故郷を離れ放浪の旅を続けていたし、佐和子は終戦直後の立川で米兵相手に身を売っていたのだ・・・。ふたりとも、過去を秘めつつ、現在は名声を得て生活している。 突然自分の過去を知る人物が目の前に現れる・・・そう、「過去との遭遇」。
殺人をしてまでふたりは自分の過去を隠す。 先の新聞記事で遥か昔の読書の記憶が甦った。中学2年のときにカッパ・ノベルスで初めて読んだ清張作品が『砂の器』だった。
■ 「顔文一致」 エッセイストの中野 翠さんがどうやらこう唱えているらしい。芥川龍之介の眉間の皺があの文章を生み、川端康成があの鳥の眼をしていなかったら、「片腕」は生まれなかっただろう、という具合に。先日読んだ『美の死 ぼくの感傷的読書』久世光彦(ちくま文庫)で知った。
私は以前から「建築作品はその設計者の体型に似る」と唱えてきたが、同じような指摘だ。こちらはすぐに反例が見つかってしまうが・・・。
「この文章を書いている人はどんな顔をしているんだろう・・・」ときどき本を読みながらそう思う。今朝の信濃毎日新聞の読書欄に『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』の著者、瀧口範子さんが紹介されている。「あの文章を書いた人の顔・・・、なるほど」中野さんの説を知った直後だから妙に納得してしまった。
私はNHKのテレビ番組「週刊ブックレビュー」をよく観るが、それはゲストとして登場する作家の顔を知ることができるからでもある。
■ きのうの午後の花見で手にしたオレンジ・ジュース入りのペットボトルに、「なっちゃん」って表示されていました。そう、君と同じ名前。
君のお友達の伊東さんの名前も「なっちゃん」だって聞きました。だから、お互いに「いなっちゃん」「ひなっちゃん」って呼び合っていたんだね。 君が書いた、たくさんの日記は妹のくにちゃんが整理して大切に保管していたそうです。
その後その日記はくにちゃんの努力と幸田さんの協力で出版されたと聞きましたよ。それにしても君の残した日記や小説に関心を寄せる人は多いんだね。
鳥越 碧さんは君の一生を長編小説にまとめたし、あの井上ひさしさんも君についての評伝をまとめているね。瀬戸内さんも書いている。田中優子さんって女優さんのような名前の大学の先生もやはり君のことについて書いている。
ところで君のペンネームはなかなかいいね。世の荒波に向かって漕ぎだしていく小舟のようで、君の人生そのもの。 君の新しい記念館がこの秋に完成するそうですね。設計したのは柳澤孝彦さんという東京藝大出身の有名な建築家。
美術館をいくつか手がけたベテランだからきっと素敵な記念館ができると思うな。ぼくも是非見学に行きたいな。記念館のオープンが11月23日だとしたら君はどう思うだろう・・・。
君に関する本をぼくも何冊か読んだけれど、文学大好き少女がそのまま大学の先生になったって感じの佐伯順子さんが書いた『一葉語録』岩波現代文庫が一番いいと思うな。
君の代表作『たけくらべ』がぼくの大好きな新潮文庫で読めるのも嬉しいな、擬古文ってむずかしくってよく分からないけれど・・・。
久世光彦さんの追悼文を川上弘美さんが新聞に寄稿していたと思う。
『美の死 ぼくの感傷的読書』久世光彦/ちくま文庫久世さんはこの本の中で川上さんの文学を「光あふれる文学」と評している。この一文を読みたくて購入したのだが、結局通読した。
久世さんは『我輩は猫である』を五歳の時に読んだという、なんともすごい文学青年、いや文学幼児!?だった。 その久世さんが書いている。一ページ読んで誰の文章かわからないものを、私は文芸として認知しないことにしている。その点、「花腐し」の作者は、わずかしか小説を書いていないのに、たった十行でそれとわかる。そういった人は、若い世代では、川上弘美と町田康ぐらいのものだろう(後略)。
川上ワールドにぞっこんな私には嬉しい一文だ。 私は川上弘美さんの小説は、その雰囲気から春読むのがいいと思っている。新刊『夜の公園』中央公論新社 がどうやらまもなく発売されるらしい。いまから、こころワクワクなのだ。
ブログを始めたことをお知らせした知人、友人との間には線が一本増えたと思う。 「もともとあなたとの間に線なんか一本もありません!」そんな悲しいこと、どうか言わないで。
「さては俺に惚れたな」「ばか。誰が惚れるか」
住宅設備機器メーカーに同期入社した、太っちゃんとわたし。仕事は営業。 ある時、太っちゃんがインフルエンザで四十度近い熱を出した。でも現場にはどうしても行かなければならない。点滴を打ってもらって少し元気になった太っちゃんを助手席に乗せて私が運転していくことに・・・。
冒頭は、営業車で現場に向かう途中でふたりが交わした会話。単なる友人でもなく恋人同士でもない。もちろん深い関係でもない。ふたりの関係をどう表現したらいいのだろう。
ある時ふたりは飲みながらこんな会話を交わす。「おまえさ、秘密ってある?」「秘密?」 話は進んで「先に死んだ方のパソコンのHDDを、後に残ったやつが破壊するのさ」ということに・・・。
不幸な事故で太っちゃんが死んだ。約束を果たすべく私は、彼の部屋に忍び込む・・・。 『沖で待つ』絲山秋子/文芸春秋 いいなこんな関係・・・。
でも、男女の間にこんなにいい「線」って実際に存在することがあるんだろうか、それとも小説の中だけの虚線なんだろうか?
『点と線』
■ この推理小説が雑誌に掲載された昭和32年ころの東京駅も混雑していたのだろう。 駅の13番線ホームから15番線ホームが見通せるのは一日の内でたったの「4分間!」 この時間に15番線に停車中の特急「あさかぜ」に乗り込むふたり。
この場面を13番線のホームから3人が目撃する・・・ この有名な場面や、時刻表で見つけたトリックなどから点と線とは駅と鉄道のことだ、何かでそんな解説を読んだような気がした。 でも確か清張自らどこかに点は人のこと、線は人間関係のことと書いていたような遠い記憶が・・・。
『黒い手帳』松本清張/中央公論社推理小説の舞台裏を明かした古い本。 推理小説の発想という章の「点と線のトリック」に**人間というものは、なにか一つの点のようなものではないか。この点を結び付けている線が、あるいは親友であり、恋人であり・・・(中略)他人が勝手な線を引いている・・・** という文章を見つけた。 よかった、遠い記憶が確認できた。昔のことは意外によく覚えているものだ。
因みに昭和47年発行のこの単行本、定価は430円。そしてこの本のカバーは透明。
『点と線』
松本清張の代表作といえばやはりこの作品だろう。一番好きな作品といえば『ゼロの焦点』を挙げる。 ブログのタイトルを考えている時、「点と線」が浮んだ。
ネット上の環境を視覚的にイメージさせるから。 他にもいろいろ考えたが、検索してみると必ずヒットする。ならば、そもそも存在しても意味のないものを考えてみよう。 ということで、結局「透明タペストリー」とした。透明なものでも、テーブルクロスなどは、機能し意味があるだろう。場合によっては衣服でも・・・。
ところで先の『点と線』は人(点)と人(点)との間にある関係(線)、この作品では恋人関係という線を引かせてしまうという作為を象徴している。 実生活でも人と人の間に、ある関係を想像してしまうことはよくあることだろう・・・。
■ 丸の内オアゾの丸善
各フロアが適度に仕切られていてゆっくり本を選ぶことができる。上質で落ち着いた雰囲気が好きだ。 朝9時開店というのもいい。4階のカフェも好きな空間。9日(日曜日)、ここで1時間くらい探して購入した本、『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』瀧口範子/TOTO出版 を読み終えた。タイトルそのままの内容。
伊東さんは八代亜紀が好きでカラオケでも歌う。名前は豊臣秀吉のファンだった父親がつけた。このようなTVのワイドショー的な俗っぽい話題から設計スタッフやクライアントとの打ち合わせ、せんだいメディアテークで変わった建築観、海外での活動の様子・・・などを豊富な写真と共に紹介している。写真は全て瀧口さんが撮ったもの。
まつもと市民芸術館の主ホールの最初のイメージが「赤のワインで酔っぱらったような感じ」だったというようなこともこの本で知った。
■ 平成の大合併によって全国の市町村が再編された。その結果がしばらく前、新聞に地図にまとめられて掲載された。 ビジュアルで分かりやすいその地図をながめると・・・。
高知県では四万十市と四万十町が隣接している。茨城県ではつくばみらい市とつくば市が並んでる。静岡県では伊豆市、伊豆の国市、西伊豆市が並んでいる。 紛らわしい。 調整が難しかったんだろうな、とは思うけれど・・・。