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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 吉田の火祭りと火の見櫓

2017-08-29 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


(再訪:過去ログ) 富士吉田市上吉田の火の見櫓 撮影日170826

日本三奇祭のひとつに数えられ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている吉田の火祭り

 毎年8月26日、27日に行われている北口本宮富士浅間神社と摂社の諏訪神社の火祭りでは、明神神輿と御山神輿が通りを練り歩いた後、夕方6時過ぎにこの火の見櫓を潜って御旅所となっている後方の上吉田コミュニティーセンターへ向かう。その時、火の見櫓に張られた注連縄を明神神輿の屋根の鳳凰のくちばしで切って進む。

この火の見櫓は神輿に遷御された神様を迎え入れる重要な役目を負っていて、単なる火の見櫓ではない。これ程大勢の人たちに注目される火の見櫓は他に無いだろう。この火の見櫓の脚は大きく開いているが、その個性的なフォルムは神輿が潜るためとの説明がなされている。

以下、何枚かの写真を載せて吉田の火祭りの様子を紹介したい。


火の見櫓の昼 御旅所と鎮火祭と書かれた祭り提灯 1対のモミの木、注連縄


火の見櫓の夜 祭り提灯に明かりが灯る。御旅所の前の大松明が燃えている。


上吉田コミュニティーセンター側から火の見櫓を見る。独特なフォルムは富士吉田のアールヌーボー。大松明が準備されている(写真右下)。

 
富士山と火の見櫓  歩道に大松明が準備されている。




注連縄が切れた直後 紙垂が揺れている。



明神神輿に続き真っ赤な御山神輿が火の見櫓を潜って御旅所に向かう。注連縄は切れてなくなっている。


明神神輿が御旅所に入る瞬間。御山神輿が続く。



通りに建てられた高さ約3メートルの大松明に一斉に点火される。大松明の数、今年は90個余。

この火祭りは鎮火祭とも呼ばれているが、それは富士山の噴火を鎮めるという意味とのことだ。なだらかな坂道に大松明が連なる様は富士山の噴火で流れ下る溶岩の表現のようで、それを御して富士山と共に暮らすいう地元住民の意志を見た思いだった。


 

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消防団詰所にも提灯

2017-08-28 | g 火の見櫓観察記


撮影日121103

 この26日に山梨県の富士吉田市まで出かけて「吉田の火祭り」を見てきたことは既に書いた。2012年の11月3日、偶然この火の見櫓の前を車で通りかかり、観察している。その時、火の見櫓の横の消防団詰所は工事中で鉄骨の建て方がほぼ完了した状態だった。


撮影日170826

この詰所の2階の窓にも「詰所」「中宿」と書かれた提灯が吊り下げてあり、夕方に祭り提灯と共に灯がともされた。詰所も火祭りを意識して提灯を設置するように設計したのだろうか・・・。

この詰所の設計・監理を担当した地元の建築設計事務所に電話して訊いてみた。富士山のお膝元の富士吉田市は海外からの観光客も多い。それで「和」の提灯を吊るすことにしたとのこと。富士吉田市でもこのような考え方を推奨しているとも聞いた。詰所の提灯は祭りの夜だけでなく、普段から明かりを点けているそうだ。提灯の灯りは温かく、心が和む。

私には火の見櫓だけでなく、この詰所までが火祭りの夜の演出に一役買っていると思われた。大勢の人出のある伝統的な行事と直接的な関わりの持てる火の見櫓も詰所も幸せだ。


 

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富士吉田市の制水弁のカラー蓋

2017-08-27 | g 地面の蓋っておもしろい〇


富士吉田市上吉田 撮影日170826

 吉田の火祭りで御旅所となっている上吉田コミュニティーセンターの敷地前面に立っていて、神様が遷御されている神輿を迎え入れる火の見櫓。そのすぐ近くに制水弁のカラー蓋があった。



富士吉田市の制水弁の円形の蓋は富士山にフジザクラ、それから市の木・シラカバと市の鳥・アカゲラを採用したデザイン。



角形の蓋もあり、円形の蓋と同じデザインになっている。円形蓋と角形蓋、両者をどのように使い分けているのだろう。


 

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富士吉田市のマンホール蓋

2017-08-27 | g 地面の蓋っておもしろい〇


富士吉田市旭にて 撮影日170826


交通量の少ない道路で撮影したマンホール蓋

◎ 背景に富士山、市の鳥・アカゲラと市の花・フジザクラ。下に小さく〇の中におすいのお、右下に富士吉田市の市章。



消火栓の蓋




 

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869 富士吉田市旭の火の見櫓

2017-08-27 | g 火の見櫓観察記


869 富士吉田市旭の火の見櫓 4脚4〇4型(*1) 撮影日170826

 辛うじて消防車庫をまたぐ火の見櫓。車庫の屋上まで梯子を登り、屋上から見張り台まで登るようになっている。



踊り場から下の構造、フレームワークは大胆だ(①より②の方がこのことが把握しやすい)。車庫をまたいでいて踊り場の下では櫓が太い。急激に逓減させている。





反り付きで緩勾配の方形屋根 櫓のガセットプレートが大きくて目立つ。



建物間の隙間に収まっている脚


*1 4本脚、4角形の屋根、円形の見張り台、4角形の踊り場という組み合わせ

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868 富士吉田の道路またぎ

2017-08-27 | g 火の見櫓観察記


868 富士吉田市新倉の火の見櫓 4脚44型 撮影日170826

■ 山梨県の富士吉田市にも道路またぎの火の見櫓があることは知っていたが、今まで出かける機会がなかった。昨日(26日)「吉田の火祭り」に出かけた際、見てきた。

富士急大月線の下吉田駅から徒歩で10分足らず、中央自動車道富士吉田線の近くに立っている。鉄筋コンクリート造の消防団詰所(消防会館)の後方に立つ様子(写真①)からは、道路またぎであることは分からない。



後方の如来寺の参道に続く生活道路をまたいで立っている。道路脇の櫓外付け梯子から踊り場まで登り、踊り場からは櫓内部の梯子を登るようにしてある。



反対方向から見る。道路がT字路となっていて後方へ伸びていないために、③の写真は道路をまたいでいるということが感動的に伝わらない。この場合、②の方が好ましい。



それにしてもこの脚はどうだろう。タコの足(触腕)を思わせるカーブだ。



脚は変わったデザインだが、櫓や見張り台、屋根はオーソドックス。反りのついた方形の屋根に避雷針と蕨手が付いている。避雷針の風向計は半分欠損したのだろう。手すり子の飾りはよく見かけるデザイン。梵鐘型の半鐘と木槌が吊り下げてある。

「火の見櫓っておもしろい」というカテゴリーの名前に相応しい1基。


 

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大月市のマンホール蓋

2017-08-27 | g 地面の蓋っておもしろい〇


撮影日170826



 蓋の右側に「おすい」、左側に「おおつきし」の表記がある大月市のマンホール蓋。猿橋を中央に大きく配し、橋の上に富士山と桜、下に桂川とアユ、市の花のヤマユリを描いている。盛り沢山のデザイン。


 

 

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867 大月市駒橋の火の見櫓

2017-08-27 | g 火の見櫓観察記


867 大月市駒橋 撮影日170826

 中央東線大月駅の東方約1.2km、国道20号がバイパスと合流する地点に立つ火の見櫓。3脚6〇型。櫓がスッキリしないのは、各構面のブレースでリング式ターンバックル付きの丸鋼は1段しか使われておらず、平鋼片掛けだから。美しい姿とは言い難い。消火ホースが掛けてあるので見張り台のおよその高さが13、4mくらいと分かる。総高は16、7mくらいか。




屋根の角数が分かりにくいのは、面取した6角形で12角形とも取れる形だから。このようなタイプの屋根を見るのはおそらく初めて。半鐘とサイレンがある。



櫓の中間に消火ホース掛け用の腕木を簡易な方法で後付けし、足場も設置してあるが、人が載って大丈夫かなと思うようなつくりだ。ホースを引き上げるための滑車も付けてある。



柱脚部。脚部としての設えが特に無い。

美しかろうが、美しくなかろうが火の見は火の見。みんなちがって みんないい。


 

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「灯台はそそる」を読んだ

2017-08-20 | g 読書日記


『灯台はそそる』不動まゆう/光文社新書

■ この本の著者・不動まゆうさんは筋金入りの灯台女子だ。**リボォルノという地名は聞きなれないかもしれませんが、多くの地中海クルーズにはイタリアのこの港がコースに含まれています。なぜなら、近くの駅から電車に乗れば30分ほどでピサの斜塔を見に行くことができるからです。ただし私はピザの斜塔へは行かず、リヴォルノ港の灯台を楽しみました。**(140頁)というのだから。減少の一途をたどる灯台の火を絶やさぬようにと、その魅力を綴ったのが本書。

**海の安全を守る灯台。役割が重要なのはもちろんだが、ポツンと立つ姿は、人工物ながら風景を邪魔せず、むしろ趣きを与える。実はファンは多く、好みのあり様も豊富。ところが今、灯台はまさに“崖っぷち”だ。**(カバー折り返しの本書紹介文)この紹介文はそのまま火の見櫓にも当て嵌まる。ただし火の見櫓のファンはそれ程多くはないと思われるが。


本書でも紹介されている品川灯台(明治村に移築されている。撮影161203)

火の見櫓の本を出そうと考えているので、その参考になればと買い求めた。

章立ては次の通り

第1章 灯台の愛し方
 1 灯台マニアとは
 2 鑑賞のポイント
 3 初めてでも楽しめる灯台  
第2章 灯台の基礎知識
 1 灯台の役割
 2 灯台の種類
 3 灯台の歴史
 4 灯台の構造
 5 灯台の素材
 6 灯台の光源
第3章 世界の灯台
 1 世界の灯台を巡る旅
 2 灯台先進国フランス
 3 灯台が暮らしに溶け込んでいる国・スコットランド
 4 台湾の灯台には日本の記憶も残っていた
 5 クルージングで出会う灯台
第4章 灯台守のいた時代
 1 灯台守とは
 2 灯台守から伺った話
第5章 100年後の海にも灯台を!
 1 灯台が消える!?
 2 灯台保全のあるべき姿
特別編 私が愛する灯台10選 

ちなみに私の場合、印象に残るのは学生時代に羅臼から知床半島の岬まで縦走したときに見た知床岬灯台。

「第1章 灯台の愛し方 1 灯台マニアとは」で不動さんは灯台マニアの分類について触れていて、灯台マニアを「お遍路さん」「ランドスケーパー」「フィールドワーカー」「灯台〇〇フェチ」の4つのタイプに分けている。

「お遍路さん」は全国に3000基を超える数があるといわれている灯台を全国津々浦々巡っていくタイプ
「ランドスケーパー」は灯台の風景をこよなく愛するタイプ
「フィールドワーカー」は建築当時の記録や設計図などを(中略)見つけ出し、実際に灯台に出向いて歴史に隠された真実を探し出すなど、独自の視点で深堀るするタイプ
「灯台〇〇フェチ」は灯台の特定の部分に魅力を感じるタイプ

なるほど! 灯台を火の見櫓に置きかえて、これらのタイプすべてを意識し、実践したい。


 

 

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866 小川村高府の火の見櫓

2017-08-16 | g 火の見櫓観察記


866 小川村高府下市場 県道36号沿い 撮影日170815

■ 3角形の櫓で構面の1面が梯子の簡易な造り。柱1本を高くして街灯を付けた、街灯兼用火の見。



右利きが多いから半鐘も右手で叩くことを前提に、櫓の右側に吊り下げてある。持ち出した腕木に半鐘を吊るし、切妻の小屋根を架けている。斜材を正しく引っ張り材として使っている。

余談だがセブンイレブンのコーヒーメーカーは扉の吊元が左側になっている(他のコンビニでも同じではないかと思う)。左手で扉を開け、右手でコーヒーカップを取り出すことを前提にしている。半鐘と考え方が同じ。ではキッチンの冷蔵庫はどうか、このことについては改めて。

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865 小川村高府の火の見櫓

2017-08-16 | g 火の見櫓観察記


865 小川村高府 県道36号沿い 撮影日170815



火の見櫓と消防器具庫、消火ホース格納箱

 この火の見櫓は櫓が3角形で屋根と見張り台が円形だが、普段よく目にする同じタイプとは形が違い、印象も違う。この火の見櫓を3脚〇〇型と分類して、形についてはオシマイとしてしまうことは、ネコとワニも共に脚が4本でしっぽもあるからと、同じタイプとしてオシマイとすることと同じではないか。これではいけない。姿・形についてはタイプ分類するだけでなく、文章にしなければ。反省。



山形鋼のブレースをきっちり入れた細身の3角櫓。櫓頂部の円形の小さな屋根は、屋根というより櫓の陣笠、笠木。見張り台は円形で床は鋼板製。3本の柱材から方杖を突いている。手すりと手すり子はたぶん丸鋼、シンプルな構成。



櫓から腕木を出し、表面が平滑な半鐘を吊るしている。半鐘を叩く木槌が掛けてある。消防信号板あり。消火ホースを巻き上げるためのハンドルがあるが、この位置で隣の器具庫が邪魔にならないのだろうか。基礎は塊状のコンクリート製。





火の見櫓を下から見上げる。このアングルで観察することはあまりないが、櫓の形が把握しやすい場合もある。


 

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手打ちうどん しずかの里の黒部ダムカレー

2017-08-16 | g ダムカレー〇


手打ちうどん しずかの里の黒部ダムカレーの竣工写真

ダム型式:アーチ式ライスダム
堤体長:約22cm(黒部ダムカレーカードに示された数値)
堤体高:約4cm(同上)
堤体幅:約4cm(カードに数値の記載がなく、実測もしなかったが、堤体高とほぼ同寸と竣工写真から推測した)
堤体重量:200g(施工会社内の壁面に掲示されていた数値)
ダム湖に浮かぶ遊覧船・ガルベ:ロースト野菜  
請負金額:1,100円(税込み)
発注後施工に要した時間:約25分
施工業者:手打ちうどん しずかの里(大町市美麻)

備考:ダム下流域のうどんは150g(施工会社内の壁面に掲示されていた数値)

竣工検査に要した時間:約20分  検査は施工者のすすめでライスよりうどんを先にした。 ヘルシーな豆カレーは優しい味だった。ルーとうどんとの相性が抜群に良かった。ライス堰堤はカレールーとうどんをセパレートするためにある、と解した。ダム堰堤が両岸に達しておらず、ダム湖のカレールーが下流に流れ出ている。

この店は昨年度はダムカレーを提供していなかった。施工会社のオーナーから今年の春頃から始めたと聞いた。美麻には静御前の終焉の地という伝承があることもオーナーから聞いた。「しずかの里」は下記の伝承に因んだ店名とのこと。

奥州平泉に逃れた義経を追って旅に出た静御前、「奥州」を美麻の「大塩」と聞き間違え、この地に旅してきた。地面に突き刺した杖から芽吹いた「静の桜(大塩のイヌザクラ)」がある、ということを帰宅後ネットで調べた。


 

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864 小川村小根山の火の見櫓

2017-08-15 | g 火の見櫓観察記


864 小川村小根山 撮影日170815

■ 火の見櫓の手前に消火ホース乾燥塔が立っている。切妻屋根の小屋は消防器具置場。火の見櫓は少し傾いている。



構面の1面が梯子になった簡易な3角形の櫓。




 

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― 戦争遺跡 空襲の弾痕がある火の見櫓

2017-08-15 | g 火の見櫓観察記


(再)小川村高府の火の見櫓 手前は高府公民館 撮影日170815

■ 12日の信濃毎日新聞朝刊に長野県内各地に残る「戦争遺跡」を紹介する記事が掲載された。松代大本営地下壕や信濃町にある称名寺(しょうみょうじ)の石の鐘(鐘を供出させられ、代わりに石を吊り下げた)など10ヶ所の遺跡が紹介されていたが、その中に小川村の「弾痕が残る鉄塔」があった。

記事はこの鉄塔について次のような紹介をしている。長野市にあった長野飛行場で管制塔として使われていて、1945(昭和20年)8月に空襲に遭い、階段の手すり子(記事では手すりの柵と表現している)などに銃弾が貫通した跡が2ヶ所ある。戦後、小川村に移築され、今は火の見櫓として使用されている。

戦後72年、戦争当時のことを記憶している人は減少する一方だ。この火の見櫓のような戦争の痕跡・記録を継承していく責務があると思う。現在この火の見櫓の階段の登り口に扉が設置されていて関係者以外登ることができない旨、表示してあるが、年に一度、例えば長野空襲の日・8月13日に登ることができるようにしたらどうだろうか。

この火の見櫓を2015年7月に見ているが(過去ログ)、終戦記念日の今日、8月15日にまた見てきた。





記事で紹介されていた弾痕が確認できた。この痕跡は戦争の身近な「証言者」だ。

*****

改めてこの火の見櫓を観察する。



①の写真とは逆の方向から見た全形 太目の3角櫓、広い床面の上に6角形の屋根が載る。



櫓のブレースと階段の内側の側桁を兼用した合理的な構成。



管制塔の広い床をそのまま火の見櫓の見張り台の床として使っているのであろう。床面から上部は移築した際、追加設置したのではないか。



床外周の下地材に付けたガセットプレートに屋根を支える柱の下端をリベット接合で取り付けている。



銘板には昭和二十七年竣工とある。終戦の年から7年後にこの場所に移築したことが分かる。


 昭和20年8月13日の空襲で47人が犠牲になったとされている。

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「八月六日上々天氣」読了

2017-08-10 | g 読書日記



 『八月六日上々天氣』長野まゆみ/河出文庫を読み終えた。物語は昭和16年暮れの東京に始まり、昭和20年8月6日の広島で終わる。

東京の女学校に通う15歳の珠紀と彼女を慕う4歳年下の従弟・史郎。物語では互いの心模様の変化の軌跡が記される。史郎は珠紀に淡い恋ごころを抱き、珠紀も史郎が気になる存在に。淡々と流れる日常は次第に戦争の色彩を帯びてくる。

やがて珠紀は史郎の担任だった教師・市岡と結婚。市岡は軍に志願し、珠紀は市岡の郷里の広島へ移り住む。そして史郎も海軍兵学校を受験するために広島へ。そして物語はあの日に向かって進む、そして運命のその時・・・。

**八時過ぎごろ、台所のガラス戸がやけに振動するので、珠紀は庭へ飛びだした。
「小母さん、今、地震があったのじゃないかしら、」
「東京とちがうけん、ここいらじゃ、やたらと地震なんてありゃせんよ。」
「そうよねえ、」**(139頁)

長野さんはこのようにその時を間接的にさらっと描くにとどめている。この日の朝、汽車で広島駅へ友人に会いに出かけた史郎は・・・。

突然断ち切られた静かな日常が逆に効果的で、広島に投下された原爆で多くの人たちが命を奪われたことが鮮明に浮かび上がる。

印象に残る作品だった。

偶々8月6日に長野まゆみさんの講演を聴き、その時に買い求めた『八月六日上々天氣』。作品とのこのような出合いに何か縁を感じる。

*****




昔読んだ井伏鱒二の『黒い雨』には原爆が投下された広島の惨状が紙幅を割いて具体的に描写されてはいなかったか。


 

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