■ 所用で大町へ出かけた。昼食は国営アルプスあづみの公園 大町・松川地区の休憩棟レストラン「北アルプスの食卓」で黒部ダムカレーを食べた。カレーは1000円だが、公園の入場券(410円)が必要。
ひき肉カレーはピリ辛でコクがあってなかなかうまかった。遊覧船ガルベはハンバーグ。川下には新鮮野菜のサラダ。
ダム堰堤は整った形をしているが、2ヶ所クラックが入っているのが気になった。でも最後まで決壊させることなく完食できた。
これで残り6店舗となった。
■ 所用で大町へ出かけた。昼食は国営アルプスあづみの公園 大町・松川地区の休憩棟レストラン「北アルプスの食卓」で黒部ダムカレーを食べた。カレーは1000円だが、公園の入場券(410円)が必要。
ひき肉カレーはピリ辛でコクがあってなかなかうまかった。遊覧船ガルベはハンバーグ。川下には新鮮野菜のサラダ。
ダム堰堤は整った形をしているが、2ヶ所クラックが入っているのが気になった。でも最後まで決壊させることなく完食できた。
これで残り6店舗となった。
574 諏訪市中洲上金子の火の見櫓 撮影日150927
■ 中央道の上り、諏訪ICの少し手前(岡谷寄り)のところに立っている火の見櫓です。中央道の防音壁が写真に写っていますが、この火の見櫓の上部が中央道を走行中によく見えます。今まで何回も見て、気になっていました。
今日(27日)、諏訪大社上社本宮(諏訪市)から下社秋宮(下諏訪町)に向かって走行中に偶然遭遇しました。うれしかったです。
姿形の整った火の見櫓です。4角形の櫓、4角形の屋根と見張り台。櫓の中間の踊り場までは外付け梯子、上部は櫓内の梯子。半鐘が見張り台と踊り場に吊り下げてあります。
偶々火の見櫓の隣の消防団詰所1階、消防車庫のシャッターが開いていて消防自動車が顔を覗かせていました。
第1横架材にこの火の見櫓を製作した鉄工所を記した銘板が付いていました。
火の見櫓巡りはまだまだ続きます。
ご朱印 なかなか達筆です。
幣拝殿・左右片拝殿 前回の御柱が立っています。
急に撮影枚数が少なくなったのにはワケがあります。カメラにメモリーカードを入れ忘れていたのと、バッテリー切れ寸前というダブルミスをしてしまったのです。
ったく、イワンのばか、もとい、ユーワン(U1)のばかです。
■ 諏訪市の諏訪大社上社本宮から諏訪湖の反対側、下諏訪町の下社秋宮までは10キロメートルくらいでしょうか。車で移動すれば15分くらいで着きます。
立派な拝殿、大きな注連縄、一対の狛犬。
拝殿後方の幣拝殿。弊殿と拝殿が一体になっているのだそうです。説明板によると、二重楼門造りで高遠藩の命により安政6年(1777年)の起工、同10年(1781年)の落成。初代棟梁立川和四郎富棟により建設され、中沢五兵衛の彫刻が施されているとのことです。
昭和35年10月吉日
この狛犬も彫刻家・清水多嘉示の作品とのことです。後脚がバランス的に小さいような気がしますが、どうでしょう・・・。
■ 諏訪大社上社前宮から本宮までは車で数分です。
台座に「狛犬奉献のことば」の銘板が嵌め込んでありました。文字が読みにくかったので読みませんでしたが(って、本当はちゃんと読むべきですが)、最後に昭和60年10月とありました。新しいブロンズ狛犬です。
お宮参りでしょう、巫女さんに案内されて幣拝殿に向かう親子の姿がありました。
■ 諏訪大社下社本宮にはもう一対、原村出身の彫刻家・清水多嘉示(日本芸術院会員)の作になる狛犬がいました。小柄な狛犬ですが、やはり風格があります。
昭和49年9月吉日建之
■ 諏訪大社は諏訪湖の南に上社、北に下社があり、上社は本宮(諏訪市中洲)と前宮(茅野市宮川)に、下社は春宮(諏訪郡下諏訪町)と秋宮(同)にそれぞれ分かれて鎮座しています。今日(27日)、急に思い立って車で出かけ、2社4宮ともお参りしてきました。
上社前宮のご朱印
向かって右側 阿形の狛犬
■ 今日(25日)の昼食はカフェ・ギャラリー ベルヴィルの黒部ダムカレーです。ベルヴィルは大町市郊外の森の中の別荘地にあります。分かりにくい場所でしたが、なんとか行くことができました。
スパイシーな中辛カレー。ガルベはピリ辛のソーセージ、美味でした。スプーンに注目。カレースコップスプーンです。ダム堰堤を決壊させないようにごはんを鋤くのにちょうど良かったです。 900円
残り7店舗!
■ 講談社の「日本の歴史」全26巻は今から15年くらい前に刊行された。歴史に疎いことを自覚してそれをカバーしようなどと思ったのかどうか・・・、今となっては全巻購入の動機というか理由は分からない。
古代から中世を飛ばして近世は江戸時代の5巻のうち、『文明としての江戸システム』鬼頭 宏を読み始めた。
江戸システムとは馴染みのない言葉だが、本書の説明は 人間と、人間が作りだしたさまざまな装置群――道具・機械・建築物・制度・市場・習慣・宗教など――とが織りなす関係の総体、即ち生活総体のありようを文明システムと呼び、江戸時代をひとつの文明システムとして捉える。そして、この文明システムを「江戸システム」と呼ぶ と解される。
江戸システムの特徴が概括的に6つ挙げられていて、6番目に**江戸システムの自己完結的な発展は、ほぼ江戸時代中期に成熟を迎え、行き詰まりの後に、開国の必然性が意識される**(014頁)とある。 なるほど!
まだ読み始めたばかりだが、この巻は読み物としても面白い。
573 撮影日150920
■ 大町市八坂(旧八坂村)の明日香荘で黒部ダムカレーを食べて、ついでに風呂にも入って、国道19号経由で帰ることにした。
東筑摩郡生坂村を南北に貫く国道19号を走行中にこの火の見櫓がちらっと見えた。やぐらセンサーの感度の良さに同行者Mが驚く。
優美な女性的な姿ではなく、カチっと整った男性的な姿。
屋根の中心を外して半鐘を吊るしてあることも多いが、この火の見櫓はきっちり中心に吊るしてある。でも見張り台の広さからして、叩くのに支障はなさそうだ。多少機能性を犠牲にしても美しさを優先する、「用より美」という姿勢が感じられなくもない。
屋根頂部の避雷針には飾りがあるが、蕨手はない。見張り台の手すりにも飾りはない。この簡素さが好ましい。
この火の見櫓は錆止め塗装をするとかなり美しい姿になるだろう。
572 撮影日150920
■ 前稿に載せた火の見櫓を見た後、「藤尾覚音寺」の案内標識を見て行ってみることにした。山の中の細い道を慎重に走ること数キロ、小さな寺に着いた。
車を停めて周りをよく見ると・・・、火の見櫓が立っていた!網羅的に火の見櫓をマッピングするとしてもこんな所のものは見落とされてしまいそうだ。
意を決して近づいてみると、梵鐘タイプの半鐘が吊り下げてあるし、それ程古くもない消防信号板も設置してある。スピーカーも付けてある。
近くに廃屋が数軒あった。こんな立地と化した火の見櫓を見たのは初めて。
571
撮影日150920
■ 扇沢から引き返して八坂の明日香荘に向かう途中、脇道を入った集落内でこの火の見櫓に遭遇。
簡易な火の見櫓。3角形の櫓の1構面が梯子になっていて、残りの2構面にブレースを3段設置している。1番上の段だけ、輪っか(リング式ターンバックル)付き丸鋼ブレースで下2段は平鋼ブレース。上段が平鋼ブレースで下段が輪っか付き丸鋼ブレースというタイプはときどき見かけるが、このように逆のタイプはおそらく初めて。
このようなタイプだと建て方の際に生じる櫓の歪みの修正がうまくできるのかどうか・・・。もっとも総高7m程度の低い櫓だから、修正を要するほど歪まないのかもしれない。とすれば、リング式ターンバックルは単なる飾りに過ぎないのだろう。
近所の人たちが火の見櫓の立つ集会所の庭の草刈りをしていた。
半鐘の上に小さな切妻屋根が架かるのみ。モーターサイレンも取り付けてある。草刈りをしている人に今もこの半鐘を叩いているのか、訊けばよかった・・・。
消防信号板が脚元と見張り台に取り付けてある。見張り台の消防信号板が外側を向いている。これでは半鐘を叩く時に見ることができない。この様子から半鐘は叩いていないように思われる。
■ 今日(20日)は黒部ダムのレストハウスでカレーを食べてこようと出かけた・・・。黒部ダムへは扇沢駅から関電トンネルをトローリーバスで抜けて行く。自宅かた2時間とはかからない。
シルバーウィーク2日目の今日、扇沢駅の駐車場は満車。引き返してシャトルバスを利用しようにもやはり駐車場は満車。やむなく今回はあきらめた。これから始まる紅葉シーズン、週末に黒部ダムに出かけるのは無理かも・・・。
で、予定を変更して八坂(旧八坂村)の明日香荘へ。ここの黒部ダムカレーの遊覧船ガルベは陸に上がっていた。何だ・・・? ナンだ!と思いきや、メニューカードにこんがり灰焼きおやきの皮とあった。自分で着水させて、ということだ。
直径約30cmの皿、ダム湖はもう少し水量、いやルーの量が多くてもよい。ダムの下流側にはひと口カツとサニーレタスにキャベツ。それから素揚げのカボチャとニンジン。
もう少し辛くてもいいよね、とは同行者Mの弁。 1,000円(税込) これで12店舗、あと8店舗。
■ 12日(土曜日)の早朝、24時間営業の書店で『地図から読む江戸時代』上杉和央/ちくま新書を買い求め、いつも利用する松本6時51分発のスーパーあずさで東京に向かった。
車内販売のコーヒーを飲みながらの読書は至福の時。 火の見櫓が気になって窓外に時々目をやりながら読んだ。
都内では神社巡りの合間にカフェで休憩しながら読み、2日間で読み終えた。
江戸時代の日本地図と聞くと伊能忠敬の正確な地図がまず浮かぶ。江戸時代の日本地図の到達点と言ってもいいかもしれない。伊能図に到達するまでの過程では様々な姿の日本が示された。
地理的な空間認識を表現する地図は時代と共に変化してきたことを改めて本書で確認する。
**江戸時代は大きく「行基式日本図の時代」「流宣日本図の時代」「赤水日本図の時代」という三つの波で時期区分することができる。僧侶(ないし菩薩)たる行基、絵師たる流宣、学者たる赤水と、地図に関する人物だけを追ってみても、その波の特徴がおおよそ摑めて面白い。
ただ、それは単に面白いだけではない。地図は地図だけで存在するのではなく、作者があり読者があっての地図であるということ、ひいては地図は人々の生きた社会や文化と遊離した存在ではなく、それらと密接に関係した存在であるということを、改めて教えてくれるものである。**(221頁)
少し引用が長くなったが、このくだりが本書の要点だろう。
古い時代の「正確ではない」地図がいくつも載っているが、それらは皆なかなか味わい深い。
石川流宣 長久保赤水
570 瓦葺き屋根の向こうは木崎湖 撮影日150916
■ 大町市内で所用を済ませ、昼食に黒部ダムカレーを食べようと「ゆ~ぷる木崎湖」へ。そこでこの火の見櫓に遭遇した。
落下防止ケージ付きの外付け梯子は大町市内の火の見櫓の標準仕様。
残念ながら痛みが激しく、屋根の半分が無くなっていて骨組みがむき出しになっている。半鐘も無ければ、スピーカーも無い。既に使わなくなっているのだろう。撤去される日も遠くないような気がする・・・。
火の見櫓があると、なぜか魅力的な風景に。いつの日か火の見櫓が消えて、特にこれと言った特徴の無い風景に変わってしまうのだろう・・・。
■ 東西線の木場駅から2駅目の南砂町駅で下車。目指す富賀岡神社は駅から徒歩で10分くらいのところにある。前日(12日)に約17,000歩も歩いているので、ちょっとしんどかった(歳かな・・・)。
それ程規模が大きくない神社だった。このくらいの規模だと日常生活に密着している、と感じる。
参道の両側に狛犬、正面に拝殿。参道脇に設置された案内板にこの神社の由緒が記されていた。
御祭神:応神天皇(誉田別皇)、比売大神、宇迦之御魂大神 外五柱 創立が794年とある。古い神社だ。
特に個性的でもない、ごく普通の狛犬とみた。 ともに台座が少し傾いているのが気になった。
富士塚(江東区指定有形民俗文化財) 富士塚に登ることによって富士山に登るのと同じ功徳がある、とされていた。
■ 説明板によるとこの富士塚は天保4年(1833年)までに、富士講のひとつ山吉講によってつくられたという。また、説明板には富士講は江戸時代後半に広まって「江戸八百八講」と称されたとある。この富士塚には頂上に向かう登山口が3つつくってあるとのこと。正面の登山口がこの写真に写っている。塚の斜面にいくつもの富士講碑が祀られている。
富士塚は拝殿の裏側にあった。見落とすところだった・・・。