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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「球形の荒野」

2010-11-27 | g 読書日記



 松本清張の多くの作品が過去に何回かテレビドラマ化・映画化されている。もう何年も前に観た映画『砂の器』は印象的な作品で、ハンセン病の父親と全国を放浪する主人公の少年の姿が美しい風景と共に今でも記憶に鮮明に残っている。この映画は原作を越えた出来栄えだった。

『球形の荒野』はヨーロッパの中立国で終戦処理に奔走した外交官・野上顕一郎とその家族の「悲劇」を描いたミステリー。原作を最初に読んだのは中学生の時か、高校生の時。手元にある文庫(写真)は1975年と1998年に読んだというメモがある。

昨晩、テレビドラマ化された同作品の前編を見た。小説のラストは印象的だが、さて今晩の後編、そのラストやいかに・・・。

実は昨晩見た前編のあまりにも説明的な表現が気になっていた。これはミステリーのはずなのに・・・。今夜(27日)見た後編もそうだった。妻と娘を、そして国民を救うために自ら根なし草になった野上顕一郎の孤独。

「彼にとって、地球そのものが荒野だったんですね」いくらなんでもこの台詞はないだろう。タイトルの「球形の荒野」をこうもストレートに説明されては味気ない。


小説はお互い相手が誰であるのか知りながら、そのことを口にしないで野口雨情の童謡「七ツの子」を一緒に歌うことろで終わる。 ところがドラマは娘が男に「お父さん」と呼びかける。どうもこれも味気ない。

映画『砂の器』は原作を越えた出来栄えだったと書いたが、このドラマは原作を越えることはできなかった、残念ながらそう思った。


 


 

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「伊豆の踊子」

2010-11-25 | g 読書日記

**国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。**川端康成の『雪国』の書き出しはよく知られている。

この書き出しとよく似ていると思うのが、**上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中**という「津軽海峡冬景色」の歌い出し。

ともに実に簡潔で上手い導入だ。

**道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すざまじい早さで麓から私を追って来た。** 『伊豆の踊子』の書き出しはなかなか味わい深い。

ストーリーはなんとなく覚えていたが、わずか40頁の短篇小説だということは忘れていた。

一人伊豆の旅に出た二十歳の私、修善寺温泉から湯ヶ島温泉へ。そして天城峠の茶店で旅芸人の一行と一緒になって、その後、湯ヶ野、下田へと同行。その間の芸人たち、とくに踊子・薫との交流を描いている。

**「あの芸人は今夜どこに泊るんでせう。」** と茶店の婆さんに問えば**「あんな者、どこで泊るやら分かるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊るんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか。」**との答え。

湯ヶ野では別の宿に泊ることになるが、**踊子の今夜が汚れるのであらうかと悩ましかった。**などと私。

川端康成の小説にはエロティックな雰囲気が漂っている。この小説の場合、高校生くらいの年齢だと思っていた踊子が子どもだと分かってその雰囲気は消えていくのだが。

さて、次は何を読もう・・・。



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次は「伊豆の踊子」

2010-11-24 | g 読書日記



 『日も月も』川端康成/角川文庫を読み終えた。36年も経つと随分変色していて、使った後のコーヒーフィルターのような色になっている。

**真裸の漁夫たちが、大鮫をかついで、画面の右から左へ、二列にならんでゆく。漁夫たちはみな前を向いているのに、一人の漁夫だけが横目をして、こちらを向いている。ぱっちりと涼しい目で、少女のように美しい顔だが、若者であろう。その一つの顔だけは色白で、細かく描き上げてある。その顔にくらべると、ほかの漁夫たちの顔は未完成のようだ。**(71頁)

この小説にはある絵画について、このような記述がある。

ある絵画とは、そう、青木繁の「海の幸」。小説のヒロイン・松子がある男性とブリヂストン美術館でこの絵を観る場面が出てくる。川端康成は絵画にも関心を持っていたようだ。そうでないとここまで詳細には書かないだろう。

ある男性とは松子のかつての恋人の弟で、ふたりで京都に旅行するところで小説は終わる。

読後感についてはいつか書く機会があるかもしれない。

メモ)
小説にでてくる絵画:夏目漱石(過去ログ)の「草枕」にミレー(ミレイ)のオフィーリア(ハムレットのヒロイン)がでてくる。このミレーは19世紀のイギリスの画家で先日書いた「晩鐘」のミレーとは別人。

 

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「ライフタペストリー」

2010-11-23 | g あれこれ考える〇

 生活のリズムを可視化する。

21日(日曜日)の夕方、テレビ番組「夢の扉」を見た。日立製作所・中央研究所で行われている情報システムに関する研究開発を紹介するという内容だった。

番組で紹介された研究では腕時計型のセンサネット端末を24時間つけて活動し、腕の動き、脈波、皮膚温度を測定・記録して生活の基本的なリズムを把握する。得られた情報を体の活動量によって小から大の5段階に分け、それぞれに色を対応させて、時間軸に沿って表示する。こうして生活のリズムを可視化する。このビジュアルな情報を「ライフタペストリー」と呼ぶ。

テレビの天気情報で全国の気温分布を寒色から暖色の代表色によってビジュアルに表示しているのを見るが、情報の可視化(視覚情報化)という点で「ライフタペストリー」もこれと同じ。

「ライフタペストリー」を見れは、休日は遅くまで寝ている、毎日決まった時間に起床している、仕事中にオフィス内をよく歩いている、デスクワークが多い、といった活動パターンを直感的に把握することができる。

多くの他人のデータと比較すれば個人の活動の傾向はもちろんのこと、性格までが把握できるという。毎日同じパターンを繰り返す人は几帳面、というようなことだろうか。

企業の研究には(最近では大学の研究も)実用性が求められるが、例えばどのような活動パターンの時、仕事のモチベーションが高いか、といったことを自己分析することで、「ライフタペストリー」の仕事上での有効活用が可能だ。医療や老人介護の分野でも活用できよう。

番組では会社内で誰と誰がコミュニケーションしているかをビジュアルに表現する研究も紹介された。そのパターンを見れば組織が健全かどうか判断できるという。こちらは既に実用化され、いつかの企業に採用されているという。

見えない情報をビジュアルに表現してみたい(過去ログ)という好奇心というか、欲求は程度の差こそあれ、誰にでもあるのではないか。紹介された研究の根底にあるのは、この欲求だろう。興味深い番組だった。

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「日も月も」川端康成

2010-11-21 | g 読書日記



 『山の音』、『千羽鶴』、『みずうみ』に続き『日も月も』を再読中。1974年の8月に読んだというメモがある。36年前の夏はこの小説を読んでいたのか・・・、と変色した頁を繰りながら思う。

**別府の裏の城島高原から見る由布岳もきれいでしたが、豊後中村駅から飯田高原にのぼる道で、九酔渓の紅葉が見られました。十三曲りをあがりきって振りかえると、逆光線が山裏や山ひだの色を沈めて、紅葉の美しさが深まっていました。山の肩からさす西日が紅葉の世界を荘厳にしていました。**(「千羽鶴」 波千鳥 新潮文庫222頁)

**
「桔梗もうつむいて咲くかしら。」
「はあ?」
「桔梗の花より小さいと思うが、どうだ。」
「小さいと思いますわ。」
「はじめ黒いように見えるが、黒でないし、濃い紫のようで紫でないし、濃い臙脂(えんじ)もはいっているようだな。明日、昼間、よく見てみよう。」
「日なたですと、赤みがかった紫色に透き通ります。」
**(「山の音」旺文社文庫190頁)

川端康成は自然に美を見出し、それを小説の中に効果的に織り込み続けた作家だった、と改めて思う。

 

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116 松本市内の火の見櫓

2010-11-18 | g 火の見櫓観察記


116

 松本勤労者福祉センター(松本市中央)のすぐ近くにこの火の見櫓が立っている。中心市街地をやや外れる立地。

平面が三角形の櫓は上方に向かって次第に細くなっているが、その絞り方が直線的で男性的な力強さを感じる。もし隅柱のアングルが脚部から上方へ曲線を描くように絞り込まれていれば女性的で優美な姿になっただろう。

円形の見張り台。手すりは実用に徹していて装飾が無い。緩勾配の円錐屋根、骨組が少し反っているようにも見える。

この火の見櫓も本来の役目を終えているのだろうか、スピーカーが設置されている。どうもスピーカーは火の見櫓には似合わない。火の見櫓本来の素朴な美しさが損なわれる。でも、取り壊されてしまうよりはマシか・・・。


追記140426 カタクラモールの再開発事業に伴って消防団詰所と共に解体撤去することが決まっている。

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「子どもの絵は何を語るか」

2010-11-15 | g 読書日記

 『子どもの絵は何を語るか 発達科学の視点から』東山明・東山直美/NHKブックスを読み終えた。

過日、ある保育園で廊下に展示された子どもたちの絵(運動会などの行事の様子を描いた絵)を見る機会があったが、年齢によってかなり表現が違っていた。そのことを思いながら読み進んだ。

全八章から成るこの本で興味深かったのは、第五章の「立体や空間をどう認識し表現するか――三歳児から小学六年の絵の表現の変容」だった。

机の上に置いたサイコロ、皿の上に置いた三つのリンゴ、テーブルで食事をする家族、まるい池の周りに立つ六本の旗などを子どもたちはどのように表現するか・・・。著者は14,000点もの作品をもとに調査研究したという。

子どもたちの絵は年齢によって明らかに空間表現が違う。例えば水の入ったコップ。3歳児の描いた絵ではコップであることが分からない。4歳児から小学2年生くらいの子どもは側面を描く(左)。小学1年生から3年生くらいの子どもは口は楕円だが水面や底を直線に描いている(中)。小学4年生から6年生は口も水面も底も楕円形に表現している(右 個人差があるので年齢分けには巾がある)。


コップを立体的に表現するまでの過程

サイコロも、さらに複雑なテーブルで食事する様子も、年齢による表現の変化がなかなか興味深い。空間表現の推移が子どもたちの絵から見てとれる。

**子どもの絵を年齢順に見ていくと、どの子どももほぼ同じ発達の道筋をたどり、絵の表現にも共通性がある。**と著者は指摘している。

空間表現については、あらかじめ脳にプログラムされているということなのだろうが、表現に共通性があるというのは不思議なような気もする。

本書には著者のふたりの子どもの「絵を通しての成長記録」も章を割いて紹介されている。そうか、こういう方法があったか・・・。 

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― この踊り場は・・・

2010-11-13 | g 火の見櫓観察記





 なぜか火の見櫓の近くに電柱が立っていることが多い。邪魔だな~。

スレンダーな櫓。屋根も櫓も上方に引き伸ばしたようなプロポーションだ。ところでこの火の見櫓は踊り場にも半鐘が吊り下げられているが・・・。

三角形の櫓の外に設置された梯子を上っていくと・・・、あれ?踊り場の三方にブレースがある。これでは梯子から踊り場に入り込むのに苦労しそうだ。さらに上の梯子も櫓の外に設置されている。これでは踊り場の用をなしていないのでは・・・。上り下りするのが怖そう・・・。

塩尻市宗賀の火の見櫓 101113

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113 ツーショット

2010-11-13 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


塩尻市宗賀にて 101113

火の見櫓のツーショット! 


113(後方)


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111 112 火の見櫓のある風景

2010-11-10 | g 火の見櫓観察記


111


112 塩尻市宗賀にて

 所用にて木曽へ。その帰路に数基の火の見櫓を見かけた。とりあえず2基写真に収めた。休日に出かけて観察しよう。

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110 半鐘の音

2010-11-10 | g 火の見櫓観察記



110

 秋の火災予防運動期間(9日~15日)。初日の早朝、私の住む山里では火の見櫓の半鐘が打ち鳴らされることはなく、半鐘の音はスピーカーから流れてきた。記憶にある半鐘の音とは違う音が、火の見櫓とは違う方向から聞こえてきた。

たぶん、この集落でも事情は同じだろう。火の見櫓の近くにあるスピーカーから半鐘の音が聞こえてきたに違いない。

いろいろなものが時の流れとともに暮らしの中から消えてゆく・・・。


 

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「子どもの絵は何を語るか」

2010-11-08 | g 読書日記



 川端康成の『日も月も』角川文庫を読む前にこの本を読もう。

**子どもの絵の発達の道筋を軸に、子どもの発達とは何か、人間とは何か、絵の表現とは何か、子どもの絵は何を語るかを発達科学の視点から考察していきたい。そして古代人の絵や部族の絵の特徴と対比しながら、人類の発達とは何かを問いなおしていきたいと願っている。**

著者は「はじめに」でこのように書いている。なかなか興味深いテーマだ。

先日、書店で本をさがしているとき、この本が私を呼んでいるような気がした。即、手にとって、レジへ直行。時々このようなことがある。このようにして入手した本はなぜか面白い。

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「みずうみ」川端康成

2010-11-07 | g 読書日記



■ 今日は立冬。『みずうみ』川端康成/新潮文庫を読んで過ごす。七十近い老人の有田。有田は水木宮子という若い女のところに通ってくる。有田の家には家政婦という名目の美人がいる。名前は梅子。

作品の表層の奥にあるものは何か。川端康成がこの小説で描こうとしたものは何か。

川端康成はあっさりと種明かしをする。**老人が宮子にも梅子にも渇望しているのは母性だということは、第一に明らかだった。有田の生みの母は二つの時に離縁されて、まま母が来た。**

**七十近い老人はこの若い二人に手枕されて、首を抱いてもらって、乳を含むと、お母さんという気持ちになるこの世の恐怖を忘れさせてくれるものは、老人にとっても母のほかにはない。**

川端康成は数え年二歳のときに父を失い、三歳のとき母と死別した。数え年八歳のときに祖母が死に、以後十年、祖父との二人暮らしであった(*1)。

川端康成の作品では「母」を若くて美しい女性に求める男が描かれる。『千羽鶴』の菊治も女性に求めたのもやはり「母」のやすらぎ、救いではなかったか。『山の音』の信吾も息子の嫁に「母」を求めていたのかもしれない。『雪国』も『伊豆の踊子』もこのモチーフ。

川端康成が生涯求め続けたのは「母」と「美」だった・・・。

メモ)
*1 『日も月も』川端康成/角川文庫の解説による。
    今夜(7日)の「龍馬伝」で描かれたのは龍馬の姉の乙女からお龍への「母」の委譲だった。

 

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「千羽鶴」川端康成

2010-11-07 | g 読書日記



 川端康成の小説は中高生の頃に読んだという人が多いと思うが、そのときこの作家のエロティックな世界を理解できていたのだろうか・・・。『雪国』←過去ログ

先日約40年ぶりに再読した『山の音』。主人公の信吾はある朝、突然ネクタイが結べなくなってしまう。40年間毎日結んできたのに。息子の嫁の菊子が見かねて胸に近づいて、結ぼうとするが結べない・・・。

そのとき、**信吾はまかせたつもりになっていると、幼い子がさびしい時にあまえるような気持ちがほのめいた。菊子の髪の匂いがただよった。** 例えばこの何気ない描写にもエロティックな雰囲気が漂っている。

ここで信吾が菊子の肩に手をかければ・・・。菊子も義理の父親に恋慕の情を抱いているのに、理性的に振舞うふたりの間には何も「起こらない」。

『千羽鶴』も40年ぶりの再読。**女がこんなにしなやかな受身であって、ついて来ながら誘ってゆく受身であって、温かい匂いにむせぶような受身であるとは、菊治はこれまで知らなかった。**

菊治が関係をもった女、太田夫人は亡くなった父親の愛人だった。年は45歳前後、菊治より20歳近く上。

**菊治はつっと立つと、呪縛で動けない人を助け起こすように、文子の肩をつかんだ。文子の抵抗はなかった。** 菊治は太田夫人の娘の文子とも関係する。

このように『千羽鶴』の男と女の間には「起こる」。意図的にこんな場面だけを引用すると、男と女のどろどろした世界を描いた通俗的な小説のような印象になるが。

菊治の父親にはもうひとり栗本ちか子という愛人がいた。菊治はちか子の企画した茶会で稲村ゆき子というやがて結婚することになる女性と出会う。ただし、菊治とゆき子の新婚生活が描かれるのは続篇の「波千鳥」で、40年前に読んだ文庫本には収録されていない。

**「僕はね、不具じゃないよ。不具じゃない。しかしね、僕の汚辱と背徳の記憶、そいつが、まだ、僕をゆるさない」** 熱海に新婚旅行にでかけた菊治とゆき子だったが、菊治はできなかった・・・。

太田夫人と栗本ちか子、ひとりの男に対するふたりの女の情念と執念が息子にまで及ぶ・・・。太田夫人は茶室で菊治と関係した夜、自殺してしまう。が、彼女の情念が娘に引き継がれたかのように、文子も菊治と深くかかわっていく。

栗本ちか子はある事情で結婚せず、子どもがいない。で、ゆき子を菊治に差し向けて太田夫人に対抗したなどと解釈してみる。菊治はゆき子と結婚したのだから、女のバトルはちか子の勝ち、と思いきや、菊治はゆき子には性的に不能・・・。

文子は菊治に宛てた長い手紙を旅先で何通も書いて♪私は 私は あたなから 旅立ちます と宣言するのだが・・・。

川端作品の再読、次は『みずうみ』。この作品も40年ぶり。 

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― 火の見櫓に学ぶ

2010-11-03 | g 火の見櫓考〇


 梯子型の火の見櫓 日本大正村(岐阜県恵那市明智町)にて


 櫓型の火の見櫓 松本市内にて


 飛騨高山 山桜神社の火の見櫓

「火の見櫓」は2本柱の梯子型(1本柱のものも含める)と3本、4本柱の櫓型とに大別される。

火の見櫓と聞いて思い浮かべるのは後者、櫓型のものが多いのではないかと思う。櫓型の火の見櫓は屋根と見張り台、そして櫓という構成要素から成る。これらの構成要素にはいくつかの造形要素があるから、組み合わせはかなりの数になる。実際、櫓型の火の見櫓は千差万別の造形を生んでいる。

火の見櫓の起源は江戸時代の前期にあるということだが、現在では消火ホースを乾燥させたり、防災用無線(サイレンやスピーカー)設置のための塔としてかろうじて生きながらえているものが多い。その一方、役目を終え、取り壊されてしまったものも少なくない。

単一機能であるのにもかかわらず、多様なデザインが見られる火の見櫓は景観構成上の要素であり、地域のコミュニティーの象徴でもある。建築が景観上好ましくないデザインであったり、地域のシンボルとは成り得ない存在であったりするのとは対照的だ。両者の違いは一体何に起因するのだろう・・・。

たかが火の見櫓、されど火の見櫓。この頃、火の見櫓に学ぶことは多いと感じている。

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