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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

533 白馬村神城飯森の火の見櫓

2015-04-28 | g 火の見櫓観察記


533 撮影日150428

 狛犬にまで観察対象を広げてしまったのでヤグラセンサーが鈍くなっているのでは、と思いきや、感度は依然として良好なようで、国道148号を走行中に(私は助手席に座っていたが)この火の見櫓を見つけた。

洗練されてはいない、そう、武骨な印象の火の見櫓だ。ブレースがそのような印象を与えているのかもしれない。四角い櫓に四角い屋根、円い見張り台というのはよくあるパターン。



見張り台の大きさに比して屋根が小さい。白馬村が豪雪地帯であることを勘案すると、冬季には見張り台に雪が積もってしまうのではないのか、と気になる。四方に向けてスピーカーが設置されていてここに半鐘はない。





踊り場に半鐘が吊り下げてある。



脚元はこんな様子。このデザインだと火の見櫓だと気がつかないかもしれない。


 

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米澤神社の狛犬

2015-04-25 | g 狛犬〇



 松本市寿北にある米澤神社を訪ねた。木造、石造の鳥居の先に山の斜面を直登する長い参道が見える。



社殿の一般的な配置から判断すると、この急勾配の切妻屋根の建物が拝殿で、その後方の建物が本殿ということになる。



本殿は板塀に囲まれていてよく見えなかった。


社務所

この山中の神社を守護している狛犬は大変だな。鳥居の脇の案内板によると米澤神社の御祭神は猿田彦命と大己貴命(おほなむち)。

猿田彦命は古事記に出てくる神様。古事記を現代語訳で読んだから、この神様の名前は知っていた。天孫、邇邇芸命が降臨した際のガイド役を務めた神様。大己貴命(おほなむち)はいくつもある大国主の別名のひとつだそうだ。



この山中の神社及び御祭神の猿田彦命と大己貴命を守護することがここの狛犬たちに課せられた仕事(ミッション)。 

 

台座に狛犬の誕生年が刻まれていた。弘化3年(1846年)というから江戸末期ということになる。右側の獅子も左側の狛犬も歯が見えているから阿形、吽形とはなっていないようだ。あるいは通常とは逆で、右の獅子が吽形で、左の狛犬は阿形なのかもしれない・・・。







玉を持っている左前脚が浮いている! 何とも不安定な姿。よく石工はこのような姿を彫る決心をしたものだ。



ともにつるりんちょな体で、鬣(たてがみ)としっぽ、それから前脚の部分に毛があるだけ。このことが特徴かな。蹲踞の姿勢をしていることが分かる。

江戸時代に生まれた狛犬はユニークで、観ていて飽きない。


 

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会田神明宮の狛犬

2015-04-25 | g 狛犬〇

 県内のあちこちに出かける機会が少なくない。その際、今までは火の見櫓や道祖神、庚申塔などを意識していた、もちろん茅葺きの民家や建築にも。加えて狛犬の棲息地・神社にも目がいくようになった。

昨日(24日)、松本市会田(あいだ、旧四賀村会田)に出かけた。会田という地名は善光寺街道の会田宿として知られている。会田地区内を移動中にこの神社の前を通りがかった。

神楽殿から拝殿を見る。一対の狛犬が見張っている。



拝殿後方の本殿の屋根。棟木の上に鰹木が6本載っている。両端の千木、上端は水平。棟持柱の脚部は礎石に載っていた。

御祭神は天照皇大神。



拝殿の左後方に摂社が並んでいた。狛犬の棲息環境はこんな様子。



  

右側の獅子()は玉に前脚を載せている。物事がうまく転がるようにという意味があるそうだ。左側の狛犬には子どもがいる。共に太いしっぽがある。鬣(たてがみ)のボリュームは程よい。蹲踞の姿勢が見て取れる。

 狛犬はもともと獅子と狛犬、別々の霊獣として扱われていたそうだが、時代が下ると両者まとめて狛犬と呼称するようになったとのこと。







線刻が目立つような気がするがどうだろう・・・。







痩せているわけでも太っているわけでもなく、程よい体躯ではないか。

この狛犬の誕生年、皇紀2600年が台座に刻まれている。皇紀2600年は神武天皇の即位から2600年という節目の年で昭和15年(1940年)。この年に生まれた狛犬。


 

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― もじもじさんの火の見櫓巡り

2015-04-25 | g 火の見櫓観察記



■ もじもじさんが仕事の合間に千曲市西部地区の火の見櫓巡りをして写真をCD-Rにまとめてくれた。火の見櫓の所在地をプロットした地図とレポートまで付いていた。感謝感激!誠実で真面目な彼の人柄がこのまとめ方に表れている。

もじもじさんが取材してくれた火の見櫓はなんと31基! 私もこの地域の火の見櫓を観察して廻りたいと思う(5月中には実行したい)。



これは今月21日に載せた火の見櫓 別の方向から撮ったこの写真で火の見櫓が立っている場所の様子がよく分かる。

ここは善光寺平の周縁で斜面に集落が形成されている。写真の右側、民家の屋根の上に長野自動車道のトンネルが写っているが、このトンネルの先(松本方面)に姨捨サービスエリアがある。近くには眺望がよいことで有名なJR篠ノ井線の姨捨駅もある。

この場所なら背の高い火の見櫓は不要だ。彼も梯子段のピッチ(間隔)とその数によって見張り台の高さを求めているが、それによるとこの火の見櫓は取材した中で最も低く、2,880(単位はmm)だという。

この高さなら火の見「柱」か「梯子」でも事足りるとも思うが、やはり火の見「櫓」という形式にこだわったのだろう・・・。




 

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松本市白板の八幡神社の狛犬

2015-04-25 | g 狛犬〇



■ 先日善光寺の御開帳に出かけたが、その帰りに列車の窓からJR篠ノ井線沿いにあるこの神社の狛犬が見えた。早速出かけてみた。


拝殿


本殿


宝物庫

狛犬の棲息環境はこんな様子。石畳の参道が拝殿に向かって伸びている。拝殿の手前にかなり高い台座があってその上に狛犬が1対、顔をこちらに向けて構えている。狛犬が守護する御祭神は譽田別命(ほむだわけのみこと)。

神社は永正年間(1504~1520年)に白板神田の地に創設されたが、永禄2年(1559年)に近くを流れる奈良井川の氾濫で社殿などが流失してしまった。その後、慶安元年(1648年)に至る凡そ90年の間、幾度も社殿を造営しては水禍の惨を被ってきた。漸次荒廃し、神社の跡と名前を残すのみとなっていた。慶安4年(1651年)に現在地に社殿を造営して遷座の大典を執行した(境内の案内板の由緒書の大意)。

   



拝殿に向かって右側、阿形の獅子。豊かな鬣(たてがみ)が渦を巻いている。若々しくワイルドな印象。後脚は見えない。前脚の下に子どもがいる。





左側、吽形の狛犬 やはり子どもがいる。本来獅子(右側)と狛犬(左側)は別の動物だが、そのような意識は両者の造形からは感じられない。



 

誕生年は昭和3年(1928年)。石工は田近勝之。




境内の奥に立っていた。


 取材日 150418、25

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今町亘理神社の狛犬の誕生年

2015-04-20 | g 狛犬〇

 前々稿で取り上げた今町亘理神社(松本市大手)の狛犬について、建立年は確認できなかったと書いた。このことについて狛犬研究家・のぶさんから吽形の狛犬の台座に刻字してある旨、コメントしていただいた。確かに18日の朝撮った写真をよく見ると写っていた。



今朝(20日)、再度行って確認した。こんなにはっきり刻字してあるじゃないか。18日の早朝は一体どこを見ていたんだろう・・・。

明和六己丑年九月吉日、調べるとこの年の干支は己丑(つちのとうし)で間違いなく、西暦1769年だと分かった。

この狛犬が生まれた年は、そう、これからは建立年ではなく、生まれた年とか誕生年と表現したいと思うが、1769年。のぶさんによると**松本市内の石造狛犬のうち記銘のあるものでは最も古い狛犬**だそうだ。

狛犬の棲息環境、守護している祭神、それから誕生年、そして狛犬の頭部、顔つき、体つき、脚、その他の特徴。

観察すべき内容が次第にはっきりしてきた。 でも・・・、これだけでは、なにか物足りない。


 

 

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今町亘理神社の狛犬

2015-04-19 | g 狛犬〇


撮影日 150418

■ 松本市内を流れる女鳥羽川の右岸の細い道路沿いにある今町亘理神社(松本市大手)。女鳥羽橋の上から見るとこんな様子。徐々に狛犬観察のスタイルを固めていきたいが、まずは狛犬の棲息環境の全体像を把握することにしたい。

この神社に狛犬がいることに以前から気がついていた。昨日(18日)の早朝、善光寺に出かける前に行ってみた。



鳥居のところから拝殿を見る。なんと狛犬が2対いる! この狛犬たちが守護する御祭神も知っておきたい。

     
いろんな神様を祀っているんだな~

昭和26年(1951年)に両社が合祀されて今町亘理神社となったそうだ。拝殿前の説明板によると、亘理(わたり)は渡りに由来し、女鳥羽川の渡し場の安全を祈願したものだという。そう、かつては女鳥羽川を舟が行き来していたのだ。その様子を撮影した写真を見たことがある。

*****

さて、まずは手前の狛犬から。台座を見ても建立年が見つからない。でもなんだか古そうな雰囲気。頭のてっぺんが窪んでいる。

右側の獅子 顔の表情にそれ程の恐さは感じない。嵌め込んだような卵型の眼。阿形の口の中が紅い。首の位置に、ケーキを飾るクリームのような形のたてがみがついている。鳥居側に顔を向けないで前を向いている。

前脚は長袖のシャツでも着たかのよう。後ろ脚を折り曲げて蹲踞の姿勢。体は少し痩せ形。






しっぽはすっとまっすぐ伸びている。



左側の狛犬 首周りの意匠が特徴的。



後ろ姿はこんな感じ



狛犬はもともと頭に一角があったのに。その角のところが窪んでいるのはなぜだろう、どのような意図があるのだろう・・・。

*****

拝殿に近いもう1対の狛犬



右側の獅子は大きな玉を左前脚で押さえている。脚の細部まで表現していない。

玉の表面の様子が獅子とは違う。玉は後年、交換されたのではないか。



しっぽの意匠が1対目とはかなり違う。なるほど、違うんだな~。



左側の狛犬には子どもがいて、前脚で頭を押さえている。この子どもも後年のものではないか。石の表面の様子が親と違う。親の方はなんだか老いた印象。疲れた顔のようにも見える。



なんとも不思議な形のしっぽ。 この狛犬はしっぽに特徴がある、と観た。


火の見櫓もおもしろいが狛犬もなかなかおもしろい。

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531 長野市小島田町の火の見櫓

2015-04-13 | g 火の見櫓観察記


531 撮影日150413

 長野市内で所用を済ませての帰路、いつもとは違うルート、国道18号を走行していてこの火の見櫓に遭遇した。じっくり観察している時間的余裕が無く、写真を撮っただけだった・・・。

高い部類に入る細身の火の見櫓。北信、東信の火の見櫓は総じて細身。リング式ターンバックル付きブレースを用いた火の見櫓とはやはり印象が異なる。櫓の柱はストレート、末広がりではない。見張り台に半鐘は無く、踊り場に半鐘がある。



屋根の一部が欠損しているのは残念。見張り台の床下の方杖が下方にはらんでいることもブレースも踊り場の構成も善光寺の仁王門脇に立っている火の見櫓と同じ。





脚部は正面のみ斜材によって開放し、他の面はブレースを入れている。脚としてのデザインがなされていないのは残念。


 

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松本市梓川倭の岩岡神社の狛犬

2015-04-12 | g 狛犬〇

 同じ食材でも人によってできる料理が違うのと同様に、同じ狛犬を取り上げても人によって捉え方やまとめ方、紹介する内容やその方法が違っていて何ら不思議はない。

例えば茶筒のような単純な円筒形でも真横から見れば長方形に見えるし、真上から見れば円に見える。狛犬のような多くの情報を持った対象であれば、人によっていろんな見方があって当然だろう。こんな見方があるのか、という新たな視点が設定できるのかどうか・・・。

狛犬ファンはかなりの数に上るだろうから、見尽くされていると言えなくもないのかもしれない。通り一遍の紹介でももちろん興味深いし、有用な情報であることには違いないが、やはりオリジナルな視点を持ちたいものだと思う。

狛犬の広大な世界に迷い込むに際して、いや、どんな世界であれ、この辺りを意識というか、心得ておくべきだろう。

*****

松本市梓川倭のある岩岡神社を訪ねた。ここにも狛犬が棲息しているという情報を事前に得ていた。神社を狛犬の棲息地と捉え、まずはその環境といえば大袈裟だが、様子を見ることにする。



全景。梓川の左岸、桜咲く堤防道路の近く、畑や田圃が広がるのどかな場所だ。



参道の桜がちょうど見ごろだった。と書いて気になるのは鳥居の手前のこのアプローチを参道としてよいかどうかということ。このあたりもいずれスッキリ!しなくてはならない。そう情けないことにこんなことも分からないのだ。

鳥居、これもいくつものタイプがあるようだが、今のところは単に鳥居としておこう。境内の案内板によるとこの鋼製の鳥居(このようなタイプを両部鳥居というらしい)は昭和58年12月に建設されている。

ここの狛犬は自然豊かな恵まれた環境に棲息しているではないか。



鳥居をくぐるとこんな様子で正面に拝殿があり、その手前で1対の狛犬がガードしていた。まだ狛犬観察は始めない。棲息環境、狛犬のガード対象の観察・理解が先だ。


拝殿



拝殿の左側にまわって本殿を確認した。鞘堂に納められていて姿をはっきり見ることはできなかった。



拝殿の格子戸から本殿の正面が辛うじて見えた。狛犬ファンは御祭神をどのように知るのだろう・・・。偶々拝殿にこの神社を紹介するチラシが貼られていたので健御名方命と瀬織津姫命の2柱だと知ることができた。

神様の名前は難しい、読めない・・・。ビジュアルに姿をイメージできないからつまらない、などと書いてはいけない。狛犬が守護する神様の名前はきちんと押さえておかないと。





拝殿に向かって左後方に朱の屋根の末社があった(現代用語、もとい神社用語の基礎知識を身に付けなければならないが、俄か仕込で、摂社と末社の区別がつかない。拝殿に貼ってあったチラシに末社と紹介されていたのでそれに因った)。ちなみにこれらの末社は右から荒神社、戸隠社、農神社、八王子社だという。



注連縄つきの大きな黒い石、これは何?説明板によると昭和24年の7月、近傍を流れる梓川の大洪水の際、河川の砂利の中から出現した大石で、地元岩岡地区の安住と繁栄を祈願する「神石」として祀られているそうだ。


社務所

このような神社を守護する狛犬を見てみる。

 

りっぱな台座に据えられている。氏子の皆さんの狛犬に寄せる期待の大きさが窺える。コマ、しっかり守ってくれよ!台座に刻まれた文字により昭和11年3月に建立されたことと、寄進者が東京の小松 茂という方だということが分かった。

 

さて、肝心の狛犬観察だが・・・。観察ポイントがよく分からない。火の見櫓ではチェックポイントを自分なりに考えてリストアップした。同様のことを狛犬でもすればよいだろう。体全体の様子、顔の表情、体の各部位のデザイン・・・。少し時間をかけて考えよう。

 

顔にズームイン。ディンプルな眼が特徴的。

 

親子の微笑ましい姿(上の狛犬の子どもの頭は分かりにくいかもしれない。左下で紐を銜えている。下の子どもは上を向いて親の顔を見ている)

 

像を正面から見るとプレス機にかけたよう。

 

後ろ姿 拝殿から見るとこのような位置関係になる。左が獅子、右が狛犬(獅子・狛犬をまとめて狛犬と称すことが一般的らしいが、区別するために獅子と狛犬とする)。

*****

 

 

拝殿の屋根上の狛犬にも注目(上段:向かって右側は阿形、下段:向かって左側は吽形)


 

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安曇野市三郷 住吉神社の狛犬

2015-04-11 | g 狛犬〇



 安曇野市は三郷温にある住吉神社を訪ねた。狛犬に魅せられることがなければ訪れる機会があったかどうか・・・。この神社には明治、大正、昭和と各時代の狛犬がいるという情報を前から得ていた。 

鳥居の前から参道を見る。拝殿までの距離が長いのかそうでもないのか分からない・・・。まあ、このくらいは長くもないのかな。




鳥居のすぐ先にこの狛犬がいた。向かって右側の阿形の獅子、「ほら飴玉なめてるよ」とでも言いたげに口を開けている。頭の上は宝珠と見るべきか。体はつるりんちょ。獅子だといわれてもピントこない姿。



後姿はこんな感じ。太くて短いしっぽがあってその下には幾何学的な渦模様が彫り込まれている。台座側面の図にも意味があるのだろうが、分からない・・・。



股間情報によってオスと判断した。これを裏付けるように『日本全国獅子狛犬ものがたり』には**陰陽思想では阿吽の「阿」は「陽」で、「吽」は「陰」であることから、阿形の方が陽で「オス」、吽形の方が陰で「メス」とされることが多いようです。**(30頁)とあり、続けて**獅子・狛犬は神社やお寺を守護する霊獣なのですから、強くたくましいオスでなくてはならないはずです。**とある。



向かって左側は吽形の狛犬。頭の上の突起は退化した角とみるべきか。玉を前脚で押さえている。こちらの股間情報からオスとは読みとれなかった。

台座に刻まれた建立年は明治25年8月吉日。



神楽殿越しに拝殿を見る。拝殿の前に2対の狛犬がいる。





まずは手前の狛犬。参道脇の狛犬とはかなり違っていて厳しい表情をしている。





ふさふさのたてがみをカールしている。オシャレではないか。でもなんとなく個性を感じない。あちこちにいそうな気がする。



向かって左側は子連れ狛犬。







台座のプレートに、それまであった随神銅像を戦争に供出してしまったので、昭和40年4月に、この狛犬を奉献したことが記されている(のぶさんの記事で確認)。この手の基本的な情報はきちんと押さえなくては・・・。

レポート不可、再提出! 

次はこの迫力のある狛犬

  

拝殿近くにいた大正狛犬。手前の昭和の狛犬に比べて体躯は小さいが、上のツーショット写真で分かる通り、恐い表情は昭和に勝る。





低く構えた威嚇的態度には迫力がある。向かって右側、阿形の獅子の頭に角があり、左側の吽形の狛犬の頭に宝珠がある。拝殿に向かって左側の狛犬に角があるのが一般的ではないかと思うが、それと違う理由が分からない・・・。

この狛犬の石工は北原柳太郎。ネットで北原柳太郎について調べると多くの石工を輩出した高遠の出身で、現在の諏訪市中洲神宮寺に移り、明治13年(1880年)に石材店を開業している。石工の柳太郎は石柳と呼ばれていたそうで、社名の石柳北原の由来だという(同社HPによる)。

まだ狛犬を観察する私なりの視点が見つからない。狛犬の棲みかまで取り上げるかどうかも含め、「考え中」としておきたい。


* 狛犬取材はじっくり時間をかけて、情報をきっちり読みとり、メモすること。のぶさんの指摘からの教訓。

これが取材の「基本のき」

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― 松本市笹賀の火の見櫓

2015-04-11 | g 火の見櫓観察記


松本市笹賀今村の火の見櫓 この火の見櫓を取り上げるのは2回目








 踊り場の床のところに設置された銘板から昭和30年4月に建設されたことが分かる。銘板には山葵粉を製造している東京都内の会社が寄贈したことが記されている。ネットで調べて、この会社は社名が変わったが、現存していることがわかった。この土地に縁のある会社だろう。

銘板に鉄工所名は記されてはいないが、外観上の特徴から大橋鐵工所の火の見櫓とみて間違いなかろう。手元にある大橋鐵工所の図面と細部までデザインが同じだ。

火の見櫓は季節によっても見る方向によっても印象が変わるし、再見することで新たに分かることもある。初回は火の見櫓観察を始めて間もない頃だったから銘板に気が付いていなかったのかも知れない。やはり2回、3回と足を運ばないとダメだ。


 

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― 桜と火の見櫓

2015-04-11 | g サクラと火の見


春のフォトアルバム 松本市寿小赤にて 撮影日150411


 

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「へそのない本」北 杜夫

2015-04-11 | g 読書日記



 昨年自宅をリフォームした際、リビングの書棚を撤去してしまった。そこに収めていた文庫本を仕方無く自室の机の上に積み上げているが、昨晩そこを整理していて偶々『へそのない本』を手にした。

3年前(2012年)、北杜夫の本を何冊か再読したが、その時はこの本を読んでいなかった。水色のレトララインが貼ってあるから20代の時に読んだ本だ。

カバーの佐々木侃司氏のイラストがなつかしい。週末は北杜夫の世界に浸るか・・・。




 

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「江戸東京の路地」岡本哲志

2015-04-10 | g 読書日記



 『江戸東京の路地 身体感覚で探る場の魅力』岡本哲志/学芸出版社 再読。

岡本氏は本書で**路地はハード面の空間をつくりあげるだけでは生まれてこない。そこに住む人たちが育てていける空間でなければ、本物の路地は生まれないことをしっかりと受け止める必要がありそうだ。**(85頁)と指摘している。

**固定した空間をつくってしまうと、後は建物が老いるばかりで、街が成熟しない。老いる美学もあるが、建物だけで街の魅力は語れないように思う。人が街を育ててきたかどうかにかかっている。**(154頁)とも指摘している。

また、**人々が生活する時間のプロセスを経て、場所ごとの空間のアイデンティティを発揮する。この一連の流れを「時間の設計」と呼びたい。**(170頁)とも。

東京都内各地の路地を観察し、分析することで得られた路地、街づくりのあり方を説いている。

なるほど!な論説だった。


 

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530 松本市大村の火の見櫓

2015-04-09 | g 火の見櫓観察記


530

 松本市の大村地区に火の見櫓が立っているということは同僚のAさんから聞いて知っていたが、具体的な場所は確認していなかったし、訪れる機会もなかった。

昨日(8日)近くまで所用で出かけた際、偶然見つけた。以前南浅間で見た火の見櫓と同じタイプだった(過去ログ)。



全体的な姿、形はもちろん、屋根の上の「だんご」、鋼管から成る櫓、リング式ターンバックルではなく、スリーブ型のターンバックルを用いたブレースなども似ている。同じ鉄工所で建てたのだろうか。




この写真だけ別方向から撮った。脚部は実にシンプル。




 

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