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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

523 塩尻市洗馬芦ノ田の火の見櫓

2015-01-31 | g 火の見櫓観察記


523

 山際の生活道路のT字路脇に立つ火の見櫓。小さな集落内の火の見櫓だから、背の高いものは必要なく、このくらいで十分なのだろう。 

脚部の上に2段水平部材を架けて丸鋼のブレースを入れた櫓で、そこに外付け梯子を設置している。このタイプは珍しくはない。屋根は6角錘で蕨手はなく、避雷針にも飾りのない簡素なつくり。




屋根には下地材が無い。



6角形の見張り台は山形鋼の手すりと丸鋼の手すり子というシンプルな構成。見張り台の消防信号板は本来消防団員が半鐘を叩くときのカンニング用だから内側に向けてあるはずだが、これは外側に向けてある。うっかり半鐘の叩き方を忘れてしまっても、これでは確認できない。



脚部の様子

それがしさんのブログでこの火の見櫓のことを知り、出かけてきた。この集落の北側の県道は時々通るが、この生活道路は今まで一度も通ったことがなかった。消防信号表示板の向きの?についてはそれがしさんも指摘している。


 

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― 半鐘撞き装置

2015-01-31 | g 火の見櫓考〇

 先日「地上操作型 半鐘撞き装置」をネット検索していてみつけた。火の見櫓に登ることなく、地上でワイヤを引くことで半鐘を打ち鳴らすことができる装置だという。


チラシ転載

この装置を開発した須坂市の中澤製作所という会社に電話して資料の送付をお願いしたところ、昨日(30日)郵送されてきた。早速電話してお礼を申し上げ、拙ブログでの製品紹介をお願いして了承していただいた。

資料によると、鉄製の試作機に改良を加えた床置きタイプの1号機が完成し、平成24年5月に須坂市八幡町の火の見櫓に設置したという。1号機の評価に基づき、アルミ製の2号機を製作、平成25年10月末に同市豊丘の火の見櫓に設置したという。

火の見櫓に設置されている梯子の昇降には時に危険も伴う。積雪・凍結時や強風時、それも夜間に10メートルの高所まで急いで登らなければならないとすれば・・・、誰でも梯子の昇降に恐怖を感じるだろう。このことが消防団員減少にも繋がっている、としても否定はされないだろう。

今現在も火災時や火災予防週間に半鐘を叩いている自治体は少ない。不要となった火の見櫓は次第に撤去され、数を減らしているのが現状だ。

先の資料によると「地上操作型 半鐘撞き装置」の開発には須坂市の消防本部からの要望もあったという。須坂市消防本部は予算が確保できれば、各分団1か所は設置したいと考えているようだ。今後も火の見櫓の半鐘を叩くということなのだろう。ということは火の見櫓も撤去されることなく、立ち続けるということになる。うれしい。

この装置が何年も前に開発されていたら・・・、火の見櫓の残存状況が違っていたかもしれない。


装置本体価格14万円、設置費1式2万円(須坂市外は別途見積り)  

20150131

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ブックレビュー 2015.01

2015-01-30 | g ブックレビュー〇



 昨年の12月に読み始めた全4巻の長編小説『夜明け前』新潮文庫を読み終えた。

ラストの数十ページは奈良旅行の帰路、京都駅の待ち時間で。何だかとても疲れてしまって、京都駅のデパートをみんなと歩きまわる気にはならず、ひとり地階のカフェで読んだ。

今回のグループ旅行では読書する時間はないとは思いつつ、いつもの習慣から鞄にこの文庫を入れて出かけていた。

藤村の父親をモデルにした主人公、青山半蔵の生涯を時代の大きな流れの中に描いている。いや、藤村の意図は逆かもしれない。木曽の宿場の人びとの暮らしを通して、江戸から明治へと大きく動いたこの国の歴史を描いている、と解すべきかも。

文芸評論家・篠田一士が二十世紀の十大小説に挙げ、作家・加賀乙彦が近代小説の白眉と評したこの長編の再読を終えたことに満足。今後もう一度読む機会があるかどうか・・・、いやこれは意志次第。


 

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奈良旅行 興福寺

2015-01-29 | g 旅行記〇


25日 昼前

 中学の時の同級生9人で奈良へ出かけた。 2006年に今回とほぼ同じメンバーで京都にも出かけている。中学の時の修学旅行で京都と奈良に行っているから、2度目の修学旅行だ。興福寺三重塔(国宝)を観る同級生。なんだかみんなバラバラな立ち位置で観ている。立ち姿に個性が出ているような気がする。






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奈良の狛犬

2015-01-28 | g 狛犬〇



 中学の同級生9人で出かけた2回目の修学旅行。25日の朝、春日大社を訪れた。鳥居の手前に狛犬がいた。





台座の刻字から昭和43年10月に個人の記念奉納によって建之されたものと分かった。




春日大社から東大寺へ徒歩で向かう。途中で手向山八幡宮の鳥居のところで狛犬に遭遇した。





大正5年3月建之と台座の刻字で分かった。


東大寺の南大門の裏側に我が国最古の狛犬(正確を期すなら中国獅子)があることは修学旅行前の学習で分かっていた(中学の修学旅行は事前学習をして出かけたと今回の旅行中に聞いたが、私は全く記憶にない。旅行の後、発表会もあったようだが、こちらも記憶にはない。なんということだ。)。





金網の中の狛犬。ともに口を開けた阿型。ネット検索で得た情報によると、この狛犬(中国獅子)は1196年(建久7年)というから、鎌倉時代初期に製作されたもの。宗の石工が宗から取り寄せた石(大理石)で製作したそうだ。このような事情からこの狛犬を我が国最古とすることには異論もあるという。よく目にする狛犬とは姿・形が違っている。


 

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522 奈良の火の見櫓

2015-01-27 | g 火の見櫓観察記


522 奈良市白毫寺町の火の見櫓




554

見張り台と屋根のバランス、こんなの見たことない。見張り台の床から立ち上げた柱2本、屋根は半鐘の陣笠。モーターサイレンには切妻の小屋根。

平面が台形の櫓。台形の平行な2本の対辺のうち、短い方の辺(上底)を梯子にしている。細い等辺山形鋼(アングル材)のブレース。

所変われば形変わる火の見、みんな ちがって みんな いい!


 

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521 奈良の火の見櫓

2015-01-27 | g 火の見櫓観察記


521 奈良市 鹿野園町

長野県内の火の見櫓とは姿・形がかなり違う。








 

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奈良旅行 東大寺

2015-01-27 | g 旅行記〇


25日昼前






一体何がこの巨大な大仏を造らせたのだろう・・・。



二月堂 繰り返しの美学


 

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奈良旅行 春日大社

2015-01-27 | g 旅行記〇



春日大社にて 25日の朝 

前夜の宴会で痛飲、二日酔いで春日大社へ。みんな何をお願いしているんだろう・・・。


御朱印をお願いする。



忘れちゃならぬ 繰り返しの美学


 

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奈良旅行 薬師寺

2015-01-27 | g 旅行記〇



薬師寺金堂で薬師三尊像を拝観する 24日夕方

おみくじを引いたら大吉だった。





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奈良旅行 法隆寺

2015-01-27 | g 旅行記〇



 ■ 2回目の修学旅行でも法隆寺は外せない。私は2013年の11月以来1年2ヶ月ぶりの再訪。

中門とその左後方の五重塔、この光景は美しい。



玉虫厨子と百済観音を観る。


 

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「夜明け前」

2015-01-22 | g 読書日記

 **梅から山ざくら、山ざくらから紫つつじと、春を急ぐ木曽路の季節もあわただしい。**(304頁) 木曽の自然の簡潔な描写が好い。

**馬籠にある青山のような旧家の屋台骨が揺るぎかけて来たことは、いつの間にか美濃の落合の方まで知れて行った。その古さから言えば永禄、天正年代からの長い伝統と正しい系図とが残っていて、馬籠旧本陣と言えば美濃路にまで聞こえた家に、最早支えきれないほどの強い嵐が襲って来たことが、同じ街道筋につながる峠の下へ知られずにいる筈もなかった。**(296頁) 大きな歴史の流れは木曽の山中にまで及び、旧家をも押し流していく・・・。

**馬籠旧本陣をこんな状態に導いたものは年来国事その他公共の事業にのみ奔走して家を顧みない半蔵であるとの非難さえ、家の内にも外にも起こって来た。**(313頁) なんだか雲行きがあやしくなって来た・・・。この長編小説の不幸な結末を暗示させる。

幕末から維新への歴史の大転換。木曽街道の馬籠宿の半蔵と周りの人々の暮らし。彼らを包みこむ木曽のおおらかな自然。これらの要素が巧みに組み合わされて、ひとつの大きな物語を成している。



『夜明け前』の4巻は415頁、読み進んで残り90頁となった。


 

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― 地上操作型半鐘撞き装置

2015-01-20 | g 火の見櫓考〇

地上操作型半鐘撞き装置  


 今まで知らなかったがこんな装置を長野県須坂市の会社が開発していた。 消防団員が火の見櫓に登らずして半鐘をたたくことができるという。

この会社に電話して資料送付をお願いした。その際伺ったが、今までに8台設置したとのこと(1月21日現在)。


 

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「硝子戸の中」の火の見櫓

2015-01-18 | g 読書日記



 『硝子戸の中』は大正4年1月13日から2月23日まで朝日新聞に掲載された39編から成る随筆集だが、この中に火の見櫓が出てくることを最近知った。

**当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人家のない茶畠とか、竹藪とか又は長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物は大抵神楽坂まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも隠森として、大空が曇ったように終始薄暗かった。**(51頁)

この編(二十)に**その位不便な所でも火事の虞(おそれ)はあったものと見えて、やっぱり町の曲り角に高い梯子が立っていた。そうしてその上に古い半鐘も型の如く釣るしてあった。**(52頁)とあって、最後に「半鐘と並んで高き冬木哉」という俳句が載っている。

知らなかった、漱石が火の見の句をつくっていたなんで・・・。


 

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― 同好の士

2015-01-15 | g 火の見櫓考〇



■ 凡そ世の中に存在するもので人の趣味の対象になっていないものは無い、と前にも書いた。ありとあらゆるものが人の趣味の対象になっている。火の見櫓とて例外ではない。

安曇野のヤグラー(火の見櫓好き)のぶさんから、このチラシの情報が届いた。

伊那谷自由雑学大学で「千差万別 変幻自在 火の見やぐら このディープな世界」なる講座が開催されるとのこと。伊那のヤグラーさんがプレゼンターとなって火の見櫓の魅力を語るという企画のようだ。いや~、同好の士が居られることが分かってうれしい。

開催日は2月1日の日曜日の夕方5時からで、場所は伊那市立伊那図書館視聴覚室。残念ながらこの日は新年会があって、参加することができない・・・。

終了後交流会ありとチラシにあるから、出来れば参加したかった・・・。残念! 


伊那谷自由雑学大学:平成23年から長野県シニア大学に伊那図書館が提供する協賛技能講座「雑学学科」の卒業生たちが企画し、運営する活動(チラシによる)

 

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